始まり その2 -月島ユイ-
月島ユイ<つきしま ユイ>―――――――――――――――――――――――――
姫神島中央庁総合管理部門住民情報部調査報告書
名前:月島ユイ(つきしま - )
年齢:16歳(20XV年4月時点)
生年月日:20X0年5月14日
性別:女性
本島入居月日:20XV年4月
転校先:島立第3姫神女子高校
備考:母親は本島出身、19年前に島外へ転居。父親は島外K県出身。
両親の仕事の都合により、本人のみが本島住居となる。
なお、父親は■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。
特記:外見が35年前に生存していた■■■■■と酷似。
■■接触前に早期の■■■■を推奨す。
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姫神島「東区」-第3姫神女子高校学生街-
驚愕、慟哭、悲鳴、腰が抜けた人、逃げ惑う人。
真っ赤な池、首のない死体、鮮血、首、
ユイは順番に目をやり、状況を把握しようとしていた。
目の前で人が死んだ。何者なのかもわからない化け物に、おぞましい方法で。
そしてハッと気づく。
今しがた警官の首を引きちぎった怪物がすぐ目の前に立っていた。
怪物はゆっくりと右手を振り上げ始めていた。ふと振り上げている右手に目をやると、先程まで警官の頭を引きちぎった鉤爪から、いつの間にか巨大な刃物の形になっていた。
途端に死の恐怖が全身を襲い、必死に逃げようと体を動かす。だが、視線は未だに怪物に捕らわれていた。
「死ね」
その言葉と共に怪物は振り上げた刃物の右手を振り下ろしてきた。
ようやく足が動いたと思ったらバランスが悪かったのか、ユイはそのまま尻餅をついてしまう。
ガキンッ!!
奇妙な金属音を立てて、怪物の刃はユイが尻餅をつくまで立ちすくんでいた所に深々とめり込んだ。
「ああ?」
なんだか妙だと言ってるような感じで怪物がつぶやく。
ふと目が合った。
直後、怪物はめり込んだ右手をそのままに左腕を持ち上げてきた。その左手も鉤爪から鋭利な二又の槍に形が変わっていた。
ユイはとっさに真横に飛ぶと、真後ろで「ビュン」という風切り音と共に槍が飛んで行った。
「ああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
後ろから女性の悲鳴が聞こえた。
だがユイは振り向かず必死になって走り出していた。あの声を聴けばどうなったかは大体理解できた。
自分がいた所の後ろ延長線上にいた女性に怪物の槍が刺さったと。
どんな風に刺さったかなんて想像したくない、更に恐怖心が襲い掛かってくる。それでも逃げなければと言い聞かせる。できるだけ怪物から遠ざからなければと。
そして何故か無駄に脳内で語った。
―父さん、母さん。あれは一体何なんですか!?―
逃げられた。しかも2度も。
あの回避はどう見ても偶然だったが、確実に避けられた。
だがそれがどうした?
そんなことは些細なことだ。
とにかく今はあいつを殺すことだけに専念しよう。
奴の手に渡るくらいなら先にこちらで始末しよう。
怪物は内心自分に語り掛けながらめり込んだ右手を引き抜き、ヒューヒューと音を立てる女性の顔面に突き刺さった槍を蹴り飛ばすように片足で強引に引き抜くと、小さくなりつつある、目的の女の後ろ姿に目をやる。
「なんだよ、足遅すぎだろ」
周りの人間の悲鳴が響く中、ぼそっとつぶやいてズンズンと歩き始める。
「止まれ!止まらんと撃つぞ!!」
急に目の前に複数の警官が銃を構えてきた。中にはショットガンを構えている警官もいた。
この騒ぎだ。誰かが助けを求めて駆けつけてきたのだろう。
だが肝心の警官たちは揃いも揃って顔面蒼白だった。
これでは当たるものも当たらないだろう。
当たった所で何が変わる訳でもないが。
今はただ目障りなだけだった。
「ははっ、じゃあ撃ってみろよ」
両腕を広げ、ギラリとした牙をむき出しにしながら不敵に笑った。
バンッ!!バンッ!!バンッ!!バンッ!!
直後、銃声が鳴り響いた。
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怪物からどのくらい距離を置けただろうか?
把握はできていないが、さすがに息切れを起こしたユイは両ひざに手を置き、ゼーゼーと息を荒げていた。
周りの人たちはざわざわとした感じで何が起きたのだろうかといったような感じだった。
だが、ここも少ししたら悲鳴が響くのだろう。
走っている最中に後ろで何発か銃声が聞こえたが、あの不気味な存在の事だ。
銃なんぞでは効き目がないだろう。
なぜかそう確信していた。
そしてその確信は事実だった。
「待ちやがれええええええ!!小娘がああああああああああああああああ!!!」
途端に遠くから怒号と悲鳴が聞こえた。ビクッとして声の方向に目をやる。
やはりあの怪物だった。
数百m先から、四つん這いで猛獣のように猛スピードで目の前にいる人々を蹴散らしながら、こちらに向かっていた。
反射的に振り向き走り出したが、頭上を影が通り、地煙と大小さまざまな石を巻き込みながら怪物が目の前に飛び込んできた。あの距離をあっという間に走り、なおかつ頭上を飛び越えてきたのだ。
「今度こそ死ねぃ!!」
そう言うなり怪物が右手の鉤爪を振りかざしてきたが、
パアァアアアアアアアアアア!!
真横からクラクションの音が。
よく見ると大型トラックが猛スピードで迫っていた。
「邪魔じゃああああああああああああああああ!!」
トラックに目をやった怪物はそう叫ぶと振りかざしていた右手を振るって衝突寸前のトラックのフロント部分に拳をめり込ませた。
普通ならトラックに轢かれるはずだが、トラックが宙返りして飛び去っていった。
ユイはその光景を見るなり再び走り出した。
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姫神島「東区」-第3姫神女子高校学生街駅 ホーム-
ピンポーン♪
«間もなく、総合駅東線発、総合駅方面行きが到着致します。ご乗車の方は黄色い線より手前でお待ちください。»
ひたすら走り、気が付いた時には駅のホームまでたどり着いていた。
息も絶え絶えで両ひざに手をついて肩で息をしていた。
ここまで無意識になるまで走り、ここまで来たという事は上手く逃げ切れたのだろうか?
ふと、そう安堵したが直ぐに否定した。
そんなはずはない。あの形相を思い出しただけでそう感じた。
アレはどこまでも追ってくるだろう。
アレを振り切るにはどうしたらいいのだろうか?
考えても考えても、答えは出なかった。
「ぎゃああああああああああああああああああああああ!!!!」
激しい破壊音と大勢の悲鳴が入り交じった音が真後ろで響いた。
振り向くと、線路を挟んで奥にある別の路線のホームの階段を、人間と恐らく自動車の残骸であろう物をサーフボードのように踏みつけながら怪物が階段を飛び降り、ホームに着地していた。
着地の衝撃が強かったのか、少しだけ怪物は着地した姿勢のまま固まり、周囲には怪物に巻き込まれたであろう大小さまざまな残骸が飛び散っていた。
ホームにいた他の利用者たちは一体何が起きているのか理解が追い付かず、その場で硬直していた。
グリンッ!!
「やっと見つけたぞ!!」
電気でも走ったかのように、少しの間硬直していた怪物は勢いよく首を持ち上げ、こちらを見た。
瞬間背筋が凍る。
足がすくみだしたが、蛇に睨まれた蛙のように体が動かない。
「さっさと死ねや小娘えええええええええええ!!!!」
そう叫んだ怪物は助走をつけ、奥のホームから自分のいるホームへ線路を飛び越えてきた。
その動きを確認した瞬間、思わず目を強く瞑ったが、同時にすくんでいた足に力が入らなくなり、へたり込むように尻餅をついた。
瞬間、頭上を髪の毛をかすめて何かが飛び越えていった。
「あり?」
拍子抜けの声が聞こえた瞬間、何かが真後ろの線路の壁に激突する音と「ゲボシッ!!」という短く変な悲鳴が聞こえた。
ずりっずりっと壁を擦りながら何かが落ちる音を聞きながらゆっくりと目を開けてみる。
視界には飛び掛かってきてたはずの怪物の姿がない。
頭上をかすめた何かは明らかにあの怪物だったことを理解した。
怪物の鉤爪が自分の顔を切り裂く瞬間、尻餅をついたことで髪の毛数本を切り裂いただけで頭上を飛び越え、勢いそのままに後ろの壁に激突したのだ。
なんとも間抜けな方なのだろうか、と拍子抜けした。
ガギンッ!!
ガリガリガリガリ…
何かが這いずって登ってきてる音がする。
古びた人形のように震えながら、へたり込んだ状態のまま振り向いてみる。
激突の衝撃が強かったのだろうか、「リング」の貞子よろしくぎこちない動きで線路からホームに這い上がろうとしていた。
「こぉおおむぅううすぅううめぇえええがぁあああああ…」
表情の読み取れない真っ赤で丸い眼球と目が合う。
じわりじわりと這い上がろうとする怪物、自分はまだ動けないままでいた。
パァアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!!!!
不意に電車の警笛が響いた。
直後。
バァッン!!!
「ぎいいいいいいいいいいいいいあああああああああああああああああ!!!」
強い衝撃音と一緒に、けたたましい絶叫がホーム内に響いた。
目の前で、這い上がろうとしていた怪物が電車に撥ねられ、ホームと電車の車体の間に引きずり込まれるようにして巻き込まれていった。
骨の砕ける音、血肉が千切れ飛び散る音、表現しがたい擦れていく断末魔の声。
最後には這い上がろうとホームに爪を突き立てていた怪物の右手だけしか見えなくなり、移動していく電車の車体につられて独楽のようにくるくると回っていき、そして線路の中に引きずり込まれるように見えなくなっていった。
―父さん……母さん……あれは…一体……―
それを見続けたユイの意識はそこで途切れてしまった。
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ユイがいるホームが3つ奥に見える位置、
ユイのいる場所から見ると死角になる物陰に人影がいた。
怪物が電車に撥ねられ、姿が見えなくなったのを確認後、その人物はどこかに連絡を入れた。
「私です。今、姿を消しました。」
『-------』
「はい。では今夜、「ナディア」にも決行の連絡をお願いいたします。」
『-------』
「はい、私個人の意見としますれば、早すぎるのではないかと…」
『-------』
「はい、了解いたしました。では、私は引き続き動向を監視いたします。ただし、
「ナディア」に万が一の事があっても、私は手出しはいたせませんので。」
『-------』
「はい、それでは。」
連絡を終えると、静かにへたり込んだまま動かなくなったユイの後ろ姿を見やる。
だが、すっかりユイの姿は見えず野次馬となった駅の利用者や慌てて離れるように指示を出す駅員たちでごった返していた。
「ようやく、お望みの人を見つけることができましたか?怪物さん?」
そうつぶやくと、人影はひっそりと姿を消していった。
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姫神島「中央区」-第3姫神女子高校用学生寮-
パタンと静かに玄関の扉を背中で寄りかかるようにして閉じたユイは、
力尽きるようにその場にへたり込んだ。
転校したての新しい学生服も返り血と土で汚れ、所々が破れてしまっていた。
駅であの怪物が電車に巻き込まれ、擦り潰されたのを見届けて以降の記憶がない。
どのようにして「東区」の駅から「中央区」の自分の住む学生寮の自室まで辿り着けたのかすら。
思い出せるものと言っても、千切られた警官の首、耳をつんざく多くの人の悲鳴、血よりも赤黒く光っていた怪物の目、断末魔の絶叫、血しぶきを上げてクルクルと回って消えていった怪物の右手。
ダメだ、思い出したくないものばかりだ。
学生服も替えを持ってないし、新しいのを注文しても短くて2~3日はかかるだろう。
軽い頭痛がしてきて、左手で頭を抑えながら天井眺める。
『 さっさと死ねや小娘えええええええええええ!!!! 』
彼は何故、自分を殺そうとしたのだろうか?
何故、自分が殺されなければいけなかったのだろうか?
何故、彼は『悲しそうに怒っていた』のだろうか?
ピリリ…ピリリ…ピリリ…♪
ふと携帯が着信の音を鳴らした。
力ないまま、通話ボタンを押して耳に当ててみる。
『もしもし!月島君!?』
電話越しの声の主は担任の漆山だった。
「はい…」
『よかった。さっきニュースで「東区」の学生街でウチの学生が暴漢に襲われたっていうのが流れて、職員全員で生徒たちの安否を確かめるために片っ端から連絡を入れてたところだったの。』
「ありがとうございます…私は、大丈夫です。」
『本当に、大丈夫か?なんか、元気ないぞ?』
「いえ…ちょっと疲れただけですので…」
登校初日だという事もあるし、担任に変な心配をかけさせまいとユイはそう言った。
だが、何か引っかかる言葉があった…
暴漢に襲われた?
違う、あれは暴漢なんかじゃない。
「先生、暴漢って…」
『ああ、聞く所によるとウチの学校の生徒1人を追いかけまわしながら、すれ違いざまに何人かを襲った末に最後は駅のホームで身を投げて電車に轢かれたとか言う話だ。』
やっぱり違う、大体の内容は自身が先ほど体験した出来事だ。だけどアレは暴漢とかいう類のものではない。
ユイは反射的に言葉を出そうとするも、
「あ、あの、先『とにかく、お前が無事でよかったよ。じゃあ、私は他の生徒にも安否の確認のための連絡を取らなければならないから。あと、死者も出たって話らしいから、しばらく外出は控えるようにな?』…はい。」
先生は、まるで「そのことは言うんじゃない」とでも言うようにユイの言葉をかき消し、続けて「今回の件の捜査が一段落するまで、5日ほど休校することにもなった」という話をした後、先生は電話を切った。
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漆山との通話後、ユイは逃げるように服装もそのままにベッドで寝込んでいた。
だが、ふと気配を感じて重い瞼を開ける。
霞んで見える視界はすっかり真っ暗になっていた。何時間眠っていたのか分からないが、真夜中になっているのだけは解った。
視界の端からは月の光が窓から差し込んでいたが、目の前の『あるもの』を認識した途端、ユイは息を忘れたかのように固まり、さっきまで重かった目を見開いていた。
「みぃつけたぁ…」
真っ赤な目をした彼が、満面の笑みをしながら顔を覗き込んでいた。
―お父さん…お母さん…私は…―
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姫神島「中央区」-学生街郊外、とある階層ビル屋上-
雲一つない快晴の夜の中、月の光が自分を照らしていた。
春先の5月で未だに夜は寒い方なのだが、それを忘れさせるようなそよ風が何だか心地よかった。
彼女はそんな夜の中でビルの屋上から、装着しているゴーグル越しに、ただ一点を睨みつけていた。
視線の先にあるのは「第3姫神女子高校用学生寮」。その寮の内の一室の窓だ。
彼女にとって今から始めることは、とても重要な事であった。
その任務は「指名された人物の確保、又は殺害」。
この年で人殺しの片棒を担ぐことになるとはと思ったりもしたが、この姫神島において、「シスターズ」に所属することは誉れであり、そこでの務めは全てにおいて正当化されている。
その中でも特に「シスターズ」にとっての誉れとなる務めこそが、
「奴の始末」。
この務めを全うする為に、手の届かない存在だった「シスターズ」の一員になる為に、どれ程の辛酸を飲まされた事か、どれ程屈辱的な思いをすることとなったのか。
思い返すだけで怒りと憎悪が込み上げてきたが…
ピピッ!
耳に付けていたインカム型の無線機から通信が入った。
彼女はインカムに手を当てて応答する。
「こちら「ナディア」。行動開始準備完了」
『はいよ、こちら「バウンドドック」。早速だが、奴が既に室内で目標と接触しているようだよ。』
無線越しの声は聞き慣れた女性の声だった。
無線の声の主はバウンドドック。同じ「シスターズ」の一員だ。
ふとバウンドドックの通信に引っ掛かるものを感じ、オウム返しで聞き返した。
「既に接触?」
『ああ、なんせ奴は神出鬼没だからな。厳重に施錠された密室でさえ難なく入り込めるってくらいだからな。どんな手段を使ってるのかは知らないがね』
「という事は、やはり奴との戦闘も?」
『もちろんあり得るね。ま、最悪の場合は目標の殺害も許可されてるから、その辺りはお前の判断に任せるよ。ただ言っておくが、奴は手ごわい。過信は命取りだからな?』
「了解した。ところで、今回は
『一応「ジャック」も配置についているが…まぁ、あいつの事は考えるな。あくまであいつは監視役だ。お前に何があろうと何もしないよ。というか、お前の方からお断りだったろう?』
ジャック…
同じ「シスターズ」の一員であるが、最も憎んでいる存在。
今回の任務もジャックからの連絡によるものだ。
バウンドドックは続けて言う。
『ついでに言っておくが、私も今回のお前の任務に手出しはしないよ?あくまでお前がこの任務を完遂できるかどうかの見張り役だからな?』
「分かってる。通信終わり、これより行動を開始する」
『あいよ。全ては女神の名の下に』
バウンドドックとの無線連絡を終えると、彼女は左手で握っていた刀の柄に右手を添えた後、助走をつけて屋上から大きく跳躍していった。
『奴は手ごわい。過信は命取りだからな?』
バウンドドックの言葉が脳裏をよぎる。
奴はそこまでの存在なのだろうか?
上手くすれば自分の力で倒すことも可能なのでは?
バウンドドックの忠告を余所に、ふっと口が緩んでしまったが、すぐに真剣な面持ちになった。そして目の前に近づいて来た「第3姫神女子高校用学生寮」のとある一室の窓を跳躍の勢いそのままに、思い切り蹴破って入っていった。
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姫神島「中央区」-第3姫神女子高校用学生寮、ユイの個室-
雲一つない夜空で月明かりがカーテンの隙間をすり抜けて部屋をわずかに明るくしていた。
ユイの個室の寝室では、傷だらけの制服を着たまま疲れ果ててベッドで仰向けになって眠り込んだユイだけがいた。
少しするとユイの頭側のベッドと壁の隙間から黒い影がズズズっと縦長に伸び出し始めた。
その影は最初は壁伝いに上り、一定の高さに達すると一度止まり、今度は横にズズズっと伸び、更にある程度横に伸び終えると壁から這い出すように影が膨らみ実体を持ち始めた。
そしてその黒いふくらみは徐々に色が薄くなっていく。
2m以上もの体格をした紫色の丈長の衣服に長袖からわずかに見える鋭利な鉤爪、ボーリング玉のような真っ白い口の無い顔に黄色い髪の隙間から覗く見開いた真ん丸の赤い眼。
それが形を成すとゆっくりと屈んでユイの寝顔を覗き込んだ。
「・・・・・・やれやれ、寝顔まで一緒じゃないかよ」
彼は何所か苦々しい表情でつぶやくと、ユイの瞼がぴくぴくと動いた後、ゆっくりを目を開けた。
そして意識がはっきりしたのか、ユイはこちらをギョッとした表情で固まった。
「みぃつけたぁ…」
彼はそう言ってギラリと牙を生やした口を開いてニターッと笑って見せた。
普通なら恐怖のあまり呼吸が浅くなって身体が固まるだろうが、ユイは違った。
ユイはしばらく固まってはいたが…
「いやあああああああああああああ!!!」
悲鳴と共に虫でも振り払うかのように慌てふためいて拳を作った状態で両腕を振り回した。
そして偶然かどうかは分からないが、振り回していた右手の拳がフックをかますように彼の右側頭部にクリーンヒットした。
「おごぉっ!?」
彼は情けない悲鳴と一緒に顔が飛び、その勢いにつられて体が浮いて左隣の壁に飛んで行った。
偶然かどうかは分からなかったが、目をギュッと瞑った状態で振り回した右腕で怪物の顔を殴り飛ばしたユイは大慌てでベッドから転げ落ち、飛んで行った怪物とは真逆の方にへたり込みながら後ずさった。
「な、なんなんですか一体!?」
口からまず出た言葉は何所か素っ頓狂なものだった。
「おおぉ、効いたぁ…寝起きとはいえ流石にパンチは無くないかぁ?」
ベッド越しの壁に飛んで行った怪物はベッドの上に悶絶しながら這い上がって返事をした。
間抜けな口調で話す怪物に対し、ユイは恐怖で思うように舌が回らないまま話す。
「あ、あなた…あの時、駅で轢かれたはずじゃ…」
「おう、轢かれたぜ?いやぁ、久々に痛い目に遭ったぜ。やれやれ、全く長く生きてるもんじゃないなぁ…」
怪物は左手で抑えながら首をコキコキと音を鳴らして返事する。
まるで「いつもの事のよう」な返事の仕方だった。
「あ、あなた、何者なんですか!?」
「ん?あぁ、俺か?」
ユイの問いかけに怪物は自身の顎に手を当てながらユイに歩み寄っていく。
「強いて言うなら、「死神的な怪物」かな?」
怪物はそう答えて屈みこむようにして顔をユイの顔を覗き込んだ。
恐怖はあったがユイは意を決して更に話しかける。
「私に一体何の恨みが?」
「ああ、特に理由というほどでは無いんだが、お前が生きてると少~しばかり困ることがあってだねぇ。」
困る?個人的に困るという理由で殺そうとしたのか?
ユイには怪物のいう理由に理解が追い付かないでいた。
怪物は笑みを浮かべ、ギザギザに生える牙を見せながら更に言葉を続ける。
「あいつの手にお前が渡るくらいなら、俺の手でお前を始末する。それだけさ。」
「「あいつ」って…誰の事なんですか」
「今から殺されるお前にとって、知る必要のない存在さ。」
怪物はゆっくりと右手の鋭利な鉤爪を擦り合わせ、金属同士が擦れるようなシャリシャリと音を鳴らしながらユイの顔に右手をのばす。
呼吸が浅くなる。逃げなければ死ぬ。
頭の中で必死に「逃げろ」という言葉が回る。
だが目の前にある感情の読み取れない深紅の目に睨まれてるせいか、ガチガチと震え、体が動かないでいた。
「それじゃあ、話はここまで。せいぜい苦しまないように死なせてやる・・・」
右手の鉤爪がユイの頬に触れる瞬間だった。
ガシャアアアアアン!!
突然、窓ガラスの割れる音がけたたましく響き、同時に目の前にあった怪物の顔の右側に何者かの足がめり込んでいた。
目の前の光景がスローモーションしてるように見え、蹴りを入れられた怪物は「よおぉぉ」と変な声を出しながら、顔だけが真横に30cmくらいスライドしていく。
そして目の前の光景が通常の速さを取り戻したのか、勢いよく怪物の姿が視界から消え、壁に激突したのか、ガシャアアアアン!!と再び大きな音が鳴った。
一方、先ほどまで怪物がいた目の前にはローブを身に纏った女性だった。
身長からして自分と同い年に見える為、少女と呼ぶべきか。
前髪を切り揃えた黒いロングヘアだが、眼の部分はゴーグルのようなもので隠れている。
黒いローブの左胸の辺りにはアルファベットの「S」と十字架を組み合わせたようなワンポイントがあしらわれており、ローブの腹部から下が大きく開いているせいで、そこからへそが見えていた。
腰から下はパレオのような腰布とズボンを組み合わせたような感じだ。
左手には刀が握られていた。
「来い」
バイザーの少女はユイに振り向くなり言い、ユイの胸ぐらを掴んだまま強引に破壊された窓から飛んだ。
「きゃああああああああああああああああ!!!!」
ユイは悲鳴を上げながらゴーグルの少女と一緒に寮を飛び出し、引き摺られるように大きく跳躍していった。
―お父さん、お母さん!なぜか知りませんが空を飛んでますけど!?―
ユイは状況が理解できず、泣きそうな悲鳴を上げるしかなかった。
ユイがゴーグルの少女に連れられ、取り残された怪物はもぞもぞと僅かに揺れた後、ゆっくりと起き上がった。
「やーれやれ、予想はしてたが早速来やがったか。」
起き上がった怪物の頭部は首の骨が折れたようにブランブランと揺れていたが、右手で頭を掴むなりゴキッ!ゴキッ!と音を鳴らしながら、無造作に首を元に戻した。
「ふうぅ」と大きく呼吸しながら首をぐるりと回して違和感が無いのを確認する。
「さぁて、今回の駒はそれなりの実力者かな?」
破壊された窓から外を覗き、姿が小さくなっていくゴーグルの少女とユイの姿を見ながら不敵な笑みを浮かべた。
月喰い ジロロ @Jiroro
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