グレゴリー・グリードと禁断の魔術書

神島竜

第1話

――※※※――


 むかし、むかしあるところに、それはそれはたいそう、かわいらしい女の子がいました。

 女の子の名前はメアリー。

 そのメアリーにはやさしいパパとママがいました。

 メアリーのパパは村一番の大金持ち。いくつもの畑と牧場を抱えて毎日おおいそがし。

 そんなパパは奴隷にはオニでも、じつのむすめにはあまあまです。

 彼女のためならなんでもしました。きれいな服、かわいらしい子犬、異国のお人形。

 全部、パパがメアリーのためにメイドたちに街まで買いに行かせたものです。

 むすめのためなら、いくら大金を注ぎ込んでもかまいませんでした。

 しかし、ある日のことです。娘は突如、謎の病にかかって死んでしまいました。

 葬式の日、メアリーの死体の前で、パパはかなしみました。大事な娘が死んでしまったのです。悲しくないはずがありません。

 ああ、なんてことだ。あの子が死んでしまうなんて。心臓が張り裂けそうなくらい、僕はかなしい。なんとかして、なんとかして、あの子を生き返らせることはできないだろうか。それができたら、僕はアクマに魂を売り渡してもかまわないというのに。

 そう考えていると、葬式に一人の男が現れました。黒いマントをたなびかせ、頭には牛の骨をかぶった。いかにも、怪しげな男。その男は、パパに言いました。

 むすめを生き返らせたくはないか、と。

 パパの答えはもちろんイエスです。娘のためならなんでもしてきたのです。なにをしてでも、どんなことしてでも生き返らせたいに決まっています。

 パパのイエスを聞いて、男はにやりと笑って一冊の本をみせてこう言います。

 そんなあなたに朗報だ。この一冊に、あなたの娘を生き返らせるステキな方法が記されている。あなたの小金で、十分に買えるリーズナブルな値段だ。一冊、どうだい? 買うかい、買うかい、ほしいかい?

 パパはもちろん、と答えました。その場で鉱山を一つ買えるほどの大金を男に渡して、パパはその本を手に入れたのです。

 パパが本を開くと、本はパパだけに語りかけました。


――※※※――



「ほんじゃらからから、パッ、パッ、パッ! ほんじゃらからから、パッ、パッ、パッ!」

 とある街の路地で、一人の男が怪しげな民族衣装に身を包んで、これまた怪しげな呪文を声高に叫んでいた。男の目の前にはくたびれたようすの初老の紳士がいる。その紳士と男のまわりには、大勢の人だかりができていた。

「あーめん、さーめん、そーめん、ひやむぎいっちょ! て、てけて~の、おっぺろげ~のきぇぇぇぇぇ! ハッ!」

 突然、男はイナヅマが走ったかのようにビクっと震えるとうわごとのように語りだした。

「おぬしの失せもの……まさしく、猫は! トライスター一丁目の酒場で生ゴミを漁っておる! その近辺を捜せ!」

 男がそう言うと、紳士は驚いたようすで言った。

「確かに! 私は猫を探している! そのことに気づき、しかも場所まで伝えてくれるなんて、わかりました! さっそく探してみます!」

 そう言って、紳士は財布からお札を握りしめて、男に渡した。

「さあ、急げ! 猫は気まぐれやだ! すぐにそこから離れるやもしれんぞ!」

「はいい!」

 男は人だかりをかぎ分けて走っていく。周囲から喝さいが沸き起こった。

「グリゴリーさん! 次は私をお願いします!」

 一人の婦人が男の前に出てくる。グリゴリーと呼ばれた男は笑顔で言った。

「ほう! これはこれはミディアム婦人! このたびはご結婚おめでとうございます!」

「ありがとう! あなたのおかげよ! あなたのすすめてくれたこのアクセサリーをつけて、友人の結婚式に出たらもうドンピシャ! あの人と結婚できるなんて夢みたい!」

「ありがとうございます! 私もがんばったかいがありました! そうなんです! 今、このひとのつけているブローチは私が恋の魔力を込めた魔法のブローチ! 今ならなんと1000ギャレオン! なんと巷で人気の香水と同じ値段! ぜひともお買い上げくださいませ!」

 人々が歓喜で湧き上がる。すると、それに合わせて、子供たちがブローチがつまったバスケットを片手でもって周囲の人々に売って歩いた。



「売上三千万ギャレオン達成を祝って、乾杯!」

 夜、グリゴリーは路地裏の小さな小屋で子供たちを集めて言った。子どもたちはにこやかな笑顔で彼にむかって拍手した。

「いやぁ! 今日までご苦労だったな! 飲め! 飲め! 今夜は俺のおごりだ」

「飲めって……僕たち、まだ未成年だし……」

 子供たちはそう言って、オレンジジュースを飲んだ。

「それじゃあ、腹いっぱい喰っとけ! ここまで金を稼いできた俺たちは兄弟だ! ファミリーだ! 遠慮なしといこうじゃないか!」

「どうせ他の街の子にも言ってるんでしょ」

「ハッ、ハッ、ハッ! どうだかなァァァァ!」

 笑い出すグリゴリーの前に、一人の少年が一枚の紙をもって言った。

「グリゴリー、僕たちさ。アンタが旅に出たら、稼いだお金を出し合って、お店を出そうと思うんだ」

「へぇ、いいんじゃねぇの。やるといい、世の中、チャレンジが大事だ。チャレンジがさ」

「みんな、アンタに感謝しているよ。こんなに充実したのはひさしぶりだった」

「そうかい、そうかい、よかったってことだ!」

 そう言って、出された紙をみる。それはお店の保証書だった。

「それじゃ、サインしとくよ」

 彼はペンを出すと、紙の署名欄に自分の名前を書く。

グリゴリー・グリード、彼は紙にそう書いた。

「グリゴリー、お客様だよ」

 子供たちの一人がグリゴリーに言った。

 グリゴリーは嫌そうな顔で子供に言った。

「なんだよ、こんな夜中に、明日には別の町に行こうってのに……」

「それがさ、緊急の依頼なんだって」

「そんなこと言ってもよ……もう、この街でやるつもりなんて……」

「いやいや、聞いてよ! 報酬がすごい額なんだから」

「ああ、なんだって?」

 子供はグリゴリーのそばによって、彼に耳打ちする。

 グリゴリーは目を見開いて、子供に言った。

「そのお客様をこちらにお通ししろ! いや、俺が自ら行こう。彼はどこにいる? 家の前か! よし、すぐに着替えて出迎えよう!」

「もう、この街で仕事はしないんじゃなかったの?」

 子供はあきれた顔でグリゴリーに言う。

「バカ野郎……金が稼げれば話はべつだ」

 彼はにやりと笑って言った。



「これはこれは、市長。こんな夜中にどうしたんですか?」

 グリゴリーは怪しげな笑みを浮かべて言った。

 目の前の小太りの男は顔面蒼白な面持ちでいた。

「グリゴリー、じつはキミに頼みがあるんだ」

 そう言って、男は頭を抱える。

「本当はキミになんて頼みたくはない……魔術だとか呪術などの不思議な力なんて、この世にはないと思っていたからな……“あれ”を見るまでは……」

「あれ……ですか?」

 グリゴリーは不可解そうにつぶやく。

 男は顔を上げて、グリゴリーに言った。

「キミは、カーズ家のことを知らないのか?」

「カーズ家……ああ」

 グリゴリーは思い出したように目を見開く。

「ああ、あそこですか。あそこがどうしたのですか?」

 じつは、この時彼はカーズ家についてなにも知らなかった。

 だが、依頼の内容はなんとなく察しがつく。一人の人間が夜中に深刻そうでかつ、恐怖にそまった表情でグリゴリーのもとをたずねたというこの状況を、彼は何度も経験している。

「依頼内容は除霊ですね?」

「ああ、そうなんだ。これ以上は隠し通せない」

「わかっています。任せてください」

 そう言って、右手を顔に添えて、

「私こそ、東の密林からやってきた呪術師、グリゴリー・グリードなのですから」

 と言って、にやりと笑った。


――※※※――


 本はパパに言いました。

 まず、血が必要だ。いとしいあの子を生き返らせるために。たくさんの動物の血をあの子に注がなくてはいけない。

 パパは奴隷に命じて、牧場の牛たちの首を次々と跳ねて、浴槽いっぱいの血を貯めました。そこにむすめを漬けて、祈りました。すると、彼女の心臓が動き、彼女のかわいい寝息がきこえてきました。

 次に、人の肉体が必要だ。いとしいあの子をうごかすために。十人の女性の死体が必要だ。

パパはメイドたちの肉体をバラバラにきざみ。それらを縫い合わせて、一人の少女を作り上げました。そのからだにむすめの心臓をいれる。すると娘は目を覚まし、パパにむかってパパと言いました。

 パパはうれしさで涙を流します。

 そして、本は最後にパパにこう言いました。

 むすめが目を覚ますしつづけるのは三日だけ、それより先まで彼女を生かすには、あなたのすべてを私に捧げなければいけない。


――※※※――


 呪われし一家、カーズ家。もともとは農村であったこの街で多くの牧場、農場を経営していた資産家であった。だが、それは50年以上も前のはなしである。この家の当主、シュガー・カーズは、娘を亡くしてから狂気にかられて、三つの奇妙な行動を起こした。

 一つめ、100頭の牛の首が刈られる。

 二つめ、50人のメイドをバラバラに分解する。

 三つめ、死んだ娘の死体を墓地から掘り起こす。

 そして最後に、彼は妻を殺して死んでしまった。

 それから、彼らの住んでいた屋敷の周囲に奇妙な事が起きた。

 毎年、必ず街に湧く腕、足、頭などのどこかの部位が欠けているバラバラの女性の死体。首のない状態で見つかる犬、猫などの動物の死体。屋敷から響く奇妙な遠吠え。

「あの屋敷にはなにかがいる……そう思えてならないのです」

 そう言って、市長は震えながら屋敷の門をくぐる。

 グリゴリーは、そんな市長の声を背後から聞きながら、どうでもいいかのようなようすで奥へと進んだ。

遠吠えね……どうせ、犬でも住んでんだろ。

 彼はそう考えて、かるくため息をついた。

「しかし、市長。除霊なら私一人で十分ですよ。例えば、あそこの男や女は必要ないと思いますが」

 そう言って、男は市長のそばにいる二人の男女に目をやる。

 一人目の男は警官。直角に折れ曲がった特徴的なヒゲにするどい眼付の長身の男。

 二人目の女は記者。背の低さが目立つ、少しボーイッシュな格好の女性。胸元には、グリゴリーが街で売っているブローチをつけている。

 警官は背中の猟銃を取り出すと、鼻を鳴らして言った。

「俺は悪霊とか信じてないんでな。館に住んでいるとかいう遠吠えの主のどてっぱらに鉛を撃ちこんでやるのさ」

 記者は楽しそうに笑ってカメラを構える。

「フフ~ン、街で噂のグリゴリーさんがカーズ家に潜入ってはなしらしいスからね。取材、取材っスよ」

 そう言って、記者はカメラをグリゴリーたちにむけて、シャッター音を鳴らした。カメラから撮ったばかりの写真が出てくる。彼女はそれを満足げに眺めると、カバンのなかにしまった。

 クソ、これでいっそうやりづらくなった。

 グリゴリーはイライラしげに館の扉を開けた。

 扉を開けると、目の前には広間があった。館の広間はもう何十年も経っているというのに、ほこりひとつないきれい状態である。

「まるで、誰かが住んでいたかのようだな」

 警官は周囲を見回して、神妙な顔で言った。

「実際、ホームレスでも住んでたんじゃないっスか。あっ、もしかしたら一連の事件の犯人やも、そっちのほうが悪霊のしわざっていうよりも、現実的ッスよね」

 記者はグリゴリーにむかって、にやにやと笑みを浮かべながら言う。

 チっ、むかつく女だ。だがいいね、その案頂きだ。

 そう思い、グリゴリーは言った。

「なるほど、市長。呼ばれておいて恐縮ですが。もしかしたら私にはお力になれん屋も知れません。こう、なんていいますかな。悪霊の気配がしないんですよ」

「おやおや、グリゴリーさん。あなた、いないって言うんスか」

「おじょうさん、なんでもかんでも幽霊のせいにしちゃいけないんですよ。実際、幽霊かと思ったら違ったなんてことはよくあります。素人がよくやる勘違いですよ」

 グリゴリーはそう言った。だが、この記者と警官がいなければ彼は市長にこう言っていただろう。

 市長、これはそうとう危険な悪霊だ。命のかかる仕事だから報酬を上乗せしてくれないだろうか、と。

 ここまで読めばわかる通り、彼は偽物の呪術師だ。訪れた街で浮浪者やストリートチルドレンを雇い、詐欺をやっている。あるていど金を稼げば次の町へ行く。そうやって、小金を稼ぎながら今までやってきた。

 今回の件も、屋敷のなかで市長の前で適当な呪文を叫んで、それで除霊をしたことにし、報酬を頂いたらすぐにトンズラをこくつもりでいた。

 だが、今回は市長以外に二人の人間がいる。しかも彼らはグリゴリーの呪術を信じたい側の人間ではない。信じる気のないものの目の前でどんなことをしても、不信感がのこるだけだということをグリゴリーはよく知っていた。

 報酬は減ってしまうが仕方ない。ここはバレるようなことはしないでおこう。

「市長、悪霊はいるかいないか、少し調べさせていただきますから。除霊料はおいとくとして、調査料の方を」

「ああ、わかった」

 市長はうなづいた。これで最初の報酬よりも少なくなるが、十分、稼げると安心した彼は意気揚々と屋敷の奥へと進んでいく。

「おい、どこ行くんだ」

「見ての通り、調査ですよ。あなた方もご勝手にどうぞ」

 グリゴリーはそう言って、階段を上り、二階へと消えていった。

「じゃあ、自分もちょっと歩きまわってみまスっかね。謎の遠吠えの正体、その実態に迫るっス!」

 そう言って、記者は一階の扉を開けた。

「たく、勝手なことをしやがって……」

 警官はやれやれとため息をついて、記者を追おうとしたその時。

 警官は、ふいにうしろをふりかえった。市長も同じ方向を見る。

「今、音がしなかったか」

 市長は不安げな様子で警官にたずねた。

「ねずみじゃないですか」

 そう言いながらも、警官は銃を向ける。

 彼らが聞いた音はまぎれもなく足音であった。二足歩行の生物の足音。

 その音が、グリゴリーと記者のいる方向とは逆の方向から聞こえたのだ。

 この館に、彼ら以外のなにかがいる。二人はそれを確認した。

 だが、ふりかえった先にはだれもいない。

 気のせいか。そう思うも、足音は確実に二人に近づいている。

 クソ、どこだ。どこにいやがるんだ。

 警官はいらだった様子で銃を握る指に力を入れる。

 だが、その指に力ははいらず、警官は銃を落としてしまった。

 警官は、銃を握りしめていたはずのその指を見る。

 だが、指が、ない。

「イイェヤァァァァァァァァ!」

 警官は叫び声をあげる。

「どうしたんだ!」

「指がァァァ! 俺の指がァァァ!」

 警官の指が、何者かによって切り離されたのだ。

 だが、その姿はみえない。

「ヒィィィ、お助け!」

 市長は叫び声をあげて、さきほど開けたドアに駆け寄る。

 だが、ドアを開けることはできなかった。

 その前に、市長の首から血が噴き出し、市長はその場で倒れてしまった。

 その時に、警官はやっと市長の首元に刃物を持った怪物を確認する。

 それは、人形であった。西洋人形が刃物をもって市長の頸動脈を切り裂いたのだ。

「クソったれがァァァ!」

 警官は利き手とは逆の手で銃を拾って、人形にむかって弾丸を放つ。

 さすがは警官だ。利き手以外であっても命中精度は変わらない。弾丸はまっすぐと人形にむかっていく。

 よし、勝った!

 勝利を確信した警官はにやりと笑う。しかしその表情は、人形も同じであった。

 人形は奇妙な笑みを浮かべながら、握りしめたその刃で、弾丸の軌道を、逸らした!

 そして、そのまま笑みを浮かべた警官の首元にナイフをふりかざす。

「ふぇ?」

 警官には人形が突如消えたようにみえる。警官は突如、首から血を噴き出した。

 警官もまた、その場で倒れてしまった。



「ん? なんスか。今の音?」

 記者は背後から聞こえる叫び声に疑問を感じてふりかえる。

 彼女はそのまま警官たちのもとに行こうとした。

 だが、背後から鈍い鉄の音が聞こえ、彼女は再度ふりかえる。

「ひぃぃぃ!」

 記者は驚いて、横に飛ぶ。

 それはなんと斧! 巨大な斧が彼女のほほをかすめた。

 いつのまに! どこから! 

 彼女の頭の中に多くのクエッションが埋まる。

 目の前には怪物がいた。それは二足歩行で歩く獣のようである。顔は茶色い革袋をかぶっているためわからない。その怪物が斧をもって記者に襲いかかったのだ。

 怪物はまた斧を握りなおす。

 しまった、これいじょうは避けれない!

 そう思って、記者はカメラをかまえてシャッターボタンを押す。

 フラッシュが怪物をつつみこむ。

 怪物は叫び声をあげて両目をおさえた。

 記者はそのすきに部屋を出る。

 そこには、市長と警官の死体がある。

「どういうことなんスか……これは」

 記者は死体に触れながらつぶやき、扉にむかって走り出す。

「キィエ、キィエ、どこへ行くんだい。おじょうさん!」

 人形はそう言って、刃物を記者にむかって投げつけた。



「ひぃ、ふぅ、みぃ、金目のものはいくつある~、と。っカ~、いいねぇ!」

 市長、警官、記者が怪物たちに襲われている間。彼は調査と偽って、部屋のなかを物色していた。この家はもともとは資産家の家だ。宝石やネックレスのたぐいはもちろんのこと、それ以外の価値のある物が手につかない状態でのこっている。彼はそれらを懐にいれて後で売りさばこうと考えていたのだ。

 彼は鼻歌交じりに宝石類を袋に詰めていく。

「さて、書籍も物色するか」

 グリゴリーはそう言って、本棚の本を物色する。

 外国の本なら、内容を問わずに一定の値段で売れる。

 そう考えて、本棚をざっと眺めると一冊、目を引く書籍をみつけた。

 黒い表紙に白い薔薇の刺繍がはいっている。その薔薇に囲まれる形で表紙の中央には蛇の刺繍が大きな口を開けて威嚇していた。その表紙にタイトルはない。

「よくわからんが、装丁の精度だけで、ちょっとマニアをうまくだまくらかしゃぁ、それなりの価値で売れるだろ」

 そう言って、グリゴリーは書籍を手に取る。

『ヘイ、ボーイ。願いはなんだい?』

 突如、声が響いた。

「誰だァ!」

 グリゴリーは部屋を見回す。

 部屋の奥に人影が見えた。

 グリゴリーは追い掛け、その人影の腕をつかむ。

 人影の正体が明らかになる。

 それは白い髪の少女であった。

 病的なまでに白い肌、荒れた白いドレス、クマの目立つ目。

 だが、それでも愛らしさを感じさせる容姿をしている。

「女……だと? 何者だ。貴様は?」

 グリゴリーは不可解そうに目の前の少女に言った。

「メアリー………カーズ」

 少女は苦しそうに、ぽつりぽつりと言った。

「メアリー・カーズだと?」

 グリゴリーが信じられないとでも言いたげな顔でつぶやいたその時。

 彼らのいる部屋の扉が突如、砕かれる。

「なんだ!?」

 グリゴリーがふりかえると、革袋をかぶった二足歩行で立つ獣のようないでたちの怪物がそこにはいた。

「ヨーゼフ……」

 メアリーは言った。ヨーゼフと呼ばれた獣は少女の傍にいるグリゴリーに気づくと。苛立ったようなうなり声をあげ、巨大な斧を引きずりながらグリゴリーにむかって走り出した。

 なんなんだアイツは! なんなんだアイツは! なんなんだ!

 グリゴリーは怪物の姿に動揺し、一瞬思考が停止する。そんなグリゴリーにヨーゼフは叙々に近づき彼の頭にむかって巨大な斧を振り下ろす。

 グリゴリーはハッと我にかえって右に体をズラすと、自分が持っていた宝石類を詰めた袋をハンマー投げのようにヨーゼフの頭部にむかって振り回した。

 ヨーゼフの頭部に宝石類の詰まった袋がブチ当たる。革袋からのぞく首筋から血が大量に流れ出した。

 よし、かなりのダメージだ。

 そう思い、袋から手を離すと、グリゴリーは部屋の扉から出て、階段を駆け下り、広間に飛びだす。

 広間には見るも無残な光景が広がっていた。

 頸動脈をかっきられて、大量の血を噴き出して倒れこむ市長と警官。胸元にナイフが刺さったまま扉の前で仰向けに倒れる記者。三人が無残な状態で広間に倒れていた。

 どうなってやがるんだ。またもや、グリゴリーは動揺する。

 動揺し、足を止めたその瞬間!

「ヒィィィハァァァァ!」

 奇妙な叫び声がグリゴリーの頭上に響く。

 見あげると、そこには人形がいた。

 人形が、刃物をもってグリゴリーにむかって落下していた。

 グリゴリーは慌てて右に避ける。

 人形のナイフは床に突き刺さり、人形はナイフを抜くのに手間取ってしまう。

 そのスキに、グリゴリーは館のドアへと駆けよった。

 だが、ドアは開かない。向こう側から杭で打ちつけられているかのように、ドアは硬く閉ざされていたのだ。

「クソ、なんなんだ! これは!?」

『開きやしねぇよ……』

 また突如、脳内に声が響く。

『この館は訪れた生贄を絶対に逃がさねぇ。そういうふうにできちまってんだ。お前がこの館の支配者を殺すまではな……』

「誰だ!」

『気づかねぇか。こっちだよ。こっち。手に持ってるだろ』

 グリゴリーは、まさかと思って自分の手もとを見る。そこには本が握られていた。さきほど彼がみつけた薔薇の刺繍のはいった本がである。その本のなかに一匹の蛇の刺繍が舌をチロチロさせながらこちらをみていた。

『さ~て、グリゴリー。テメェの願いはなんだ? 俺がかなえてやるよ』

 蛇の刺繍は奇妙な笑い声を上げてグリゴリーに言った。

 その時、二階の階段から一体の怪物がゆっくりと降りてきた。

 布袋をかぶった獣。ヨーゼフである。

「クソったれ!」

 グリゴリーは吐き捨てるように言って、周囲を見回す。すると、足元に記者のカメラをみつける。

 彼はそれを拾い上げると、ヨーゼフにむかってシャッターボタンを押した。フラッシュにより、ヨーゼフは目を覆う。

 そのスキに、彼は警官の死体から銃を奪い、ヨーゼフにむかって撃ちこむ。

 ヨーゼフはうなり声をあげながら、銃弾の雨をうける。銃弾によってひるむも、ヨーゼフはじょじょにグリゴリーに近づいていった。

「チっ、埒が明かねぇ!」

 そう言って、うしろに一歩下がると、妙な踏みごたえを感じ取る。

 これは、まさか! 

 そう思い、グリゴリーは地面にむけて銃を発砲する。

「なァにしてんだい! 呪術師さんよォォォ!」

 そう言って、人形はナイフをもって、グリゴリーに襲いかかる。

 その直前、グリゴリーは床を力強く踏みしめた。

 ナイフの切っ先はグリゴリーの首へと向かう。だが、グリゴリーはそのナイフの軌道から下へ下へとズレていく。

 床が崩れ、グリゴリーは下へと落下していったのだ。


――※※※――


 それからです。メアリーの屋敷が呪われし屋敷と呼ばれるようになったのは。

 メアリーのパパはよりいっそうおかしくなりました。

 すべての牧場の動物を殺し、畑を売り払い、雇っていたメイドや奴隷も殺戮する。

 さらには、止めようとしたママでさえ、パパは殺してしまったのです。

 ナイフでママの心臓を突き刺したパパは我に返り、こう言います。

 なんてこった、こんなはずではなかったのに、と。

 本は、笑いながら言います。

 しょうがないさ。それが代償だ。

 願いをかなえるのは、タダじゃねぇのさ。

 そんなこともわかんねぇのか。金持ちはよ。

 本のその言葉に苛立って、パパは本を放り投げます。

 そして一晩中泣きあかし、最後には自分の胸にナイフを突き立てて死んでしまいました。

 生き返ったメアリーを一人残して。

 でも、メアリーはさびしくありません。

 なぜなら、彼女には友達がいるからです。

 幼いころから、ずっと彼女の傍をはなれない二匹の友達が。


――※※※――


「なるほど、やはり地下があったか」

 グリゴリーは見まわしながら言う。

 彼は屋敷の地下にいた。

 床の感触から、この屋敷の下に広い空間があることを見抜いたグリゴリーは、銃弾で真下に四つの穴を開け、そこに足で衝撃を与えることで、真下の床を崩し、その下の空間へと降りていったのだ。床は何十年もたっていたため抜けやすくなっていた。

「しかし、これはひどいな……」

 地下は明りが届かず、暗闇で覆われているため何も見えない。だが大量の死体があるのか、周囲は腐臭でつつまれていた。

「いったい、なにをしてやがったんだ」

『儀式だよ……』

 手に持っている本のなかの蛇の刺繍がまたグリゴリーに語りかける。

『昔、この屋敷に住んでいたシュガー・カーズって男が、娘を生き返らせるためにおこなった禁断の呪術を……彼はここでやっていたのだ』

「呪術だと? くだらん。呪術なんてあるわけがない!」

 自身を呪術師だと偽るグレゴリーは当たり前のことのように言った。

『それじゃあ、今、お前に語りかけている俺は一体なんだろうな……』

「……っ、幻覚だ!」

『あの人形と、怪物は?』

「トリックだ!」

 グレゴリーは震えながらもそう言いきった。その言葉に、蛇の刺繍は奇妙な笑い声をあげた。

『バ~カ言ってんじゃねぇよ! 現実見ろよ。詐欺師野郎! お前はこのままだと死んでしまう絶望的状況だという事実をな!』

「じゃあ、テメェ、いったい何なんだよ」

『俺か? 俺は魔術書さ。お前とは違う。本物呪術師が、自分の魂を込めて作り上げた数多くの魔術書の一冊が俺だ』

「なぜしゃべれるんだ?」

『そういうものなのさ。魂を込めてつくられたものは製作者の手を離れても勝手に動き出し、それぞれの道をいくものなのさ』

「チクショウ……めんどくせぇものと関わちまったぜ」

『貴様は足を踏み入れすぎちまったのさ! 本当は偽物だというのに! 普通の人間が踏み入れてはいけねぇ領域にな……』

「偽物か……ああ、そうだな。確かに、俺は偽物だよ……」

 ため息をつきながらも歩き出す。

「東洋の密林からやってきた呪術師だと? んなわきゃねぇよ、ただの田舎から出てきたふつうの男だ。そんなふつうの男が、今や立派な詐欺師だ。街から街へと渡り歩いて、自分は呪術師だとは言ってはアクセサリーを売ったり、インチキな占いをして小金を稼いできた。だけどな、俺はべつに金を稼ぎたくてこんな生活をしているわけじゃねぇんだ。それだけなら、故郷をでないほうがよっぽど安定した生活がおくれた」

 突如、ドアを荒々しく開ける音がする。音の方向を見ると、そこにはヨーゼフが布袋のスキマからみえる赤い眼を光らせて立っていた。右手には巨大な斧を持っている。

 グリゴリーはとヨーゼフがふたたび対峙する。だが、グリゴリーの眼に、さきほどの恐怖の色はなかった。

「俺がこんな仕事をするのは、ここではないどこかへ行きたいと願い続けているからだ! クソつまらない故郷で死んでいるのと同じような毎日を送る生き方とは違うまだ見ぬ生き方をしたいと思ったからだ! そのために、どこでも通用する技術でその国の貨幣を稼ぎ、生きてきた!」

 グリゴリーは魔術書を開く。

「俺は死なんぞ! まだまだ死ぬ気はない! なあ、魔術書よ! さっきは願いは何かと言ったな!」

『ああ言ったぜ! ボーイ!』

「じゃあ、教えろよ! 今、目の前にいる化け物を倒す方法をよ」

『いいだろう! じゃあ、読み上げろ! 開かれたページにある呪文を!』

「ああ!」

 そう言って、グリゴリーは魔術書の文字に目を落とす。だが……

「よっ……読めねぇ……」

 周囲は暗闇である。灯りひとつつかないこの状況では、魔術書は読めない!

 ヨーゼフはいっぽずつ確実に近づく。

「いや、ちょっとタンマ……」

 うなり声を上げながら、斧を握りしめ、

「こういうのは卑怯って言うかさ……」

 グリゴリーにむかって振り回す!

「やっぱ、お互い正々堂々と戦えるように場所を変えてって聞く耳持たねえよなチクショウ!」

 グリゴリーは下に屈む。斧は彼の頭を横切った。

 彼は上体を起こし、カメラを構える。

 すると、ヨーゼフはすぐに斧をもう一度振った。

 グリゴリーはシャッターボタンを押しながら、後ろへジャンプする。

 斧はグリゴリーのカメラにぶつかり、カメラは遠くへと飛んだ。

 だが、フラッシュによって、またヨーゼフはひるむ。

「クソったれ! 灯りがあれば……」

「灯りがほしいの?」

 暗闇から、少女の声が響く。さきほど二階で会話したメアリーの声である。

「ああ、ほしい」

「灯りをつけたら何でもしてくれる?」

「もちろんだ! 何でもやってやるよ!」

「そっか……」

 その声は、どこか安心したかのような声であった。

「俺を忘れてくれちゃ困るよ! 呪術師さァァァん!」

 その時、一体の人形が、グリゴリーにむかって叫ぶ!

 人形がナイフを持ち、グリゴリーの首筋にむかって飛んでいくその瞬間!

 部屋の灯りがついた。

 メアリーが、部屋の電気をつけたのである。

「これでいいんでしょ。約束、ちゃんと守ってよ」

「ありがてぇ……」

 グリゴリーは、人形をにらみつけながら、魔術書に書かれた呪文を読み上げる。

「アイ ファっ! ジュードゥ!」

それにより、突如、人形の動きは止まる!

 そのことを気にもせずに、フラッシュによってひるんでいたヨーゼフはグリゴリーに襲いかかろうとする。だが、その間に割って入る者がいた。

 それはなんと、あの人形であった。さきほどまでグリゴリーに襲いかかっていた人形がなんと彼を守るように飛び出したのだ!

「なるほどな……なんとなくわかった……」

 そう言って、グリゴリーはヨーゼフにむかって、ファイティングポーズを取る。

 それに従って、人形も同じ姿勢をとった。

 ヨーゼフは咆哮して、斧を人形にむかって振り下ろす。

 人形は左へと身体をそらして、斧を避ける。

 ヨーゼフは苛立った様子で斧を振り回す。

 それを人形は右へ左へと避けながら、ナイフでじわじわとヨーゼフに傷をつけていった。

 ヨーゼフは血を噴き出しながらも斧を振り回す。

「身体が軽くなったみたいだ。人形が俺の意思通りに動いている。そして……」

 人形はここで動きを止める。ヨーゼフはちゃんとばかりに斧をかまえ、振り下ろそうとする。その様子を見て、グリゴリーはにやりと笑った。

「これでジ・エンドだ……」

 突如、人形の背後から閃光が走る。

 ヨーゼフは斧を落として、両目を覆った。

「カメラにはな。時間差でシャッターを切る機能があるんだよ。テメェが斧でカメラを弾き飛ばすまえに、それを設定させてもらったぜ。そして、スキありだ」

 人形はナイフでヨーゼフの頸動脈を切り裂いた。

 ヨーゼフは血を噴き出しながら、犬のような遠吠えをあげて倒れこみ、絶命した。



――※※※――


 そのお友達は犬のヨーゼフといつも大事にしていた西洋人形。

 二匹はずっとメアリーと一緒にいました。

 何年も、何十年も、ずっとです。

 しかし、メアリーは知っていました。

 パパの願いで死ねない彼女の傍にずっといるために、

 彼らは人と動物の命を吸っていたことに。

 自分が一人でいたくない、という気持ちが、多くの命を奪うという結果に結びつくことを彼女は知っていたのです。

 自分がそういうことをしてきて生きてきたことを、メアリーは知っていた。

 メアリーの洋服やおもちゃを買うためにメイドは毎日、遠くの町まで出かけていました。

 彼女の欲しいものを買うお金は、父が奴隷を一日じゅう働かせて手に入れたお金です。

 すべて、だれかの犠牲によってできたものです。

 そこに自分の力で手に入れた物は存在しません。

 そのことを女の子はずっとわかっていたのです。


――※※※――


「結局、わたしはずっとだれかの好意に甘えていたんだ。お父さんからもヨーゼフからも」

 白髪の少女は馬車のうえでため息をついてそう言った。

「なるほどな。んで、なんでお前はついて来てんだ」

 グレゴリーはため息をついて、となりの少女に言う。

「だって、ヨーゼフがわたしのお世話をしてたんだもん。それに言ったでしょ。なんでも言うことを聞くって」

「はて、なんのことだかねぇ」

「ひっど!」

 メアリーは頬をふくらまして、抗議した。

 グレゴリーはため息をつく。

「たく、市長から金をせしめて悠々と出ていく予定だったってのに……ちくしょう……」

「ご愁傷さまね」

「だれのせいだと思ってやがる。疫病神ね」

「あら、わたし。これでもあなたの役に立てると思うわよ」

 そんな会話をしていると、馬車は突然止まる。

「おい、どうしたんだ!」

 グリゴリーは苛立った様子で御者に言う。

「すいません、どうも馬が毒虫を踏んづけたようで足をしびれちまったようで……」

「なっ、なんだと!? どうするんだ、まさかこのまま歩いて行けと言うんじゃないだろうな!」

 そうやって御者と言い争っていると、メアリーは馬の方へと近寄った。

「ホントだ。足が腫れちゃっている。どれどれ……ほら、じっとしてなさい」

 そう言って、少女は馬の足をさする。

 すると、どうだろうか。

 馬の足の腫れは徐々に引いて、馬は元気になった。

「おお、こりゃ驚いた。おじょうさん、アンタまさか魔法使いかい」

 少女はグリゴリーの腕に抱きつきながら、ニコニコ笑って、

「はい! わたし、この人のもとで魔術師の勉強しているんです!」

「ほう、驚いた! 魔術師の方だったとは! 御礼に運賃はタダにしてやるよ!」

「はい、ありがとうございます」

 そう言った後に、メアリーはグリゴリーに耳打ちをする。

「ねっ……役に立つでしょ……」

「わかったよ、ついてこい。だけどな、言っておくが、俺の設定は魔術師じゃなくて呪術師だぞ。そこんとこしっかりしとけよ」

「はいはい、こまかいこと言わないの」

 そんな会話をしながら、馬車は次の町へと向けて動きだした。

 呪われし少女、メアリー・カーズ。

 呪術師を偽る詐欺師、グレゴリー・グリード。

 二人の旅はこうしてはじまった。

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グレゴリー・グリードと禁断の魔術書 神島竜 @kamizimaryu

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