出港

 明け方の薄暗い窓辺にすらりと長い影が浮かび、ゆらゆらと不規則に揺れな歩いている。白く長い手が部屋の明かりを灯し、それからゆっくりと起き上がり大きく背伸びする。まだ眠りから覚醒しないものの、手拭いと巾着袋をしっかり掴んでいた。

 部屋に備え付けられている洗面台へ行き、蛇口から出た水で顔を濡らす。そして慣れた手付きで巾着袋から小さな容器を取り出し、中身を少量手に取り泡立てる。柔らかい泡を顔に馴染ませるように洗い、冷たい水で丁寧に流す。

手拭いで顔の水を拭き取り、正面にある鏡を見る。鏡に映る顔は彼を真っ直ぐ見つめていた。毎朝見るその顔は、いつもと同じ鋭い目をしていた。

 巾着袋から取り出す道具たちで顔を整え、髪を丁寧に梳き身軽な服装に着替える。昨日着ていた裾の長い装いでは、これからの旅路を乗り越えられないのだ。

身嗜みを整え、荷物も纏め、部屋を出る直前に鏡を見て微笑む。


『今日もきちんと笑えますように』


と、心の中で願いながら。



 早朝の街は起きている者も少なく、雨に打たれるこの宿屋でもそれは同じだった。厨房で手際よく調理する女将と眠い目を擦りながら手伝う子供たち、三階の廊下を歩くヤマタノオロチと部屋で待機するイルル。他の人間はみな一様に眠っている。

 照明を手に持ち歩くヤマタノオロチが足を止めたのは、ラタトスクが泊まった隣の部屋だ。扉に数回ノックし、扉越しから声を掛ける。

「朝よ、起きなさーい!」

暫く待つものの、部屋から物音は聞こえてこない。彼がすぐに起きてこない事は分かっていたヤマタノオロチは、向かい側の部屋に泊まったイルルが起きているか確認する事にした。

 扉の前に立ち、ノックして数分後に扉は開かれる。部屋にいたイルルはヤマタノオロチと同様に、すぐに出立出来る状態だ。

先に挨拶したのはヤマタノオロチの方だった。

「おはよう、朝早いのね」

「おはようございます。いえいえ、今日はいつもより遅いですよ」

流石は護衛であり世話役、といった印象だ。ヤマタノオロチは視線を左に移し、再びイルルの方に戻す。そして一つ尋ねる。

「ねぇ、ギーブル起こすのとラタちゃん起こすの、どっちが時間掛かるかしら」

「お嬢ですね」

と、キッパリ答えた。

「そうよねぇ。それじゃあ先に起こしましょうか」

「あぁ、起こすなら自分だけでも大丈夫ですよ。同時に起こした方が効率的ですし」

「そうね、じゃあ任せたわ」

「はい」

そして、ヤマタノオロチはラタトスクの部屋を再びノックし、一方でイルルはノックしながら扉を開けていた。それを見ていたヤマタノオロチは彼の行動に少し驚いたが、彼もまたさほど変わらない事をしている。

 ヤマタノオロチが部屋に入ると、丁度ラタトスクが起き上がってた頃だった。目を軽く擦り、開けられた扉の方を見た。ラタトスクが数回瞬きしている時、ヤマタノオロチが扉に凭れ掛かり挨拶する。

「おはよ」

「あぁ。おはよう」

少し掠れた声で返事するラタトスクに話しかける。

「ギーブルが起きたら朝食にするわよ。それまでに出発の準備しておいてね」

それに対して頭を縦に振って返事した。

「じゃあ、私は廊下にいるから。終わったら廊下に出てらっしゃい」

まだ寝ぼけた顔をしているラタトスクにそう言い、ヤマタノオロチは扉を閉める。そして廊下の壁に寄り掛かって待つ事にした。


 場所は変わり、ギーブルが泊まっている部屋へ。

そこではまだ半分寝たままではあるが、ギーブルが寝間着から洋服に着替えさせられていた。寝台に座らせたギーブルは時折り頭がこくりと揺らすのみで、まだ眠りから覚めそうにない。愛らしい目元には薄い鼠色の汚れが付いていた。

 着替えさせたギーブルを抱え上げ、椅子に座らせたイルルは腰に下げた小さな鞄から櫛を取り出す。黒く長い髪をゆっくり梳かしている内に、ギーブルが目を覚ます。彼女が大きく欠伸するのに合わせて梳かす手を止め、イルルは声を掛けた。

「おはようございます、朝ですよ」

「うーん……おはようございます……」

「とりあえず顔洗ってください、その間に荷物纏めとくので」

「……はぁーい」

そしてイルルは部屋に散らばる物を拾いあげ、整頓して鞄に詰め込む。寝台に置かれた寝間着も畳み、別の鞄へ詰め込んだ。その後ろではギーブルが洗面台で顔をびっしょり濡らし、用意されていた布巾の場所が分からないでいる。目を閉じて水滴を垂らし、少し上を向いて名前を呼ぶ。

「イルルー……顔がぁ」

「はいはい、ちょっと止まってください」

と言って、ギーブルの顔に柔らかい布巾を被せ、軽く叩くように拭いた。ついでに濡れてしまった髪や服の水分を軽く拭い、ギーブルに話し掛ける。

「あとはご自分で乾かせるでしょう、これ食べた分で丁度良いんじゃないですかね」

そう言いながら、イルルはギーブルに飴玉を二つ渡す。手渡しされ頭をこくりと縦に振り、二つとも口に放り込む。暫くゴロゴロと口の中で飴玉を転がしていると、少しずつ目の下の鼠色が濃くなっていく。

 紅い目がパチパチと開き、ギーブルの髪が舞い上がったと共に気温が一瞬だけ跳ね上がる。彼女の得意とする『空間支配系』の一種で、自分がいる場所の気温を調整できるという魔術だ。時間の経過や範囲によって魔力量の制限はあるものの、先程の様に濡れたものを乾かすだけならば魔力消費量は少ない。

 突然部屋の気温が上がった時、ラタトスクは着替えの途中だった。彼が上着の留め具に手を掛けた途端、一瞬だけ焚き火の中心に立たされた様に空気が熱くなったのだ。実際はギーブルの魔術による温度変化なのだが、そんな事を知らないラタトスクは驚きの声を上げる。

「あっつ!」

部屋にはラタトスクしかいないものの、廊下で待つヤマタノオロチには十分聞こえる距離と声量だった。ラタトスクの耳に廊下から笑う声が聞こえてきた。その声は一人ではないらしく、高い音とやや低い音に分かれていた。

 自分のいない場所で何を面白がっているのか、気になったラタトスクは急いで支度を済ませ、部屋の扉を勢いよく開ける。

廊下には全員が揃っており、ラタトスクの姿を見たギーブルとイルルは何事もなかったかの様に挨拶する。

「おはようございます。それと、先程はごめんなさい」

「おはよう。……さっき?」

「はい、一瞬だけ急に空気が熱くなったと思うんですけどぉ……」

という言葉に、ラタトスクはようやく気づく。イルルに説明された、ギーブルの魔術系統についての話だ。

「あれ、ギーブルがやったのか」

「そうですよぉ、驚かせてしまいましたぁ?」

「ちょっとな」

そう言う彼をにやけた顔で見ているヤマタノオロチは、声は掛けないが何を言おうとしているかは検討が付く。ラタトスクが少し睨みながら、ヤマタノオロチに話し掛けた。

「なんだよ」

「いいえ、別に」

と言って、すました顔をしているヤマタノオロチ。何とも煮え切らないラタトスクをそのままに、ヤマタノオロチが全員に提案する。

「それじゃあ、朝ご飯食べましょうか」

それに全員が賛同し廊下を進み階段を降りていく。一階へ近づく度に、食堂から美味しそうな香りが空腹を刺激する。

 一行が宿屋のロビーに着いた頃、開けられた玄関の扉から御者が入ってきた。外は変わらずの大雨だが、御者はとても明るく挨拶してくる。

「やぁ、皆さんおはようございます!これから朝食ですかね?」

それに対し一行がそれぞれ挨拶したあと、ヤマタノオロチが返事をする。

「えぇ。あなたも?」

「はい、朝飯は何でしょうなぁ!」

と言いながら、羽織っていたマントを脱ぎ壁に掛ける。一行が彼を待ってる間、ギーブルの頭の中は温かい食事で埋め尽くされていた。眠っている間に消費された魔力量をこれから十分に補うのだ、地鳴りの様に腹の虫が鳴いてもおかしくはない。

しかし、御者や宿屋の者に聞かれてしまうと、他国の民とは言え憚られる。彼女の様子に気が付いたイルルが鞄からハンカチを取り出し、ギーブルに手渡す。

「お嬢、涎が出てます」

「はい」

そう返事し、ハンカチを受け取って口許を拭う。丁寧な素振りをしているものの、御者の立ち位置からギーブルは丁度ヤマタノオロチが重なって見えない。

 一同が揃って食堂に着いた時、頃合いを見計らっていた女将が厨房から出てくる。昨日と同じく上機嫌な様子で、ワゴンに山の様な食事を載せていた。一同に離れたところからよく通る声で話し掛ける。

「おはようございますぅ!どうぞお座りください、すぐにお食事を運びますからねぇ」

その言葉に一同はそれぞれ返事し、御者が一行から少し離れた場所に座ると言い、一行は昨夜と同じ席に座った。各々が席に着くと、女将とその子供たちが食事を順に運んでくる。昨夜の量と比べて明らかに多かったのは、ヤマタノオロチが夕食後に話をしたからだろう。

 テーブルに置かれた数々の食事を輝く瞳で見つめるギーブル。口許はハンカチで隠していたものの、すぐにでも飛びついて平らげそうな気概を感じた。そんな童女の横に座るイルルはいつになく緊迫した表情をしており、女将たちが立ち去った後にすぐさまヤマタノオロチやラタトスクの皿に注ぎ分けた。

先程から流している涎からして残りの魔力量が心配だという事もあるが、空腹時のギーブルは通常の数倍の速さと量を胃に入れる。即ち、ギーブルに出されている取り皿に注ぐより大皿に残ったものを渡した方が早いのだ。

 昨夜の食事風景から、二人の大まかな食事量を記憶しており、適当な量のおかずを取り分けていった。全てのおかずを4人で分けた頃、最初に分けた料理がギーブルの前から消えていた。余程空腹だったらしく食べる度にその速度は速くなっていく。

 一口目は魔力が残り少ない状態で、腕を動かし顎で噛み砕くという動作にも時間をかけていた。しかし、食べる度にその動作を難無く行える魔力量を得て、目にも止まらぬ速さで貪っている。自分の予感が当たっていた事と、もしラタトスクとヤマタノオロチに食事を分けていなかったら―――と考えると少し身震いする。

 そんなイルルの心境を知らないラタトスクは、彼が注いでくれた食事を呑気に頬張る。今日は出来るだけ早く出発し、魔水晶が納められている御殿へ向かわなければならない。他国でどういった”龍の暴走”による影響が起きているか把握出来ていない為だ。

 イルルの予想通り、ギーブルが誰よりも早く食べ終えご機嫌な様子で椅子に座っている。目の下にある紋様もくっきりと濃く、魔力がよく馴染んでいるらしい。気づけばラタトスクもヤマタノオロチも食べ終わりそうな量になっており、イルルはやや慌ただしく食事を済ませた。


 全員が食べ終わった頃、女将が厨房から大きな風呂敷を渡した。

「これ、移動中でも食べれるようなものを作りましたぁ。たくさん食べて力を蓄えてくださいねぇ」

と言って、差し出されたのをイルルが受け取る。一行の中で一番の力持ちでもあるが、一番女将に近かった為に真っ先に立ち上がった。大きな風呂敷を受け取りながら、イルルは感謝を伝える。

 各々で女将に感謝を伝え食堂を出たところで、御者が一行にこう言った。

「先に馬を表に出しておきますんで、荷物持ってきたら来てくださいね」

ヤマタノオロチがそれに返事し、御者は素早くマントを着て外へ出て行った。ロビーの椅子を見て、イルルがギーブルに声を掛ける。

「お嬢はここに座っててください、持ってきますから」

「はーい」

「大人しくしててくださいよ」

とイルルは念を押す様に言い、ロビーの椅子に座るのを見てから階段を上っていった。する事のないギーブルは外から聞こえる微かな雨音に合わせ、頭を軽く揺らしている。それほど時間が経過していないものの、彼女にとってはとても長く退屈なものだった。

 暫く経った後、降りてきた三人と合流し、イルルはギーブルにマントを着せた。一行が合流した頃合いに、宿屋の夫婦とその子供たちが出迎えの為に集まり、期待の眼差しで一行を激励した。

「私らに出来るのはこれくらいですが、どうかご無事で」

「よく気を付けて進んでくださいねぇ。安全第一ですよぉ」

と言う夫婦の言葉に子供たちは頷き、幼い子共は小さな手を叩き全身で応援した。内気な少女も声には出さないものの、真っ直ぐな強い意志を感じられる表情をしている。誰かの強い期待に慣れていないラタトスクは少し圧倒されたものの、こういう場に慣れているヤマタノオロチが先に話し始めた。

「一晩だけでしたが、とても助かりました。皆さんのご期待に沿う為、必ずや任を果たしてきます」

と言った事に合わせ、それぞれ別れの挨拶をした。

「ご飯がとっても美味しかったです!」

「えっと、頑張ります……!」

「皆様の”日常”を一日でも早く取り戻してきます」

そして最後に、ヤマタノオロチがこう言った。

「それでは、行って参ります」

颯爽と一行が出た外は昨日と変わらずの大雨が降り続き、外で待たせていた馬が小さく嘶いている。外で待っていた御者が馬車の扉を開け、全員が入ったところを確認してしっかりと扉を閉めた。玄関先まで見送りに来た宿屋の人々に、御者が深々と頭を下げ彼も馬車に乗り込む。鋭い鞭の音と共に馬の足元に蒼い炎が揺らめき、雨が強く打ち付ける道を駆け出した。速度は徐々に速くなり、あっと言う間もなく姿が見えなくなった。

完全に見えなくなった頃、宿屋の主人が口を開く。

「本当に、彼らがこの大雨を止めてくれるのだろうか」

少し不安そうな表情で遠くを見つめる宿屋の主人に、明るい女将も子供たちもそれに答えられなかった。

『きっと』、『おそらく』―――その期待と願望を混ぜた様な希望的な言葉では慰めにもならない。振り続ける雨を見つめるのを止め、一家は建物内へ戻り女将がゆっくりと扉を閉めた。


 馬車の中は外の天気より少しだけ明るい空気をしていた。ラタトスクは普段の仕事で受けない激励に感動しており、気合いも十分で今にも叫びそうになっている。彼の正面に座るイルルは変わらず瞑想を続けており、横に座るヤマタノオロチは読書の続きを楽しんでいた。ギーブルは大きな風呂敷には何が入っているのか、色んな食べ物を思いつくだけ指折り数えている。それぞれ思い思いに時間を過ごしながら、母港へ到着するのを待っていた。

 やがて馬車は減速を始め、少しずつ外の景色もゆっくりと流れていく。窓からは鈍色の海が遠くに見える。大雨の影響は付近の海域まで及んでいるらしく、海上には曇天の空が広がっていた。読書を止め、外を眺めていたヤマタノオロチが呟く。

「そろそろ着く頃かしら」

と言うヤマタノオロチにラタトスクが尋ねる。

「そういえば、魔水晶ってどんな感じになってるんだ?」

「あくまで推測だけど、国で起きている異変と同じ事が起きているんじゃないかしら。ここで言うと、恐らく水が深く関係してるんだと思う」

「なるほどな」

そう言い納得している風のラタトスクだが、あまりよく分かっていない。少し間を置いた後、ヤマタノオロチが言葉を継ぐ。

「それの逆で、魔水晶から溢れているモノが国に広がっているのかもしれないわね。どちらにせよ覚悟して挑みましょう」

この言葉に対し、全員は深く頷いた。情報が少ない現状では、実際に目で確かめる他ないのだ。

 意見を交わしている間に目的地へ到着したらしく、降りる支度を済ませた各々はフードを被り待機した。馬車が停止して暫く経った後に扉が開けられ、明るい口調の御者が全員にこう告げる。

「やぁやぁ、数刻ぶりです!お待たせしました、ここから出港して離島へ迎えますよ!」

と言って、降りてきた一行に母港を紹介する。大きな入口の前に横付けしたらしく、馬車を降りてすぐ上は屋根があった。

 鉄紺色の大きな扉の横には、海を思わせる鮮やかな色合いの壁。灰色の石畳がまるで海底の砂利の様に見える。リエラ国で唯一の港な為、国の入口とも言える立派な造形を施されている。荘厳でありながら華美ではない、蒼流の賢者を含め歴代国王たちの人格を表している様な建物だ。

 意気揚々としているものの、馬車の傍らから動かない御者にギーブルが尋ねる。

「御者さんはここでお別れですかぁ?」

この問い掛けに対し、御者はしゃがみ込んで答える。彼女と目線を合わせる為だ。

「はい。私はここで一旦別行動しまして、皆さんがエリベルへ着いた時に合流しましょう」

「えぇ、そうしてもらえると助かるわ」

ヤマタノオロチはにこやかに答える御者にそう話し掛けた。そして更に話を続ける。

「どの船に乗れば良いとかあるかしら?なるべく早く行きたいと思ってるのだけれど」

「おぉ、伝え忘れておりました!今回は皆さんの旅路専用に、王様が手配した船がありますので、それにご搭乗ください!中で案内の者がいると思われます」

「あらそう、さすがお爺様。ありがたく使わせてもらいましょ」

と言って、少し間を置き感謝を伝える。

「ここまでありがとう。エリベル国からもよろしくね」

「勿体ないお言葉!この馬車で良ければ何処へでもお連れしますよ!」

その言葉に微笑みで返し、ヤマタノオロチは歩きだす。そしてラタトスク、イルル、ギーブルの順で御者に別れを告げ、建物の中へと入っていった。

御者は完全に一行が見えなくなるまで手を振るのを止めず、その後ろ姿をただ見守っていた。


 入口を抜けて広いエントランスホールへと出た一行。そこはまさに海底とも言えるひんやりとした内装をしていた。この国から出た事のないラタトスクは、その美しい建物に心を奪われた。

 深藍色の床と下から上にかけて段々と明るい色合いになっている壁、天井の花色をしたステンドグラスは蓮を象っており、晴れた日であれば床に巨大な蓮が現れる。

灰色のカウンターには鮮やかな桃色や浅葱色の雑貨が並び、壁際に置かれた銀色の長椅子はまるで細長い魚の様だ。深緑色の丸い椅子は壁の隅に固まって置かれ、壁には海流の様に分かれ道が三つある。

「確かこっちから来たんですよねぇ」

と言い、分かれている通路の一番右を指差すギーブル。しかし、イルルからすぐに訂正されてしまう。

「いえ、あちらです」

と言って彼が指差したのは一番左端だった。そしてイルルはヤマタノオロチの方を向き、言葉を投げ掛ける。

「シアト国方面に行くならばこちらですが、離島もこちらで良いんでしょうか」

「そうね。方角的には大差ないから、とりあえず行ってみましょうか」

「はい」

そして一行はエントランスホールから続いている通路を通り、待合室の様な場所に出た。先程と同じような内装で、この部屋の奥にも更に通路があるらしく、中間地点の様な小さな部屋だ。部屋に入ってきた一行に気が付くと、その人はゆっくりとした足取りで近寄り声を掛けてくる。

「こんにちは、王様からの案内の御一行様で間違いありません?」

「えぇ」

「それはそれは、ようこそおいで下さいました。わたくしの予感は正しかった様で、嬉しく思います」

と言って、口許に軽く手を当て微笑む。濃紺の髪を肩までに切り揃え、琥珀色の瞳をしている彼女は、この国では珍しい装いをしている。紅碧色のショールに紺桔梗色の全円ワンピースで、スカートの裾から伸びる白い足は紺桔梗色の浅いヒールのポインテッドトゥを履いている。

困惑している一行の空気を感じ取った彼女は、改めて自己紹介をした。

「申し遅れました。私、ここを管理している『ベルーダ』という者です。皆さんの船で操縦も任されております」

と言ってゆったりと礼をする。動作や口調がとても上品で優しい印象を受けるベルーダに、警戒を解いたヤマタノオロチが挨拶する。

「ご丁寧にありがとう。私はヤマタノオロチ、こっちがラタトスクで……」

「この小さいのがギーブルで、自分はイルルと言います」

と、自分らの名を紹介していく。それぞれに頷きながら聞いていたベルーダは、手帳を見ながらこう告げる。

「ヤマタノオロチ様、ラタトスク様、ギーブル様、イルル様ですね。確かに、確認致しました」

そして微笑み、通路の奥を示しながらこう言った。

「それでは、参りましょうか」

「えぇ、よろしく」

と、ヤマタノオロチが返事をし、ベルーダがそれに頷いた。

一行は彼女を先頭に通路を真っ直ぐに進む。点々と灯る天井の淡い照明以外には何もない、閉鎖的な場所を通り抜けた先には広い空間が広がっていた。

 辿り着いたのは天井が高く壁が一面だけ存在しない空間。先程の青色は無く、床や壁も天井まで全てが鈍色になっていた。この空間の中央から壁のない空間まで床がなく、その変わり海水で満たされている。水面にはこれから一行が搭乗するだろう一艘のやや大きな船が浮かんでいた。

 

 これまでの道中でもの珍しさに浮かれていたラタトスクだったが、船を見て感情は一気に高まった。歓喜のあまり少年の様に感動していたのだ。

「おぉぉ……これが、船……!」

「そういえば、ラタちゃんは見たことないんだったかしら」

と、呑気にヤマタノオロチが言う。普段なら少し捻くれた返答をするラタトスクだが、今は感動していて素直に答えた。

「あぁ。大陸外に出る機会なんてなかったからな」

「それもそうね。それなら早く中も見てらっしゃいよ、凄いわよ」

その言葉にラタトスクは瞳を輝かせて言う。

「いいのか!?」

想像以上の喜びぶりに驚きつつも、久しぶりに心底楽しそうにしているラタトスクを見れて嬉しく思っているヤマタノオロチ。予想外の反応を見て驚いているギーブルとイルルを他所に、ベルーダに案内されるままにラタトスクは船に乗り込んでいく。

茫然としている二人にヤマタノオロチが声を掛ける。

「ほら、私たちも行きましょ」

「はーい!」

とすぐさまギーブルが返事をし、順に船へ乗り込んだ。


 船の内装は質素なあまり飾り気のないもので、旅客船というより実用性を重視されたものだ。とは言え、座面や備え付けの寝台は程よい柔らかさと上品さがあり、十分に休息が取れるものである。部屋は二人一部屋となっており、ラタトスクとヤマタノオロチ、ギーブルとイルルが相部屋となった。

 四人だけの貸し切り状態の船内で、船内放送が聞こえる。声の主はベルーダである。

「これより、当船は出港いたしまぁす。出港直後は揺れますので、デッキに出ないようお願い申し上げまぁす」

と言う注意喚起の後、大きな汽笛が響き渡りラタトスクは驚いた。出入港の際に汽笛がなるという事は知識として知っていたものの、どのような音なのか知らなかったからだ。相部屋のヤマタノオロチは驚いているラタトスクを見てケラケラと笑った。

 進みだした船は早く、ベルーダの魔術によって諸々の性能が強化されている。彼女の魔術は『召喚系』と『防御系』らしく、自分の分身に近しい精霊を数体呼び出して船の操縦を任せ、自身は速度を出す為に船の周囲に防御壁を張っている。

このままの速度を保てば、荒波であろうとすぐに到着するだろう。と、小窓から外を見ていたヤマタノオロチは推測した。

そしてその推測通り、離島へはすぐに辿り着けた。

水の魔水晶が待つ御殿へ。

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龍人伝記 柊 撫子 @nadsiko

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