第21話 白色の真相

 無機質な世界は、しかしましろを逃さなかった。みずきを倒し、願いを告げたはずなのに変化が起きない。いつもならばミッションを達成すれば、問題なくこの世界から脱出することができた。

 そしてもとの世界では、願いが叶っている。

「なん、で……」ましろは力なく呟く。

『わかりません。私たちに問題はなかったはずです』

 なにも問題がなかったのなら考えられるのは、「問題がなかったことによる新たな問題の出現」だ。あるいはそれ以前の問題である。

『マスター!』

「えっ?」

 そう声を出したときには、ましろの身体は宙に投げ出されていた。思考が追いつかないまま背中から地面に落ち、強い衝撃に襲われた。みずきとの戦いで疲労困憊の状態であるため、受け身をとることも防御魔法で衝撃を和らげることもできなかった。

 ましろは“それ”を見て、唖然とした。声は出ず、ただ心の中で「どうして」と言うしかできなかった。

 芹沢みずきがいた。

 いや、とすぐに認識を改める。

 さっきまでましろたちがいた場所に立っているのは、芹沢みずきではない。みずきはこの世界から消滅したのだ。それは間違いない。ましろはそれを見届けた。

 しかし彼女はあまりにもみずきに似ている。黒装束を纏い、その手には淡い青色の刃を持った鎌が握られている。それは先刻まで見ていたみずきであり、ただ異なっているのは顔の半分を黒い靄(もや)が覆っていることだ。

「……誰なの」

 近づいてくる相手に、あるいはセレナに対して問い掛ける。しかし誰も答えてはくれない。

 その代わり、近くまで来て立ち止まった相手の姿で、ようやくましろはその答えを知ることができた。

「美雪……さん」

 距離があり、視界がぼやけていたために気付かなかった。いや、気付けるはずがない。美雪はすでに死んでいるため、この世界にこうして立つことなどありえるはずがないのだから。

 しかし認識できてしまえば、目の前に立つ彼女が美雪であることを否定できない。芹沢みずきに似ていることが決定的だ。

「どう、して」

『プランに支障が出た』

 美雪の口から出た声は、しかし彼女のものではない。たしかに美雪の声に似ているが、無機質で、機械的で、どうしようもなく人間のそれではなかった。

『芹沢美雪が死ぬことによって、セレナの契約者である香坂ましろ、そして私、クロノスの契約者である芹沢みずきが衝突し、プランどおりならば芹沢みずきが生き残るはずだった』

 美雪の姿をした者は、クロノスと名乗った。それもみゆきの契約者だという。ましろは戸惑いを隠せず、茫然と話を聞くことしかできなかった。なにが起きているのかも、なにが続こうとしているのかも、まるでわからない。

 わかるのは、終わっていないということ。

 これからなにかが始まろうとしているということ。

『……私はそのプランを知りません。どうしてあなたは知っているのですか』

『それは私が《世界》の意志に従っているからだろう。厳密にはそうじゃないが、わかりやすくいえば「もとに戻った」だ』

 もとに戻った。ましろはすぐに意味を理解できた。それがセレナと心が繋がっているためだろう。そして以前にセレナから話を聞いていたためでもある。

 ここではない世界。

 セレナがもといた世界。

 そこでは精霊が人間を滅ぼそうとしていた。

『私たちの目的は、魔法使いの使命は「この世界にいる精霊の欠片を倒すこと」。それは魔法使いも例外ではないし、真の目的はそっちだ。無作為に選んだ魔法使いどうしで戦わせ、精霊を駆逐する』

『なぜですか。そもそも《世界》が私たちを消せば、マスターたちがこんな戦いをする必要はなかったのではないですか』

『《世界》には力がない。精霊の欠片とは、《世界》の欠片である精霊の、さらに欠片だ。魔法使いを生み出せる力があるのは、私たちに《世界》の力が宿っているからであり、つまり精霊の欠片を駆逐することによって、《世界》は力を取り戻そうとしている』

 ましろは呼吸を整えていく。セレナが代わりに訊きたいことを訊き出しているため、体力の回復に努めることができた。

『無作為に選んだことが間違いではありませんか』

『力がないのだから作為的に選ぶことはできない。無作為に選び、それからプランを立てた。すべての欠片を効率的かつ迅速に駆逐されるプランを』

 美雪の右目がましろを向いた。生気のない、光のない瞳だった。もう死んでいるためだからだろうか、それとも今はクロノスだからだろうか。

『香坂ましろは、芹沢みずきの糧になるはずだった。心が脆く、身体能力も低い。芹沢みずきを成長させる第一歩にはうってつけの存在だった』

 けれど、ましろはこうして生きている。

 故にクロノスが現れた。

 芹沢美雪の姿で。

『しかし香坂ましろが勝利した。プランはすべて瓦解した。香坂ましろがここで勝利することは、どの並行世界でもありえないことだったからだ。必ず芹沢みずきが勝つはずだった』

『だから調整に来たのですね』

『そう。芹沢みずきもいずれ敗北する存在だ。こちらは問題ない。しかし香坂ましろは生き残る可能性がなかった。絶対にありえないはずだった。原因は不明だが、その存在は未来だけでなく、世界そのものを変えてしまう恐れがある』

 問題がなかったことによる新たな問題の出現。それはましろの主観であり、別の角度から見れば、ましろが生き残ったことが問題だった。

 確定していた敗北を退け、想定されていた未来を書き換えた。誰が聞いても、それは大袈裟ではなく大事件だ。大波乱と言い換えても良い。それだけのことをましろは知らずに行ってしまったのだ。

『なぜそのことを?』

『私の意思が残っているうちに伝えておきたかった。芹沢みずきの心を私はよく知っている。どんな思いで母親を生き返らせようとしたのかを。そのために親友を倒さないといけなかった悲しみを』

 クロノスは言う。

『そして短い期間ではあったが、私は芹沢みずきのことを気に入っていた。そんな彼女を《世界》が消そうとしていたのならば、私は《世界》を許せない。だから香坂ましろ。お前は《世界》に勝利しろ。その意志で《世界》に抗い、立ち向かえ』

 クロノスの言葉に、ましろは頷いてみせた。みずきを消すことを定めていた《世界》を許せないことに同意だったからだ。美雪もそのために殺された。ましろとみずきを衝突させるためという理由だけで。

『これから先、《世界》はお前に攻撃をしかけてくるだろう。何度あるかはわからない。しかし確実に、心を砕きに、折りにくるはずだ。私がこうして芹沢美雪の姿をしているように』

 みずきと戦い、心は消耗している。そして続けて、親友の守りたかった者が立ちはだかれば、正気ではいられないだろう。現にそうなりかけていた。クロノスが話をしてくれなければ、ただ《世界》の意志によって攻撃し続けていたのなら、ましろは成す術もなく消滅していた。

『私も抗ってはみたが、もう限界のようだ』

「クロノスさん……」

『これは芹沢美雪じゃない。仮初の姿だ。躊躇うな。もし躊躇うのならば、それこそこの傀儡を芹沢美雪だと認めることになる。それは誰も望まない。芹沢みずきも、芹沢美雪も、そして香坂ましろも』

 がくん、と傀儡の首が俯く。それが合図だった。

 ましろは横に転がり、振り下ろされた鎌を避ける。

 続けてすぐさま立ち上がり、相手から目を離さずに距離をとった。

 みずきとの戦闘での疲労が完全に消えたわけではないが、それでもそれなりの動きをできるまでには回復していた。

 おそらくはここが普通の世界ではなく、ましろの心がすべての原動力だからだろう。クロノスの話はましろを奮い立たせた。誰かを助けたい一心で魔法使いになったましろだが、今は違う。

 ただ許せなかった。

 こんなふうに人をぞんざいに扱う《世界》が。

 そして美雪の姿で現れたことが。

「セレナ!」

『チャージ量は三十パーセントです』

 充分とは言えないだろう。みずきを倒すために使った魔力は、彼女が大量に消費した魔力を加算している。あのときと同じように戦うことはできない。

「もっと回収を早められない?」

『チャージした魔力を使えばなんとか。しかし――』

「使って」

『わかりました』

 ましろ自身はすでに魔力が枯渇していると言っていい。残っているのは微々たる量だ。あとは遠隔装置による回収がいかに早くできるか。今チャージしている魔力を使い、また同じ量の魔力を回収する。まずはそれからだ。

 その間、ましろに完全な防御策はなくなる。防御魔法を使っても、相手の攻撃を防ぎきることはできないだろう。あとはこの魔法着の防御力に頼るしかない。

(今できることをやるんだ)

 ましろは必死に思考を巡らせていく。みずきのときはセレナと相談する時間もあったが、今は一刻を争っている。

 傀儡が向きを変え、ましろとの距離を一気に詰める。

まずは縦一線。

それから斜め下からの振り上げ。

回転斬り。

傀儡の連撃は止まらない。亜麻色の髪を揺らしながら、踊るように鎌を振るう。

ましろは目で鎌を見続ける。その刃の構造上、軌道を読むのは簡単だ。問題はその刃の大きさを魔力によって変化させられることだ。大きければ扱いにくいが、攻撃範囲は広がる。小さければ扱いやすく、攻撃範囲が縮まる。

その変化を見極めなければならない。魔力の流れをしっかりと捉え、些細な変化を早急に見、そして回避する。

今のましろにできる時間稼ぎはこれだけだ。

魔力のことはセレナに任せるしかない。ゴーグルを使うのにも魔力を使うし、そもそも付ける隙がない。

ましろは奥歯を噛み締めた。目の前で躍るように鎌を振るう傀儡は、やはり芹沢美雪の姿で、それは彼女を侮辱しているようにしか見えなかった。認めるはずがない。これが芹沢美雪であることを。

みずきが尊敬した美雪は、ましろが憧れていた美雪は、もっと優しく、温かく、お淑やかで、誰かを傷つけるようなことはしない。

一瞬の隙をつき、ましろは魔法杖で鎌を弾き飛ばした。取りに行くか、それとも素手で戦うのか。どちらもましろにとっては好都合だ。反撃のチャンスである。

「セレナ!」

『チャージ量三十五パーセントです』

「全部使うよ」

『マスター、上です!』

 促されるまま上を見ると弾き飛ばしたはずの鎌が降下してきていた。その勢いは振り下ろし以上に大きい。

 弾き飛ばしたのはたしかに横だったのに、とましろは驚愕を隠せなかった。ただ「拡大」ができるだけじゃなく、別の魔法も使えるらしい。

「防御お願い!」

 頭上に防御魔法が展開されるが、上に気を取られていたましろの腹部に、傀儡の拳が直撃する。

「うっ……」

 その拳は腹部に残り、次第にねじられていく。魔法着が引っ張られるだけでなく、その下の皮膚や肉も巻き込まれていった。

 痛い。

 痛い、痛い、痛い。

 苦しい、辛い、泣きたい。

 そんな正常な感情を、ましろは制した。今はまだ外に出すべきものじゃないと、奥に仕舞い込む。

「しゅう……中――」ましろは自分の腹部で暴れる傀儡の拳を左手で掴み、右手の魔法杖を構えた。

 しかし、傀儡の回し蹴りで態勢が崩れてしまう。転ぶように倒れたましろの顔の横に青色の刃が突き刺さった。あと少しずれていれば直撃していた。

 すぐに態勢を、と思っていたが、傀儡の足がましろの腹部を踏み込んだ。

「っつ……」

 顔を歪め、痛みを堪える。どうやら魔法着の効果も薄れてきているようだ。

 傀儡は鎌を抜き取る。

 耳元で土の擦れる音が聞こえた。

 身体を捻ろうとしてみるも、傀儡の足が行動を遮る。

 なにかできることは。

『五十二パーセント』

 ましろは青い刃を見つつ考える。

 まだなにかあるはずだと。

 ここから脱する方法があるのだと。

 傀儡の腕が振り下ろしの構えに入る。

 防御魔法を使わければ。

 しかしそれではいずれ負けてしまう。

 時間を稼ごうにも、傀儡から受けたダメージが大きい。魔法着に魔力を割いた場合、相手にダメージを与えられないかもしれない。

 ここを退けば負ける。

 臆してはいけない。

 負ければすべてを失う。

 守りたい日常のために勝利を。

 ましろの中で、生き残るための、勝利のための道筋が繋がっていく。自分でも限界値を超えている所業だということがわかる。

 頭が割れるように痛い。しかしそれは、まだ生きている証拠だ。

 右手に握る魔法杖に魔力を集めていく。まだ気付かれていない。

 振り下ろされる。

 その瞬間を掴んだとき、ましろは初めて自らの意志で防御魔法を使う。

セレナが使ったものよりもどこか頼りなく、脆そうな小さい盾。

それはまるで拘束具のように、傀儡の腕に展開された。そのために、傀儡の振り下ろしが極端に低速になる。完全な拘束ではないため、ジリジリとその刃はましろに迫ってきていた。

しかしその時間があれば充分だ。

『七十四パーセント』

 セレナの声が聞こえてきた。

ましろは魔法杖を傀儡に向ける。魔法着を貫通するかどうかはわからないが、今がその好機であるのは間違いない。

だがそれは傀儡も同じだ。

ここさえ決めれば、ましろを消滅させられる。

《世界》の定めたプランをもとの道に戻せる。

 だから退かない。

 このまま押し切る。

 傀儡の純粋な力によって拘束が砕かれ、青い刃は一気に振り下ろされる。みずきの魔力と同じように淡い色をしていると思っていたが、よく見れば濁っている個所がいくつか散見していた。

 ましろはその一閃に対し、大量の小盾で応戦し、その勢いを殺す。

 そして最後は自らの左手でもって、その軌道をずらした。その刃が突き刺さっていても、勝利への代償なら安い。そういう思考がなんの抵抗もなくできた。

「私の……勝ち、だよ」

 トリガーを引き、全魔力を解放した。

瞬間、魔法杖から羽が広がる。

 放射された魔力は傀儡の上半身を呑み込み、天を貫いていった。

 やがて、放射が終わると、ましろの前から傀儡は消えていた。塵一つ、魔力一つ残っていない。

「はあ……、はあ……。んっ……。はあ……」

 緊迫した中で忘れていた呼吸を思い出すように再開する。なんでもないようなことのはずなのに難しい。

 この空間では一人でいることの方が多かったのに、広がる静けさが不思議だった。みずきと戦い、クロノスに真相を聞かされ、美雪に似た傀儡とも戦った。常に緊張状態を保っていたために、なにもかもが終わってそれが解けたことで、少し浮遊感があった。

 また誰かに襲われれば、そのときこそましろは終わりだ。やるだけのことはやった。できること以上のことをやった。

 もうこれ以上はない。

 限界だ。

 無言と無音。

 しばらくそれらが世界を支配した。

「これで、帰れる……んだよね?」

『はい』

 ましろは少し空を見続けたあと、仰向けから母体に宿る胎児のような体勢になり、嗚咽を漏らし始める。緊張が解けたことで、抑え込んでいた感情が一気に溢れ始めていた。もうどうにもならない。自分のことなのに、制御ができなかった。

 腕に力を込め、自分が在ることを確かめる。

「お母さん……、お父さん……」

 怖かった。

 怖かったよ。

 身体を震わせ、何度も両親を呼んだ。こんなことは誰にも打ち明けることなどできない。たとえ両親であっても例外ではなかった。余計に心配させるだけだ。

 だから今しかなかった。

 誰にも心配されることなく泣くことができるのは。

 誰もいないこの世界でだけ。

 それももしかしたらこれが最後かもしれない。

 ましろはただただその場で泣き続けた。

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