芥川龍之介氏

白川嘘一郎

芥川龍之介氏

 (一)


 私の作品を読んだ人ならもしかしたらわかってくれるかもしれないが、私は物語の中にもロジックを求める人間なので、芥川龍之介が大好きである。


 芥川の書いた『谷崎潤一郎氏』という短文の随筆の中に、『谷崎氏は僕のやうにロヂックを尊敬しない詩人だから、』という文がある(一応言っておくとこれは友人である谷崎を茶化した言葉であるが)。

 初めてこれを読んだとき、「やはり芥川はロジックを重んじる作家だったのだ」と思ったものだ。


 (二)


 芥川と谷崎と言えば、かの有名な文学論争がある。

 谷崎が『饒舌録』という雑誌連載の中で、「自分は作為や技巧に富んだ小説を好む」というようなことを述べたのに対し、芥川は「話らしい話(筋)のない小説こそが良い」と反論したというもの。


 ここだけを抜き出すと誤解されそうだが、芥川龍之介とはまさにその作為と技巧こそを最も得意とする作家である。

 特にその初期の作品は、古典を下敷きとしつつも、独特の着眼点と深い人間洞察、そして巧みな構成とレトリックによって、芥川の小説としか呼べないようなものとなっている。


 例えば、『老いたる素戔嗚尊』という一篇がある。

 日本神話の中の、スサノオの娘スセリビメを妻にせんとする大国主に、スサノオが難題を吹っかけるというエピソードを元に、老いたスサノオの若き英雄に対する嫉妬が、やがて彼らに未来を託すに至るまでの心情がドラマチックに描かれている。

「筋のない小説」とはかけ離れたものだ。


 (三)


「話らしい話のない小説がいい」

 これは決して、プロットの構成やレトリックの技巧というものの価値を否定する言葉ではない。

 芥川にとってそれは、「当たり前にできること」でしかなかったのである。


 芥川は、「技巧も何も介さず、魂の奥底から自然と湧き上がってくるようなものこそが、真に純粋な創作だ」と感じており、小手先の技巧に頼ることでしか評価を得られない(と自分では思っていた)自身にコンプレックスを抱いていたのだろう。


 私が最も文体が美しいと思うのは初期の森鴎外であるが、やはり後年「筋のある小説」を離れた欧外の詩作についても、芥川はこう書き残している。


『如何に先生が日本語の響を知つてゐたかが窺はれるであらう。』しかし、

『先生の短歌や発句は巧は即ち巧であるものの、不思議にも僕等に迫つて来ない。』と。


 文章の技巧とは関係なく、読者の胸に迫ってくるようなもの――それが、芥川が理想とした芸術の境地であった。


 (四)


 一方の谷崎は、そんな芥川に対してこう反論した。


『筋の面白さは、云い換えれば物の組み立て方、構造の面白さ、建築的の美しさである。此れに藝術的価値がないとは云えない。』


 ただ、谷崎はかの『陰影礼賛』の中で、陰影をそのまま受け入れ、その中に美を見出す日本家屋の「無作為の美」とでもいうべきものを是と語っている。

 他の作品を読んでみても、どうもこの言葉も谷崎の作風からしてみれば腑に落ちない面もあるように思う。


 つまるところ谷崎のこれら一連の主張は、自分の賛辞を決して素直には受け取らないであろう偏屈な友人が日頃こぼしていた悩みに対する、「君の創作姿勢は間違ってはいないよ」という、遠回しな励ましだったのではないだろうか。


 もともと芥川と谷崎は共に連れ立って出かけるほどの親交のある間柄である。

 谷崎が単に「個人的な小説の好み」として書いた文に対して、芥川がわざわざ反応し、誌上で名指しで反論するという、あまり芥川らしくないように思える振る舞いも、その裏の両者の私的なやりとりを踏まえていたとすれば納得がいく。


 さて、そのように考えるとあの『論争』は、両者の創作論の衝突などではなく、


「私なんてどうせ可愛くないし、料理も下手だし……」

「そんなことないよ、君はこんなに魅力的だよ」


 という、公の誌上を借りたバカップルの痴話の類だったのではないかと思えてくるが、学会(入ってないけど)から追放されかねないので、論文として発表するのはやめておこう。



 (五)


『改造』1927年2月号に始まり、誌上で一月おきに交わされたこの論争は、1927年6月号の芥川の『続 文芸的な、余りに文芸的な』をもって唐突に幕を下ろす。


 1927年7月4日。谷崎の誕生日であるその日に、芥川龍之介は自ら命を絶った。



 芥川龍之介という作家は、あれほどの天才的技巧を持ちながら、物書き以外の人生を選べないほどそれに傾倒していながら、ついに最期まで、自分が心底書きたいと思えるようなテーマに巡り合うことが出来なかったのだ、と思う。


 後年の作品になればなるほど、芥川の文章からは、世界や人間に対する興味が失せ、熱が冷めていくように感じる。

 そして、そんな中で、鈍色の日常の中で一瞬だけ垣間見える光に必死にすがりつくように意味を見出そうとしているところも。


 芥川が死を前にして遺した『将来に対する唯ぼんやりとした不安』という言葉。

――あの表現技巧と警句の天才が、「表現する」ということを全て投げ出したかのような、このおよそ飾り気のない言葉から、自分はあまりにも深い絶望を感じてしまう。


 (六)


 翌月の『饒舌録』の中で谷崎は、芥川の死について触れ、その最後をこう結んだ。


『それにつけても、故人の死に方は矢張筋のない小説であった。』


 非常に冷淡な言葉にも見えるが、「矢張」である。

「筋のない小説が良い」と言った芥川と、それを否定した谷崎と、二人の主張を文面どおりに追えば、ここで「矢張」と繋げるのはおかしいではないか。


『それにつけても、故人の死に方は矢張筋のない小説であった。』


――「それでも君の人生は、君が求めてやまなかった純粋な創作者そのものだったよ」


 谷崎は、芥川にかわってその最期を飾ったのではないかと思う。

 その偏狭な友にだけ伝わるような、彼が好んだ皮肉なレトリックで。


(了)

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