やります! 大掃除!! 後編

 

 さて、恋する兎たちの話からは、しばらく離れることにいたしましょう。

 ここからは、オトナのお話です。


「……さて」

 

 男オオカミは台所への扉を、決意を込めた目で見つめます。


「行くぞ」

 

 男オオカミの声に、女おおかみはごくりと唾を飲みます。

 禁断の扉が、いま、まさに。

 開いたー!


「うっ!」

 

 直後、鼻をつく異臭。

 二人は、鼻先を抑えて思わず扉から離れました。

 涙を浮かべ、おそるおそる振り向きます。

 扉の向こうにはキッチン。ですが、うーん。普通のキッチンですねえ。

 じゃあ、この異臭は? 

 二人はおそるおそる奥へと進みました。


「へんねえ」

 

 鼻をつまんだ変な声で、女おおかみは言いました。

 奥に行くにつれて匂いは強くなってくるのですが、痛んだ食べ物はどこにも見当たりません。

「お肉とか、缶詰とか、色んなものがあると思うんだけど」

 最初の棚はおそるおそる開いた女おおかみですが、中は食器とか調理道具とか。

「あっ、このお鍋」

「何だよ?」

 嬉しそうに女おおかみは言いました。

「ちょうどこれくらいの鍋が欲しかったのよ。ちょうだい」

「……」

「あっ、このマグカップ、かわいー❤」

 

 ――もしもし、かわいい妹や。お片づけをしておくれでないかい?

 

 女おおかみ、やっと、お兄さまの視線の意味に気づいてくれたようです。

「あっ、ごめん、ごめん」

 やっとやるべきことを思い出した女おおかみ、謝りながら振り向いて、「あっ」。男オオカミの後ろを指さしました。


「そこ」

 

 男オオカミ、後ろをゆっくり振り向きます。

 そこには、謎の扉が。


「……」

 

 ゲームならこの向こうは時空の扉で、入った二人はそれに吸い込まれて、過去の世界へ飛んで、数々の困難を潜り抜け、やがて愛を深めて結婚し、やがて子どもが生まれ、その子にも子が生まれ、愛し合う二人は死という避けられない出来事に引き裂かれ、そしてまた生まれ、また出会う。『この出会いは、きっと前世からの約束なんだ』。

 少年少女のころから下手すりゃ数百年かかるような壮大な物語を、たった四行で!

 いやあ、実に薄っぺらい! 

 しかしですね、一見薄っぺらに見える人生は、0.000一ミリにも満たないような薄い日常を一枚一枚、丁寧に重ねていくことでしか成り立たないんですよ。そして重ってしまえば薄かったなあと感じる出来事だって。


「……」

 

 直面すれば、100センチのコンクリートの壁みたいに思えるもんです。


「……ねえ」

 

 沈黙に耐えかねて、女おおかみは言いました。


「開けてよ」

 

 こういう時、オトコは辛い。

 そして、オンナは強い。


「オトコでしょ」

 

 ひどいっ。ひどいわっ! ワタシだって、そんなに強いワケじゃないのよっ。

 口が裂けても言えないことを、心の中でだけ叫び、心の中でだけ、ひっそりと涙を流し、

男オオカミは、意を決して、扉を開けました。

 

 もあ~っ。

 

 酸っぱいような臭さが二人の鼻を襲います。

 ふっと気が遠くなり、やがて我に返った二人。


「……ねえ」

 

 女おおかみは真っ青な顔で言いました。


「悪いことは言わない。全部捨てたほうがいいわよ」

 

 妹の言葉の中にある同情と優しさが、やたら身にしみます。しかし。

『言われなくても、そうする』、もはやそう言い返す気力さえ、いまの男オオカミにはありません。その真っ白に燃え尽きた顔は、女おおかみに、こう言っているようでした。

 

 ――妹よ。後は頼んだ(ぐふっ)。

 

 女おおかみは言いました。

「……手袋、取ってくるわ」

 やがて、手袋と何枚かのぼろぼろの麻の袋を持って来た女おおかみは、ごくりと唾を飲んで非情な戦いへと身を投じました。手の中で『ぬちゃあ』と腐り落ちる敵に挑むたび、女おおかみの口から、「ひぃっ」、とか「やだあ」という、情けない声が上がります。

 

 がんばれ、がんばるんだ! 女おおかみ!

 扉の入り口で、君の帰りを待つヒトがいる!

 そのヒトにまた会うその日まで!

 さようなら、女おおかみ! ありがとう、男オオカミ!

 

 

 ――とまあ、こんな具合で戦い終わって日が暮れて。や、すみません、まだ日は全然暮れてません。時間にするとほんの30分ほどの、大した労力でもないのに、げっそり疲れる展開の後、男オオカミと女おおかみは、ようやく一通りの掃除を終えて、キッチンから出てきました。

「……あんたさあ、いまのいままで、よく生きてこれたわね」

「……いつも、釣った魚をその場で焼いて食ったりとか、適当にすましててさ」

「にしてもさ、一度もキッチン使わなかったの?」

「だって、おれの大きさじゃテーブルの下くぐれないし。ルルにオーブンを使わせるのはさ。

ウサギの親父さんはどうしてたんだろ……」

 女おおかみは当然のように答えました。

「そりゃ、ウサギの姿で下をくぐって、調理したら扉の向こうから料理を置いてたんでしょ」

「……へ?」

 男おおかみ、目をパチクリ。

「ルルくんの身長じゃ無理だろうけど、お父さんなら、ちょうど腰くらいの位置じゃない? あのテーブルの高さ」

 

 ――なるほど。

 

 自分がくぐれないから気づいてませんでしたが、確かに女おおかみの言うことは理に適っています。

「ま、よかったじゃない。あんなところに置いてある食材使って料理してたら、お腹壊すどころじゃなかったかもよ」

 男オオカミ、今さらながら背中に冷たいものが伝うのを感じました。

 男の子ウサギが、男オオカミに出したあの料理。あれは作り置きと、火を絶やさないように薪をくべつづけたオーブンを、見よう見まねで使ってみた料理だと後で知りました。

 一歩まちがえば、大事故です。

 やっぱりキッチンを使わないようにしてよかったと、男オオカミは改めて思いました。

 青ざめた男オオカミの心を知ってか知らずか、女おおかみはため息まじりに言います。

「ま、今日はここまでね。明日か明後日に、うちの貯蔵食料を分けてあげる」

「……」

 おや? どうしたんでしょう? 男オオカミ。

「ララ、テーブル拭けた?」

「きっ!」


 ――じゃーん!

 

 女の子うさぎと男の子ウサギ、胸張って、『どーだ!』のポーズ。

 女おおかみ、目を大きく見開きます。

「まあ、すごいじゃない!」

 テーブルと椅子はすっかり綺麗になって、ぴかぴかに輝いています。

「よくがんばったわねえ」

 女おおかみ、女の子うさぎと、男の子ウサギの頭を順番になでなで。

 女の子うさぎは、えへへと笑い、男の子ウサギは、女おおかみの手の感触に、うっとりと目を細めました。

「雑巾も綺麗に洗った?」

 二人は仲良く『うん』、とうなずきます。で、その直後。


「キッ!」

「きっ!」

 

 互いににらみ合いました。

 

 ――ぼくの方が、がんばった!

 ――わたしの方が、がんばったわ!

 

 はいはい。二人とも、よくがんばりました。

「ララ、遅くなってきたし、そろそろ帰りましょう」

「――きっ?」

 女の子うさぎはちょっと驚いて、そして、その後がっかりしました。


「……きー」

 ――もうちょっと、ララの王子さまと一緒にいたいわ。

 

 一方、男の子ウサギもちょっとがっかりしました。


「キー……」

 ――もうちょっと一緒にいたいよ、マイハニー。

 

 ……ぷっ。す、すみません。女の子うさぎはちょっとしっとりだったんですが、男の子ウサギの『マイハニー』が。

 ああ、もう、愛しいおませさんたちですねえ!

 しかし、それはそれ。これはこれ。

 女おおかみと女の子うさぎのお家は、ここではありません。遅くなる前に、やっぱり帰らなくては。

「行きましょうか、ララ」

 そう言って女おおかみが女の子うさぎの手を取ろうとしたその時、あのヒトが、ついに口を開きました。


「待てよ」

 

 おおっと! 男オオカミ、ここでキムタク風『待てよ』来たーっ。キムタクと言えば、この台詞。普通の男性が言っても、なかなか様になると思います。男性諸君、タイミングを見計らって言ってみては? ただ、空気を読んでやらないと、恥ずかしいだけで終わってしまいますので、お気をつけて。

 にしても、今のはタイミングばっちりでしたよ! 男オオカミ!

 女おおかみが、ばっちり足を止めました。


「……なに?」

 

 BGMは例のやつ(作詞作曲Y・T氏)でどうぞ。

 おお! 最終話にしてついに、正統派キュンキュン❤らぶストーリーが!

「……せっかくだから、久々にお前のメシが食いたい」

「……」

「そ、その食材はたくさんはないけど、でっかい魚があるし、キッチンはまだ使えないけど、庭で火を起こせばいいし、もちろん、火起こしはおれがやるからさ!」

 男オオカミ、一生懸命になりすぎですよ。

「か、帰るのが面倒なら、泊まっていけば……」

 んもう、このせっかちさんめ❤

 ……ところで、さっきは、らぶストーリなんて書きましたけど、よく考えりゃ、この二人、血が繋がってないとはいえ、兄妹なんですよね。

 女おおかみ、ふーっとため息をつきました。で、言いました。


「ララ」


「きっ?」

「せっかく、こう言ってくれてるし、お泊りする?」

「きーっ❤」

 女の子うさぎは、嬉しさのあまり、ぴょんと飛び上がりました!

「じゃ、さっそく」

 女おおかみは腕まくりして、さっそくお料理に取りかかることにしました。

 

 玉ねぎ、にんじん、それにお魚。あっ、エビもいました。

 こうしてみると、ちょっとお野菜が少ないようですね。

 女オオカミは即座に、お料理をお魚と野菜のスープに決めました。

 大きめに切った玉ねぎ、にんじん、お水を鍋に入れ、沸騰したら塩と胡椒で味付け。火から遠い方、つまり高い枝にお鍋をひっかけ、お野菜の甘みが染み出すまで、じっくりコトコト、2時間。最後に魚とエビを入れ、もう一度スープを沸騰させれば出来上がり。


「できたわよー!」

 

 間もなく、お庭で元気な声がしました。


「いただきまーす!」

 

 男の子ウサギと女の子うさぎが、同時にぱくり。


「キッ!」

「きっ!」

 ――おいしい!

 

 おやおや。ずっと、いがみあっていた二人。初めて意見が合いましたね。だからと言って、


「キッ!」

「きっ!」

 

 ……目が合えば、やっぱり仲悪い二人ですが。


「……どう?」

 

 女おおかみ、うかがうような目で男オオカミに言いました。

「……」

 女おおかみ、不安げな顔で、男オオカミをじっと見つめます。やがて、彼は言いました。


「……うまいよ」


「本当? よかった!」

 女おおかみが満面の笑顔を浮かべます。

 男オオカミの目に、じわりと涙が浮かびました。それを悟られないよう、男オオカミ、急いで目を伏せます。

 

 ――やさしい味。

 

 おいしさもさることながら、このスープには、妹の優しさが満ち溢れていたのです。

「――なあ」

「なに?」

 男オオカミは、相変わらず目を伏せたまま、女おおかみに言いました。

「ノエル、一緒に迎えようぜ。プレゼントをみんなで持ち寄ってさ」

 ささやかでいいから。

 後の言葉を、男オオカミは心の中でだけ、呟きました。

 どうやら、このお話はラブストーリーではなくて、心温まる家族のお話だったようです。

 女おおかみは、屈託なく、女の子うさぎに声をかけます。

「あら、いいわね! ララ、そうする?」

「きっ!」

 女の子うさぎは、元気に『する!』と答えました。

 

 

 ――暖かなノエルは、もう、すぐです。

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森の、どーぶつさんたち。 竜堂 嵐 @crown-age2016

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