サイクロプス討伐

さとし

前編




 太陽が落ちた代わりに月が出て、黒色に染まった空の下。

 月の光を遮断する、生い茂った森林。その暗闇に照らされる焚火の、オレンジ色に染まる明かりを囲うようにして、三人の男女が暖を取っていた。

 彼らは性別も違えば、種族や思想もバラバラだった。

 三人が暖を取っている場所は、ブラックウッド森林と呼ばれている。つい最近までは、この森林地帯の近辺に設けられた集落の人々が湖の水を汲んだり、狩猟や薪を採取をする馴染みの場所。

 しかし、この森の奥地から現れたサイクロプスによって、事態は一変する。サイクロプスはその巨体と、凶暴な力によって森に入ってきた人はもちろん、集落さえも襲っていた。

 ブラックウッド森林の領地権を所有するハーデンバー首領により、サイクロプスを討伐した者には金貨六百枚を献上するという御触れが出たことによって、この三人の傭兵は「クラン」を結成した。

「おい、本当に大丈夫なのか」

 緑色の肌に、口からはみ出ている細長い犬歯をチラつかせていたオーク族の男は独り言のように呟く。

 彼の名は、オーク族の戦士、ウ・ゴルシュ。

 坊主頭に、丸太を彷彿させるような太さを持つ四肢には、幾多の修羅場を潜りぬけたのを証明するかのように無数の傷跡が残っている。

 心臓と頭部、脛などの急所だけを守るため、鋼鉄製の鎧やプレートを装着し、身動きを取りやすくした格好のゴルシュに、ちょうど対面で座っていた女性が鼻を鳴らす。

「私たちの雇い主に言ってちょうだい」

 女性は、ゴルシュとは対照的な身なり――紺色のフードを目深に被り、後は布で出来た少し厚手の服、毛皮のブーツを着こなしていた。

 そのフードから見え隠れする、透き通ったかのような色白の肌と、金髪の髪の毛、そしてエルフ族特有の左右の瞳の色が違っている、赤目と青目のオッドアイ。

 女性――エルフ族の放浪者、ウーリエンはそれを言ったきり、何も言わなかった。

 ウーリエンの小生意気な態度に、ゴルシュは思わず立ち上がろうとしたのか、胸や脛に装着していた鉄同士のぶつかり合う金属音が鳴った。

 それを察したウーリエンが、右手を上げようとしたときだった。

「険悪な雰囲気になるな。森がざわめくぞ」

 二人から少し離れて、背中を向けていた男――この二人を雇い入れ、クランを結成した人間族の男性、レックスは制する。

 親譲りの茶色の短髪に、冒険者として生計を立ててきたかのような落ち着いた雰囲気。

 彼は、薄手の衣服の上に四肢を軽量かつある程度の防御を持つプレート製の鎧や籠手、脛当てやブーツを装着。腰の左右には、鞘に収まった剣と盾をぶら下げていた。

 どの装備も長いこと使われていたのか、至る所に傷や風化が見える。

 レックスの一声により、ゴルシュとウーリエンは舌打ち交じりにその場を納めた。

「もう一度、確認したい。もう二三日もこの森に出たり入ったりしている。俺は暇じゃない」

 全くサイクロプス狩りが捗らない現状に、ゴルシュは苛立っていた。

 サイクロプスは基本、森林の奥地に潜んでおり、不特定な時期に森林の入り口やその近くの集落などを襲撃する。

 その習性は彼らの「発情期」に伴う、行き場のない精神的な負担を発散させるためだと学者は言う。

 しかしその発情期の周期は解明されておらず、今回の様にブラックウッド森林で薪を調達しに行った、集落の母と子どもがサイクロプスの犠牲になった。

 それから、断続的にサイクロプスは集落を襲撃し、ハーデンバー領主は多額の賞金を提示し、冒険者たちを討伐に募った。

 ゴルシュは、そんなサイクロプス狩りを手早く済ます方法を知っている。彼の生息地――つまり、ブラックウッド森林の奥地に入り込むべきだと。

 だが、レックスの考えは違った。初日は森林の入り口から一時間ほど歩いた距離で夜営を。二日目は二時間歩いた先で、今日は三時間ほど歩いた場所で夜営をするということを繰り返していた。

「俺は、狩人ごっこをするつもりもない」」

 もちろん、成果になることはある。それはサイクロプスの足跡などではなく、ここに群生する鹿や狼の狩猟だった。今日も鹿を狩猟し、その油で火を起こし、その肉を使って料理を食べたことをゴルシュは皮肉交じりに言った。

「あら、オーク族にもそんな皮肉が言えたものなのね」

 くすくすとウーリエンは笑う。それを聞いたゴルシュは行動に起こさなかったものの、唸り声を上げた。

「少なくとも、私はそこのオークと考えは一緒。私たちの他に、サイクロプス狩りをしているクランも居るわ。連中に先を越されたら、くたびれ損もいいところよ」

 ゴルシュとウーリエンは種族の違いでいがみ合っているが、このクランを組んだレックスに対する不信感は少なからず一致していた。

 これだけの日数をかけている。もしかしたら、他のクランがサイクロプスを討伐しているかもしれない。

 そうなると、討伐の報を聞きつけ、遠路からやってきたウーリエンやゴルシュはまた別の仕事を探しにこの地から出ていくであろう。そうなると、ウーリエンが言うとおり、ただの「くたびれ損」だ。

 批判の矛先になったレックスは、踵を返した。そして、腰巾着からある物を取り出そうとした矢先だった。

 咆哮。

 やまびことなって聞こえてくる咆哮は、木々に潜んでいた野鳥たちを飛び上がらせるのに充分すぎるほどだった。その場から立ち去る野鳥たちの羽音が一斉に聞こえてくるが、咆哮はそれすらもかき消す。

 それが十秒ほど続いた後、僅かながらに大地が震動する揺れをレックスたちは感じ取った。

「距離と方角はどうなっている」

 鞘から青銅製の剣を抜いたレックスは、ウーリエンに咆哮が聞こえてきた距離を聞こうとする。が、それよりも早くウーリエンはフードから顔を出しており、思わず見とれてしまうほどの美しい彼女の顔とエルフ族特有の細長い耳を大地に当てていた。

 やまびことなって聞こえてくることから、距離は遠い。仮にこちらに向かってくるにしても、充分に逃げられる距離だとレックスは踏んでいた。

 こんな深夜に、夜の目が効くサイクロプスを相手にするのは自殺行為。もちろん、そのことをルゴシュやウーリエンも分かっていた。

「――北の方角。ここから普通に行進して、約二時間ほど。小さな足音が二つ、三つ、四つ、五つ、八つ――大きいのが二つ、四つ。四人ほどの集団と一匹のサイクロプス、と思う。」

 大まかな距離を聞いたレックスと、彼と同じく立ち上がって、自分と同じ身長――二メートルほどの両手斧を構えていたゴルシュはウーリエンの報告を黙って聞いていた。

「随分と落ち着いているな」

 ゴルシュは斧を構えたまま、レックスに話しかける。北の方角――先程まで、自身が見ていた方向へ身体を向けたレックスは、絶え間なく聞こえてくる咆哮と、その中で僅かながらに聞こえてくる「叫び声」を聞き取っていた。

「先を越される心配はないと踏んだわけか」

 ゴルシュはレックスの意図を汲み取ったのか、もういいだろうと言わんばかりに彼は構えていた斧を抱えるようにして持ち、腰を下ろした。

「二人死んだ――もう一人も」

 大地に伝わってくる足音と悲鳴を感じ取ったウーリエンは、遠くの方で起こっている状況をレックスとゴルシュに伝える。

「全滅したわ。こっちに向かってこない。森の奥へと戻っている」

 ウーリエンの言葉をそこまで聞くと、レックスは剣を鞘に戻した。同時に、咆哮と大地の揺れは小さくなり、いつも通りの夜の静寂が訪れた。

 レックスは、取り出そうとしていたブラックウッド森林の地図を腰巾着から取り出し、焚火の傍へ歩く。ゴルシュと、一仕事を終え、もう一度フードを目深に被ったウーリエンはそれに興味を示したのか、二人も焚火へと近づいた。

「ウーリエン、現在地はここだ。先程の位置は分かるか」

 レックスは地面に腰を下ろし、地図を広げる。赤の塗料で印をつけられたところに彼は指を差す。

「そうね、ざっとになるけど――恐らく、ここの周辺」 

 レックスの隣に寄り添ったウーリエンは、印がつけられた現在地からやや離れた北の方角――ブリュー湖がある場所へ指先を小突いた。

「今から行くのは、少し危険だな」

 ゴルシュもまたレックスの隣に居ており、意見を述べる。

「無論、そのつもりだ。明け方と同時に、出発。ここを偵察しよう。さっきので、狼などが動くかもしれない。一時間おきに交代しながら、休息だ」

 レックスの指示に、ゴルシュとウーリエンは異議なしと言わんばかりに頷いた。そして二人は、これでサイクロプスがどこから出てくるのかがようやく分かったのと同時に、そうなることを見据えていたレックスの観察眼に関心をしていた。



 


 明け方に野営地から出発したレックスたちは、陽の光が昇った頃にはサイクロプスの襲撃があったとされる、ブリュー湖にたどり着いた。

 湖の沖に沿って左回りに十数分ほど歩いていると、ようやく「現場」を見つけた。

「これは、凄惨だな」

 さすがのゴルシュも、その光景を見るなり、眉を顰めた。

 クランが夜営をしていたと思わしき焚火の後や、食事に使用されたとされる鍋などがそこにはあった。そして、その周囲に種族の見極めもつかないほどの「肉片」や「人体の一部」が散らばっていた。赤黒く変色したそれらには、レックスたちが来る前に狼や烏によって食い散らかされた跡が生々しく残っている。

 それらは、強大な力で押し潰された、あるいは真っ二つにされている。後者の死体に関しては、やけに綺麗に切断されているとレックスは怪しむ。

 そして極めつけは、何か巨大な力で潰された女の遺体――押し潰された影響で、耳や口から脳味噌の一部や臓器が飛び出ており、さらには骨が身体から突き破っていた。どう考えても、サイクロプスの仕業と信じざるを得ないものだった。

「お、おうぇえ」

 それらを見たウーリエンは、その場で膝を突き、地面に向かって嘔吐した。胃に消化しきれなかった鹿肉の欠片や山菜が交じり合った胃液を、口から吐き出す。

「沖で夜営をしていたら、サイクロプスの襲撃を食らったわけか」

 レックスはウーリエンにまったく心配する素振りを見せず、死臭を巻き散らかす遺体の傍へ寄り、辺りを調べる。

「ま、そういうことになるな。四人がかりでも対処できなかったということは、本当に不意打ちを食らったか、あるいは――」

 一方のゴルシュはレックスの言葉に返事をしながら、クランが使っていた銅製マグカップを拾って、沖に向かう。

「サイクロプスはサイクロプスだろ。殺し方を見ても、発情期になったサイクロプスの『玩具』にされたとしか考えられんが」

 レックスは押し潰された女性の遺体を右足で小突きながら、湖の水を字面に転がっていたマグカップで組んだゴルシュに反論する。

 サイクロプスは発情期になると、凶暴になる。ブラックウッド森林で最初の犠牲になった親子は、四肢を無理やり引きちぎられた挙句、地面に向かって叩きつけられていた。

 集落を襲ったときは、対抗した衛兵と馬を「まるで泥団子を捏ねる」かのように、握り潰した。

 少なくともそういうことを出来るのは、器用なことができる両手両足を持ったサイクロプスに他ならないし、生き残った人からの目撃も取れている。

「オーク族は起源の発端から今に至るまで、サイクロプスとの戦いを繰り広げていた。奴らの中で、どの個体よりも屈強で、凶暴なモノが居ることを聞いたことがある」

 レックスは遺物となったクランの所有物の中で、金になりそうなものを漁っている手を止めて、興味深い話を口にしたゴルシュの方へ顔を向けた。

「俺もその話を聞いたことがある。変異種、か」

 巷の噂で、その手の話をレックスは耳にしたのを思い出す。当時は、単なる与太話に過ぎないと思っていたが、ゴルシュから同じ話を聞くとなると別だった。

「話が分かるようで有難い。手練れのクランかはどうか分からないが、このザマだ。サイクロプスの血などを見つけないと分からないが、変異種のことも気に留めた方がいいだろう」

 ゴルシュはそう言いながら、未だに吐きつづけているウーリエンに水が入ったマグカップを渡した。

「ほら、水だ」

 ウーリエンは礼も言わず、それを奪うようにゴルシュから取ると口につける。口内に残った吐瀉物を濯ごうとした。

「とりあえず、ウーリエンに周囲を調べてもらおう。彼女がまた吐かないように、死体の後片付けをするぞ」

 レックスはそう言うと、ゴルシュは無言で頷き、彼の方へ近づこうとする。

「お、うぇえあああ」

 ウーリエンはまた嘔吐をする。今度は鹿肉の欠片と水と胃液と、誰とも知らない他人の目玉が彼女の口から吐き出された。

「この糞オークが。汲んできた水に目玉が――お、おおえぇえええ」

 ウーリエンは呪詛と一緒に、吐瀉物を地面に吐き出した。






 死体を一か所に集め、オーク族式の土葬――各々が持っていた武器を十字架に見立てて突き刺した――を施したゴルシュとレックスは、ひと段落を付けるために湖で水を汲み、それを飲みながら休息を取っていた。一方、フードに隠れて表情こそは見えないが、終始しかめっ面を浮かばせているウーリエンは周囲の探索を行うため、低く屈んだ状態で地面に耳を当てている。

 その様子をゴルシュは眺めながら、ため息をついた。

「柄にもないな」

 先程の騒動――ゴルシュが親切心でやった行動が、ある種の事故によってウーリエンの機嫌を完全に損ねてしまった。

 それを引きずっているのか、オーク族には珍しいため息にレックスは思わず笑ってしまう。彼とて、オーク族は冷酷無比な「戦士」だと思っていたからだ。

「黙っていろ、レックス。それにしても、お前はしたたかだな。俺やそこの小娘は気にも留めないが、貴様らの同族が見たら、どうなることやら」

 ゴルシュはそう言いながら、この岸辺で夜営を行っていたクランたちの遺品――金品やゴールドなどを回収していたレックスに苦言を呈す。

 ゴルシュのようなオーク族にとって、日々狩猟や他オーク族との闘争に明け暮れており、遺品を漁るのは生きるための術。そして、ウーリエンのようなエルフ族も森で野たれ死んだ冒険者たちの遺品を漁るのは珍しくもない。

 しかし、人間族は違う。彼らはオーク族の様に闘争に明け暮れず、エルフ族のように外界からの交流を一切断っていない。

 人間族は互いに互いを支え合うために規則とモラルを設け、集団での生活をしている奇妙な種族――とゴルシュは思っていた。だが、このレックスはその枠組みに外れた人間だと彼は確信する。

 レックスはゴルシュの問いかけに鼻で笑いながら、腰巾着に集めた遺品――金貨――を叩いた。回収した金貨は山分けしており、取り分はそれぞれ二十枚ほどあった。

「俺は規律だとか道徳だとかは、大嫌いなんでね。信じられるのは金と、背中を預けられる仲間だけさ」

 下卑た表情を浮かべるレックスに対してゴルシュは腕を組み、鼻で笑う。

 確かにそういう気概を持っていなければ、オーク族の戦士とエルフ族の放浪者とともに一緒にクランを組もうとしないだろう。 

「貴様はおかしな人間だな」

「皮肉かな、ゴルシュ」

 良い意味でも悪い意味でも、彼に興味を持ったゴルシュに対して、レックスは斜に構えた返答を送った。

「それにしても、これほどの重量の戦槌(バトル・ハンマー)を持っているクランがひとたまりもないとはな」

 その中で、オーク族のゴルシュでさえ両手で持つのがやっとのハンマーを一瞥する。

 全長は160センチほど。打撃部分は鉄で出来ており、人の頭ほどの大きさを持っており、さすがのゴルシュも片手では扱えないと諦めるほどだった。

 死体は全て身元さえ分からないぐらいに損傷や肉片と化していたため、そのハンマーを使っていたのがどの種族かは分からずじまいだった。

 だが、ゴルシュ以上の腕力を持つに人間族、オーク族あるいはドワーフ族の戦士が居たに違いない。

「本当に不意打ちを受けた、と考えたい。が、サイクロプスは巨体だ。例え全員が寝ていたとはいえ、足音で気づくはずだ」

 レックスは周囲を調べているとき、サイクロプスらしき足跡を見つけている。その痕跡は自分たちの正面――沖から数十メートル離れた森林地帯から来ている、とウーリエンが言っていた。

 手練れのクランならまだしも、新米の傭兵たちが集まったクランとはいえ、サイクロプスの接近に気づくはずである。 

 不意打ちの線は考えられない、というのがレックスの見方だった。

「そうに違いない」

 ゴルシュもまたレックスの考えに同意しているのか、彼の見解に同意する。

「サイクロプスの変異種」

 だとすれば、答えはひとつ。レックスとゴルシュは息が合ったかのようにその解答を言う。

 そのときだった。

 周囲の状況を調べていたウーリエンが急に地面から耳を離し、背中にかけていた弓と矢を、湖の後方――数十メートルほど離れてた森林地帯に構える。

 それに気づいたレックスとゴルシュは一斉にお互いの得物――前者は青銅製のロングソードと盾。後者は鋼鉄製の両手斧を構える。そしてすぐさまウーリエンよりも前へと出るために走った。

 前衛が二人、後衛が一人。今は亡き「クランマスター」のクラインが編み出し、お手本となっている「三位一体の陣」をレックスたちは何も言わずに構成する。

「小さな足音が無数。十人ほど。速い、吐息、こちらに向かってくる」

 ウーリエンは感じ取った気配を、抽象的な表現でレックスとゴルシュに伝える。

 ブラックウッド森林地帯では、サイクロプス狩りという同じ目的を持ったクランが多少はいるはずなのに、ウーリエンはこちらに向かってくる集団に対して弓矢を構えた。

 それが意味するのは、こちらに対して敵意を持っている集団であることを指していた。

「来る」

 ウーリエンは森林から姿を現す集団に対して、弓を引き絞り、矢を放った。

 矢はレックスとゴルシュの間をすり抜け、森林から先陣を切り、顔面蒼白でこちらへと向かってくる「一人の少女」の頭上を掠めた。

 その後、犬のように前へと大きく突き出した醜い顔の「ゴブリン」が棍棒を片手に森林から飛び出す。

 青い肌に、腰に布を巻きつけただけの格好、右手に棍棒を持ち、ウーリエンほどの小柄な身長。

 醜悪な外見をもつゴブリンの眉間に、ウーリエンから放たれた矢が命中した。

 短い悲鳴とともに絶命し、背中から倒れたゴブリンを見たレックスとゴルシュは、前へと走り出す。

「ウーリエンとゴルシュは少女を確保しろ」

 レックスが二人に指示を送ると、立て続けに九匹のゴブリンが森林から飛び出してきた。

 サイクロプスの隷属である「ゴブリン」。知性も品性もなく、ただ自分が敵と認識した存在を殺すことしか能がない、小人族の魔物。

 レックスよりも軽装の防具を身に着けていたゴルシュはすぐに少女の下へ駆ける。少女はウーリエンの射撃でへたれてしまったのか、その場で尻餅をついていた。

「サイクロプスの隷属めが」

 三匹のゴブリンがゴルシュと少女に向かう中、彼は舌打ち交じりにそれらを罵倒をする。彼は握りのもっとも端の部分を片手で握りしめ、遠心力を付けて振り回す。

 それは、飛びかかろうとしていた一匹のゴブリンの腰をほぼ二メートル先から真横に切り裂く。

 槍(スピア)の間合いから、横殴りに襲い掛かる両手斧の無慈悲な攻撃。腕力に自信があるオーク族だからこそできる芸当だった。

 ゴブリンの緑色の血と、臓物が空中で四散する。その後、胴体が離れ離れになったゴブリンだったモノが地面へと落ちた。

 それを見た二匹のゴブリンが委縮し、ゴルシュの斧の間合いから一歩引く。そうしている間に、弓矢を構えながら疾走するウーリエンの射撃が一匹のゴブリンの眉間を撃ち抜いた。

「大丈夫かしら?」

 ゴルシュの背後で尻餅をつく少女の隣に駆け寄ったウーリエンは、背中の筒から新しい矢を取り出しながら、彼女の無事を確かめる。

 小柄な体格、ローブのような衣服の上から鋼鉄製の籠手とブーツ。同じく鋼鉄製のチェストを身に着けており、ゴルシュと似たような防具を身に着けた少女の格好にウーリエンは戸惑う。

「なっ、貴女はもしかして」

 ただの少女ではないとウーリエンが驚愕したとき、ゴブリンの集団と交戦しているレックスが取りこぼしてしまった一匹のそれが、彼女の真横から襲い掛かる。

 少女の装備に気を取られていた彼女は、ゴブリンの襲撃に対応できなかった。

 ゴブリン族特有の跳躍力――ウーリエンの頭上めがけて、振り落される棍棒。それに彼女が気づいた瞬間だった。

 ウーリエンの頭をかち割ろうとしたゴブリンが逆に、唐竹割の要領で真っ二つになった。 走っている最中にフードが外れてしまったウーリエンの頬に、ゴブリンの血が少しだけ付着する。

「先程の失態、これで無しにするぞ」

 両手斧を振り下ろして、飛びかかるゴブリンを真っ二つにしたゴルシュはウーリエンの方へ顔を向けると、沖での一件を不問としようとした。直後、彼はその隙をついて襲い掛かる二匹のゴブリンに気づく。

 地面に突き刺さっている両手斧を今度は振り上げ、向かってきた一匹を真っ二つに。さらにそこから横へ振り回し、最後の一匹を切り裂いた。

 一瞬のうちに三匹のゴブリンを殺害したゴルシュに、ウーリエンは鼻を鳴らしながら、頬に付いたゴブリンの血を右手の甲で拭う。

「ま、そういうことにしといてあげるわ」

「生意気な小娘め」

 素直ではないウーリエンに対して、ゴルシュは悪態を突いた。

「すまない、一匹取りこぼしてしまった」

 鎧や顔にゴブリンの返り血を浴びたレックスが、腰の鞘にロングソードを納めながら、ゴルシュたちの下へ駆け寄る。

「ちょっとレックス。あんたのせいで危ない目にあったのだけど?」

 ゴルシュに助けてもらった「借り」の責任を、レックスに押し付けるウーリエン。レックスは渋い表情を浮かべ、すまないと彼女に謝罪した。

 そんな二人を見るゴルシュだったが、ゴブリンといえども五匹のそれを短時間で壊滅させたレックスの手腕にますます彼は興味を持つ。

 レックスが相手したゴブリンは皆、心の臓を突きで殺されたり、首を撥ねられていた。そのやり方を見るに、余計なことはせずほぼ一撃で仕留めたといって間違いはない。

「それで、さっきの少女は――」

 先程の、森林から飛び出してきた少女の無事をレックスは確かめる。ゴルシュもまたオーク族の性のせいで戦いに夢中だった余り、彼女の安否は確かめていなかった。

 二人は未だに尻餅をついている少女を見るなり、戸惑った。

「あの、その、ありがとうございます」

 140センチほどの小柄な体格に不釣り合いな、鋼鉄製のチェストアーマーと脛当てを装着した少女は助けてくれたレックスらにお礼を言った。




「この地で果てた戦友たちよ。その御心が神々の下へ辿り着き、永久の安らぎがあらんことを」

 オーク族式の土葬が施された墓の前でドワーフ族の見習い鍛冶師ルルは両手の指を組み、死んでしまった戦友たちに祈りを捧げていた。

 壊滅したクランの生き残り――それが、レックスたちが先程助けた女性、ルルだった。

 ドワーフ族。小人族であることを除けば、外見上は人間族とさほど変わらない。しかし、その腕力はオーク族以上で、さらに鍛冶技術にもっとも優れている。

 帝都領で流通している殆どの武具は、ドワーフ族の知識や技術によって造られたといって過言ではない。

「――土葬の件、ありがとうございます。少しの間だけでしたが、これで戦友たちの魂も報われることでしょう」

 ルルは踵を返し、その背後で事が終わるまで静観していたレックスたちにお礼を言う。

「オーク族式の、簡易なやり方だが目を瞑ってくれ」

 ゴルシュは共に戦った戦友に最大限の敬意を示すルルに対して、一種の共感を持っていたのか、深々と頭を下げる。ルルの要望があれば、もっと敬意を示す土葬があったのだが――ルルはそこまでしなくていいと言ったからだ。

「軽蔑してもらっても構わないが、俺たちは君の戦友から――」

 ゴルシュは恥だと分かっていながらも、レックスに分け前として貰った遺品――ゴールドをルルに渡そうとする。が、それよりも早くレックスとウーリエンはそれぞれ金貨十枚が入った小袋をルルへと投げた。

「へっへへ。毎度ありぃ~」

 二つの小袋をキャッチしたルルは下卑た表情を浮かべ、レックスたちから渡された金貨をしっかりと数え、それを腰巾着の中へ入れた。

「金貨十枚」

 面食らった表情を浮かべるゴルシュに対して、ルルは彼に分け前を催促をする。

「ドワーフ族って案外、私たちと大差ないのよ?」

 両肩をすくめるウーリエンの言葉を聞いて、ゴルシュは彼女の方へ顔を向ける。

「あんだけ手厚い祈りを捧げたのも、魔術に対抗力が無いドワーフ族が神々の信仰心を得るためにやっているものだ。それが終われば――俺らと変わりはないよ」

 その隣に居たレックスもまたため息交じりに、ドワーフ族しいてはルルの行動について、詳しく説明した。それを聞いたゴルシュはにわかに信じられないといった表情を浮かべる。

 そんな彼にウーリエンは笑うよりも、哀れみの視線を向けていた。

「オーク族の戦士さんには悪いけど、そういうことなの」

 悪びれるつもりはないと言いたげに、ウィンクをしながらルルはゴルシュの腰巾着へ視線を送る。

「――それで、貴様がこのクランの生き残りか」

「ええ、災難だったわ。丸腰で逃げたものだから、ゴブリン相手に逃げる嵌めになったがねぇ」

 金貨十枚を差し出したゴルシュはそう言うと、彼から分け前をもらったルルはそれを腰巾着に入れながら、落胆する。

 ルルは十字架の代わりとなった自身の武器――ゴルシュが両手で持つのがやっとのハンマーを軽々と片手で掴んだ。

 ハンマーの全長は160センチほどで、ルルよりも20センチほど大きいのに関わらずだ。

「昨夜の状況を詳しく聞きたい」

 レックスの問いにルルは頷くと、彼女はハンマーの鎚部分を椅子代わりにして腰を下ろし、昨夜のことを話した。

 ルルのクランはブリュー湖畔で夜営をしていた。サイクロプス討伐から三日が経っており、クラン内では疲労が溜まっていた。そのため、クランに居た魔術師が結界――部外者が立ち入れば音が鳴るという魔法を生成した。

 その夜、ルルたちはぐっすりと眠りについた――はずだった。

 深夜、「それ」は突如襲い掛かった。巨大な足音が急に聞こえ、結界が音を鳴らした瞬間、何もかもが遅かった。

「焚火は消していたせいで、あたしはそいつの姿を確かめられなかった。そもそも夜目が効くサイクロプス相手に戦おうって気も無かったし、すぐさま逃げたよ」

 ルルはしょうがないと呟く。

「森林地帯に逃げ込んで、朝方まで身を潜めていた。んで、後は想像通り。ゴブリンどもに追いかけ回されて、あなたたちに助けてもらったってわけよ」

 事の経緯を話し終えたルルに、レックスたちはますます、クランを壊滅させた「サイクロプス」の正体が分からなくなったのか、しばらく黙りこんでいた。

「結界が鳴った瞬間に襲撃か。足音と同時――それほど俊足なサイクロプス、か」

 湖畔の沖で、胡坐をかくレックスは顎に手を当て、考える。その隣でレックスと同じ姿勢でルルから聞いた情報を整理するゴルシュもまた、険しい表情を浮かべていた。

「それはそうと、私たちよりも先にここへ来てたクランが居たみたいね。まぁ言わずもがな、この惨状に尻尾を巻いて逃げたみたいだけど」

 ゴブリンと交戦するまで周囲の状況を探索していたウーリエンは、三角座りの姿勢で、先ほどまで集めた情報を報告した。

「だろうねぇ。サイクロプス相手だと思っていたら、正体不明の怪物かもしれないって分かっちゃったもの」

 ルルはそう言いながら、ハンマーの鎚部分に乗るのをやめて、それを持ち上げた。

「クランも壊滅したし、あたしは一足先にハーデンバー城に戻る。運が良かったら、酒場でエール酒一杯ぐらいは奢ってあげるね」

 自分を雇い入れたクランが壊滅した以上、ルルはこれ以上この森林地帯で留まる道理はない。

 それに正体不明の怪物が居るかもしれない中、単身でサイクロプスを討伐するなんて彼女一人ではできない。骨折り損になってしまったが、命は金に換えられない。

「俺のクランに入るつもりはないか?」

 踵を返し、森の出口へと向かおうとしたルルにレックスは立ち上がるなり、彼女を呼び止めた。

「レックス」

 ほぼ同時に、ゴルシュとウーリエンが突拍子もない交渉を始めたレックスを引き留めようと立ち上がり、身を乗り出す。

 サイクロプス討伐の報酬は金貨六百枚。レックス、ゴルシュ、ウーリエンのクランの分け前は一人当たり二百枚。そこからルルが加入するということは、一人当たり百五十枚まで分け前が減るということだった。

 ただ単純にサイクロプスを討伐するだけなら、この三人で事足りる。余計な怪物を相手にする必要はない。

 それにクランの人数をいたずらに増やして、貴重な分け前が減ることは言語道断だとゴルシュとウーリエンは思っていた。

「サイクロプスを討伐し、『正体不明の怪物』も討伐する。そうすれば一人当たり金貨三百枚も夢見事じゃない。そのために、腕に自信がある傭兵がもう一人必要だ」

 突拍子もない交渉の裏に隠された、我が耳を疑うレックスの言葉にウーリエンは開いた口が塞がらないといった表情を浮かべた。

「し、信じられない――」

 ウーリエンが冗談じゃないと言おうとした矢先、それを遮るかのようにゴルシュの盛大な笑い声が彼女の耳をつんざいた。

「いいぞ、いいぞ。俺はそういうことが大好きだ、レックス。ハーデンバー領主が交渉に乗らなければ、魔物ギルドの連中にその怪物の死体を渡そう。充分な金になる」

 急に立ち上がったゴルシュは愉快痛快と言いたげに両手を叩き、声を張り上げる。

 オーク族はめったに笑わない。その感情を公に表すということは、「信頼できる相手」が居るからである。

 この瞬間、ゴルシュにとってレックスという男は信頼に値する人物だということとなった。

「ウーリエン、もしハーデンバー領主からお望み通りの金貨が貰えなかったら、俺の分け前をやる。もちろん、ルルの分もだ」

 ゴルシュの快諾を見て、戸惑うウーリエンの背中を一押しするかのようにレックスは交渉を行う。

「あたしはその話に乗ったよ。このまま手ぶらで、帰るわけにもいかないしね」

 ルルは二つ返事でレックスのクランに入ることを承諾し、彼の下へと戻ってくる。そしてウーリエンは腕組みをして、しばらく唸り声を上げて考えに考えた。

 そしてしばらく経った後、首を縦に振った。

「よし、クラン成立だな」

 満足げな表情を浮かべ、レックスはそれぞれの主義主張も違えば、種族も異なるクランメンバーを眺める。

 オーク族の戦士、エルフ族の放浪者、ドワーフ族の見習い鍛冶師、そして、人間族の冒険者。

 悪くはない、とレックスはぼそりと呟いた。

「それで、まずはサイクロプスを狩らなきゃ話が始まらないわよ」

 ウーリエンは腕組みをしながら、まずは最初の目標であるサイクロプスについて話を切り出す。

「それなら簡単な話だ」

 レックスは鼻を鳴らしながら、歩き出す。彼が向かった先は、彼が戦ったゴブリンたちの死体があるところだった。

 もう動かなくなったゴブリンの死体の中で、レックスは意図的に止めを刺さずにいた一匹のそれ――両足の健を切られ、身動きが取れない――の首根っこを乱暴に掴んだ。

「サイクロプスの隷属であるゴブリンをエサに使う」

 声にならない悲鳴を上げながらじたばたともがくゴブリンの身体を易々と持ち上げたレックスの考えに、他の三人は鼻で笑った。

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