休憩
城を出て数時間が経った頃、外を眺めているのも飽きたギーブルが足をぶらぶらと揺らして考え事をしている。時折り正面で瞑想しているイルルの足へ当たっているものの、お互いにそれを気に掛けていない様子でいた。
一方でラタトスクは揺れる車内で眠っており、ヤマタノオロチは静かに読書している。雨音と馬車が疾走する音以外ないこの空間で、ギーブルが出来る事はこうして足を揺らすのみだった。
暫くして、瞑想を止めたイルルが声を掛ける。
「お嬢、暇なんですか?」
「いいえ、別にどうって事ないですよぉ」
意地を張ってそんな事を言ってしまったものの、実際は退屈で仕方がない。だがそんな事はイルルとヤマタノオロチには伝わっている。そこで、読書に一区切りついたヤマタノオロチが横に座るギーブルへ提案する。
「それじゃあ、ちょっとなぞなぞを出してあげましょうか?」
そんな提案に対し、ギーブルは嬉しそうな表情をする。
「ふふふ、私はなぞなぞが得意なのですよぉ?ヤマタノお兄様と言えども不利じゃありませんかぁ?」
と煽るように言ったが、イルルもヤマタノオロチもギーブルがあまり得意ではない事はよく知っている。その為、程よい難易度で宿屋に着くまで考え続ける様なものがちょうど良いのだ。
うーん、と暫く考えたヤマタノオロチは大げさに閃いたという動きをし、ギーブルにこんななぞなぞを出題した。
「ある国で『秘密を持ってはいけない』という法律を作ったところ、貧富の差がなくなりました。さて、どうしてでしょう?」
「ある国で……法律が……貧富の差……。ふぅむ、これは難問な予感がしますねぇ」
と真剣な表情で頭を働かせているギーブル。聞いていたイルルはすぐに分かったものの、心優しい従者は答えを口にする事はなく、ヤマタノオロチに視線で合図した。それにウインクで返したヤマタノオロチは、再び読書を再開する。イルルもまたギーブルを邪魔しない様に瞑想をする事にした。
馬車が進む速度は段々増していき、鍛え抜かれた馬である上に魔術的な強化を得ている現在、これ以上に早く進む乗り物はないだろう。城下街も早々に過ぎ、現在は中間地点とされている宿屋の数キロ手前を疾走中だ。徐々に減速していく馬車の中では、ギーブルが雨音に消えそうな小声で呟いている。
「秘密……持ってはいけない……?」
呟いている内容からして、宿屋に着くまでに答えを出せるかどうかすら怪しいものとなってきた。だがヤマタノオロチもイルルも答えを言うつもりも、助言をするつもりもない。宿屋での夕食時にでも答えを言えばいい、そう思っているのだ。
ギーブルが考えている内に馬車と宿屋の距離は縮まり、やがて一般的な馬車の速度になった。速度が遅くなったところでラタトスクは目覚め、大きな欠伸と背伸びをした。ラタトスクが起きたことに気づいた三人は、それぞれに目覚めの挨拶を投げかける。まだ眠気覚めやらない瞼を擦りながら、挨拶を交えて話しかけるラタトスク。
「おはよ……今どの辺?」
「あと数分くらいで宿屋に着く頃ね」
「そうか、案外早いもんだな」
と、会話している内に段々と覚醒しつつあるラタトスクは、ギーブルが先程から何やら呟き続けている事に気が付く。はっきりとは聞こえないものの、真剣な表情で思考を巡らせているギーブルの邪魔をしてはいけないと悟った。あと少しで着くと言われた為、する事のないラタトスクは窓の外を眺める事にした。窓の外は見知らぬ街が流れており、相変わらずの大雨で風景は重い空気をしている。
ヤマタノオロチが言った通り、ラタトスクが外を見始めてすぐに馬車は止まった。出発した時とは違いラタトスクは足を踏ん張っていた為、止まった反動で飛ばされはしなかった。しかし、なぞなぞの答えを考えているギーブルは、前のめりに倒れぶつかる前にイルルが抱い上げた。イルルは手慣れた手付きでイルルを床に降ろし、赤いフードを被せる。一方でギーブルは考える事に夢中で助けられた事にも気づいていなかった。
中年のふくよかな御者が左側の扉を開け、丁寧にしかし軽く挨拶する。そして悪天候に負けない爽やかさで声を掛ける。
「お待たせしました!さぁさ、着きましたよ」
それに対し、集中しているギーブル以外は口々に礼を言う。イルルが御者に一言謝るものの、御者は一切気にしていないと笑った。
一行が降りた先には白いレンガの壁と蒼い窓が特徴的な建物があり、濃藍色の玄関扉に描かれたこの国の象徴でもある蓮の花が描かれていた。玄関先には宿屋を切り盛りしている夫婦が立っていた。彼らの風貌や雰囲気から優しそうな人柄が溢れており、一行が何者か分かっている風で挨拶をする。
「ようこそおいで下さいました、どうぞゆっくりしてください」
「お風呂は準備してますのでぇ、お好きな様に入ってくださいねぇ」
そうして宿の中へと通された一行は、宿に入ると同時にフードを取った。
宿屋のロビーは黒鳶色の高い天井と柱、壁は
御者が馬車から降ろす荷物を宿の主人とその子供たちが受け取り、御者は馬車を厩へ納めに行くらしい。
三階の部屋へ案内するお喋りな女将が、客が久しく来ていない事や大雨がどう迷惑しているか、そしてヤマタノオロチに強い期待を寄せている事を遠回しに話した。女将が彼に期待しているのは実力を知っているからではなく、単に顔が好みであるというだけだ。その事を分かっているヤマタノオロチは、外交用の態度と口調で相槌ちしている。
「ホントねぇ、早くお日様が見たいですわねぇ」
「えぇ、同感です」
「いつまでもこんな天気じゃ気が沈んじゃってねぇ、お客も全く来なくってぇ」
「それは大変ですね」
と微笑みながら返事をするヤマタノオロチ。それを後ろからついて行きながら、内心『絶対話聞いてないだろ』っと思いつつも黙っているラタトスク。なぞなぞの答えを考え続けているギーブルと、それを抱えて歩くイルル。傍から見れば珍妙な団体に見えるかもしれないが、この大陸の危機を救う者たちなのだ。
案内されたのは階段を上がって左に折れた所にある廊下の先、そこから右に曲がった場所の左右に二部屋ずつ並んでいる。部屋の前に目印になるような物もなく、全ての扉には円形の硝子に青藍色の蓮が描かれていた。
「お部屋は一人一部屋をご準備しておりますので、お好きな場所にお泊り下さいねぇ」
「はい、ありがとうございます。後は私どもで問題ありませんから、お休みになられて結構ですよ」
「あら、そうですかぁ?それじゃあお言葉に甘えてぇ、お夕食の準備をしてきますねぇ……」
と、女将は浮き足で階段を降りて行った。彼女の姿が完全に見えなくなるまでヤマタノオロチの顔は微笑み、ラタトスクに声を掛けられるまで続いた。
「……おい、そろそろ良いと思うけど?」
「……はぁー」
ヤマタノオロチは深く静かなため息と共に肩の力をゆっくり抜いた。そして、ゆっくりと息を吸い込み、ラタトスクとイルルに話し掛ける。
「それで、どの部屋が良いとかあるかしら」
「あ、その前にお嬢をどうにかしなきゃです。もう答え教えてやってください」
と言って、抱えたままだったギーブルを床に降ろした。それから膝をつきギーブルに目線を合わせ、はっきりとした声で話す。
「お嬢。着きましたよ」
「え、はい。……はい!?」
と言って、自分がいる場所が車内ではなく、見知らぬ建物の廊下である事に驚きを隠せないギーブルは、引っ切り無しに周囲を見回した。慌てているギーブルにイルルは冷静に状況を説明する。
「ここは中間地点の宿屋です。これから部屋の割り当てなんですが……」
そう言いながらイルルはヤマタノオロチの方を見ていた。話を合わせてほしい、という意思を感じ取ったヤマタノオロチは、しゃがみ込んでギーブルに話し掛けた。
「その前に、なぞなぞの答えを教えましょう!」
この言葉に目を輝かせたギーブルは、飛び跳ねるのを堪える様なポーズをとって歓喜の声を上げる。
「ヤマタノお兄様、本当ですかぁ!」
「えぇ、もちろん正解は―――」
「正解は……?」
期待の眼差しを向けるギーブルに、ヤマタノオロチは声高に正解を宣言した。
「正解は『かくさないから』でした!」
時は進み、夕食の時刻となり女将が全員に声を掛けて回る。入浴を済ませそれぞれの部屋で寛いでいた一行が、女将に連れられるまま一階の食堂へ向かった。ロビーに着いた頃に、全員の鼻が温かく美味しそうな香りを嗅ぎ取った。先程まで頭を働かせていた反動か、空腹で仕方がないギーブルは涎を堪えた。
食堂には円形の焦茶色のテーブルが五つあり、そこに四つずつ椅子が並べられている。奥にはカウンター席があり、その向こうは厨房になっている。カウンター席では御者がのんびりと寛いでいる。女将に招かれるまま、食堂の中央にあるテーブルに全員が座る。時計回りにヤマタノオロチ、ラタトスク、ギーブル、イルル、という順だ。
厨房からワゴンで食事を運んでくる少女に女将が声を掛ける。
「ほら、ご挨拶しなさい!」
「え、えっと、こんばんはっ!」
と言って、少女は走り去ってしまった。内気な性格なのだろう、女将の厳しい声色が怖くて逃げだしてしまった。テーブルに座る面々は去っていく少女に手を振ったりなどしたが、四人に背を向けていた女将はそれを見ていない。その為、申し訳なさそう猫撫で声で一行に謝る。
「すみませんねぇ、うちの子はちょっと人見知りでしてぇ……」
「お気になさらず、私もあのくらいの頃はそうでしたから」
と、すかさず応えたのはヤマタノオロチだ。それを横に座って聞いているラタトスクは、内心『嘘つけ!』と叫んでいたが堪えた。
「そうなんですかぁ!意外ですねぇ」
「はは、よく言われます」
そう言いつつ軽く笑みを零す。少女が置いて行ったワゴンを女将がテーブルの横まで運び、料理を手早くテーブルに並べる。振舞われたのは大皿に乗った料理をそれぞれで取り分けるというもので、リエラ国ではよく一般家庭で食べられる品々ばかり。この街が海に近いからか、魚を多く使った料理が主菜という構成をしている。
料理を並べ終え、汁物と主食を注ぎ分けた女将はにこやかな笑顔でこう言った。
「それじゃあ、ごゆっくりどうぞぉ」
「ありがとうございます」
と口々に礼を言い、女将がワゴンを押して戻っていく。
イルルとギーブルは数秒手を組んだ後、イルルがギーブルにどの料理を取り分けるか尋ねる。昼間に暴飲暴食をしたラタトスクは控えめに注ぎ、元々小食のヤマタノオロチは皿に少量ずつ載せた。
イルルはギーブルの皿に山の様に注いだ後に自分のを適度な量を載せ、素早く食べ始めた。ギーブルが料理を食べ終わる前に食べてしまわないと、いつまでも自分が食べる事が出来ないからだ。
これは長年ギーブルの世話をしてきた事で得た知識である。普通の子供の世話でも苦労は多いのだが、ギーブルの場合は食事の時が特に大変だ。彼女の細い体のどこに入れているのか分からない程の量を、早食いをしているかの様な速度で食べ続ける。
見栄えを気にして料理を小出しにしてしまうと、引っ切り無しにおかわりを所望されてしまう。更に、イルルが食べる時間も物も無くなった頃におかわりを止める、という事も多々あった。
そこで見つけだしたのが、イルルは自分の分も確保しつつ最初にギーブルが食べる分を出し、おかわりを所望される前に食べ終わるようにするというものだ。傍から見れば細身の童女に山盛りの食事を与えている残忍な男だという印象になるだろうが、ギーブルの食事量を知っている者からすれば懸命な判断だと言われるだろう。しかし、彼にとってそんな事は関係ないのだ。
今でも、イルルが料理を半分食べた頃にギーブルも半分ほどになっている。もっと早く食べなければ追い越されてしまう、この二人だけ早食い対決の決勝戦ぐらいの緊迫感があった。
その一方でゆっくり食事を楽しんでいるラタトスクとヤマタノオロチは、競い合う様に食べている二人を眺めている。一通り眺めた後、ヤマタノオロチがラタトスクに小声で耳打ちする。
「ね、ラタちゃん。ギーブルはね、イルルと競争してるんですってよ」
「マジかよ、ほんとに競争だったのか」
「えぇ。イルルには悪いけど、見てて愉しいわ」
「同感」
と話し、再びのんびりと料理を口に運ぶ。食事をしながら、ヤマタノオロチは『ラタちゃんが大食いじゃなくてよかった』と安心していた。幼少期のラタトスクはヤマタノオロチと同様にあまり食べられず、自分で料理を作る事を覚えるまでは食わず嫌いだった。十歳年が離れている為か彼にとってのラタトスクは、成人した今でも幼い子供の様に思っている。
ヤマタノオロチがそんな事を考えている間にも、向かい側の二人は次の料理を食べ始める。これはまだ暫くかかるだろう、と思った見物人たちはどちらも応援しつつ食事を続けた。
和やかで少々慌ただしかった夕食を終え、全員が部屋に戻っていく。明日は朝早くに出発する事を宿屋夫婦に伝えると、朝食を用意するだけでなく昼に食べられるような軽食も準備すると言われたのだ。とても親切な対応に皆とても感謝し、穏やかな心持ちで寝る事が出来る。
眠りの浅いヤマタノオロチが一番早く目覚める為、それぞれの部屋を起こして回るという事を決め、思い思いに言葉を交わしそれぞれの部屋へ入っていく。
部屋の窓際に立つと夜間のせいか、大雨のせいか、少し冷たい空気を肌に感じる。窓の外で変わらず振り続ける雨を暫く眺め、夕食の温かさが逃げない内に眠りについた。
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