後編
唯一生き残ったゴブリンの末路は悲惨なものだった。両足の腱を斬られた結果、満足に歩くことができず、絶え間ない激痛が襲ってくる。さらにいえば、樹齢数十年とも言うべき大木にゴブリンはロープで縛られていた。
ゴブリンは必死に暴れるが、ロープはびくともせず、足の痛みは広がっていく。その足下には、血が水溜りのように出来ていた。
「おい、何回も言わせるな。俺が言う言葉をサイクロプスに伝えろ」
そんな哀れなゴブリンの傍らに、レックスがうんざりとした表情を浮かべながら立っていた。
「こっちに来い、だ。分かったな?」
多少なりとも人語が理解できるとされるゴブリンに対して、彼は少なくとも三回以上は同じ言葉をゴブリンに繰り返しで言っているが――結果は芳しくない。
ゴブリンはサイクロプスの隷属であり、斥候である。機敏なゴブリンは獲物を見つけ、それをサイクロプスへ伝達する。そして駆けつけたサイクロプスが獲物を狩り、ゴブリンはそのおこぼれを貰う。
ゴブリンが近くに居るということは、サイクロプスは近い。レックスはゴブリンを餌にして、サイクロプスを呼び寄せる作戦を考えた。
しかし、サイクロプスを呼ぶ気配を見せないゴブリンに彼は業を煮やす。
「さっさと言えっていってんだよ、この野郎」
レックスはゴブリンの股間に向けて、右手で持っていた短剣を突き刺した。さらにそれだけでは飽き足らず、傷口を広げるのように円を描くように短剣を動かす。
一際大きい悲鳴をあげ、暴れまわるゴブリンの耳元にレックスは顔を近づけた。
「サ、イ、ク、ロ、プ、ス、だ」
怒気に満ちた言葉をゴブリンに伝える。そしてようやくゴブリンはレックスの言葉を理解したのか、今まで聞いたことがないかのような金切り声を出した。
それは微かに「サイクロプス」に似た言葉があったことを彼は聞き逃さない。
「うるせぇんだよ」
暴れまわるゴブリンの役目が終わったことを悟ったレックスは、腰に帯びていた鞘からロングソードを抜刀する。それと同時にゴブリンの首が刎ねられた。
汚らわしいゴブリンの返り血を浴びないように、顔を腕で隠したレックスは静まり返った周囲――森林地帯を見回す。
彼はしばらくの間、耳を澄ませる。
数分後、僅かに感じる振動が聞こえてきた。その後、木々で羽を休めていた鳥たちが一斉に羽ばたく音。
「こっちよ」
ウーリエンの怒号が、木霊する。
それを聞いたレックスは彼女が待機していた場所――西の方角へ向かって、走り出す。
生い茂った草木を強引に突破する途中、別の方角で待機し、ウーリエンの報に駆けつけたルルがレックスと合流する。
「作戦成功」
身の丈以上のハンマーを肩にかけながら、レックスの隣で疾走するルルは舌なめずりをしながら、彼の作戦が成功したことを喜ぶ。
「喜ぶのはまだ早いぞ」
「それはそうだね。それじゃお先に」
レックスの速度に合わせていたのか、ルルはそう言いながら、あっという間に彼を追い抜く。
独りでにウーリエンたちの下へ向かうレックス。数分経った後、ようやく彼はウーリエンたちのもとへ辿り着いた。
三位一体の陣を組むゴルシュ、ルル、ウーリエンの背中。彼らの前方、約十五メートルほど先に七メートルほどのサイクロプスが仁王立ちしていた。
そこら中に点在する木々とほぼ同じぐらいの巨体。巨人族特有の逞しい四肢と、人外だということを印象付ける一つ目がこちらを見下ろしている。口にはまるで猛獣を思わせるような牙がはみ出していた。
それは、あのサイクロプスに他ならない。
サイクロプスの周囲には点在する木々が倒れており、凶暴な力を見せつけていた。
しかし弱っているのか、肩で息をするかのような挙動をサイクロプスは取っている。それもそのはず、ウーリエンの矢がサイクロプスの四肢に突き刺さっており、さらにはゴルシュの両手斧の斬撃が両足に刻まれていた。
「ウーリエンは射撃を続けろ。俺とルルは接近し、足にダメージを与える。ゴルシュ、後は任せたぞ」
サイクロプスの状態を見て、レックスはすぐに作戦を他の三人に伝える。彼らは指示になんら不満を言わず、武器を構えた。
「行くぞ」
レックスは姿勢を低くし、盾を前に突き出しながら、走り出す。それよりも早くルルがサイクロプスへと接近していた。
ウーリエンから放たれた矢がサイクロプスの腹部に突き刺さる。その痛みにサイクロプスは肉薄しようとしたルルに対応できず、怯んだ。
「どっせいィィ!」
最短距離でサイクロプスの足元へ接近したルルは掛け声と同時に、両手で握り締めていたハンマーを遠心力を加えて横殴りに振った。
ドワーフ族の腕力、ハンマーの重量、さらに遠心力を加えた破壊力はサイクロプスの左足の付け根部分に直撃。
鉄の反響音、サイクロプスの肉を突き破り、骨に達した鈍い音。その後、「砕け散った音」が響いた。
今まで感じたことがない激痛にサイクロプスは顔を天へと仰ぎ、叫ぶ。やや遅れてレックスがサイクロプスへと接近。
彼は背後へと回り、サイクロプスの右足の腱に狙いを定め、ロングソードによる一閃を放った。すぐさまレックスはサイクロプスへと離れる。
サイクロプスの赤黒い血が、まるで噴水のように切り口から噴出する。左足を粉砕され、右足の腱を切られたサイクロプスはその巨体を二つ足で維持することが出来ず、その場で両膝を突いてしまう。
「今だ、ゴルシュ」
レックスはサイクロプスから離れる最中、ゴルシュに向かって叫ぶ。一方のゴルシュは、サイクロプスによって壊滅したクランの遺品――スピアを右手で握りしめていた。
彼とサイクロプスの距離は、五メートル。至近距離だった。
空いている左手は、今まさに膝から崩れ落ちたサイクロプスの一つ目に照準を合わせるかのように前へと突き出している。
ゴルシュは大きく息を吸い込み、スピアを握っている右腕を後ろへ引く。その後、最大の力を込めて、スピアを投擲した。
弓から放たれた矢のごとく、一直線の軌道でゴルシュの手から離れたスピア。まるで吸い込まれるかのように、サイクロプスの一つ目に――まるで埋め込まれる――突き刺さった。
サイクロプスの絶叫が、木々を揺るがす。レックスとウーリエンは思わず怯んでしまい、後ずさりしてしまう。その一方で、ルルとゴルシュは絶叫に耐える。
サイクロプスの一つ目から、潰された眼球の白い液体が周囲に飛び散る。じたばたとその場でもがくサイクロプスの挙動はやがて弱弱しくなり――その後、ゆっくりとうつ伏せになって倒れた。
その後、レックスたちはサイクロプスがまだ生きているのかを確かめるため、しばらく様子を見て――それがただの杞憂だということを知る。
「脳まで達した」
案外、あっけないなと言いたげにゴルシュは言う。
サイクロプスの眼球には、スピアの握り部分が辛うじて見えるぐらいまで埋め込まれている。ゴルシュの腕力と、サイクロプスの眼球を狙った正確無比な投擲術が見事に組み合わさったものだった。
レックスは特に喜ぶ仕草を見せず、顔を横向きにして倒れているサイクロプスの牙へ近づく。ゴルシュの腕のような太さを持つそれに対して、ルルは自分の出番と言わんばかりにレックスの前へと出た。
「破片に気をつけてよ」
ルルはそう言いながら、サイクロプスの牙に向かって、ハンマーを勢いよく振り下ろした。
周囲にその破片が飛び散るが、レックスらは盾でそれを遮断したり、身を屈めたりしてやり過ごす。
少し雑だが、叩き折られた牙がルルの前へ転がった。彼女はそれをあらかじめ用意していた布に包み、崩れ落ちないように背中へ巻きつけて回収した。
「これで、目的の一つを達成したな。一旦、ブリュー湖畔へ戻ろう」
サイクロプスを討伐したという証明の一つである牙を手に入れたレックスは、ブリュー湖畔へ戻ろうと言おうとした矢先だった。
彼はふと視界に隅に赤黒いものが見えたため、それが映っているサイクロプスの背中へ無意識に視線を向けた。
「なっ」
レックスは思わず声を出してしまう。それもそのはず、血肉が抉りらされた生々しい傷跡がサイクロプスの背中を覆っていたからだ。
それは、レックスが駆けつける前にゴルシュたちが与えたものではないということを証明しているかのように、他の三人も驚愕している。
「これで、間違いはないな」
レックスの隣に居たゴルシュは、ようやく確証を掴んだかのように彼へ話しかける。
「武器や、魔法の類で出来るような傷跡ではない」
切り傷、あるいは魔法による攻撃でサイクロプスの背中が抉りだされるような傷をつけることはできない。
もっと原始的かつ圧倒的な「暴力」でなければ、サイクロプスの背中をこんな風に傷つけることは不可能、だとレックスは考える。
つまり、人の手でよるものではない、とレックスは呟いた。その後、鼻がひん曲がってしまいそうな、サイクロプスの死臭が辺りを漂う。
「サイクロプス以外の怪物がこの森に潜んでいる。ここは危険だ、すぐにブリュー湖畔へ戻ろう」
ゴルシュは鼻を左腕で押さえながら、見晴らしが良い場所へ行くことを提案する。それに賛同したレックスとルルはすぐさまブリュー湖畔へ向かおうとした。
「――」
しかし、ウーリエンは違った。弓矢を前へ構えた状態で瞳を閉じ、立ち止まっていた。
「正面、かなり速い、足音が四つ、でも一匹、四つん這いの体勢」
彼女は曖昧な言葉を羅列し、こちらへ向かってくる「何か」を察する。その言葉の意味を理解したレックスは腹を決めたのか、ロングソードと盾を構えた。
無論、ゴルシュもレックスも同じく、武器を構える。
「何かを吸込んでいる、サイクロプスの死臭、あと二分、森のざわめき」
ウーリエンの言葉に、レックスは息を飲む。彼我の距離がどれほど離れているかは分からないが、二分もしないうちにこちらに向かうことは、尋常ではない速度だろう。
ブリュー湖畔から徒歩で十分ほどの森林地帯に居るレックスたちにとって、遅かれ早かれ、敵のテリトリーであるこの場所で戦うのは回避できない問題だった。
「――」
武者震いをしているのか、ゴルシュは低い声で唸る。その後、足音のような振動が、遠くから轟く。同時に木々が倒される音が響いた。
それが徐々に大きく、近づいていく。
「来る」
ウーリエンは瞳を開けたのと同時に、一匹の怪物が木々を押し倒しながら、レックスたちの前へと姿を現した。
灰のような肌色の、巨大な「顔」が、ぬらりと出てきた。それは、レックスをさほど変わらない高さに位置している。
人の背丈ほどの大きさで、少し痩せ細ったその顔には、あちらこちらへとくまなく動く「一つ目」が隆起するかのように浮かび上がっている。そして、口からはみ出た巨大な牙が外気に晒されていた。
その後、顔よりも前へと、怪物の両手が木々を押し倒しながら、地面へとつく。
「サイクロプス」
レックスは姿を現した怪物の名を、思わず口ずさんでしまう。しかし、それが果たしてサイクロプスと呼んでいいのか、彼は迷ってしまった。
彼の横で死んでいるサイクロプスは二足歩行。しかし、数メートル先で姿を現したそれは、「四つん這いの姿勢」だった。
全長はサイクロプスとさほど変わらない、約七メートルほど。しかし、まるで枯れ木を思わせるような痩せ細った身体がまず目を引く。
その次に、四つん這いの姿勢で歩行することを容易にするためか、異様に細長い手足と、まるで刃物を彷彿とさせる「鋭利な爪」が光っていた。
「こんなサイクロプス、見たことあるか?」
思わず後ずさりしてしまいそうな、異様なサイクロプスにレックスはゴルシュに見覚えがあるのか聞いてみる。
「すまんが、俺ですら見たことがない。だが、一つだけ言える」
生唾を飲み込むゴルシュは、もう一度しっかりと両手斧を握り締める。
「間違いなく、サイクロプスの変異種だ」
「そうに違いないな」
ゴルシュの言葉に、レックスは苦笑いをする。
変異種のサイクロプスは、レックスたちが討伐したサイクロプスの死臭におびき出されたのか、頻繁に鼻で空気を吸い込んでいる。
その一つ目は自分が仕留めきれなかったサイクロプスの死骸、その後にレックスらを睨んだ。
「こいつが、あたしのクランを壊滅させたんだ」
ルルは少し怯えた声色で、変異種のサイクロプスを睨み返す。
ウーリエンの聴覚が把握できない距離から、わずか数分でレックスらに辿り着くほどの速度。そして刃物を思わせる爪は、犠牲になったクランの遺体と少なからず一致している。
変異種のサイクロプスは獲物――レックスらを見つけたのか、感嘆の吐息を漏らした。それは、十メートルほど離れた彼らにとって、悪臭といって過言ではない臭気を巻き散らかす。
「本命のおでましだ。俺とウーリエンで牽制する。ゴルシュとルルは奴にダメージを与えろ」
先の戦闘での疲労やダメージはほぼ皆無。万全の状態であり、勝機の可能性は充分にある。
ルルは、身の丈以上もあるゴルシュの身体とハンマー、更にゴルシュの両手斧を右肩で担ぐ一方で、ウーリエンを左腕で抱えていた。
両者とも半ば意識を失いかけており、ウーリエンに至っては時折、痙攣をしている。
腕力に自信があるルルは、武器であるハンマーを持った状態で、エルフ族の女とオーク族の男を連れていくこと自体は容易いことではあった。
しかし、先程の戦闘――あの忌々しいサイクロプスが放った右腕の振り払いで、大木に背中からぶつかってしまった痛みがまだ残っている。
そのせいで呼吸をするだけで痛みが広がり、満足に走ることができなかった。そのため、彼女は歩く様な速さで、ブリュー湖畔へ向かっている。
事態は一刻を争う。
変異種のサイクロプスは、これまで戦ってきたサイクロプスとは全く異なる怪物だった。
機敏な動きと、周囲の木々を切り裂くことを容易とした爪による攻撃。なにより、四つん這いの姿勢から繰り出される攻撃の数々は、予想がつかない。
そのおかげで、ゴルシュとウーリエンは満足に身体を動かすことができないほどの痛手を負った。
二人は幸いにも木々や地面に叩きつけられたせいで、意識を失っている状態。
あの鋭利な爪による斬撃を喰らっていれば――恐らく、この二人は先のクランと同じ末路を辿っていただろう。
「――ここは」
意識を取り戻したゴルシュの声が、ルルの耳元で聞こえてくる。
「ブリュー湖畔へ向かっている最中。もう少ししたら辿り着くし、救援の狼煙を上げる」
ルルがブリュー湖畔へと向かう理由は二つ。一つは、負傷したゴルシュとウーリエンを看病するため。もう一つは、近くのクランあるいはハーデンバー領の衛兵に救援を知らせる狼煙を上げること。
「レックスは、あいつは、どこだ」
ゴルシュは辺りを見渡しながら、この場で居るべき男の名前を言う。彼の言葉を聞いたルルは、先程の二つの指示を送ってくれたレックスの――覚悟を決めた表情が脳裏の過る。
(ドワーフなら、この二人を担ぎながら、ブリュー湖畔へ行けるだろう)
(二人の手当てをしながら、この狼煙をあげろ。そうすれば、近くに居るクランやハーデンバー領の衛兵が駆けつけるはずだ)
「ちっ、あの馬鹿野郎」
たった一人で、あのサイクロプスと死闘を繰り広げているレックスの意図を汲み取ったのか、ゴルシュはルルから離れようと身体を動かす。
ルルが担いでいた両手斧をよれよれの手つきで持ちながら、ゴルシュは歩き出す。
「ちょっと、待ちなさい。死に急ぎすぎよ」
ルルはまるで老人のようなおぼつかない足取りで、レックスの救援へ向かおうとするゴルシュを制止するために彼の右肩を持った。
「『常に忠義を』。それが我々オーク族のしきたりだ」
ゴルシュはそう言いながら、ルルの制止を振り切って、前へと進む。
ルルはどうしたらいいか分からず、その場で立ち尽くしてしまう中、左腕で抱えていたウーリエンが意識を取り戻したのか、彼女の身体が動く。
「ウーリエン、大丈夫?」
咳を繰り返す彼女を気遣って、楽な姿勢にするためにルルはウーリエンをそっと地面へ下ろす。
尻餅をついた状態の彼女は、その後すぐに立ち上がった。
「待ちなさいよ、ゴルシュ」
ウーリエンの言葉を聞いて、ルルはほっとする。ゴルシュを引き止めるのが二人になれば、彼も考えを改めてくれるだろう、と考えたからである。
「私も行くわ」
ウーリエンは背中に背負っていた矢筒から予備の弦を取り出し、弓を使えるように修理する。それが終わるなり、十数歩先で待っているゴルシュを追いかけるようにウーリエンは歩き出した。
にわかに信じがたいゴルシュとウーリエンの行動に、思わずルルは頭を抱えた。
「なんなのよ、あんたら。そんなに死にに行きたいわけ?!」
オーク族とエルフ族にあるまじき行動を取るゴルシュとウーリエンに、ルルは地団駄を踏みながら、問いかける。
彼女の言葉を聞いたウーリエンは思わず鼻で笑う。
「ルル、聞こえないの? 耳を澄ませてごらんなさい」
ウーリエンの発言にルルは頭をかしげる。ゴルシュもまたウーリエンの言葉に従え、と言わんばかりに腕を組む。
「ちょっと、遊んでる暇はないのよ! レックスが時間を稼いでいる間に早くブリュー湖畔へ――」
ブリュー湖畔がある方角を指差し、ルルは二人に戻るように声を荒げた。その後、森の奥から――なんとも形容しがたい叫び声が木霊した。
変異種のサイクロプスの咆哮、というより、悲痛な叫びだった。まるで、痛みを堪えきれずに思わず声が出てしまうかのような、叫び。
「地団駄を踏んでいる、荒い呼吸――レックスが頑張っている」
ウーリエンは変異種のサイクロプスの状況をルルに伝える。
「勝てる勝負をしに行く。それだけだ」
ゴルシュはそう言いながら、呼吸を整えた。
「こいつ、何をしているんだ」
レックスは左手に装備した盾で上半身を守りながら、数メートル先で「まるで痛みの余りに叫び声をあげている」サイクロプスの奇怪な行動に唾を飲む。
ルルにゴルシュたちを任せてから十数分。レックスはサイクロプスの攻撃に対して防戦一方で、切り傷一つすら与えられていない。
そんな中、表情こそは殺気に満ちているサイクロプスの変異種の、悲痛な叫び声に彼は疑問を抱く。
「仲間を呼ぶための合図か?」
レックスはその可能性を危惧し、思わず一歩二歩と後ずさりをする。しかし、逃げられるわけもない。彼はまた一歩二歩と前進し、ロングソードを構えた。
しばらくの間、サイクロプスの変異種は叫び声を上げ続ける。その隙を突こうとレックスは考える。
そんなレックスの思惑を読み取っているのか、サイクロプスはその一つ目をレックスへ向けていた。
「それでいいぞ。お前がそうやっている間に、ルルたちが狼煙を――」
もし仲間が呼んでいる合図――その場合は、こちらの悪運も尽きたということ。レックスは覚悟を決める。
もう少しでルルがブリュー湖畔へ辿り着いてもおかしくない。あと数分ほど経てば、こちらも逃げようとレックスは考える。
その時だった。背後から空を切る音と同時に、一本の矢がサイクロプスへ向かう。しかしサイクロプスはそれをステップを踏むかのように横へと回避した。
「そんな――あいつ、平気じゃないの」
ルルの叫びが後ろから聞こえ、レックスは振り返った。
十数メートル先に、呆然と立ち尽くすウーリエン。彼女の後ろに、にわかに信じがたい表情を浮かべているゴルシュとルルが居たからだ。
三人の他に、救援と思わしきクランや衛兵は見えない。それなのになぜ、手負いのゴルシュやウーリエンたちが来たのか、レックスには考えがつかなかった。
サイクロプスは慌てているレックスたちを見て、再度、痛みの余りに叫ぶ声を上げながら、地団駄を踏む。
その後、笑い声を彷彿させる、甲高い声をあげた。
駆けつけた手負いのゴルシュたち。猿芝居を行うサイクロプス――レックスは合点が行く。
「こいつ、騙しやがったな」
レックスは舌打ち交じりに、じわじわとゴルシュたちへ合流するために後ずさりをした。
わざと自分が不利になっている状況や声を作って、それに釣られてしまったゴルシュたちをサイクロプスはおびき寄せた。
単純な暴力を振るう魔物として、恐れられる一方で対処はしやすいとされるサイクロプス。だがこいつは違う。
知性を持っており、その結果、ゴルシュたちはまんまと「嵌められてしまった」。
「一生の不覚」
サイクロプスごときに出し抜かれたゴルシュは、その場で自決しかねないほどの形相を浮かべ、歯軋りをする。
もう逃げ場はない。先ほどはなんとか隙を見て、ゴルシュたちを逃がすことに成功したが――二度も同じ手は通用しないだろう。
ゴルシュとウーリエンを抱えて、来た道を戻る体力が無いのか、肩で大きく呼吸を整えているルルの吐息が、レックスの背中越しに伝わる。
「レックス、ごめん」
ゴルシュたちの下へ辿り着くレックスに、ウーリエンから謝罪の言葉が聞こえてくる。
「気にするな。それよりも、腹を決めろよ。生きるか死ぬか、道は二つに一つだ」
後戻りはできない。
ここで死ぬか、それともサイクロプスを討伐するか。
サイクロプスの変異種は雄たけびをあげ、そのまま顔を左右に振りながら、こちらへと突進していく。
周囲の木々を軽々しくなぎ倒し、一直線と向かうサイクロプスの変異種。ゴルシュとウーリエンは左右へと別れるように回避。
レックスも、ゴルシュの方へと向かおうとした矢先だった。
「――」
足をくじいたのか、その場で倒れているルルの姿が後ろに会った。
迫りくるサイクロプスの変異種、倒れ込んだルルとの間に挟まれたレックス。
今彼女を見捨てて、サイクロプスがその血肉を喰らっている間に、一矢報いることはできる。
いや、むしろ――そうするべきだと。
かつて父が「名誉」に縋った結果、母を死なせたあの日を忘れられないレックスにとって、こうするのがごく自然の行動だった。
ルルの犠牲で、あのサイクロプスを討伐できれば、値千金の尊い犠牲だ。
(冒険者の遺体からは何も盗るな。丁重に葬ってやるのが、クラン、しいては冒険者の義務だ)
虫唾が走る父の言葉。名誉を重んじたあまり、母が患った病気を和らげる薬すらロクに買えなかった。
(――レックス、お父さんを責めちゃだめよ。あの人はね――)
直後、母の今際の言葉が脳裏に過る。
その後、サイクロプスの大きな口がレックスとルルが居た場所を地面ごと喰らった。
「レックス」
ゴルシュの叫び声が森林に響く。土煙がサイクロプスの周囲に漂い、ゴルシュはレックスらの無事を確かめられない。
しかし、その安否を気遣う心境はすぐに切り替わった。
「やはり血は争えない、か」
苦笑いを浮かべたレックスは、まさに今、サイクロプスに噛み砕かれようとしていた。 しかし彼はブーツをサイクロプスの下顎に。盾と両腕を使って、上顎を防ぎ、なんとか押し留まっている。
上下から圧し掛かるサイクロプスの噛み砕く力。一瞬でも力を緩めてしまえば、レックスの身体は二つ折りになることは必須。
しかし、彼は踏ん張っていた。彼の背後には、ルルが居たからだ。
「こっちよ、ルル」
ウーリエンはレックスが踏ん張っている間に、ルルに駆け付け、右手を引っ張る。後顧の憂いが無くなったことを知ったレックスが、次の行動を考えようとした矢先だった。
オーク族特有の、唸り声。それが背後から聞こえてくると同時に、ゴルシュは渾身の力を振り絞り、両手斧を振り下ろした。
ゴルシュが振り下ろした先は、サイクロプスの眼球だった。柔らかい感触と同時に、眼球を潰すはずだとゴルシュはその絵図を頭に浮かんでいた。
しかし、サイクロプスはその寸前の所で瞳を閉じた。
屈強な皮膚といえども、オーク族式の斧術にかすり傷程度で済まされるはずではない。
灰色の肌に縦一直線の切り傷が浮かび上がる、そこから赤黒い血が垂れる。サイクロプスは痛みの余りに、レックスを噛み砕こうとしていた顎の力を緩める。
これで噛み砕かれることはないだろうと睨んだレックスは、いくらサイクロプスとて鍛えることが出来ない――薄汚い口内にロングソードの斬撃を放った。
突きと横払いを数回ほど繰り返し、ずたずたに切り裂く。それによって、サイクロプスはようやく「本当の叫び声」を上げた。
暴れ狂うサイクロプスの動きに、レックスは上手にバランスを取ることができず、数メートルほどの高さから背中に向かって落下してしまう。しかしゴルシュがレックスの落下地点を見極め、両手で彼を支えるように捕まえた。
「大丈夫か?」
「ああ、どうも」
ゴルシュの問いかけに、レックスは軽く礼を済ます。
不格好な姿勢だったため、レックスはすぐに地面へ足を付けるようにゴルシュから離れた。
「ようやく手負いにできたな」
ゴルシュは前を見据え、両手斧を構えた。
レックスらの距離を一旦離したサイクロプスは尻餅を突く体勢になりながら、傷ついた自身の瞼と口内を両手で必死に触っている。それはまるで、駄々をこねる赤ん坊の姿を彷彿とさせた。
その後、サイクロプスは痛みを克服したのか、四つん這いの姿勢になる。口内から止め処なく流れる血。そして瞼の上からも血を垂らし、それが眼球に入ってもなお、レックスとゴルシュを睨みつけていた。
「狙いは俺たちだ。ルルとウーリエンは眼中にない」
サイクロプスの狙いが自分とレックスだけになったと睨んだゴルシュは、手負いのウーリエンたちを逃がそうと提案する。
しかし、レックスからの返事が来ない。
「レックス、聞いているのか」
ゴルシュはそう言いながら、隣に居るレックスへ視線を向けた。
数々の戦場や、冒険者たちを見てきたとゴルシュは自負している。遥か遠くの「東洋の国」から来た冒険者が扱う「剣道」と呼ばれる、剣術。
あるいは、灼熱の国と称される「中東の国」の戦士が持っている奇怪な武器の数々。
本を一冊書けるほどの冒険者を見てきたゴルシュにとって、レックスの構えは初めて見るものだった。
腰を低く、まるで中腰にするぐらいまで。
左手首に固定された盾を頭上に。
右腕を伸ばし、右手で握ったロングソードは突きの要領で構える。
その構えは、おおよそ「対人」を想定したものではないとゴルシュは一瞬で分かった。
(いいか、私がこれまで戦ってきたのは自分と同じ背丈をしたゴブリンでもトロールでもなければ、サイクロプスでもない)
レックスの父の言葉が、頭を過る。もう二度と、この剣術を使わないと誓ったはずだったが――どうにも、やはりこれに頼るしかないらしい、とレックスは笑う。
(私がこれまで戦ってきたのは、ドラゴンだ。今ではもう絶滅した種族となっているが、いずれ復活するだろう)
レックスは、目の前にいるサイクロプスをドラゴンに見立てる。
四つん這い、俊敏な動き、人の身体を容易く切り裂く爪――そう、こいつはドラゴンに違いないと彼は思いこむ。
(ドラゴンの武器は、火を吐くブレスやこちらを叩き潰す力を持った四肢だ)
「姿勢を低く、頭を盾で守れ――」
父からの教えは例えもう使わなくなったとしても、レックスの身体や脳に染みついている。年単位のブランクがあっても、それは関係ない。
(最大の武器は弱点でもある。ドラゴンの四肢を執拗に狙え。皮膚は堅い、だったら突き刺せ)
「突きの要領で、皮膚を貫く」
レックスはサイクロプスに向かって、走る。一方のサイクロプスもそれに応えるかのように、正面へと向かってくるレックスの頭上に目掛けて、右手を振り落した。
レックスはそれを右方向へ向かって、飛び出すように回避。彼はすぐさま起き上がり、地面に叩きつけられたサイクロプスの右手の甲をロングソードで突き刺す。
骨と骨の間、肉が厚くない層だったのか、ロングソードはまるで吸い込まれるかのように突き刺さった。
サイクロプスの叫び声。レックスはすぐに剣を抜き、サイクロプスへ肉薄。
やや遅れて、ゴルシュが駆けつける。彼は肉薄してきたレックスがどこに居るのか確認しようとするサイクロプスの隙を突く。
横へと回りこみ、痩せ細ったサイクロプスの左わき腹へ向けて、両手斧を横殴りに振り払った。
だがそれはかすり傷程度だったのか、サイクロプスの視線はゴルシュへと向けられる。そして、左手を使ってゴルシュを払い飛ばそうとする動作をしたときだった。
肉薄していたレックスは、サイクロプスの腹部へと近づき、突きを繰り出す。
激痛の余りに、ゴルシュのことを忘れて、その場でサイクロプスはもがく。
しかし、サイクロプスもこのまま黙ってやられるわけもない。その場で尻餅を突きながら、両手を使って、地面を引っ掻き回すように暴れた。
その行動は、自身に近づく邪魔者を払いのけるのに適していた。ゴルシュはまるで洪水のように降りかかる土砂や枝葉から、顔を守るために反射的に両腕を使う。
レックスはそれらを姿勢を低くし、盾を使うことによって防いでいた。サイクロプスの原始的な攻撃を、彼はドラゴンが扱うことができるブレスに見立てていた。
土砂を防ぎながら、ただそれしかしていないサイクロプスの背後――つまり、一番無防備な箇所へレックスは回る。
前方と左右にしか土砂を振りまいておらず、背中はがら空き。レックスはロングソードを強く握り締める。
サイクロプスの顔が、レックスを見下ろしていた。背中はこちらに向いているのに関わらず、不気味な一つ目を浮かばせている顔がこちらを見ている。
「首、回転できるのかよ」
両手は他者を寄せ付けないために土砂攻撃を繰り返しながら、後ろへ回ったレックスの気配に気づき、サイクロプスは首を回転させていた。
思わずレックスは後ずさりしてしまう。それが命取りだった。サイクロプスはすぐに身体を回転させ、レックスと向かい合う。その後、右手を繰り出した。
反撃もままならないまま、レックスはサイクロプスの右手に捕まってしまった。身体を押し潰すかのような、握力。
そして間髪を入れずに、頭から噛り付こうとするサイクロプスのあんぐりと口を開けた顏。そこから垂れる血が、レックスを出迎えようとしていた。
「レックス!」
ウーリエンの怒号と同時に空を切る音。刹那、サイクロプスの眼球に一本の矢が刺さった。
一矢報いた、とはこのことだった。
片膝立ちの状態で、満足に射撃を出来る状態ではないウーリエンからの射撃。しかしそれでもなお、サイクロプスは右手の力を緩めない。
怒りに身を任せ、レックスを握り潰そうとした。彼が着ている鎧が軋み、ひび割れる音。同時に骨が折れてしまいそうな力。
「チェエエエストォオオオオ!!」
ルルの雄たけびが木霊する。その声が聞こえてきた方向――真下に、力を取り戻したルルがサイクロプスの腹部に向かって、ハンマーを叩きつけた。
鉄と肉がぶつかり合う音。同時にサイクロプスは、聞いたこともないかのような絶叫を出した。
するとレックスを締め付けていた右手の力が無くなった。そのまま、数メートル先の地面へ落下――その先にゴルシュが居た。
しかし彼は前と同じように、こちらをキャッチするかのような体勢になっていない。むしろ落下していくレックスを「弾き返す」かのように、四股を踏み、両手の指を組んでいた。
「止めを刺せ!」
ゴルシュの叫びと同時に、レックスの足を両手で受け止める。勢いをなるべく殺さず、ゴルシュは身体全身の力――オーク族の腕力に物を言わせて、レックスを空高く跳ね飛ばした。
レックスの身体は、サイクロプスの頭上を飛び越える。さらには、ブラックウッド森林の名物である十数メートルまでの高さまで育った大木と変わらないところまで跳躍していた。
(一撃で仕留めるのに、斬撃など要らん。弱点を突き刺せ!!)
「言われなくても、分かっているんだよ親父!!」
レックスは叫びながら、肉薄してきたゴルシュとルルに両手による振り払いを仕掛けようとするサイクロプスの「頭上」に狙いを定めた。
両手でしっかりと握りしめたロングソードを突き下ろす形でレックスは構える。
サイクロプスは何も気づいていない。気づいたところで、遅い。
レックスが身に着けている鎧の重量、そしてこれまでの落下速度が乗ったロングソードの一撃。
それが、サイクロプスの頭上に突き刺さった。
肉を貫き、骨を砕き、それらに守れたサイクロプスの脳にロングソードがまるで埋め込まれるように突き刺さった。
サイクロプスはまるで時が止まったかのように、その場で制止する。
「これが対龍剣技――ドラゴンスレイヤーだ、くそったれ」
レックスがそう言うと同時に、絶命したサイクロプスはゆっくりと前のめりに倒れた。
「素晴らしい働きだった、冒険者――いや、レックスか」
ハーデンバー城、領主の間。急病で倒れた先代の代わり領主となった、ハ―デンバー領主――マクスウェル・ハーデンバーは、十数メートル先の「謁見の間」で片膝立ちをしながら、首を垂れているレックスを褒め称えた。
「サイクロプス討伐、見事であった。それにもう一匹の――魔物ギルドがこう言っておったのう。ゴア・サイクロプス、か。そちらも討伐したとか」
ハーデンバー領主の側近であり、渉外担当であるレクルド大臣はその禿げた頭を擦りながら、二匹目のサイクロプスについて言及する。
「私からは一人頭金貨三百枚。ゴア・サイクロプスの討伐に関しては、魔物ギルドから一人頭三百枚の金貨を与えることになった。まぁ、個人で持つにはいささか嵩張る量だ。勝手だが、「商業ギルド」の連中を使って、口座を開かさせたぞ」
それはすなわち、商業ギルドが在籍する都市や街で、金貨を引き落とせたり預けたりすることができるのを意味していた。
冒険者の身分で、商業ギルドの口座を持つものは非常に少ない。そんな破格の対応をしてくれるほど、ハーデンバー領主はレックスを気に入っていた。
「レックスよ、悪いことは言わん。我がハーデンバー領の衛兵になるつもりはないか?」
冒険者にサイクロプス討伐の知らせを出すほど、ハーデンバー領の衛兵の質というものは低下している。
元々は平和な領地だっただけに、衛兵が怠けてしまうのも無理はない――だからこそ、サイクロプスを自前の兵で討伐することが出来なかった。
だからこそ、ハーデンバー領主はレックスを欲していた。彼が衛兵隊を質や練度を引き上げてくれると。
「一介の冒険者から、名の有る領地の衛兵になれる、またとない機会ですぞ」
ハーデンバー領主の誘いを後押しするかのように、レクルド大臣は言う。
いつ野たれ死ぬのか分からない冒険者。住む家もなく、当てもなくさすらい、魔物や盗賊などの輩と戦う日々。
一方、領主の衛兵というのは住む家や食うところに困らない。さらに言えば、衛兵という身分は人生の伴侶を持つ際の大きな魅力となる。
しかし、レックスはゆっくりと立ち上がるや否、頭を下げた。
「領主様のご厚意、誠に感謝しております。ですが、私の意志は――冒険者であることに変わりはありません」
胸を張って、ハーデンバー領主の誘いを断ったレックス。そんな彼に、ハーデンバー領主は大きな声で笑った。
「よかろう、レックス。しかし、気が変わったら私の所へ来るが良い。私はいつまでも待っているからな。それと、お前の要望通り、『帝都』への通行証も用意した」
「有難きお言葉、感謝します」
レックスはハーデンバー領主に一礼し、玉座の間から立ち去る。それを見届けたレクルド大臣は、王座へと向かい、ハーデンバー領主へ耳打ちをする。
「いいのですか、領主。あのまま冒険者にするにはちともったないですぞ。あるいは、市民の反発があるかもしれませんが、彼のクランメンバーである異種族に取り組めば」
そんなレクルド大臣の進言に、ハーデンバー領主は盛大なため息をつく。
「あの男と共にクランとして活動する者たちだ。金貨何百枚だの、身分がどうのこうので心変わりすることもなかろう」
初めからレックスが衛兵の身分に対して却下することは、ハーデンバー領主にとって想定内だった。彼は肘掛を使って、頬杖を突く。
「『冒険者(クラン)よ、常に「名誉」と「富」を志せ』、か」
伝説の冒険者であり、クランマスターであるクラインの言葉を、ハーデンバー領主は呟く。かつて、自分がその言葉に感動し、冒険者に憧れていた頃の姿が――レックスの姿と似ていたからだ。
ハーデンバー城の門を潜ると、もう夕焼けの空模様となっていた。レックスはそれをぼんやりと眺めながら、城門から城下町へ続く橋を渡ろうとする。すると、橋の手前に三人の異種族がレックスの帰りを待ちわびていた。
「随分と長く話しこんでいたじゃない?」
エルフ族の放浪者、ウーリエンはフードを目深に被った状態でレックスに問いかける。
「もうすぐ日が暮れる。領主からの褒美なども話そう――が、両手に金貨を持っていないとなると、商業ギルド辺りが絡んでいそうだな」
オーク族の戦士、ウ・ゴルシュは腕組みをしながら、ハーデンバー領主と話していたことを推測する。
「待ちくたびれちゃってさぁ。早くお酒飲もうよぉ」
ドワーフ族の見習い鍛冶師、ルルがまるで子どものように駄々をこねながら、これから活気づく城下町を指差した。
レックスは主義主張も違えば、種族も違うこのクランがどうして結成してしまったのか――おかしくなって、くすりと笑った。
「なーにニヤついてんのよ、気持ちわる」
ウーリエンはそう言いながら、橋を渡ろうとする。それに倣って、ルルも彼女のあとを追いかける。
マイペースな女二人の背中を見ながら、ゴルシュはため息をついた。そんなゴルシュを見ながら、レックスは彼の肩を叩き、歩き出す。
「先は長いぞ」
レックスはそう言いながら、笑う。
ハーデンバー城の地下。そこは、主に犯罪者を収容する「施設」としての機能を有していたが、いささか場所を取りすぎた影響で、その半分以上の面積が「空き部屋」となっていた。
多額の金貨を支払うことによって、魔物ギルドはその地下に「ゴア・サイクロプス」と呼ばれる、四つん這いかつ狡猾なサイクロプスの死体を地下室の大広間へ運んでいた。
厚手の服に手袋、顔全体を覆う「バラクラバ」と呼ばれる北方の地で作られた頭巾を身に着けた魔物ギルドのメンバー、述べ十人は、絶命したゴア・サイクロプスを魔術を用いたダガーを使うことで解剖していた。
ゴア・サイクロプスの死臭が充満する空間で、魔物ギルドのメンバーらは一心不乱にダガーを振るう。
彼らの周囲に血肉が飛び散り、その臭気に引き寄せられた虫や鼠などが集る。
魔物の死体を弄繰り回す魔物ギルドに、嫌悪感を持つものは多い。しかし、彼らが居るからこそ、魔物弱点や特性を把握し、立ち向かうことができる。
しかし、魔物ギルドの今回の目的は、ゴア・サイクロプスの弱点を探るわけではなかった。
「見つけたぞ」
ゴア・サイクロプスの心臓に右腕を突っ込み、何かを探っていた魔物ギルドのメンバーは、ようやく探していたものを見つけた。
慎重に、かつ丁寧に「それ」を心臓から引き抜く。そして、右手にはあるものが握り締められた。
少し大きめの、牙のようなもの。それは、サイクロプスのモノではないのを証明するかのように、黒光りしていた。
「間違いない、ドラゴンの毒牙だ」
隣に居た魔物ギルドの鑑定士が、メンバーの一人が引き抜いた「牙」の正体を見抜いた。
これは、のちにエルフ族の女王になる者の前日譚。
これは、のちにオーク族の領主となる者の前日譚。
これは、のちにドワーフ族の長になる者の前日譚。
そしてこれは、その三人と共に、ドラゴンスレイヤーと呼ばれる冒険者になる男の物語。
「ドラゴンスレイヤー」に続く。
サイクロプス討伐 さとし @satoshi992
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