第2話 少年、ネカフェデビューする。

インターネットカフェ。漫画喫茶。一方はインターネットに接続出来る楽園で、もう一方は漫画が読み放題な天国である。もう夢しかない地上のオアシス。しかも共通してジュース飲み放題という大盤振る舞い。まさにヘヴン状態である。


そんな事を、アニメで彼は知っていた。


少年はインターネット漫画カフェ、『@ドリーム』の店構えに圧倒されていた。『昨今の傑作VRMMO!!』そう銘打たれた巨大なポスターには剣を持つ少年と杖を持つ少女が格好良く大見得を切っていた。曇りガラスの向こうに微かに見えるのは本棚の羅列。ポスターの横の立てポップには『漫画七万冊!今月のハンターハンター新刊入荷ッッッ!!』と書かれ、その下には利用料金が詳しく書かれている。横には美味しそうなコーヒーの絵が弾けるようにキラキラ光っている。


「うわぁ…」


どぎまぎしながらも、そんな場所の利用料金をチェックする。



■■■


基本料金30分 300円


以降30分毎に200円


お得なモーニングサービス 朝五時から昼の十時まで 三時間パック1000円


お得なナイトサービス   夜六時から朝の五時までの間 六時間1300円 十二時間1900円


入会金 300円 要身分証明書


■■■



「今が夜の一時過ぎだから…六時間パックかな?いや、ピッチブラック事務所の時間は通常営業みたいだから朝の九時に開くとして、それじゃ少し時間がかかっちゃうかな?ぁ」


彼は気付いた。オフィス街と繁華街の丁度中間に位置するこの場所から、どうやって事務所まで行こうかと。愛車である自転車だって持ってきておらず、移動手段が無い事に。


「六時間パックで七時過ぎになって、そこからここから最寄の電車を乗り継いであそこまで移動するとなると、丁度事務所が開く時間にはなってるかな?…それにしてもなんか頭がずきずきするな…ちょっと本気で休みたいや…十二時間でいっかな?」


やはりどぎまぎしながらも、思い切って飛び込んでみる。


「…」


コンビニの雑誌棚が幾重にも立っているようだった。一冊ずつ全部読んでいったらこの世の叡智を全てを理解出来る気になれるような膨大な数の雑誌。ロリ顔のアニメ調が表紙を飾っているゲーム雑誌もあれば、大人の女性向けのファッション雑誌もある。テレビ欄がページの半数を占める雑誌もあるし、もちろん占い専門の雑誌もある。旅行、ギャンブル、地図、危ないパソコンの知識がこれでもかと積み込まれた危ういハウツー本まで揃っているようだ。さっとロビーから見ただけでもこれだけ窺い知れるカフェ。喜びに下唇を噛み締めながら受付のカウンターへと向かう。


「すいません、あの、初めてなのですけど」


受付の女はあごひげを生やして鼻ピアスをしているおっかなさそうな人だったので、思わず一歩引いた姿勢になってしまう。


「…」


受付の女がちらっと彼の顔を見ておよそ一秒の半分程考えて、やっと口を開いた。


「いらっしゃいませ、当店は会員制となっております。本日身分証をお持ちですか?」


「はい」


「拝見できますか?」


見た目は怖いけど言葉遣いはロックスターのような感じじゃなさそうだと思って胸をなでおろす。


「はい」


彼が身分証のアイディーカードを渡すと店員はカードを受け取りスキャナーに読み込んだ。


「…確認できました」


確認できましたと言われて少しギクリとする。世の中の流れ、運命という宿命の流れから逆行するロック精神を一身に背負って家を飛び出して尚も、身分証が必要なのかと思う。その身分証を使う事に少し抵抗を感じる。このアイディーカードには情報が丸々たっぷりと詰っているのだ。年齢血液型から病気の疾患有無、臓器提供意思の有無、歯科医で発生した歯型の記録まで分かる。当然どこの誰だかが分かる。このある種の条件付けは、彼は、彼自身が勝ち取って手に入れたものではないので後ろめたくなる。生まれたから生きてるから、ただなんとなくあるだけの状態、誰かから分け与えられたものにしか、自分を社会的に決定付ける事が出来ない現状に、少しだけ情けなくなる。


家を飛び出してここまで来たのはいいものの、結局自分はどこの誰だかという決定付けるものは、社会的信用のおけるアイディーカードなのだと。今の自分がどれだけ矮小でちっぽけな存在なのかという認識を改めて確認させられてわずかに嫌になる。


「…はい」


「それでは簡単に店内のご説明をさせて頂きます」


「はい」


「当店では多くのVRMMOの正式認定店舗となっております。お客様はもしかしてそちらをご利用になられにきましたか?」


「いぇ…ぁ。ちょっとだけ興味はありますけど…」


「素晴らしく面白い体験が出来ますよ。是非オススメは~」


彼の凹んだ精神はわずか三十秒で持ち直した。店員さん曰く。剣と盾とか弓とか冒険とか!世界中で遊ばれてる独自言語を組み込んだ未曾有のゲームはとにかく最高らしい。ヤバイくらい楽しいらしい。


「ぉ。おもしろそうですね!」


「ええ。こっちはもう中毒者(ジャンキー)ですよ。こちらのお席ですとマシンがありますので横になって頂ければ直ぐにでもゲームが可能となっております」


「ぅ」


やりたい。滅茶苦茶やりたい。やりたい。やりたいのだけれども。


「今は無茶苦茶疲れてるので、足を伸ばして寝れるような場所だとありがたいです…説明してもらってとっても恐縮なのですが…」


「そうですか。わかりました。えーっと。おタバコはお吸いになられますか?」


何を言われたのだろうと思ったが、未成年だから当然吸わないに決まってるじゃないかと思った矢先、成る程。これはあえてそう言ってくれてるのだなと思った。


「吸わないです」


「では禁煙のフラットシートを。それでは本日の滞在はいかがなさいますでしょうか?」


「ナイトの十二時間パックをお願いします」


「かしこまりました。パック料金の変更は出来ませんが宜しいでしょうか」


「ぇ…っと。多分…大丈夫です」


質問の意味が頭に届かなく、多分大丈夫だとは思っているので、それらしく答えてみる。大分身体が疲労しているのが痛感できるほど体の芯がきしんでくる。


「…詳細や店内のサービスはネットのホームページに記載されてるのでそちらをご覧ください。それでは、こちらをどうぞ…」


おそらく顔に疲労の度合いが出てしまったのだろうと思う。店員に番号が書かれたプレートを貰うと指示された席まで歩く。


「ヤバイ…めっちゃ疲れてる…」


読みたかった漫画が羅列されている本棚が視界に入ってもリアクション出来ないほどの疲労を痛感してしまう。どっかのアニメの主人公は最終話付近になると底無しの体力になるけどなぁなんて思う。


「あ。柔らかそう…」


薄暗い店内はまるで深海のように青みがかり、静まり返った世界だった。そして彼は倒れ込むようにマットに横になるとそのまま崩れ落ちた。


「少し、眠ろう…」


いろいろな出来事を思い起こしてみる。自分で決断して実行したのだと強い実感を感じた。思いのほか、なんとかなっている。捨てる神あらば拾う神有りというやつだろう。それにしてもと、思う。家出した。家出したその実感があまり感じられなかった。感慨に耽ったり誰かを呪ったり不安でびくびくしたりするものなのだろうと思った。不思議と今の自分にはそれが無い事を発見した。今はただ、頭の中は澄み切った青空のようにどこまでもクリアで、鈍い神経の疲労がずきずきと痛み、気分は悪くなく、むしろ快活であり、心地良かった。ずっしりと肉体の重みを感じながら、そのまま目を瞑ってみる。彼はあまりの肉体的疲労で、憂鬱になる暇が無かった。本当はいろいろ考えたかったが、それを彼の体が許さなかった。そのまま眠りに落ちていった。


「…」


目を開けて起きる。一瞬ここがどこなのか分からなかった。次の間にはようやく理解する。喉がからからになっているのを覚えた。空気が乾燥しきっていた。


「パソコンをつけて…っと」


パソコンの右下には時刻が表示されていた。既に時間は七時間が経過していた。


「結構熟睡しちゃったな」


そんな事を考える。眠れない夜を過ごすのだろうな。なんて事を家出した当初は思っていた。思っていたが実際のところは大分違っていたので少し自嘲気味な笑みを浮かべてしまう。そして自分自身の神経の太さも理解した。起き上がって席周りの設備を確認してみる。キーボードとマウスがデスクにあり、パソコン本体、ティッシュが上に設置されている。普段使用している自室のパソコンまわりと似ていた。喉の渇きを思い出し立ち上がって薄い板で囲まれたブース席を出る。昨日の通り道で確かあったであろうドリンクバーへと向かう。ここは朝でも深海のような青が続いているのだなと彼は思った。それが不思議と落ち着いて、心地良い。


「うわぁ」


コーラ、メロンソーダ、オレンジジュース、パワーエネジー系の炭酸ドリンクといった定番はもちろん、豆から挽いて一杯ずつ作るドリップコーヒーの機械、アイスクリーム、様々なインスタントティーパックが完備されていた。


「…」


目移りしてしまう。こんなに色とりどりのジュースサーバーが設置されてるなんて、なんて豪華絢爛なのだろうと思う。これが、飲み放題。料金の中にサービス料として組み込まれているのだ。素晴らしい。大盤振る舞いもいいところである。むしろ全種類試し飲みをして制覇をしなければ折角設置してくれたドリンクバーに失礼というものにあたるのではないだろうかと彼は考えた。コーラ。やはり労働の後はコーラなのだと思い、ガラス製のグラスを手に取りドリンクサーバーにグラスを置いてコーラのボタンを押してみる。


「ふふ」


透き通った黒の原液に炭酸水が別々に出て、それらが交わりシュワシュワの炭酸の効いたコーラになってゆく。美味しそうだ。炭酸から発生する小さい発泡がきらきらと輝いてる。一気に飲み干す。


「くゥ~~~~ッッ」


美味い。体に染み渡るような美味さ。心地良いしゅわしゅわが乾いた喉をうるおしてくれる。喉と心が弾けるような感覚に、テンションが一気に上がる。


「犯罪的な美味しさだよ…ッッ」


そしてメロンソーダと少々のコーラとアイスクリームを少しのっけたメロンクリームソーダを作成してみる。これがなんとも旨い。


「くフぅ」


そして次の瞬間には自分が無茶苦茶腹が減っている事に気付いた。ドリンクバーの横の壁には料理メニューも書かれている。うどんからラーメンは勿論、焼き鳥丼、牛丼、カレー、ハンバーグ、なんでも揃っていることに驚く。既にファミレスの領域に突入しているのではないかと思ってしまう。ファミリーレストランにはあまり行ったことは無いが、あるとすればまさしくこんなレトルトものがメニュー表ずらりと並んでいることだろうと思う。


「旨そう」


次に考える事は、どうしようか?といった疑念ではなく、どれにしようか?という既に購入前提での思考が始まる。彼の財布には前代未聞の未曾有のお金がたんまりと入っているのだ。なんたって四万円である。こんな大金を現金で手にする日が来ようとは思わぬ事であった。


「炭水化物が食べたいナァ」


メニュー表にはこれまた旨そうな写真が並んでいる。


「焼き鳥丼、良いナァ」


口の中に唾が沸き出る。写真の見栄えが良く、まこと美味しそうな料理という価値を彼に写真から示していた。むしろ自分から進んで食べてくれと訴えかけているではないかと彼は思う。故に彼の購入意思は焼き鳥丼にて決定したのだ。


「うんぅん」


そしてコーヒーの機械にマグカップを置く。スイッチが何種類かある。オリジナルブレンドコーヒーにエスプレッソ、カフェ・ラテ、エスプレッソまでついてる。


「最近のはほんと凄いナァ」


無難にカフェ・ラテのボタンを押す。豆を砕く機械音がした直後に豆が砕かれる独特の心地良い音が響く。そしてコーヒーとミルクが注がれる。見た感じは良い感じの香りと色合いだ。ちょっとだけ口をつけて飲んでみる。旨い。凄く旨いというワケではなかったのだけれども、これは及第点であろう味をお手軽に飲める事に彼は感銘を受けた。


「うはぁ」


自作したメロンクリームソーダとカフェ・ラテを持って自分のブース席に戻ろうとすると、ミネラルウォーターサーバーが設置してあるのに気付いた。コーラを飲んだ直後にごくごく飲みたかったと思いながらも、絶対飲んでやろうと強い決意をして後にする。自分のブース席に移動をすると、@ドリームのホームページ画面から料理注文を行う。当然焼き鳥丼だ。ほかほかの醤油タレがいっぱいかかった旨そうな焼き鳥丼がやってくるのであろうと考えるとワクワクしてしまう。


「お金は四万円と少し、大金有るわけだし、やっぱりご飯は大事でちゃんと食べておかないといけないよね」


節制、節約の大切さも理解しても尚、やはり人間。欲望が大切であり、英気も必要で、滋養への十分な理解が彼にはあった。そして財布の中身を確認しながら、改めて紙幣制度の重大さを思い知らされた。お金があれば、こんな旨いものが喰えるのか。お金があれば、こんなこともできるのかと。


「九時かぁ…」


昨日までの生活を少し考えてしまう。しみったれた感情を振り払うようにしてホームページ画面から焼き鳥丼とフランクフルトとチャーシューメン大盛りをオーダーする。やってしまった後に自分がどれだけの事をやってしまったのかに気付いて少しドキドキしてしまう。焼き鳥丼とフランクフルトとチャーシューメンそれも大盛りだ。自分が今食べたいものを腹いっぱいに食べれるような事がこれまであっただろうか?それも自分が労働して得た正当なる貨幣で。過去無かった実績を証明すべく、彼は三つも頼むというある種の暴挙を承諾する。『だってそうじゃないか、美味しそうだったんだもん』とか『おっ旨そう』だから購入したわけではない。これは、この事はある種の儀式なのだと彼は思った。自分の行った行動に伴う結果に対する確認をやってのけているのだと思う。過去に無かった、やりたかった事をやっているのだと彼は思う。やりたい事をやってみたいと思って実行できる事が果たしてこの世の中に何個あるだろうか?それはその事への確認作業でもあるのだ。悩んだりして渋々やるか楽しく嬉々としてやってのけるのか違いである。この世界の真理を確認するための儀式である。男ならば、当然やっておかなければいけないだろう。この広い世界に解き放たれた少年は、その翼を広げる権利と義務があったのだ。


「ご注文の品をお持ちしました」


ブースの席からノックされて、匂い立つ料理三品が彼の元に届けられた。焼き鳥丼(ちょっと見た目とは違うし焼き鳥が少量ではないか?)フランクフルト(見た目通りポップス通りの旨そうなぷりぷり感も出ている)チャーシューメン大盛り(見た目通りの旨そうな豚骨ラーメンにこれでもかとチャーシューが乗っている特別バージョン)である。少々がっかりしたのは焼き鳥丼だけで、他は良い感じに及第点だった。


「…ゴク」


生唾を飲む。


「いっただきます~」


焼き鳥丼、旨い。やはり旨い。旨いが故に腹立たしい。焼き鳥の肉の量が少ないしタレの量もやっぱり少ない、ご飯が余っちゃうじゃないか!そんなことを思いながら食べる。食べる。旨い。やっぱり美味い。フランクフルトと一緒に食べる。フランクフルトにはマスタードとケチャップをかけて食べる。美味い。極上だ。良い感じの脂と炭水化物のコンボが決まっている。なんて人生は最高なのだろうか。なんて人々はこんな発明をやってのけてしまうのか。なんて自分は幸福なんだろうかと。そんな事を考えながらも次にチャーシューメンへと移行する。先ずはスープ。出来合いのレトルトスープにしろ、元が良いだけに美味い。本格的な豚骨ラーメンのスープである。彼はラーメンには少しうるさいのだ。長浜ラーメンの豚骨スープは自分には肌に合わなかったと自覚してる分、この博多豚骨スープはグッドジョブであった。麺も細い豚骨スープによくよく絡む麺であり良い感じだ。チャーシュー。チャーシュー、焼き豚である。このチャーシューメンは特別に一際美味そうな写真が載っていたのである。なにやら良い感じの地方で取れたらしい豚のようだ。それが見た分で七枚たっぷりとつまってる。食べてみるとチャーシューだった。美味いとかそういうのではなく、やっぱりチャーシューであったのが心残りだった。あくまでチャーシューはチャーシュー、主張しない感じの焼き豚である。麺とスープと一緒に食べるとやっぱりチャーシューメンの味がしてやはり美味い。これこそがチャーシューメンなのだと彼は思う。みんな違ってみんな良い。ハーモニーが大切なのだと彼は思っているのだ。


「フはァ…」


食べた。思いっきり平らげてしまった。至福である。桃源郷があるとしたら、今の現状を指し示すのではないかと彼は思った。刹那的快楽の極上が今だった。牛になる事も覚悟して横になって目を閉じる。今の幸せを噛み締める。


「えっと今は…」


七分ほどこの極楽を噛み締めた後に時間を確認する。十二時間パックなのだから今が九時半で、と確認する。残りは三時間弱の計算となり、それまではまだ休む事ができるように思えた。


「事務所に行ってそれから…」


幸せ過ぎて頭が回らない。やる事は決まってるのだから考えるだけ無駄な気もするが、一応のところを確認してみる。事務所へ行ってあれこれを聞いたり事務的な手続きを行い、寮にも入居可能なら即入れても貰って、仕事が出来るならやっておきたい。今は体験したい、体感したい、この世界の実情を理解したいと彼は今、望んでいた。


「…がんばんないとな」


そしてミネラルウォーターサーバーへと向かい、グラスに注ぐ。美味い。喉の奥へとごくごく飲み干せるようなクリアな感じがする。これだけでお腹が膨れそうなほどだ。体に染み込む美味さ。


「も、もう一杯」


ゴキュゴキュ喉を鳴らしてしまう。


「ァ~っ」


「…」


「あっ…すみません…」


彼はふと隣で並んでいる人に気付いた。同い年ぐらいの若さである女の子だった。似た者同士かも?なんて事を考えながらも身を引いて自分のブース席まで移動する。今日は平日であり、おそらく通常のいわゆるマトモな一般人は学校に行ったり、お勤めに励んでいたりするものであると彼は考える。それに彼女の服装は薄手のシャツに短パン一枚、その姿に一瞬ぎょっとしてしまった。あまり見ない類の井出たちに、似た匂いを感じ取ってついつい、自分ひとりじゃないので嬉しくなる。


「深海でも、案外一人じゃないんだよな…」


そんな事を呟いてしまう。最も、未成年とはいっても17歳。高校に進学していなければ十分に働ける年齢でもあるし、一人で考え行動出来る年だ。彼女もそうなのかなぁ。なんて思う。薄い板で仕切られたブース席には、同じ屋根の下でそれぞれがプレイベートを過ごす空間になっている。確かにここは、公共の場所である。しかし、これ以上無いというほど人と人との隔たりを彼は感じた。


「…そろそろいこか」


時間はもうそろそろ出ても良い頃合にまでなっていた。気になっていた雑誌を読んでいたら、時間が過ぎるのがなんと早いことなのか。ブースを区切る板には『飲み物のグラス等はお手数ですが返却口までお返しください』と書かれていた。それに習ってグラスとコップを返却口までもっていく。


「…」


返却口横のドリンクバーでカップ麺にお湯を注いでいる女の子が居た。あまり見ないように彼は勤めて素通りした。素通りしたのはいいものの、一寸だけ後ろを見てちらっとばかり僅かに見た。


「…」


かわいらしい女の子だった。彼にとって女の子といえば違う種族の生物であり、彼岸の彼方の存在でもあり、怪談囃に出てくるおっかない怪物の類でもあった。知っている事と彼自身が思っていることといえば、漫画やゲームやアニメで出てくる女の子だけであり、ちょっとマシな現実的な女の子はといえば、より立体的な意味で映画やドラマや舞台の中だけの登場人物であった。彼にとってはそれだけで十分に良かった。良かったのだけれども。先の見た光景がなんだか忘れられない衝撃に満ちた光景のように、彼には思えた。今ここにある現実で、こんな場所で、自分と同じようなことをやっているなんて、これこそ浮世離れだと思えた。女の子といえば、もっと喧騒の度合いが濃い繁華街で収入の有って若い男を漁って食い物にしてるような生物であるべきだと彼は心の底の底で思っていたからだ。ここは、深海。海の底。底の底なのだ。ブース席に戻って少し横になる。さっきの女の子、彼女は一体どうしてここに居るのだろうと思えてくる。どうしてここに居るのか。そしてどこへ向かっているのか。それは彼自身にも同じ事が言えたが、それが自分自身とは似ても似つかない普段あまり使用されない『カワイイ女の子センサー』に反応してるような容姿を持つからなのだろう。男なら誰でも皆須らく持っている感覚器官である。思えば昨日もそうであった。連日そんなセンサーが反応したのは彼にとって生涯初の事でもあった。彼にとっての『カワイイ女の子センサー』はというと、おててを繋げる関係になったらもう、路上の駅前で自分の彼女がどれだけ素晴らしいのかを一週間朝六時から三十分演説してもかまないような容姿を持つ人物にのみ反応するセンサーである。少なくとも彼はそう思っているセンサーでもある。そのセンサーが公言を果たした事は皆無なので信憑性は薄いが、それでもと。彼は思う。今この場に居る海の底には、何か。何か歪なものがあるように思えた。少なくとも、あんな格好でうろうろこんな場所をこの時間うろうろされては、彼自身の世界観が崩壊に繋がる恐れが出るほどだった。


「はぁ」


珍しく溜息をついてしまう。なんとも言えない気持ちになってしまう。ソレは、明日の自分の姿にも成り得る光景だったのだ。


「…進もう」


今彼は進むしかない道を歩いていた。立ち止まる事など、許されないように感じたのだ。



次話 少年、入寮する。



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日雇い使い魔の派遣日誌 歩手地大数寄 @chokolate

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