機械仕掛けの私と仮面の世界

松本まつすけ

機械仕掛けの私と仮面の世界

 世の中には善と悪があるだのと、親や教師は元よりフィクションの世界でさえこちらの口がすっぱくなってしまうほどに言う言葉だが、実のところ、私は自分を善と思っていないし、かといって悪とも思っていない。

 私の持っている物差しで世の中を計ってしまえば、私以外が悪ではないかと思っている。そんなことを人前で口にすることはないが。

 幼いころから私は周囲に度々説教される。

 それは私が悪いことをしたからだというのが周囲の認識なのだが、私にはその説教された私が悪いことをしたようには認識していない。

 無自覚であっても悪は悪なのだが、それでも私は悪と認識することができない。どうして周囲は皆私を悪いと決め付けることができるのに対し、私はそれを悪と認識することができないのか。

 例えば私が道を歩いたとき、向かいから人が来たから避ける。するとこう説教される。「向かいから人が来ているのだから避けて道を譲るべきだ」と。

 私がもう動くまでもなく、向かいの人はそのまますれ違うが、説教した方は避けた私が動かなかったせいか、不満を抱えたままだった。

 例えば私が食事をしていて、おかずのついでに野菜に手をかける。するとこう説教される。「野菜には栄養があるのだからちゃんと残さず食べるべきだ」と。

 むしろご飯のほうがまだお椀に残っているのだが、説教した方は私が野菜を咀嚼したままだったせいか、不満を抱えたままだった。

 私だって説教されるのは嫌だ。悪と思っていないのに悪だと思われるなんて嫌だ。だから極力周囲の言葉に反感を持ちつつも歯向かうことはそうない。

 誰に言われるまでもなく、自分の部屋の片付けはきちんとするし、勉強だって成績もいいし、クラスどころか学校内でも上位を維持し続けた。

 それをいったら、ゴミを床に散らかしたままで何日もほったらかしにしている兄や、学校でもろくに勉強せずもっぱら居眠りをしていて成績はおろか、よくない友人とよくないことをしている妹などどうなのだろうか。

 あれこそ説教すべきなのだろうが、親といい、担任の教師といい、蓋でもつけてるかのよう。

 困った人を助けたところで善行じゃない。テストで百点取ったって褒められたことじゃない。

 私ももう大学生になってしまったが、内定も取ってしまったので社会人になるのもまもなくだが、親は相変わらずだし、大学講師も昔からの私を監視しているかのようだし、友人と呼べる友人もやはり私を悪と認識しているようだった。

 私が何をしたのだろう。

 親は言う。「親の金で勉強しているだけなのに自分が頭がいいと思い込んでいるのはあり得ない、親不孝ものだ」と。私が私自身を頭いいだのと言った記憶もないし、それを見せ付けるような行為もしていない。

 講師は言う。「群れに紛れていれば安全だのと考えているのは異常者の考え方だ」と。私は周囲の何かに紛れたつもりもないし、誰かを盾に悪事を企んだこともない。

 友人は言う。「人の足を引っ張ってまでのし上がるヤツはいつか天罰が下るよ」と。私は誰かの足を引っ張ることはしないし、むしろ背中を押すことはあるが、それで自分自身が得をしたことはない。

 私は思う。周囲の言っている私は私ではなく私にそっくりな誰かで、その誰かが私になりすましてそういったことをしているのではないかと。

 しかし、あいにくと私に兄妹はいるが双子ではないし、多重人格というのもない。ならば私の何が悪と呼ばれているのか。

 あるときなど、道を歩いているときに突然道端から写真を撮られ、何事かと呆気に撮られていたら、後日、その写真が「表の素顔」と称して学内の新聞に張り出され、酷く批判されたものだ。

 表の素顔も何も、いつもどおりの私しか写っていなかったし、これを見て鬼の首をとったかのように騒いでいる連中は、一体この写真に何を見出していたのだろうか。

 そして追い討ちをかけるようにそのとき発覚したのが、他にも私の私生活の写真がいくつか見つかったことだ。何が酷いかというと、こっぴどく私に非難の嵐を浴びせられたことがだ。

 ご飯を食べていたり、布団を干していたり、何気ない生活の一面なのだが、見る人が見ると極悪非道な光景に見えてしまうらしい。

 私が学んだ一般常識では、こういう当人の許諾もないまま撮影することは盗撮なのではないだろうか。これこそ悪なのではないか。

 私はプライベートを勝手に露呈された上で非難されるだけの対象にされ、写真を撮った側には飛び火さえもなく、むしろ賞賛される立場だったことに私は目眩を覚えた。

 もしも私が突然見知らぬ男に刃物で刺されたとしても、悲鳴よりもまず歓声が上がるのではないか。一抹の不安も拭えない。

 私は悪なのだ。絶対悪なのだ。周囲がそう認識している限り、自覚がなかろうと私は悪だ。いかなる善行を重ねたところで、そんなものは認識された験しがない。

 どう足掻こうと私は悪でしかない。私が私である以上、私は悪であり、悪は私である。私が決めたことではない、周囲が決めたことだ。

 だって私は悪だと思ったことはないのだから。

 考えるまでもないし、考えることもない、そう、私は悪なのだ。

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機械仕掛けの私と仮面の世界 松本まつすけ @chu_black

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