因果応報のチョコレート

「吉沢さん、大変申し訳ないんだが、今日で辞めてくれないか?」

 婦女暴行で実刑を食らい、刑期を終えて数ヶ月、苦労した末に採用されて今月で半年になる工場勤務。同僚の、

「お前、マエがあるんだって?」

の言葉に激高した俺はそいつに掴みかかり、喧嘩になった。ところが、結果は奴はお咎めなし、俺は解雇。

「クビにしたってなると面倒なんでさ、辞職願い書いて欲しいんだよ。退職金代わりにもう一ヶ月分払うから、な」

 社長は如何にも申し訳ないという素振りで俺に給料袋を差し出す。揉めたところで何もいい事はないと思った俺は仕方なく承諾し、工場を出た。


「早かったね」

 アパートに帰ると、スナックのパートに出かける女房が言った。

「ああ」

 仕事を辞めたなんて言うと五月蝿いので、返事だけして部屋に入ると小ぶりな卓袱台ちゃぶだいの前で胡坐をかく。まだ桜は蕾をつけたところだが、気の早い女房は炬燵こたつを片づけてしまったのだ。

「行って来るね」

「ああ」

 俺はゴロンと横になり、ジャンパーのポケットに入れてある給料袋を取り出して眺めた。取り敢えず、この金が尽きるまではのんびりしようか。そんな気持ちが湧き上がる。

(どうせマエがある奴には、冷たい世の中なんだ)

 そう割り切ろうと思った。

 

 やがて、夜も更けて来た。腹の虫が鳴る。俺は起き上がり、アパートを出た。まずは夕飯を食おう。それからどうするかな?

 どこへ行くともなく、歩き出す。そして角を曲がると、その先にコンビニの明かりが目に入る。

(パンでも食うか?)

 俺は侘しい気持ちを振り払い、店の中に入った。

「いらっしゃいませ」

 レジに立つショートカットの女の子が笑顔で挨拶して来た。美人だが、俺の趣味じゃない。俺は気の強そうな女は嫌いだ。雑誌コーナーの前に歩を進めると、男の店員が奥から出て来た。

「いらっしゃいませ」

 そいつも愛想良く挨拶する。この店はいい店員が揃っているのかな? 贔屓にするか。俺はそのまま飲み物の並べられている冷蔵庫の前に行った。

「いらっしゃいませ」

 更に別の店員がパンの棚から顔を上げて挨拶する。可愛い顔をした女子高生くらいの子。この子、俺の好みだ。胸はでかいけど口は小さいから、あの口に俺の大好きなチョコレートを含ませて……。

(何を考えてるんだ?)

 自分に呆れた。また同じ事をして捕まったりしたら、俺のために尽力してくれたH署の近藤さんに申し訳ない。

 いや。

 それを否定する別の俺がいる。真面目にしても、何かあるとすぐに過去の事をあげつらわれて嫌な思いをするんだ。それならいっその事、気ままに生きた方がいい。俺は自分の欲望にブレーキをかけられなくなっていた。


 ふと気がつくと、あの女の子をつけている。いかん。このままじゃ、本当にまたムショ生活に逆戻りだ。そうは思うが、足は止まらない。とうとう女の子の住んでいるアパートまで来てしまった。周囲は高い塀で囲われており、門には「男子禁制」と書かれた札が提げられている。

(こいつは無理だな)

 そう思い、きびすを返した。同時にホッとする俺がいる。

 その日は屋台のラーメンを食い、アパートに戻った。女房はまだ帰っていない。俺は待つつもりもなく、布団も出さずにそのまま畳の上で眠った。


 翌朝。俺は布団の中にいた。帰って来た女房が布団を敷き、俺を引き摺って寝かせてくれたようだ。さすがに決まりが悪くなり、俺は仕事の事を話した。

「そう」

 感情表現が豊かな女じゃないが、その時の女房の顔は寂しそうだった。

「また探そうよ。きっと見つかるって」

「ああ」

 女房の言葉に俺はうわの空で応じた。そして、朝飯を食い終わると、

「出かけて来る」

とだけ言い、アパートを出た。女房は気を遣ってくれたのか、何も言わなかった。


 俺はまた昨日のコンビニに足を向けていた。まずいと思ったが、どうにも足が止まらない。

「お」

 舗道の向こうから、俺好みの女が歩いて来る。大きくて黒目がちな瞳、高い鼻、魅惑的な厚い唇。長い髪は染めていないようで、漆黒。胸は服の上からでもわかるほどその大きさを主張し、腰は絞ったように細い。その上、尻は大き過ぎず、まさに取れたての桃みたいだ。俺は思わず舌なめずりしそうになる。気のせいか、女も俺を見て微笑んだようだ。

「……」

 しかし、声をかけられなかった。何だか異様な雰囲気だったからだ。女は俺をチラッと見てから、コンビニに入って行った。触れてはいけないもののような気もするが、どうにも触れたい気もしてしまう。魔性の女とはああいう女なのだろう。嫌な予感がした俺はコンビニを離れた。


 俺は公園で居眠りしてしまった。すでに日は西に傾いている。例のコンビニの前を通ると、昨日のあの子がいた。どうやら仕事終わりのようだ。

(ダメだ、よせ!)

 別の自分が叫ぶ。しかし、俺はまた良からぬ事を考えていた。建物の陰に隠れ、その子が出て来るのを待つ。昔の俺。臭い飯を食う前の俺に戻っちまってる。気がつくと、後をつけている。もう一人の俺は必死に止めようとするが、無駄だった。

「……」

 女の子が大通りの舗道から路地に入る。足早になる俺。

「いい加減にしなさい」

 路地を曲がったところで、そう言われた。声の主はコンビニにいた気の強そうな女だった。あの女の子は少し離れた電柱の陰からこちらを見ている。

「あの子にこれ以上つきまとうなら、こちらにも考えがあります」

 その女は俺を鋭い目で睨むが、俺は怯まない。女がこれほど強気なのは、格闘技でも習っているのだろう。こいつの目つきや身のこなしで、柔道経験者の俺にはわかるのだ。だが、所詮は女。俺を倒す事などできない。もはや俺は獲物を狩るハンターに成り果てていた。

「考え? どうするんだよ、お嬢ちゃん?」

 迷う事なくその女に掴みかかる。構えからこいつが空手を習っているのはわかった。ならば、間合いを詰めて組んでしまえばいい。

「え?」

 しかし次の瞬間、宙を舞っていたのは俺だった。掴みかかった腕を捻じられ、その勢いを利用して投げ飛ばされた。女は合気道も心得ていたのだ。

「次に彼女に近づいたら、この程度ではすまないと思って下さい」

 女は俺の襟首を押さえ込み、射るような目で言い放った。

「行きましょう」

 女はあの子を伴い、そのまま路地を歩いて行ってしまった。

「畜生!」

 大声で怒鳴り、立ち上がる。とんでもない女だ。俺も腕には自信があったのに何もできなかった。もうあの女の子は諦めるしかないだろう。危険を冒してまでモノにしたいとは思わない。

(それより、あの女だ)

 俺は昨日見かけたあの妖艶な女を思い出した。

(小便臭い高校生より、ああいう女の方がいい)

 欲望を押さえ込もうとするもう一人の俺を嘲笑うかのように、俺は動き出した。


 だが、その日はあの女には会えなかった。

 それから俺は毎日コンビニに出かけた。女房には、

「仕事を探して来る」

と嘘を吐いて。俺は只の野獣に堕ちていた。


 通い始めて三日目の深夜。ようやくあの女がやって来た。今度は呑まれない。俺は女に近づくと、

「よう。やっと会えたな」

「あら、しばらくね。私を探していたの?」

 嬉しい事に女は俺の事を覚えていた。

「そうだよ。あんたみたいないい女、そうはいない。どうだい、俺と楽しい事しないか?」

 俺は周囲の目を気にする事なく、股間を女に押し付けた。女は拒絶するかと思ったが、

「強そうね、貴方」

と身体をすり寄せる。ふと店内を見るとあの空手娘がビックリした顔でこちらを見ていた。俺はわざと空手娘を見ながら舌なめずりしてみせる。空手娘は顔を赤らめて店の奥に行く。俺は優越感に浸った。

「部屋に来ない?」

 女が囁くように言った。俺はニヤリとし、

「いいのか?」

「そのつもりなんでしょ?」

 女は俺の股間を見下ろして言う。

「行こうか」

 俺は女の肩を抱き、誘われるままに歩き出した。


 女の部屋は高層マンションにあった。結構いい暮らしをしているようだ。

「先にシャワーを浴びていて。後から行くから」

 女はスーッと俺の顔を撫でながら、廊下を歩いて行き、ダイニングに消えた。俺は含み笑いをして、浴室のドアを開く。さすが高級マンションだ。俺のアパートの部屋より大きい。素早く衣服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びる。俺の身体はすっかりその気だ。あんな上物、二度といただけない。

「え?」

 何故か浴室に甘い香りが漂って来た。場違いな匂いだ。振り返ると、女が全裸で立っている。思った以上に乳房は大きいが垂れてはいない。しかも乳首はツンと上を向いている。腰のくびれもそそる。そして繁みも艶かしい。

「うん?」

 俺は甘い香りの原因を知った。女は右手に片手鍋を持っている。その中に溶かしたチョコレートが入っていたのだ。何をするつもりだ?

「後ろを向いて」

「ああ」

 ほんの少し怖くなったが、女の艶っぽい目に俺はあらがえない。ゆっくりと背を向ける。

「はい」

 温かい感触が背中から尻へと伝わる。女がチョコレートをかけているのだ。それはやがて肩を越えて前にも流れ落ち始めた。何だ、この不思議な感覚は? 浴室中にチョコレートの甘い香りが充満する。

「う……」

 女が背中を舐め始める。チョコをすする音が聞こえる。舌の感触が堪らず、恍惚として来た。

「次は前」

 女が俺の身体を回転させた。すでに放心状態の俺はなすがままだ。女はまず腹から上へと舌を這わせる。上目遣いで俺を見る顔がますますそそる。

「最後は、ここ」

 女は嬉しそうに言った。俺はフッと笑った。ところが次の瞬間、俺は絶叫した。

「グウアッ!」

 何が起こったのかわからない。しかし、叫ばずにはいられなかった。そして俺は浴室の床に倒れた。

「今夜はこれでおしまい。後は冷やしていただくわ」

 女の声が遠くに聞こえる。もう目も霞んでいる。シャワーの音も聞こえなくなって来た。俺はどうなってしまうんだ? もしかして、この女は昔俺が犯した女達の怨念なのか? やがて、そんな事も考えられなくなる。俺は深い闇に落ちた。

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