雪と庄助と小さな婆さま

ペイザンヌ

短編


 この冬はじめての雪が降ったのは年も明けて一月半ばのことでした。


 眠りにつく前にはさらさらと雨が降っているだけだったのに朝起きてみると屋根の上や庭一面に真っ白な雪がもっさりと積もっていたので庄助しょうすけはびっくりです。


 庄助しょうすけは今年の春から小学校二年生。本当だったら「いやっほ~い」と縁側から庭に飛び降りたいところですが、先日捻ひねったばかりの足首に包帯を巻いていたのでそろりそろりと降りることにしました。裸足のまんまだったので「うひゃあ! ちべたいちべたい」とあわてて突っ掛けを履き、またあははと笑いました。


「あはは…… は…… ひーひー、ふ…… ふぇ……」


 ふぇっくしゅん! 


 庄助しょうすけの大きなくしゃみに驚いたわけではないでしょうが木の枝からひとかたまりの雪がどさりと落ちます。


 それと同時に「ひゃあ!」とどこからか甲高い声が聞こえました。


「助けてぇ、助けてぇ!」と、まるでカセットテープを早送りしたようなその声はどうやら地面に落ちた雪のかたまりの中から聞こえてくるようです。


 庄助しょうすけが近づいてその辺りの雪をひとかきふたかきするとそこには小さな小さな、植木鉢よりもっと小さなお婆さんが細い手足をばたばたさせていました。


 庄助しょうすけは小さなお婆さんが着ている割烹着の襟首をひょいとつまみあげると自分の目の前にぶら下げました。


「はぁ、助かったぁ…… ありがとねぇ、坊や」


お婆さんはしわくちゃの顔をもっともっと、梅干しみたいにしわくちゃにしてにっこりと微笑みました。


「お礼に何かしてあげたいんだけど、見ての通り私はこんなに小さいし、かといって魔法とか使えるわけでもないし、あらやだ、どうしましょ、私ったら。弱ったわねえ……」


 小さな小さなお婆さんは庄助しょうすけの指の先でマスコットのようにブラブラと揺れています。


「坊や、お名前は?」


「しょ、庄助しょうすけ……」


「あらそう。ねえ、庄助しょうすけくん、何か私にできることある? 何でも手伝うわよ」


 ユースケは少し首を傾げ、考えました。


「雪だるま!」


「雪だるま? 雪だるまが作りたいの?」


「うん!」


「あらぁ! それだったら私でもお力添えができるかもしれないわねぇ、うふふ…… エフ…… ぐ、ぐえ……ねえ、ショウズゲぐん。ごほっ、そ……そろぞろワタジを地面に下ろじてもらってもよいがぢらぁねぇ?」


 庄助しょうすけは慌てて掴んでいた指を離します。お婆さんはまた雪の上にモコッと落ちてしまいました。


「あはははは」


「おっほっほっほほ」 


 お婆さんは雪の中からひょっこり首を出すと庄助しょうすけと一緒になって笑い出しました。


「そしたら庄助しょうすけくん、そこの平たい場所に板を敷いてちょうだい。そうねぇベニヤよりもうちょっと厚い板がいいんだけど」


 庄助しょうすけは納屋から丁度いいくらいの板を抱えてきてそれをお婆さんの言う通り平らな場所に敷きました。庄助しょうすけにとっても自分の体ほどの比較的大きな板でしたがお婆さんにとっては電車、いや、宇宙船以上の大きさです。


「うん、これを土台にするのよ。最終的にこの上に乗っけるようにすればバランスも取れるし、雪がやんだ後もしばらくもつわ」


「ふぅん」


「さあ、土台ができたらいよいよ雪だるまを作り始めるとしましょう。庄助しょうすけくん。雪をひとつかみしてギュッと握るのよ。この最初のひとかたまりが大切なのよ。しっかり握って」


「しっかりったってよくわかんないよ、やってみせて」


「しょうがないわねぇ、私の手で握っても鹿のフンにも満たないのに……」


 お婆さんは小さな雪玉をおむすびでも作るように手のひらでギュッギュッと握るとコロコロと雪の上を転がし始めました。ようやく自分の体くらいの雪玉ができあがりましたが、それでもまだ庄助しょうすけの拳くらいの大きさです。お婆さんはそれをさらに全身を使ってぎゅうぎゅうと圧縮していきます。


「ほら、これくらい固くなれば大丈夫だと思うわ。これを雪の上で転がしてもっともっと雪玉を大きくするのよ」


「え~、よくわかんないよ。もう少しやってみせてよ」


「もう…… しょうがないわねぇ、私の力じゃどこまで大きくできるかわかんないけど…… よっこらしょ! よっこらしょ!」


 お婆さんは全身全霊で雪玉をさらにゴロゴロと転がしていきます。


「いい? こうやって真っすぐに転がしたり斜めに転がしたりしていくのがコツよ。ふう、ふう、暑い…… ふう、冷たい。ああ暑い。ふう、ふう、冷たい。ふう、重いわね」



 初めはあんなに小さかったはずの雪球がどんどん、どんどん大きくなっていきます。


 

 雪玉はやがてお婆さんの二倍、四倍となり、とうとう小さなお婆さんの力では支えきれなくなってしまいました。


「ふぅ…… ふぅ。もう私の力だけでは駄目みたいだわ。庄助しょうすけくん、ちょっと手伝ってもらえないかしら」


「もうちょっとだけやってみせてよ、僕、やったことないしさ、よくわかんないよ」


「だって、もう無理よぅ! ……はあ、仕方ないないわね。もう少しだけよ。あいたた、腰が……」


 雪玉はさらにお婆さんの体の六倍、八倍……もっともっと、大きくなっていきます。


「だ、駄目だわ…… 本当にもう腰が……」


「えーっ! こんなんじゃまだ雪だるまの頭の部分より小さいじゃないか」


 庄助しょうすけが膨れっ面をするとお婆さんは悲しそうな顔をして首を垂れました。


「じゃ、じゃあ、こうしましょ。私はもうひとつ雪玉を使って頭の部分を作るから庄助しょうすけくんはこの続きを引き継いで雪だるまの体の部分を作ってくれないかしら。私じゃ、これ以上の大きさにするのは本当に無理なの」


「ちぇっ、わかったよ……」


 庄助しょうすけはお婆さんがそこまで作った雪玉を受け取ってゴロゴロと雪の上を転がします。



 お婆さんの体よりもっと大きく、お婆さんよりもっともっと体力のあり余っている庄助しょうすけ、その彼が作る雪玉はお婆さんの体の十倍、十五倍、二十倍、もっともっと大きくなっていきます。


 お婆さんといえば別にもうひとつ小さな雪玉をコロコロ転がして作ると、再びギュッギュッと全身を使って固めました。さっきの工程の繰返しです。お婆さんは今度は頭の部分を作るのです。


 けれどさすがにお婆さんの顔には疲労が見え隠れしていました。


「何やってんだよぉ! 早く作れよ。いつまでたっても完成しないじゃないか!」


「お、おっほっほ…… はいはい……」


 お婆さんは雪の冷たさで真っ赤になった両手にはぁ~っと息を吹きかけると寒そうに擦り会わせました。


 手持ち無沙汰になった庄助しょうすけは縁側から居間に入ると炬燵の上に乗っているおまんじゅうをひとつ掴み、美味しそうに頬張りました。


 それを見てお婆さんのお腹がくうっとなります。


「何、ぐずぐずしてんだよ。早く作れよ。くそばばぁ!」


 お婆さんはちょっと怯えた表情をしましたが、また笑顔をにこにこと見せて雪玉を転がし始めました。


「そうね、はいはい、ごめんなさい。もう少しだから庄助しょうすけくんはゆっくりおまんじゅう食べててちょうだいね。あと風邪ひいちゃうからね、何か羽織った方がいいわよ」


 そう微笑むとお婆さんはぶるっと震えました。ゴホゴホと咳をして、最後にくしゅんとくしゃみが出ました。


「おほほ、私ったら。ああ、今日はほんとに冷えるわねぇ、ごほごほ」


 庄助しょうすけが作る大きな胴体の部分とお婆さんが作る小さな頭の部分が完成した時、お婆さんはもうヘトヘトのクタクタになっていました。腰を持ち上げると立ち眩みがして足がよろりともたつきます。


「さ、さあ、あとはこの二つを合体させるだけよ……仕上げに野菜とかで顔を作って」


「野菜?」


「そうね、本当は炭があればいいんだけどねぇ、人参とか、きゅうりとか、あと松ぼっくりなんかで顔を作るといいと思うわ。バケツやマフラーとかあれば尚更……」


「取ってきて」


「へ?!」


「台所にあると思うから取ってきて」


 庄助しょうすけは炬燵に足を突っ込み、炬燵布団を腰までかけると静かにそう言いました。


「…… あ、あたしが?」


「だって、他に誰もいないじゃん」


 庄助しょうすけは目を細め、少年特有のつやつやの肌でにっこりと笑いました。


「しょ、しょうがないわね、だったらその間に頭と体の部分を結合させといてよ。首の部分をしっかり叩いてね。あとあとポロって取れちゃわないようにね」


 お婆さんはそのカサカサの乾いた顔に皺を寄せるとハアハアと息を切らせて台所に向かいました。雪の上にお婆さんの足跡がてんてんと付いていきます。


 庄助しょうすけが炬燵の中で足をポリポリ掻いてると先日怪我した膝小僧の瘡蓋かさぶたが捲めくれて少し血が滲んでしまいました。庄助しょうすけはティッシュでそれを拭き、指で唾をつけます。


 そうしてるうちに体もぽかぽかと暖まってきたので庄助しょうすけは再び庭へと降りました。庄助しょうすけは雪だるまの頭となる部分を持ち上げると胴体に乗っけました。そしてフンフンと鼻歌を歌いながらお婆さんに言われた通り、首の辺りをスコップでパンパンと叩きます。


 巨大な白い丸に少しだけ小さい丸が乗っかったオブジェが出来上がりました。それを見て庄助しょうすけは満足気な顔をしました。


 やがて、お婆さんが人参やらじゃかいもなどを台所からひいひい言いながら運んでくると庄助しょうすけは「遅いよ、早く!」と少しきつい口調で怒りました。


 庄助しょうすけはお婆さんから乱暴に人参を取り上げると顔の真ん中に突き立て鼻に見立てました。ボタンで目をつくり、ややU字型に曲がったキュウリを口にすると、雪だるまがにっこりと笑ったように見えます。


「バケツとマフラーは?」


 庄助しょうすけはお婆さんをギロリと鋭く睨みつけました。


「えっ? …… えっえっ? 無理よう、いっぺんにそんなに持ってこれるわけ……」


「口ごたえするな!」


 庄助しょうすけはお婆さんをつまみ上げると着ている割烹着を全て剥はぎ取りました。


「きゃあ!」


「あはははは、返してほしかったら早く取ってこい。あと手袋もだぞ!」


 お婆さんは裸のまま雪の上に放り投げられました。その衝撃で肩をひねったらしく眉を激しくひそめましたが、かといって雪の冷たさにも耐えきれず、すぐに飛び起きると、よたよたと母屋の方に向かいました。雪はさっきよりも深さを増してきています。お婆さんは素足のままそれを掻き分け歩き出しました。


 庄助しょうすけはお婆さんからむしり取った割烹着をどうしようかと思いましたが、ネクタイに見立て、雪だるまの首にひっかけることにしました。


 しばらくすると、お婆さんが裸のままよろよろと戻ってきました。お婆さんにしてみれば車の雨避けカバーよりも遥かに巨大なマフラー、そして手袋を背中に担いでいます。


 庄助しょうすけはポキリと木の枝を折ると、雪だるまの両腕にするためにぶすりと胴体部分の左右に突き差しました。お婆さんから手袋をもぎ取るとその枝の先に引っ掻けます。冷たい木枯らしがぴゅうと吹き、手袋をぶらぶらと揺らしました。


 仕上げに雪だるまの首にマフラーをかけようとしましたが今度は“割烹着のネクタイ”が邪魔です。庄助しょうすけはどうしようかと思案しました。


「…… バ、バケツはこれからすぐ持ってきますからね。とりあえず私の服を返してちょうだい、庄助しょうすけくん。ね? 返して……ください」


 お婆さんは体をしっかり両腕で抱え、ぶるぶると震えながら、それでもまだにこにこと微笑んでいます。


「駄目だ。バケツと交換だ」


 庄助しょうすけは屈託のない笑顔で物置小屋の方を指差しました。


「はい…… はい」


 お婆さんは弱々しく答えますが、あまりの寒さのためか涙がポロポロポロポロ溢こぼれています。


 やがて、お婆さんは裸のまま、そして裸足のまま、戻ってきました。体は今にも凍傷になりそうなほど赤紫に変色しかけています。お婆さんにとってバケツといえば運動場の地ならしのローラーよりも大きく、そして重いものです。それをずるずる、ずるずると、ゆっくりと引きずってきます。


「…… はい、庄助しょうすけくん。これで完成するねぇ、本当によかったねぇ…… ごほ、ごほ…… 」


 お婆さんは蚊の鳴くような声でそう呟くと雪の上にそのままばたりと倒れ込みました。


 お婆さんは最後に何か呟いているようでしたが、やがてピクリとも動かなくなってしまいました。


 その声が届いたのか届かなかったのかはわかりませんが、庄助しょうすけはバケツを雪だるまの頭の上にかポリとかぶせると、腕を組んで満足そうに頷うなづきました。


 横たわったお婆さんの体の上に真っ白な雪がしんしんと降り積もっていきます。


 そんなお婆さんをちらりと横目で見ると、庄助しょうすけはなんだかお婆さんがとても不憫になり、足で雪をザッザッとその姿が見えなくなるまで無造作にかけ続けました。その上からお婆さんの割烹着をポイと、かけてあげました。



庄助しょうすけ! いつまで遊んでるの。朝ごはんだよ」


 お母さんの大きな声が庭まで響いてきます。


「はーい」


 庄助しょうすけが台所へ走っていくと丁度お母さんが包丁で切った豆腐を味噌汁の中に入れようとしているところでした。


 そのお母さんの姿を後ろから見ていて庄助しょうすけはさっきの小さなお婆さんをちょっとだけ思い出していました。



「ねえ、お母さん、何か僕にできることある? ……………… 何か、手伝おうか?」



 そう言って庄助しょうすけはおでこの絆創膏に手を当てると、にこりと微笑みました。

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