東海林慧璃茄とバースデイケーキ

「話、聞いてる?」

 電話の向こうで付き合い始めてもうすぐ一年の菅原道子が念を押すように言う。

「聞いてるよ」

 桜木賢一郎は携帯を耳から一瞬離した。道子の声は高いので耳に響くのだ。

「今度の土曜日、私の誕生日なんだからね。忘れないでよ!」

「ああ」

 ひとしきり道子の愚痴を聞き、桜木は携帯を切った。

「近藤さん……」

 先輩刑事の近藤が行方不明になって五日経った。近藤の目撃情報は二人で聞き込みに寄ったコンビニの近くで途絶えていた。路地に落ちていたプリンが近藤が購入したものだとわかったのは、一緒に発見されたレシートのおかげだった。

(あの近藤さんが大事なプリンを落とすはずがない。何かあったんだ)

 桜木はそう直感し、懸命に聞き込みに回った。しかし、どれほど歩き回っても近藤の行方はわからなかった。目撃者が全くいないのだ。

「まだ近藤の事を調べているのか?」

 日が落ちてから署に戻った時、刑事課長に廊下で会ってしまった桜木は、課長のその問いかけに、

「そんな事はありません」

と嘘を吐いた。

(課長は、近藤さんは無断欠勤しているだけだと決めつけてる。そんなはずないのに)

 妻と別居中で子供達も皆独立しているので、近藤が家に帰らなくても誰も気づかないのだ。

 桜木はもう一度あの日の記憶を辿ってみる。

(近藤さんはコンビニによく来る女が吉沢の失踪に関わりがあると睨んでいた。店を訪れる客に訊いて回れば、その女を知っている人に会える可能性もある)

 桜木は意を決して廊下を走った。


 近藤と桜木が以前訪れたコンビニでは、東城とうじょう健太けんた斑鳩いかるが美希みきが深刻な顔をして、バックヤードで話している。

「あの刑事さん、どうしたんだろう?」

 健太が言った。美希は腕組みをして、

「焼きプリンを落としたままだなんて、只事じゃないよ」

 近藤の消息が途絶えて三日後、桜木が汚れたレジ袋を持って店を訪れて、

「これ、近藤が買ったものですか?」

と尋ねた。プリンは落し物として誰かが近くの交番に届けたらしい。健太と美希は近藤が行方不明になったのを知って酷く驚いた。

「あの」

 バツが悪そうに声をかけた女の子。彼女は近藤が探していた吉沢恭介に後をつけられた長瀬美緒である。

「何、長瀬さん?」

 健太が微笑んで尋ねると、

「お邪魔してすみません、今刑事さんがいらしてるんですけど……」

「え?」

 健太と美希は顔を見合わせて赤面した。

「そうなんだ。すぐ行くよ」

 健太は美希とぶつかりそうになりながら、バックヤードを飛び出す。

「長瀬さん、誤解しないでね、私と健太は幼馴染なだけで……」

 いつもは凛々しい顔で仕事をこなす美希が焦っているのを見て、美緒はクスッと笑い、

「はい」

と言うと店内に戻って行く。美希は火照る顔を扇ぎ、届いたばかりの「東海林慧璃茄様」と書かれた保冷用の発泡スチロールの箱を持った。

 

「お待たせしました」

 健太が奥から現れると、桜木は微かに笑みを浮かべて、

「すみません、お仕事中に」

「いえ。あの刑事さんの事、何かわかったんですか?」

 健太は尋ねてしまってから、あっと後悔した。桜木は決まりが悪そうに頭を掻き、

「何もわかっていません。ですから、皆さんのお力をお借りしようと思いまして」

 桜木は事務所に通され、健太と差し向かいで椅子に座った。

「近藤は、吉沢の消息は一緒にいた女性が知っていると睨んでいました。その女性の居所を知りたいのです」

 健太はバックヤードから戻って来た美希を見た。美希は桜木を見て会釈をしてから、

「私達はその方の名前や住所は知りません。でも、いつも歩いていらしてましたから、それほど遠方にお住まいの方ではないと思います」

と答えた。

「そうですか。吉沢以外にその女性と話していた人はいませんか?」

 桜木はメモを取りながら更に尋ねた。すると健太が、

「別の男の人はその女性に代金を立て替えてもらって、女性の家に一緒に行ったようですけど」

と美希の目を気にしながら言う。桜木は頷いて、

「そのお話は先日も聞きましたね。その男性の事、何かご存じないですか?」

 健太は首を傾げて、

「男の人はそれ以来来ていないですよ。肌寒い日だったのに半袖のTシャツ一枚だったので、よく顔を覚えているんです」

「それ以来来ていないのですか?」

 桜木はギクッとした。

(何の証拠もないけど、女に関わった人物が二人いなくなっている可能性が出て来た。そして、それを探ろうとしてた近藤さんも……)

「その他にその女性と話をしていた人はいませんか?」

 桜木は美希を見上げて尋ねた。美希も桜木を見て、

「確かに頻繁にお見えでしたが、他のどなたかとお話されているのは見た事がないです」

「そうですか」

 桜木が残念そうに肩を落としたので、美希と健太は顔を見合わせた。

「レジ、お願いします」

 美緒の声がした。

「はい」

 健太が椅子から立ち上がる。同時に桜木も立ち上がった。

「すみません、お手間取らせて」

「こちらこそお力になれなくて申し訳ないです」

 健太は美希に目配せして、レジに向かった。

「あの」

 美希は事務所を出ようとしている桜木に声をかけた。

「あの方は目立っていましたから、お客様の中にあの方の事をご存知の人がいるかも知れません」

「え?」

 桜木はハッとして美希を見た。美希はニコッとして、

「男の人は美人が好きですから」

「はあ」

 桜木は何だか怒られた気がしてまた頭を掻いた。

「失礼しました」

 事務所を出て店内に戻った桜木は、棚の陰からレジの方を見ている三反園みたぞの莉子りこを見かけた。

(この前来た時もいた子だ)

 そう思い、声をかけた。

「ちょっといいですか?」

 莉子はビクッとして飛び退いた。

「何でしょうか、刑事さん?」

 何故刑事だとわかったのだろうと、桜木は不思議に思った。それでも一応身分証を掲示し、

「ここによく現れる女性の事でお尋ねしたいのですが?」

「え? アイスお姉さんの事ですか?」

 その言葉に桜木は思わず身を乗り出した。

「そうです! その人の事で訊きたい事があるんです」

「そうですか」

 莉子は更に後ずさった。

「その人の事、何かご存じないですか?」

 にじり寄る桜木に恐怖を感じる莉子だったが、

「住んでるとこしかわからないですけど」

「ええ!?」

 あまりに大きな声だったので、店内にいた全員の視線が桜木に集中したが、桜木は全然それには気づかず、

「どこですか? 場所を教えてください」

と莉子に詰め寄った。


 莉子から女のマンションの場所を聞いた桜木は刑事課長を説得し、管理人に掛け合ってもらった。そしてあくまで確認という事で、桜木は鑑識課を伴って女の部屋に行った。

「何でこんなにヒンヤリしてるんだ?」

 中に入ると、部屋全体が凍えるほど寒い。四月中旬でその寒さは異常だった。

「桜木さん!」

 浴室を調べていた鑑識の一人が叫んだ。

「どうしました?」

 桜木が駆けつけると、浴槽に無数のアイスクリームに埋もれた全裸の男の遺体が二体あり、洗い場で全裸の近藤の遺体がうつ伏せになっていた。

「近藤さん!」

 桜木は絶叫した。眩暈がし、吐き気がした。

(そんな……)

 パニック状態になった桜木は鑑識課員に浴室から連れ出された。


 やがて捜査一課が到着し、事件は大きく動いた。

 近藤達の遺体には局部がなかった。しかも局部は切り取られたのではなく、食いちぎられたらしい。そして、そこから吸い出されたかのように内臓が消えていて、血液のほとんどが体内に残っていなかった。

「連続猟奇殺人事件と同じ手口じゃないか。ここの住人が犯人なのか?」

 捜査陣は色めき立った。迷宮入りすると思われた事件が一気に解決になるかも知れないからだ。捜査員の一人が部屋の前で待っていた管理人に尋ねる。

東海林しょうじ慧璃茄えりなさんはどこにいますか?」

 すると管理人は手に持っていたメモ帳を捲り、

「東海林さんは海外出張中ですよ。明朝帰って来る予定です」

 捜査陣は驚愕し、入国管理局に連絡した。東海林慧璃茄は間違いなく日本にいなかった。それも一ヶ月も前から。

「東海林が使用していたと思われる家具や家電を入念に調べましたが、彼女のものと思われる指紋以外は被害者のものしか発見できませんでした」

 鑑識課の報告を受け、捜査本部の幹部は意識を失いそうだった。

「だが、東海林本人は今航空機の中なんだろう? 一体どういう事なんだ? 何度も目撃されている東海林と思われる女は誰なんだ!?」

 誰もその問いに答える事はできなかった。


 桜木は救急搬送され、警察病院にいた。様々な検査を受け、異常がないとわかって解放された。

(近藤さん、すみません)

 桜木はどこかで自分を見ている気がする近藤に頭を下げた。病院を出た時、メールの着信があるのに気づいた。道子からだ。

『私の誕生日、明日だからね。ケーキを買うのを忘れないでよ』

 道子はお目当てのケーキの画像まで添付していた。桜木は自分の事にしか関心がない道子とは別れるしかないと思った。

「最初のデートもケーキバイキングだったっけ」

 桜木は携帯を閉じた。

「何だ?」

 桜木は白々と明け始めた空に浮かぶ巨大な発光体を見つけた。

「UFO?」

 もう一度見上げると何も見えなかった。

「そんな訳ないな」

 桜木は病院の庭を抜け、舗道を歩き出した。


 東海林慧璃茄は帰国するなり警察に任意同行を求められ、一日中事情聴取をされ、あらゆる本人確認の検査を受けさせられた。そしてブラジルでの行動を徹底的に調べられた。しかし、どれほど調べても彼女のアリバイは鉄壁で部屋で発見された被害者の死に関わる事は不可能だった。

「今日は私の誕生日なんですのよ! 注文したケーキを取りに行けませんでしたわ!」

 激高する東海林に捜査本部の幹部は頭を下げるしかなかった。彼らは地球規模の双子のトリックだと推理したが、それもなかったのだ。東海林には姉妹はいなかった。謎は深まるばかりだった。


 もう一人の東海林慧璃茄は誰だったのか? 真相に一番近い位置にいたのは桜木だったかも知れない。

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