紙じゃない本なんかゴミと思ってた俺が電子書籍という異世界に転生した話

@tomochan001

第1話 プロローグ

神保町の中堅出版社、T出版にて……。


「あ〜、今日も憂鬱だなあ……」

 東京・神保町にある中堅出版社「T出版」。新任の「電子編集部」部長、K氏は、御茶ノ水駅から会社までの道のりを、肩を落としながら歩いています。

 脳裏には、昨日、一人だけの部下から言われた一言が、重くのしかかっています。

「Kさん、もう少し電子書籍のこと、勉強してくださいよ……紙の本とは違うんだから、ちゃんとしてもらなわないと、困ります!」

「紙の本とは違う……か……」

 K氏は20年以上も、紙の書籍の編集を手がけてきました。

 それが、突然の異動で、電子編集部の部長に任命されたのです。ちょうど先週のことでした。

 といっても、部員はアカネさんという女性一人。

 しかも、K氏は自他ともに認める機械音痴。

 紙の本に対する知識や愛着は人一倍あると自負していますが、電子メディアは、どうも信用ならないというか、有り体に言ってあまり好きではないのです。

 それでも、仕事は仕事なので、内心、気が進まないながらも、アマゾンのサイトで、「キンドル」を注文、昨日はそれを持って、出社したのでした。

 ところが……。

「さっそく、これを注文してさ」と懐から「キンドル」を取り出しながら、K氏は、アカネさんに話しかけてみました。

 アカネさんは確か、今年30歳。新卒後、システム会社にSEとして就職して数年後、コミック系の電子書籍制作会社に転職、T出版へは、前任の電子編集部長の時代に移ってきました。全身黒ずくめのスーツに、メタルフレームのメガネ。自分にも厳しいが人にも厳しいといった趣で、K氏は、正直に言って苦手なタイプでした。

 着任の挨拶もそこそこに、「それでは部長、今月の電子書籍のリリースが間近ですが、配信プラットフォームはどちらになさいますか? 古いフォーマットで制作したコンテンツを外資系にも配信したいので、再制作のための決裁もお願いします。それと、部長チェック待ちのコンテンツ2本、今週末にはアップロードしたいので、検証よろしくお願いしますね……それから、それから……」とまくしとめるのを、慌てて押しとどめたK氏。

「ちょ、ちょっと待って! 俺、まだ新米なんで、わからないことが多くてさ……」

「あ、すみません、いろいろ、立て込んでいるものですから……」

「そもそも、今日『キンドル』を買ったばかりで、まだ電子書籍の読み方も、よくわからなくてさ。その、『検証』って何? 『校正』みたいなもん?」

「うーん、そうですね。似たようなものですけど、『ビューワー』や『端末』で見ると、意図したとおりに表示されていないことがけっこうあるので、そのチェックですね」

「ええっ、どうしよう、俺、「キンドル』しか持ってないよ。他のお店――ストアっていうの?――の分のチェックなんか、できないよ」

「……」。

「紙の本でいうと、それって、印刷のインクのノリとか、製本の不具合の検査とかだよね。そういうのはまとめて制作部がやってくれたんだけどなあ……電子本も、人に任すようにできないの?」

「……」

「そもそも、この部屋に電子書籍端末、全ストア分あるの? ないと『チェック』のしようもないよね」

「……」

「まあ、ゆっくりやろうよ、どうせ電子書籍なんか、売れてないんでしょ? 普及はまだまだ先のこと。今、ムリに頑張ってもさ、疲れるだけだし……」

「紙の本大好き」なK氏。電子書籍に関わるのも、長くても数年で、そのあとは紙の編集部に戻れるだろう……という腰掛けの「ホンネ」が、その時、思わずもれてしまいました。

「いい加減にしてください!」

 だからアカネさんの次の言葉は、予想しておくべきだったのかもしれません。

「紙はこうだから……とか、関係ないでしょう。電子書籍には電子書籍の、決まりや事情があるんです!」

「……」

 黙ってしまったK氏に、畳み掛けるように続いたのが、冒頭の「勉強してください」でした。

 それが昨日のこと。K氏は、帰宅の道すがら考えてみて、確かに、配慮が欠けていたのは自分だと認めざるを得ませんでした。

 紙の本には紙の本の、電子書籍には電子書籍の「事情」がある。紙の本の制作の仕組みだって、20年前とはだいぶ変わっている。出版社によっても違う。決して「一つ」というわけではない。電子出版はどうのか。そこには利点もあれば、課題のところもあるだろう……そもそも電子出版の現状は、いまどうなっているのか。そのあたりを虚心坦懐に勉強する姿勢が、自分には欠けていなかったか……。

 よし、アカネさんに頭を下げて、一から勉強させてもらおう。

 そう、決心して家を出たはいいが、気まずく別れてしまった昨日のことを思い浮かべると、正直、気が進まない。よし、ここは機先を制するか……。K氏は電子編集部の扉を開けると同時に、心持ち大きめの声を出した。

「おはよう!」

「あ、Kさん! 昨日はすみませんでした! 厳しく言い過ぎました……」

 アカネさんは深々と頭を下げてきた。

「移ってこられたばかりで、わからないのも当然ですよね。電子書籍自体、仕組みも業界も、わかりにくいことは確かですし……」

「いや、僕の方こそごめん。『紙のやり方はこうだ』なんて傲慢でした」

「いえ、そんな……」

「電子書籍については僕は素人。とはいえ、電子であれ、紙であれ、本が好きな気持ちは変わらない。申し訳ないけど、一から、いやゼロから、教えてくれませんか」

「わかりました。ではまず、『アプリ』の話から……」

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