雪と庄助と小さな婆さま
ペイザンヌ
短編
この冬はじめての雪が降ったのは年も明けて一月半ばのことでした。
眠りにつく前にはさらさらと雨が降っているだけだったのに朝起きてみると屋根の上や庭一面に真っ白な雪がもっさりと積もっていたので
「あはは…… は…… ひーひー、ふ…… ふぇ……」
ふぇっくしゅん!
それと同時に「ひゃあ!」とどこからか甲高い声が聞こえました。
「助けてぇ、助けてぇ!」と、まるでカセットテープを早送りしたようなその声はどうやら地面に落ちた雪のかたまりの中から聞こえてくるようです。
「はぁ、助かったぁ…… ありがとねぇ、坊や」
お婆さんはしわくちゃの顔をもっともっと、梅干しみたいにしわくちゃにしてにっこりと微笑みました。
「お礼に何かしてあげたいんだけど、見ての通り私はこんなに小さいし、かといって魔法とか使えるわけでもないし、あらやだ、どうしましょ、私ったら。弱ったわねえ……」
小さな小さなお婆さんは
「坊や、お名前は?」
「しょ、
「あらそう。ねえ、
ユースケは少し首を傾げ、考えました。
「雪だるま!」
「雪だるま? 雪だるまが作りたいの?」
「うん!」
「あらぁ! それだったら私でもお力添えができるかもしれないわねぇ、うふふ…… エフ…… ぐ、ぐえ……ねえ、ショウズゲぐん。ごほっ、そ……そろぞろワタジを地面に下ろじてもらってもよいがぢらぁねぇ?」
「あはははは」
「おっほっほっほほ」
お婆さんは雪の中からひょっこり首を出すと
「そしたら
「うん、これを土台にするのよ。最終的にこの上に乗っけるようにすればバランスも取れるし、雪がやんだ後もしばらくもつわ」
「ふぅん」
「さあ、土台ができたらいよいよ雪だるまを作り始めるとしましょう。
「しっかりったってよくわかんないよ、やってみせて」
「しょうがないわねぇ、私の手で握っても鹿のフンにも満たないのに……」
お婆さんは小さな雪玉をおむすびでも作るように手のひらでギュッギュッと握るとコロコロと雪の上を転がし始めました。ようやく自分の体くらいの雪玉ができあがりましたが、それでもまだ
「ほら、これくらい固くなれば大丈夫だと思うわ。これを雪の上で転がしてもっともっと雪玉を大きくするのよ」
「え~、よくわかんないよ。もう少しやってみせてよ」
「もう…… しょうがないわねぇ、私の力じゃどこまで大きくできるかわかんないけど…… よっこらしょ! よっこらしょ!」
お婆さんは全身全霊で雪玉をさらにゴロゴロと転がしていきます。
「いい? こうやって真っすぐに転がしたり斜めに転がしたりしていくのがコツよ。ふう、ふう、暑い…… ふう、冷たい。ああ暑い。ふう、ふう、冷たい。ふう、重いわね」
初めはあんなに小さかったはずの雪球がどんどん、どんどん大きくなっていきます。
雪玉はやがてお婆さんの二倍、四倍となり、とうとう小さなお婆さんの力では支えきれなくなってしまいました。
「ふぅ…… ふぅ。もう私の力だけでは駄目みたいだわ。
「もうちょっとだけやってみせてよ、僕、やったことないしさ、よくわかんないよ」
「だって、もう無理よぅ! ……はあ、仕方ないないわね。もう少しだけよ。あいたた、腰が……」
雪玉はさらにお婆さんの体の六倍、八倍……もっともっと、大きくなっていきます。
「だ、駄目だわ…… 本当にもう腰が……」
「えーっ! こんなんじゃまだ雪だるまの頭の部分より小さいじゃないか」
「じゃ、じゃあ、こうしましょ。私はもうひとつ雪玉を使って頭の部分を作るから
「ちぇっ、わかったよ……」
お婆さんの体よりもっと大きく、お婆さんよりもっともっと体力のあり余っている
お婆さんといえば別にもうひとつ小さな雪玉をコロコロ転がして作ると、再びギュッギュッと全身を使って固めました。さっきの工程の繰返しです。お婆さんは今度は頭の部分を作るのです。
けれどさすがにお婆さんの顔には疲労が見え隠れしていました。
「何やってんだよぉ! 早く作れよ。いつまでたっても完成しないじゃないか!」
「お、おっほっほ…… はいはい……」
お婆さんは雪の冷たさで真っ赤になった両手にはぁ~っと息を吹きかけると寒そうに擦り会わせました。
手持ち無沙汰になった
それを見てお婆さんのお腹がくうっとなります。
「何、ぐずぐずしてんだよ。早く作れよ。くそばばぁ!」
お婆さんはちょっと怯えた表情をしましたが、また笑顔をにこにこと見せて雪玉を転がし始めました。
「そうね、はいはい、ごめんなさい。もう少しだから
そう微笑むとお婆さんはぶるっと震えました。ゴホゴホと咳をして、最後にくしゅんとくしゃみが出ました。
「おほほ、私ったら。ああ、今日はほんとに冷えるわねぇ、ごほごほ」
「さ、さあ、あとはこの二つを合体させるだけよ……仕上げに野菜とかで顔を作って」
「野菜?」
「そうね、本当は炭があればいいんだけどねぇ、人参とか、きゅうりとか、あと松ぼっくりなんかで顔を作るといいと思うわ。バケツやマフラーとかあれば尚更……」
「取ってきて」
「へ?!」
「台所にあると思うから取ってきて」
「…… あ、あたしが?」
「だって、他に誰もいないじゃん」
「しょ、しょうがないわね、だったらその間に頭と体の部分を結合させといてよ。首の部分をしっかり叩いてね。あとあとポロって取れちゃわないようにね」
お婆さんはそのカサカサの乾いた顔に皺を寄せるとハアハアと息を切らせて台所に向かいました。雪の上にお婆さんの足跡がてんてんと付いていきます。
そうしてるうちに体もぽかぽかと暖まってきたので
巨大な白い丸に少しだけ小さい丸が乗っかったオブジェが出来上がりました。それを見て
やがて、お婆さんが人参やらじゃかいもなどを台所からひいひい言いながら運んでくると
「バケツとマフラーは?」
「えっ? …… えっえっ? 無理よう、いっぺんにそんなに持ってこれるわけ……」
「口ごたえするな!」
「きゃあ!」
「あはははは、返してほしかったら早く取ってこい。あと手袋もだぞ!」
お婆さんは裸のまま雪の上に放り投げられました。その衝撃で肩をひねったらしく眉を激しくひそめましたが、かといって雪の冷たさにも耐えきれず、すぐに飛び起きると、よたよたと母屋の方に向かいました。雪はさっきよりも深さを増してきています。お婆さんは素足のままそれを掻き分け歩き出しました。
しばらくすると、お婆さんが裸のままよろよろと戻ってきました。お婆さんにしてみれば車の雨避けカバーよりも遥かに巨大なマフラー、そして手袋を背中に担いでいます。
仕上げに雪だるまの首にマフラーをかけようとしましたが今度は“割烹着のネクタイ”が邪魔です。
「…… バ、バケツはこれからすぐ持ってきますからね。とりあえず私の服を返してちょうだい、
お婆さんは体をしっかり両腕で抱え、ぶるぶると震えながら、それでもまだにこにこと微笑んでいます。
「駄目だ。バケツと交換だ」
「はい…… はい」
お婆さんは弱々しく答えますが、あまりの寒さのためか涙がポロポロポロポロ溢こぼれています。
やがて、お婆さんは裸のまま、そして裸足のまま、戻ってきました。体は今にも凍傷になりそうなほど赤紫に変色しかけています。お婆さんにとってバケツといえば運動場の地ならしのローラーよりも大きく、そして重いものです。それをずるずる、ずるずると、ゆっくりと引きずってきます。
「…… はい、
お婆さんは蚊の鳴くような声でそう呟くと雪の上にそのままばたりと倒れ込みました。
お婆さんは最後に何か呟いているようでしたが、やがてピクリとも動かなくなってしまいました。
その声が届いたのか届かなかったのかはわかりませんが、
横たわったお婆さんの体の上に真っ白な雪がしんしんと降り積もっていきます。
そんなお婆さんをちらりと横目で見ると、
「
お母さんの大きな声が庭まで響いてきます。
「はーい」
そのお母さんの姿を後ろから見ていて
「ねえ、お母さん、何か僕にできることある? ……………… 何か、手伝おうか?」
そう言って
雪と庄助と小さな婆さま ペイザンヌ @peizannu
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