第22話 白色の運命
いつもとなにも変わらない空、空気、街並み、通学路……。それなのに、どこか冷めているような、自分が今まで見てきた、感じてきたそれとは違うような、そんな拒絶をましろは感じていた。
一段と冷え切った空気に、ましろはマフラーに顔を埋めた。
魔法使いになって、いろんな願いを叶えてきた。自分のために、家族のために、友達のために、ましろは権利を行使した。そうすることが誰でもなく自分のためで、それが誰かのためになると思っていたからだ。
しかし昨日の戦いは――芹沢みずきとの戦いは、誰のために、誰かのためになったのだろうか。あの瞬間を必要としていた者がいたのだろうか。
芹沢みずき?
それとも自分?
最初は芹沢みずきのためだった。母親を失った彼女の姿があまりに儚げで、触れれば壊れてしまいそうなほど脆そうで、だから助けようと思った。そうしなければ、彼女が壊れてしまうと思ったから。
だから、芹沢美雪を生き返らせようと願った。
過去に干渉する願いが、どれだけの代償が必要なのかはセレナに聞かされていた。普段とは違うミッションが提示されることもわかっていた。
それでも――。
それでも願わずにはいられなかった。
芹沢みずきを助けるためなら、なんでもしてみせる覚悟があったのだ。
そのときには――ミッションが提示されるまでは。
「おっはよー」
ましろが振り向く前に、後ろから抱擁された。いつもなら笑って拒否してみせるのに、今のましろにはそれができない。
「おや? どうしたんだい、ましろ。いつもなら可愛い顔して『やめてよぉ』って言うところじゃん。ついに私を受け入れてくれた?」
「……違うよ」ましろは言った。「考えごとをしてたから、驚いちゃっただけ」
「なんだぁ、それだけかぁ」
「ごめんね」腕から解放され、ましろは振り向いた。そこにいる友達と青を合わせるために、精一杯の笑顔で彼女の声を呼んだ。
みずきちゃん――と。
芹沢みずきは両手を後ろに当て、口を尖らせていた。なにも変わっていない、元気な姿がそこにある。
「ん? そんな辛そうな笑顔を見せるなんて、ましろらしくないねぇ。なにかあったの?」
「ちょっと……ね」ましろは少し口ごもった。そして話題を切り替える。「みずきちゃんが元気になって良かったよ。お母さんのこと……」
「うん、もう大丈夫」みずきは微笑んだ。「昨日、お婆ちゃん――お母さんの方のね、家に引き取られることになったんだ。初めて会ったけどいい人だったよ。しかも、この街から離れないで済んだんだよ。転校しないんだ。ましろと一緒にいられるよ」
本当はすんなりと決まったことではないのであろうが、みずきはそれを億尾にも出さなかった。だからましろも追及はしない。
「よかった……」
「この間はさ、泣き顔とか見せちゃいましたな」みずきは顔を赤らめた。「気付いてたんだ、ましろが見てたことさ。だけど、雨で誤魔化せるかなって。まあ、ましろには気付かれたと思うけど」
「気にしないで。私たち、友達だから」
「ありがと。でもさ、本当のことを言っちゃうと、まだ全快とは言えないんだ。ときどき、悲しいって気持ちが抑えられなくなる。夜とか、一人でいることがすごく辛いんだ。だから、そのときはましろを頼っちゃうかも」みずきは照れくさそうに鼻の頭を掻いた。「これからも一緒に話したり、遊んだりしてさ、楽しいって気持ちで満たして欲しい……」
「うん……。うん」ましろは二度頷いた。
「やっぱり、変……かな?」
「全然変じゃないよ。私にできることなら全部、全部やってあげる」
自然と涙が溢れ出てくる。泣かないように我慢していたが、器に溜まった水のように零れ落ちきてしまった。
「あらら、私の恥ずかしくもカッコいい台詞に、ましろの涙腺は決壊してしまったか」
まったく……、と言いながら、みずきはましろをそっと抱きしめた。優しく、慰めるように。
それでも、ましろの涙は流れ続けた。優しくされればされるほど、みずきを感じれば感じるほど、自分の犯してしまった罪で、心を締め付けられる。
その辛さ、痛みで、ましろは、みずきの胸の中で思いっきり泣いた。
そんな資格などあるはずないのに……。
「次はましろの番だぞ」ましろが一頻り泣いたあと、みずきが優しく囁いた。「なにがあったのか、お姉さんに話してみなよ。少しは楽になるかもよ?」
「……私」ましろは嗚咽を漏らしながら言う。「私、大切な人に酷いことをしちゃったの。取り返しのつかないくらい酷いことを……」
ましろは昨日のことを――みずきと戦ったことを思い出していた。同じ願いを叶えるために戦い、そして、ましろは芹沢みずきの命を奪った。
しかし、みずきはこうして生きている。
あのとき、セレナに訊いたことは、願いの変更についてだった。
『願いの変更……ですか?』
「うん。この戦いは願いを決めてから始めたけど、もしかしたら同じ大きさの願いなら変更できるんじゃないかなって」
セレナはしばらく沈黙した。
『……可能でしょう。たしかに願いを決定してからミッションが提示されますが、あれはマスターの言う通り、願いの大きさで決定されます。ですから、充分に可能性はあります』
「やっぱり」
精霊を倒したことで得られる権利。一方は願いを決めてから提示された数の精霊を倒す。もう一方は精霊を倒したことによって、それに相応しい願いが三つまで提示される。ましろはこの後者に目をつけた。
三つまで提示されるのは、それが同じ大きさの願いだからだ。つまりこの時点では、どれを叶えることが決定されていない。選択しなければ、願いは叶わない。
つまり、ミッションもまた同じなのではないか。
願いを申告して、精霊を倒す。これはあくまで、その願いを叶えるために必要な精霊の数を提示するだけで、願いが決定しているわけではない。
つまりセレナの言ったとおり、同等の願いがあれば、書き換えられるのだ。
『しかし、マスター。どんな願いを?』
「そんなの決まってるよ。みずきちゃんを生き返らせる。次に会ったとき、友達じゃなくなっちゃうかもしれない。でも、私はみずきちゃんに生きていて欲しい」
魔法使いとしての死――つまり、元の世界での存在の消滅を防ぐ。それが、ましろの導き出した答えだった。それが今のましろに出せる最善の答え。
誰も幸せになれない、たった一つの答えだ。
『なるほど。そういうことですか。しかし、それだけでは足りませんよ』
「足らない? どうして?」
『過去と現在の差です。彼女の母親を生き返らせるというのは過去に干渉します。今のこの戦いがなかったことになる。さらに言わせていただくと、彼女の死の穴を埋めるのは、マスターの死です。つまり、巻き戻しが発生するんです。それだけ世界を動かすことなんですよ。過去の人間を生き返らせるということは』
ここでの時間は、普通とは異なった流れ方をしている。そのため、向こうで願いが叶うのは、一瞬にも満たない時間。人間には到底、認識することのできない時間で、その処理は行われる。セレナが言っているのは、そのことなのだろう。美雪の死は、周知の沙汰だ。多くの人間が関わってしまっている。それをなかったことにするのは、膨大なエネルギーを使用することになるのだろう。
「でも、私には、みずきちゃんを生き返らせる他に願いはないよ」
『たとえ願いがあっても、叶えられるのは一つ。ならば、二つの願いを一つにすればいい。ただ生き返らせるのではなく、どう生き返らせたいのかを願う』
「そんなこと言われても……」
『先ほど、マスターがおっしゃったことを否定すればいいのです』
「なにか言ったっけ?」
『次、会ったとき、友人でなくなるかもしれない。そうおっしゃいました。それはなぜですか?』
「だって、みずきちゃんにとって、私は命を奪った張本人だよ? 恨まない理由が――」ましろはそこまで言って、ようやくセレナが言わんとしていることを把握した。
『気付きましたか?』
「……うん。でも、これじゃあ、現実から逃げてるだけだよ」
『そうですか? 私はそう思いません。芹沢みずきは母親の死という現実を受け入れ、マスターは芹沢みずきの死に至らしめた現実を受け入れる。しかし、マスターはその現実を誰かに相談できず、芹沢みずきと対面するたびに、そのことを思い出すでしょう。これが逃避になるとは思えません。マスターはその罪と向き合うしかないのですよ?』
「そうだとしても、みずきちゃんの前で今まで通りなんてできないよ!」
『なら、明日、打ち明けましょう。芹沢みずきに、それが彼女のことだとわからないようにオブラートに包んで話しましょう』
ましろは、セレナの大胆とも言える発言に口が閉まらなかった。
呆気にとられた。
「ふふっ」ましろは我慢できずに吹き出す。「セレナがそんなこと言うなんて」
『そんなにおかしかったでしょうか?』セレナは珍しく困惑した声を出した。
「すっごく可笑しい」ましろは涙を拭う。「でも、間違ってない。うん、そうする。明日、話してみる」
『それには、今日を乗り越えなければなりません』
「うん。勝つよ、絶対に」
ましろは、あのときセレナが言った通りにみずきに打ち明けた。泣かずに話そうと思っていたが、それは叶わなかった。どうしても、みずきの顔を見るだけで、声を聞くだけで涙腺が緩んでしまう。それは彼女との決着の場面が思い返されるからだ。
桃色に染まった視界が晴れていく。
灰色の世界。
そこに自分は立っている。
そこに親友は倒れている。
みずきの身体から光が漏れていた。
小さな光の粒。
ゆっくりと立ち上っていく。
みずきの身体が少しずつ消えていく。
無我夢中で駆け寄った。
力の限り、彼女の身体を持ち上げた。
軽かった。
もうそこにいないかのように、
初めからいないように、
幻覚を見ているかのように、
軽かった。
頬になにかが伝った。
それが涙だと気付くのに、時間がかかった。
自分がしたことを実感した。
ああ、そうか。
これが選ぶということなのか。
選んでしまったのか……。
次々に零れ落ちる涙。
次々に立ち上る光。
綺麗だった。
ずっと見ていたいほどに、
痛いほどに、
綺麗だと思った。
そして願った。
お願いします、と。
叫ぶように願った。
みずきを感じるたびに、ましろはあの光景を思い出すのだろう。
今のましろがそうであるように。
そして、それでいいと思った。
「ましろが誰かを傷つけるなんて、珍しいこともあるもんだね」
でもさ、とみずきはましろの頭を撫でる。
「それはましろがその人のことを思ってしたことなんじゃないの? ましろは優しいから、人によってはその優しさが辛いかもしれないね。後悔してるの?」
ましろは首を横に振る。
後悔などしているはずがなかった。もし後悔をしてしまえば、あのときの自分を嫌悪し、そして結果的に今の自分に疑問を抱いてしまう。それは一番考えてはいけないことだ。誰にでも後悔をする瞬間は訪れるだろうが、そのすべてが後悔していい瞬間ではない。そのことをましろは身に染みて、わかっているつもりだ。
「なら大丈夫でしょ。その人もいつか、ましろの優しさに気付くよ。……そうじゃないか」みずきは首を振った。「もう気付いてると思うよ。もしさ、その人に会うことがあって、まだ許してもらえなかったら、私を呼んでよ、一緒に謝ってあげるからさ」
「……ごめんね」ましろは顔を埋めたまま言う。
「なんで私に謝ってるのさ」
「そうだね。ごめん」
「ほら、また」
二人は吹き出し、声を出して笑った。遠い昔に笑ったきりだったかのようであり、その時間は懐かしく、そして幸福に満ちていた。罪の意識と混在して慣れない感覚で戸惑いはしたけれど、それをみずきに気取られるわけにはいかない上に、慣れてはいけないことだ。ましろは背負って生きていくと決めたのだ。
魔法使いとしての運命も、
人間としての運命も、
それは間違いなく、ましろの運命なのだから。
自分が誰かのために、誰かの幸せのために、なにかできるというのならば、それは受け入れるべき運命だ。そしてそれはなにより、自分のためでなくてはならない。誰かを幸せにして、自分が後悔をしてしまうのなら、それはやるべきことではないのだ。
誰かを幸せにし、ましろが満足できる結果――それこそが、その掴みとった未来こそがましろが本当にしたいこと。
魔法使いになると決めたときに心に描いたこと。
魔法使いに夢見たこと。
それを忘れないかぎり、ましろは後悔をしないだろう。
「行こうか」みずきが促す。
「うん」とましろは頷いた。
冷たく透き通った空気が、ましろの火照った頬を冷ましていった。
ましろディスティニー 鳴海 @HAL-Narumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます