小さな家出

Nishi Keiko

第1話

二三子ふみこはお母さんを見ている。


午後だろうか。

レースのカーテンがふわりふわりと動いている。

椅子にゆったり腰かけて、

編み物をするお母さん。

二三子は本を読みながら、それを見る。


ながら、なんてお行儀が悪いわ。


そう思ってまた、お母さんを見る。


すると何かおかしい。

さっきまでのお母さんとちがう。

なんだろう。

本を閉じて、

二三子はじっとカンサツする。


わかった。

おなかだ。


お母さんのおなかが、少しずつ大きくなっているのだ。

奇妙に、音もたてずに、空気を入れていくように、少しずつ少しずつ。

このままじゃ、そのうちおなかがハレツする。


あぶない……。……


汗をどっさりかいて、二三子は目が覚めた。




がさごそ がさごそ

ごそごそ ごそごそ


「二三子な〜に?何してるの?

……お人形のマリちゃんがいない、ですって?」

エプロンとスカート、うでまくりのお母さんが、腰に手をあてて顔をしかめる。


「きっと家出したの。でも、あの子、さびしがりだから、私探しに行ってくる」

かばんにおさいふとハンカチ、すいとうにサンドイッチ。

帽子をかぶって。


「そんなに遠くへ行ってはいけません」

「だってお母さん、マリちゃんはすごくさびしかったのよ。家出して、誰かにさがしてほしいくらいよ。かなりよ。大丈夫よ、めぼしはつけてあるの」

「めぼしって?」

「今年の春、カマクラに行ったでしょう。マリちゃんとお母さんといっしょに。あのとき浜辺で海を見て、なごりを惜しんでいたんだ。だからきっと海まで家出したのよ」


「ううむ、そうか……。二三子、気を付けて行ってらっしゃい」

「はあい」

お母さんは、最近はとにかく、二三子のやりたいことで、そのりくつがちゃんと合えば、それを止めたりしない。


電車は乗り継ぎがスリルまんてん。

反対方向の電車に乗らないように。

自動改札のシュッ!ていうはやさはちょっと好き。すがすがしい。

ドアだって、バターンとひらく。

さあ、どうぞ、という具合に。


二三子は駅から海までは、前に来た時と同じにレンタサイクルで行くことにした。

不案内で、道はくねくね曲がっていて、しかも長い坂があちこちにあった。

人に尋ねながら、海を目指す。


二三子は不安だった。

「めぼし」なんて言ったけど、もしマリちゃんが「めぼし」をはるかに追い越して、永遠の家出をしようとしていたら、どうしよう。

自転車を脇に止めて、途中の道で、自転車のそばで急いでサンドイッチを食べた。

目の前の一本道を、猫がすたすた歩いている。

でも、二三子は考えている。


海まで出かけて、あのまっすぐな水平線を見つめて、キラキラするあたりを、歩いてみたくなったら。

すぐにおぼれて死んじゃうわ。


また、自転車に乗る。

二三子はペダルを、ぐっ、ぐっ、右、左、右、左、と踏みしめて、坂を上った。


ああ、海だ。


額の汗を、潮風が乾かそうとする。


さて、マリちゃんはどこだろう。

私を呼んで。


「マリちゃーん。おおーいマリ!」


波がざざ―――――っ。

流されちゃうぞ!


ざざざざざ―――――っ。

おぼれるぞ!


ざざざざざざざ



「マリちゃん!」

いた!

マリちゃんだ。


あんな砂の上に、一人ぼっちで、海を見ている。

二三子は砂でころびそうになりながら、走り寄って、

「かわいそうに、もう気がすんだわね?さぁ、帰ろうよ」

と言った。

二三子がマリちゃんを抱き上げて砂をはらい、瞳をのぞき込む。

キラキラしたガラスの目の中に、私がいる……


(おなか、大きく大きくなるのね)

(そうよ。赤ちゃんが育っているのよ)

(それ、いいこと?)

(いいことよ。あなたに弟ができるのよ)

オトートか。

(ふうん)


そうか。

なぁんだ。

家出をしていたのは、みつけてほしかったのは、私だったのね。

そうよ、とマリちゃん。

そしてもう、私は私をみつけて、気がすんだんだ。

そうよ、そうよ。


二三子は思った。

そしてマリちゃんを抱いて、また自転車に乗って、電車に乗って、家へ帰って行った。


「ただいま!」

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小さな家出 Nishi Keiko @Nishikei

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