遅れてきた青春の一ページ

@moulyo

遅れてきた青春の一ページ

私、紅葉美咲(もみじみさき)は久々にできた週末の休みを、一人で過ごすことにした。

普段は学費を稼ぐ為にバイトをしながら専門学校に通う私は、将来プロのカメラマンを目指している。

周りからは、なぜ、モデルではなくカメラマンを目指すのか、と、よく聞かれる。確かに、女の子ならモデルに憧れるものかもしれない。

けれども柄じゃないし、カメラマンを目指す明確な理由もある。

そんなわけで、日々精進を続ける私だった。が、たまには休息も必要というわけで、こうしてラフな格好で、通りを歩いていたりする。

すると、見覚えのある顔をみつけた。

それは、私の高校の同級生だった。彼の前には二人の女性が立っていて、残念ながら顔見知りではなかった。 

彼も、知り合いという感じではなく、困った表情をしている。ということがわかる距離まで近づくと、私は声をかけた。

「お待たせ。待たせちゃったかな」

と、言って、同時に彼と腕を組む。

私は話を合わせろと、二人に見えないように彼の脇を小突いた。

「お、おう。」

 ずいぶんぎこちない返事ではあったけど、目の前の二人は、軽く挨拶をして、どこかに行ってしまった。

 二人が見えなくなってから、腕を離して彼に向き直る。

「久しぶり。相変わらず女の子に弱いのね。」

 私が茶化すと、少し拗ねた表情で彼は返事をした。

「弱くねえ。……ちょっと慣れないだけだ。」

 さっきよりだいぶ砕けた態度になった彼は、佐倉圭人(さくらけいと)という名前で、私の数少ない男友達だ。高校時代は、私以外の女子を前にすると、へたれてしまう残念なイケメンだったけど、相変わらずそれは治っていないらしい。それでも見た目はいいので、私も在学中に、カメラ撮影のモデルを頼んだことがある。

「ねえ、暇でしょ。ちょっと付き合ってよ」

「お、おい」

 答えも聞かずに近くの喫茶店へ入る。見てくれのいい男の子を連れて、過ごす休日もいいかもしれない。そう思って、ずんずんと彼を引っ張り、窓際の席へ陣取った。

 座ってから簡単に注文を済ませて、メニューが来るまでのあいだ、圭人をからかうことにした。

「こういう時は、男の子がエスコートするんじゃないの?」

 意地の悪い笑みを浮かべながら、人差し指で圭人の頬をむぎゅーと、押す。

「有無を言わさず連れてきたのはどっちだよ……」

 圭人は不満そうな顔で、それでもされるがままにしている。私は指をひっこめると、テーブルに両肘をついて、先ほどの出来事を振り返った。

「でも見た目がいいから、女の子のほうから寄ってくるんだよね~。これでヘタレじゃなきゃモテモテだろうに」

「さっきのは、オレの好みじゃなかったんだ」

 口調は強気だけど、目をそらして頬を赤らめたら、説得力ゼロだぞ。と、私が突っ込む。何か反論しようと口を開きかけたところで、ウエイターさんが注文したコーヒーとケーキを持ってきてくれた。

 それからは、しばらく近況を話し合った。

 高校を卒業した私たちは、それぞれ別の進路へ進んだ。

 私は、撮影技術を学ぶために専門学校へ。圭人はモデルを目指して大学へ。その後は自然と、連絡を取らなくなった私たちだったけど、こうして一年ぶりにあっても中身は何も変わっていなかった。

 ケーキも食べ終わって、追加のコーヒーで一服ついたところで、私はふとこんな話題を振った。

「そういえば、恵子ちゃん、どうしてるかな」

 恵子(けいこ)とは、私のクラスメイトで、圭人の初恋相手だ。

「さあな。同級生の話だと、就職したらしいが」

「なにー? 気にならないの? あの時はあんなに応援したのに」

 私は思い出したようにニヤニヤする。だって、はたから見ていても、恵子と圭人の恋模様は純情すぎて、悶えたものだ。二人の間を取り持ったのも、一度や二度ではない。

 圭人は黙秘権を行使したので、私は思い出話を続けることにした。

「卒業間際、告白のおぜん立てまでしたのに振られちゃうなんてねー。なにがいけなかったんだろ。やっぱり圭人がなにかしたんでしょ。……無理やり襲おうとしたとか」

 両手で獣のようなポーズをとりながら、茶化してみる。

「ん? どうしたの?」

 圭人が急に悲しそうな顔をしたので、私は困ってしまった。そんな態度に慌てたのか、圭人もすぐに笑顔をつくって誤魔化そうとする。

「な、なんでもねえよ。それよりさ、ひまって言ってただろ。この後、どっか遊びにでも行くか?」

「……それってー、デートのお誘いっていうのかな? だとしたら、下手過ぎだよ」

 コロコロと笑いながら返事をする私。明るい空気にほっとしている自分を気づかれないようにわざと茶化すなんて、ちょっとずるかったかな。

 会計を済ませてから外に出ると、雲がどんよりと空を覆っていた。天気予報では晴れのち曇りだったけど、このままでは一雨きそうな気配もある。

「屋内でよさそうなところは、っと」

「映画とか?」

 圭人が持っていたスマートフォンを横からのぞき込む。このあたりの地図に、様々なアイコンがちりばめられている。この近くには、映画館や、ゲームセンターなどの施設は無いようだ。

「やっぱりこの辺りじゃ無いかー。場所変えるか?」

 圭人が私のほうを向いて聞いてくる。お互い顔の距離が近かったので、きれいな顔立ちにドキリとしてしまう。無言の私に、どうした? と、さらにのぞき込んでくる圭人。

「な、何でもない。それよりどうしよっか。電車使うにしても、雨降りそうだし、一旦家戻って、傘取って来たいかな」

 今度はこちらが赤くなってしまった。すぐ離れたし、たぶんバレてないよね。

「そうだな、時間もまだ十一時だし、お昼に駅で集合な。飯食って来いよー」

 そういって圭人はさっさと行ってしまった。

まあお互いケータイがあることだし、細かい時間指定は後でいいけれど、余裕のある圭人に少しイラッとしてしまった。

圭人にしてみれば、理不尽な怒りなのだが、この怒りは、目一杯のおめかしで、仕返しするとしよう。そう心に決めて帰宅する私だった。


さて、待ち合わせの時間、駅に着くと、圭人はすぐに見つかった。さっきと同じ格好で、また別の女の子に声をかけられている。見ているうちになんとか追い払ったようだが、放っておけば、また別の女の子が寄ってくるだろう。それくらい見てくれは、いいやつなのだ。

 そこへ、勝負服を身に着けた私が迫る。さっきまでのラフでジーンズな恰好ではなく、持っている中で一番の私服を選んだ。

 スカートもかわいいやつで、ほんとは自分でも短すぎるかなって思うほどだけど、このくらいやって、圭人を見返してやろうと、私の気合いが現れている。

「お待たせ」

 笑顔で声をかけると、圭人はしばらく固まっていた。

「遅いなと思ったら、着替えていたのか」

「女の子の服見ていうセリフじゃないわね。やり直し」

「……可愛いです」

「三十点」

「見とれてました。とてもかわいいです」

「具体的にどこにみとれていたのかな?」

 と、言って私は勝ち誇った笑みで、スカートをもってひらひらさせる。その間圭人は目をそらして顔を赤くしていた。

 しばらく勝者の余韻に浸ってから、私たちは駅に向かった。それから電車に乗って、目的地に向かう途中で、わざとくっついたり、腕を組んだりして、圭人の反応を楽しんだ。

 圭人はそのたびに、赤くなって私を楽しませてくれた。

あとで冷静に振り返ってみると、私もかなり恥ずかしいことをしていたと、反省するほどの、はしゃぎっぷりであった。


 そのあと、映画を見たり、ゲームセンターを梯子しながら遊んでいると、あっという間に終電間際の時間になってしまった。

「あー、楽しかった」

 素直に今日の感想を口にした。隣で同じく電車を待つ圭人も同意する。

「そうだな、久々に思いっきり遊んだよ」

「忙しかったの?」

「いや、なんていうか、最近うまくいってなくてさ」

「ならまたこうやって遊ぼうか?」

「そうだな……」

 圭人は、少し考えてからこう答えた。

「今度の休日に、お前のカメラで、オレをとってくれないか」

「というと?」

「モデルを目指すうえで、自分を売るための写真が必要なんだ。それが自分じゃうまく取れなくてさ。知り合いにカメラマンなんていないし、プロに頼むにもお金が無いし。それに(美咲にとってもらいたいし)……」

 最後のほうは圭人の声が小さくて、私は聞き取れなかった。

「いいよ。私の練習にもなるし、私でよかったら、撮ってあげる。」

 しかし、私は二つ返事で受けることにした。

「よし、それじゃ次の週末、また駅前な」

「わかった、じゃあまた来週」

 そういってホームでお互いを見送って、私は家路についた。

「とんだ休日になっちゃったなぁ」

 私は言葉とは裏腹に、緩む頬を抑えられなかった。



「さて、と」

 圭人と約束した日の当日。私は自前のカメラを収めた肩掛けバックを持って、駅前に向かった。

 駅前につくと、「少し遅れる」と、圭人からメールが入った。仕方なく、この前入った喫茶店で時間をつぶすことにする。店内でケーキをつついていると、お店のドアについているベルが、カランカランと客の入店を告げる。視線を向けると、圭人ではないが、モデルでもやっていそうなおしゃれな恰好の男性だった。

 男性は駆け寄ってきた店員に軽く話しかけてから、こっちを向いた。そして、まっすぐ私のほうへ歩いてくる。

「よう、お待たせ」

「圭人? なに、見違えたね」

「男子三日会わざればってやつだっけ。そんなにか?」

「知らない人かと思った」

「そういうお前こそ、今日はスカートじゃないんだな」

「まあね。さすがにあんな恰好では撮らないわよ」

 と、言って、自分の恰好を振り返る。長い髪はまとめて後ろで留めて、下は動きやすいデニム。上は無駄なフリルのないシンプルなシャツにベスト。ベストはポケットの多いやつで、おっさん臭い。 

 対して圭人は、撮影用で服もキメてきており、薄くメイクまでしている。撮影には関係ないのに、香水までつけて、いい香りがする。

「なんだか私、帰りたくなってきた」

「おいおい、どうしたんだよ」

 圭人には、わからないだろうが、こんなイケメンを連れて歩くのにこんな恰好でいる私は、なんていうか、きっと針のむしろに立たされているかのような、場違い感を感じるに違いない。そんなことを考えていると、圭人が隣に座って来た。

「え? え?」

「すいません、店員さん、注文いいですか」

 戸惑う私をよそに、圭人は別人のような態度で接してくる。やって来た女性のウエイターにも、普通に注文してしまっていた。

「ず、ずいぶん普段と違うじゃない」

私がすぐ隣にいる圭人に話しかける。

「そうか? いつも通りだけど」

 と、余裕のイケメンスマイルで返す圭人。着飾った圭人は、見た目から中身まで別人のようだ。

 しばらくして私たちは、喫茶店をでて、予約していた撮影スタジオを目指す。そこまでの道のりも圭人は、私の手を引いてエスコートしてくれている。戸惑う私に、圭人は笑顔で答える。昨日とは立場が逆転だ。このままではいけない。気合いを入れて、スタジオに入る。

 中は機材がきれいに並んでいて、真ん中に広い空間があった。私は、慣れた手つきで照明の電源を入れて、モデルを撮影するための準備を、手際よく行っていく。

 それを入口で見ていた圭人が、さすがだな、とほめてくれる。

 私は頬の筋肉に力を入れてから、

「さ、こっち」

 と、言って、圭人を呼んだ。

 撮影に入ってしまえばどちらも真剣だった。特にお互いを知っていることが大きく、意思疎通がスムーズだった。

 モデルの『とってもらいたい写真像』と、カメラマンの『そのために必要なモデリング』が、きれいに合致して、私は現像する前から今までで一番の出来を確信した。

 モデルの写真とは、モデルと、カメラマンの息の合った一つの作品だと考えると、私と圭人の息はぴったりだったといえるだろう。そんな感じで撮影も無事終了し、私が機材を片づけていると、

「なあ、腹減ってないか?」

「そういえば夢中で気づかなかったけど、もう二時回ってる。朝から何も食べてないや私」

「そうか、ならうちくるか?」

「え?」

 まさかの提案にびっくりする私。それに何を勘違いしたのか、慌てる圭人。

「別にとって食おうってんじゃないよ。家が近いから、飯でも食わしてやろうかと」

「じゃあ、お言葉に甘えてって、まさか圭人が作るの?」

「おう、任せとけ」

「なんか不安」

「大丈夫、この一年、伊達に一人暮らしはやってない」

 そうだった。圭人は、高校卒業と同時に家を出て、一人暮らしを始めたと聞いていた。

「そんじゃ、移動すっか」

 そういうと、自然な動作で私の荷物を持つ圭人。なんていうか、今日は全体的に圭人はずるい。紳士的な態度に、かっこいい服。これじゃ私に勝ち目がない。なんの勝ち目なのかはさておき。

「どうした? 行くぞ」

「う、うん」

 そんな態度に、つい私も普通の女子のような反応を返してしまう。普段なら振り回すのは私のほうなのに……。


 そして圭人の住んでいるマンションまでやって来た。五階建てのマンションで、圭人の部屋は三階にあるそうだ。

 オートロックの入り口を抜けて、エレベーターに乗る。狭い空間に二人きりになった瞬間に圭人の存在を強く意識してしまった。

「(これは圭人のつけてる香水のせいよ)」

 私はぶんぶんと頭を振って考えを改めようとした。その勢いで後ろで留めていた髪がほどける。

「おっと」

 すると、圭人がよこから優しく髪をさらうと、かるく梳いてから整えてくれた。

「やっぱそっちのが可愛いよな」

「……!!!」

 私は顔を背けた。今の不意打ちはひどすぎる。顔が手で触って分かるくらい、ほてっている。今日の圭人は本当に卑怯だ。

「ついたぞ、ほら」

「あ、うん」

 軽く肩を叩かれて振り向く私、圭人はそれを待ってから先にエレベーターを降りる。

 圭人は特に気にした風もなく、玄関のドアを開けると、私を中に入れてくれた。

「さ、入った、入った」

「お、お邪魔しまーす」

「とりあえず座ってテレビでもみててよ。軽くなんか作るから」

「はーい」

 とりあえず平静を取り戻した私は、おとなしく居間でテレビを見ていることにした。今とキッチンはつながっていて、カウンター越しに圭人の姿が見える。帰宅するなり圭人はまず洗面所で顔を洗っていた。

「あーすっきりした。女の子っていつもこんなのしてるの?」

「そうだよ、まあ人それぞれだけど」

 圭人の強気の態度の正体は、メイクのせいだったらしい。普段しないことをしたせいで、気がつよかったらしい。私が指摘すると、そうすぐに返答してきた。

 それから少しの間、くつろいだ空気にほっとする私。かっこいい圭人もいいけど、やっぱり高校生の頃の慣れた感じが落ち着く。台所から聞こえる調理音をBGMに私はぼんやりと思った。

「できたぞー」

「おー、いただきまーす」

 出てきたのは野菜炒めみたいなもので、大皿一つ、それぞれお椀にご飯と、まさに男料理といった感じだった。

「ん、おいしい」

「だろ?」

 不安そうにこちらを見ていた圭人も、今の一言で安心したらしく、笑顔で箸を進める。

 生姜のいい匂いで食欲をそそられた私たちは、すぐに完食し、圭人が出してくれたお茶で一服した。

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

 落ち着いた私は、部屋が妙にきれいなことに気が付いた。

「それにしてもきれいな部屋ね。いつもこうなの?」

「ん、まさか、今日は特別に……」

 と、言いかけて圭人はしまった、という顔をする。

「へー、今日だけ特別なんだー。ふーん」

「えっと、これはだな……」

「じゃあ私は早々の御暇しなきゃだねー」

「なんでそうなる!」

「え? だってこれから彼女がくるんでしょ。だったらそこに女子がいたらまずいでしょ。」

「はあ? ちょっとまて、話が飛躍しすぎだ」

「え? だってそうでしょ。彼女家に呼ぶために部屋をきれいにしてたんでしょ。彼女がいるなら今日の手慣れた態度も納得よ。昔はあんなに不器用だったのに」

「だから違うって…………、今日はお前を呼ぶためにきれいにしたんだ!」

「え!?」

 時がとまる。一瞬言葉の意味が分からなかった。

「それって、え? 私のために部屋を片付けてたってことなの?」

「だから……そういってるだろ……」

 私はぼーっと圭人の顔を見つめる。圭人は恥ずかしがって目を合わせてくれない。

「はじめから今日は私を、家に呼ぶつもりだったの?」

「まあ……そんな感じ」

「ふふっ」

 不意に笑いがこみあげてきた。

「なんだよ」

「いや、なんか思い出しちゃって」

 初めて圭人に話しかけたときは、こんな感じで、目も合わせてくれなくて、こっちのいうことに、ただぶっきらぼうに返してくるだけだった。

それでなんだか放っておけなくて、いつも私が話しかけているうちに、仲良くなって、クラスの子とも打ち解けて、

「俺も思い出した。お前、昔眼鏡だったよな」

「そうだね、いつごろからか、コンタクトにしたけど」

「カメラマン目指してからだよ」

「そうだっけ? よく覚えてるね」

「……まあな」

 そうだった。初めて圭人にモデルをやってもらって、カメラで写真をとった時、完成した写真を見て、私たち二人はそれぞれの道を決めたんだっけ。その時に、カメラを構えるには邪魔だからって、眼鏡をやめた気がする。

「あれ? 私たち、何がきっかけで友達になったんだっけ」

「お前、わざとじゃないよな……」

「え?」

「……恵子のことを相談したのがきっかけだよ」

「あーそうだった、そうだった。苦手な女の子に話かけるのに、本命じゃなくその友達にいくところがへたれだったよねー」

「傷口をえぐるな」

「あはは、でももったいないなー恵子も結構圭人のこと気に入ってると、思ってたのに。ほんと、なんでだろうね」

 何気なく口にしたその言葉に、圭人は真剣な口調で答えた。

「本当に理由知りたいか?」

「え? なんで今さら」

「……今なら、教えてもいい」

 圭人のまなざしが私をしっかりと見据える。

「じゃあ……教えて」

 私はドキドキしながら先を促した。

「あの日」

 圭人は視線をそらして、思い出すように話し始める。

「お前に準備してもらった場所と時間に、俺と恵子はちゃんときた。だけど……」

「だけど?」

「だけど……俺は告白しなかった」

「なんで?」

 優しく聞き返す。そうでもしなければ、壊れそうな顔を圭人がしていたからだ。

「俺は……俺は、その時もう、恵子よりも好きな人がいたんだ」

「…………」

 私は黙って聞いた。少なくとも茶化せるような空気じゃなかったし、その……圭人の好きな人も誰か聞きたかった。

「それで、恵子には、正直に言ったんだ。それで、そのまま卒業した」

「それで、恵子は納得したの?」

「……寂しそうな顔はしてたけど、笑顔だったよ」

「そうなんだ。恵子も納得の相手だったんだね」

 私は少し寂しかった。でも、恵子が納得したなら、きっとお似合いの相手なのだろう。

「なあ、まだ気づかないか?」

「え?」

「……これで演技だったら殴るからな……俺の好きな人は……」

「好きな……人は……?」

 圭人がまっすぐ私を見る。顔が熱くなる。心臓が激しく跳ねる。

「俺が好きなのは……」

 圭人が近い、手が肩に触れる。しっかりと両肩を掴まれたまま

「お前だ。美咲……、好きなのは美咲だ」

 私は声が出なかった。動けなかったし、しゃべれなかった。口が、口が塞がれていたのだ。何か、柔らかいもので……

「あ……」

 柔らかいのは、圭人の唇だった。私は、茫然と、指で自分の唇をなぞる。

「嫌……だったか?」

「……最低」

 圭人が両肩を離す。

「こんなの、一生、圭人に敵わないじゃん」

「美咲?」

「ほらまた、名前呼ばれただけで、私こんなにときめいてる。私、こんなに圭人が好きだって今さら気づかされたよ。ずるいよ。勝てないよ、こんなの」

 泣いてる私をそっと抱きしめてくれる圭人。

「お前な、ほかに言い方ないのかよ」

「大好き、圭人」

「俺もだ、美咲」

 もう一度、今度はゆっくりと、キスをした。

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