偶然

濱野乱

偶然

硝煙が部屋の隅まで、くすぶっている。昨年、妹の誕生日をクラッカーで祝ったが、もうそれもできそうにない。

アレクは、手持ち無沙汰になった小銃カラシニコフを床に下ろした。上官に見つかれば、前後不覚になるまで殴られるだろうが、今は叩き込まれた命令より、感情のガス抜きを優先させるべきだと考えた。

子供部屋では、アレクの他にカーキ色の軍服に身を包んだ下士官たちが、忙しなく動き回っている。衣装箪笥を引っ掻き回したり、置き時計や、絵の額縁裏を探っている。

緋色のカーペットは支那製で、金の刺繍が入った豪勢なものだったが、男たちに踏みしめられ、萎れたカーネーションのようになっていた。

横倒しになったテーブルの側に、スポンジケーキが破裂したように散乱している。どのみち祝う予定の父親は帰ってこない。

彼は、十二時間前に銃殺された。

彼はこの国の最高指導者だった。

武力で革命を起こし、独裁政権を樹立。昨日は、国賊、今日から救世主という流行歌もできたほどの転身だった。

官僚と国有企業との癒着を糾弾し、国民の生活を第一に考えると宣言。国民は、彼に大きな期待を寄せた。

ところが、それから間も無く相次ぐ干魃や、燃料費の高騰によるインフレで、経済は打撃を受けた。

贅沢は禁止され、挙国一致の姿勢が喧伝されるようになる。

さらに、不満分子とされた国民は、容赦なく投獄された。町からは、明かりが消え、笑い声も絶えた。

経済成長が先細り、未来を描けなくなった若者がテロに加担することになる。

皮肉なことに、指導者が辿った道のりを国民がなぞる結果となった。

そして、革命当日。

その日は、前日までの雨が嘘のように晴れ渡り、澄み切った空気に空が満たされていた。

指導者は、公邸の二階バルコニーから、国民に語りかけることになっていた。

理由は、三日前に出た外国の新聞記事への反論だった。

指導者と、その家族が海外の銀行に多額の資金を貯蓄し、機を見て亡命を図るという筋書きをすっぱ抜かれたのだ。

指導者は一笑に付し、普段通りの下品な笑い方と、当てこすりで、国民の失笑を誘った。

「敵外国に煽動される愚か者は、この国には、いらん。この国は私の物だからな」

国は、指導者の所有物なのか。その場に集った聴衆は、疑問を持っても口に出すことはなかった。行動に移して、粛清された者たちが何人もいたからだ。

そして、その日もまた。

銃声が上がった。

一発、二発。公邸内部からの発砲音だった。

指導者は、バルコニーから公邸に引きづりこまれた。その際の怯え切った顔といったらなかった。

一人の婦人が公邸を覗き込もうと、入口で首を伸ばしていた。衛兵はそれに気づかずあくびをかみ殺す。士気の低下は、国の緩み。たとえ、革命が起こらなくても、遠くない将来、他国に容易く蹂躙されていただろう。

その姿を後ろで眺めていた聴衆が、突如、電光石火の勢いで、突進してきた。

衛兵が押さえ込もうとするが、その勢いは止められず、公邸内部は雑多な人間たちで埋めつくされていた。

これを目の当たりにし、激した指導者は、兵士に発砲を命じる。

土足で私の家に入り込む奴は、銃殺だという、信じ難い命令にも兵士たちは従わざるを得ない。

犠牲者の数を把握するのに、時間を要した。折り重なる穴だらけの死体を見聞するうち、一人の下士官が、重要な事実に気づいてしまう。

指導者が、死体の山に埋れている。しかも、左胸を撃ち抜かれて。

すぐさま上官に報告、内密に会議が開かれた。

指導者がいなくなったことに何故誰も気づかなかったのか。あまりの混乱で収拾がつかず、騒然としていたというのもあるが、この国にそんな統率力を発揮できる者がいたとしても、とっくに粛清されるか、亡命している。

犠牲者の家族が、泣き咽び故人の名を掲げたプラカードを持って街を練り歩く。中には警官隊と衝突し、負傷者が後を立たない。

数時間経過しても暴動が収まる気配がなかった。

指導者を出せと、彼らは喚くが、既に手遅れだ。

最初の発砲音の容疑者はまだ見つかっておらず、これは暗殺なのか、事故なのか決め手にかけていた。

「革命だ。これは」

一人の将校が、口髭を撫でながら言った。

「誰がやったかなどどうでもいい。肝心なのは、国を立て直すこと。そうじゃないかね」

意見の一致を見る。国民を納得させるための筋書きが、すぐさま用意された。

海外の記事は事実であり、その発覚を恐れた指導者が、国民の口封じを行ったと発表した。

死者、十五名、負傷者三十二名。その中に、指導者を守るはずの警護の名前はなかった。

「偶然だと思うかい?」

子供部屋にいた、青年にアレクは声をかけられた。その青年は、アレクの先輩に当たる。シガレットをふかし、青い目をしょぼつかせている。

「よしてくださいよ」

「必然と捉えた方がまだましか」

子供部屋には、布をかけられた三体の遺体が横一列に並ぶ。

一人は、恰幅のいい女性使用人。

後の二人は、指導者のまだ幼い娘だ。

アレクは機械的に十字を切った。

指導者の別荘地に、隠れ潜んでいたところを、アレクたちの小隊が襲撃したのだ。何の抵抗もなく、制圧は済み、実感も湧かない。

「指導者の娘はもう一人いる。森に逃げ込んだらしい」

踏みつけられたポートレートには、六歳ほどの女児が写っている。この場の遺体の中に彼女はいない。

アレクは、童謡森のクマさんを口笛で吹き始めた。

彼女が逃げ切るかどうかは、偶然の産物。

アレクは考えるのをやめ、兵士としての任務を全うすることにした。

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