なぜ小説を書くのか

阿井上夫

なぜ小説を書くのか

私が小説を書き始めた理由は、他のことをして生きるのが辛くなってしまったという後ろ向きな理由も正直あるのだけれど、自分が若くてとても辛かった時期に、小説に助けてもらった恩返しをしたいという思いもある。中学校までは現実が死にたくなるほど嫌いだった。目の前に広がっている世界に夢を持てなかった。それは世界に問題があるというより、そんな世界で自分が自分であることに自信が持てなかったことが問題だったのだが、まだ若かった自分にはどちらも同じことのように思えた。そんな袋小路のどん詰まりでもがいていた時に、偶然手にしたのがヘルマン・ヘッセの『春の嵐』である。『車輪の下』でないところが自分らしくて微笑ましいが、それはともかく、私はその小説に登場するゲルトルートに恋をした。主人公は横からハインリヒ・ムオトにゲルトルートをかっさらわれたが、自分だったらそんなに簡単には諦めないのに、と思うほどのこっぱずかしい恋をした。以降、私が生きてこれたのは、もしかしたらゲルトルートが現実世界にいるかもしれないという、馬鹿げた幻想があったお陰ではないかと思う。今はさすがにそこまで思い詰めてはいないものの、誰かの人生において自分の小説が同じような役割をはたしてくれたらいいな、と思わずにはいられない。小説は絵空事である。それは分かっているが、その絵空事で人生が変わることもある。逆に、小説によって人生が左右されたことがない作者の小説を、私は評価したくない。自分の書く物語にそこまでの力があるかどうかは分からない。たぶんないだろう。それでも書く熱が冷めないのは、いつか、もしかしたら、という微かな希望が消えないからだと思う。今日は酔っているから正直に書いてしまったが、明日の私は恥ずかしさのあまりこれを読んで悶え苦しむだろう。改行しないのは羞恥心の現れである、と屈折したツッコミを入れてみる。いやいや、とんでもない話になったが、どうせだから最後に一言加えたい。貴方が小説を読んで何か喜びを感じたのなら、それを作者に伝えることを躊躇わないでほしい。その感想だけで、他の誰も評価しなかったとしても、作者は書き続けることが出来る。少なくとも、小説で人生が変わった経験のある作者ならば、間違いなくそうなる。それを忘れないで欲しい。ちなみに私には必要ない。もう十分に助けてもらった。だから、他の作品を読んだ時に思い出して欲しい。作者を生かすのは貴方であるということを。

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