第10話
竜が舌を取り戻す方法。それは、愛した者の舌を奪うというものだった。そのために必要なことが口づけであり、それを行使したレイフは自身の舌が無くなっているのに気付いた。しかし後悔などは微塵もない。むしろこれで良かったとさえ思えている。
そんな、本来の姿を取り戻したソフィアの背中に乗っていたレイフだったが、郊外に出たところでとある人影を見つけ、ソフィアに合図を出して地に降り立った。
そこにいたのは、ヴィダルだった。
「ほう、すげえな。これが竜ってやつか」
ヴィダルは普段どおりの様子で感嘆の言葉を洩らしたが、それだけ。それよりも眼前に立ったレイフを見据える。
『よう、レイフ。お前、何処に行く気だ? まさか竜の世界にでも行く気か?』
手話を用いた会話。これもずいぶんと交わしたものだ。
『いえ、僕たちは人と竜が共に暮らせる丘「ハル」を目指します』
『そんな御伽噺を信じるのかよ。……レイフ、それは却下だ。すぐに俺と町に戻れ』
『断ります』
『命令を拒否すると言うことか? いつも俺の命令に従っていたお前が、逆らうと?』
『はい。僕には彼女と共にやるべきことがあります』
『それがハルを見つけることだって言うのかよ……。いや、よくわかった。だが、それは無理だ。何故なら、俺がここでお前を斬るからだ』
そう告げ、ヴィダルは持っていた二本の内、一本の剣をレイフに投げた。剣は回転しながら放物線を描くと、レイフの眼前で地面に突き刺さった。
『罪を犯した従者は罰しなければならない。俺はお前の雇い主として、その責務を果たす。では、お前はどうする』
レイフは眼前の剣を見やり、次いでヴィダルを見た。彼は笑っていた。
『俺はお前を斬る。もしもお前に目的を遂げるだけの覚悟が、俺に抗うだけの覚悟があるというのなら、それを手に取れ。――決闘だ』
ヴィダルが鞘から剣を抜く。レイフは静かに瞼を落とすと、とある感情を抑え込むように下唇を噛み締め、地面から剣を引き抜いた。
互いに剣を正眼に構える。
追っ手のことを考えると、長話をしている暇はない。そういう理由もあったのだろう。しかしそれよりも、まるでこうなることを予見していたかのように、二人の動作に淀みはなかった。
レイフの口が動く。
今までありがとうございました、と。
ヴィダルは鼻を鳴らす。
抜かせ、と。
二人に余計な会話はなかった。やることは一つ。
そして決着は一瞬だった。二人は同時に地を蹴って肉薄すると、これまた同時に剣を振るったのだ。衝突する二つの剣。しかし一方の剣は、その刃を半ばで失っていた。
両断された刃が宙を舞い、そして地面に突き刺さった。
「呆気ない……。完敗だな」
ヴィダルは手に持つ両断された剣を見て、それから側にすれ違う格好で佇むレイフを見た。
レイフは口惜しそうに何かを言おうとパクパクと口を開閉させている。何かを伝えたい。だけど何を言って良いのかわからない。そう悩んでいるようだった。
なのでヴィダルはその背中を叩いてやった。
『お前みたいな奴は、俺の知らない所で勝手に苦労して、勝手に幸せになりやがれ』
ヴィダルの別れの意志により、レイフの胸中にあったあらゆる不安は払拭された。だから余計な言葉は用いず、思わず潤みそうになった目元を拭い、感謝と別れを込めて頭を下げ、待っていたソフィアの背中によじ登った。同時に竜は飛翔。天高く、何処までも高く。竜はそうして飛び去っていく。
「何処にでも行けそうだよな、ほんと」
そう零したヴィダルに、木陰に隠れていた悪友のヨーランが歩み寄る。
「良かったのか、あれで」
「なにがだ?」
「あんな、形だけの決闘……。お前、わざと負けただろ。レイフもやり合う前からお前の意図を察してたみたいだった。打ち合わせどおりってところか?」
「いいや。打ち合わせなんかしてねえよ。だけど長い間、ずっと一緒にいた仲だからな」
「以心伝心ってやつか? だが、やっぱり負ける必要はなかっただろ。たしかにカールシュティン家が巻き込まれないためには、レイフに絶縁状を叩き付ける必要があった。そのために剣を用いたことまでは理解できる。だけど……」
するとヴィダルは失笑。
「あいつの剣は、俺の剣よりも遥かに重かった。俺は、負けるべくして負けたんだよ」
「でもお前、召使いに負けたと報告したら、騎士団に入ることなんて……」
「いいんだよ。元々騎士団に興味はなかったし、むしろ清々するね。それにほら、俺って多才だろ? 騎士団が駄目でも他の道を選びたい放題じゃん」
「うわ、むかつく。こんなときに自慢かよ」
「自慢が許される立場なんだよ、俺は」
そう笑うと、ヴィダルはもはや点にしか見えないほどに遠くへと飛び去った竜を見据え、思った。
レイフは一度も命令に逆らったことがなかった。きっとそれは、召使いとしてならば優秀と評せるのだろう。だが、友人としては不合格。だからレイフにはよく言ったものだ。お前には目標がないのかと、自我はないのかと。そんなレイフが、ようやく自分の意志で行動した。それが嬉しかったのだ。
ヴィダルは一仕事を終えたと大きく伸びをする。
友人が自分の意志で旅立った。ならば自分もそろそろ目指すべき方向を定めるべきか。
「ほんと、多才も大変だわ。道があり過ぎて、どれにするか目移りしちまう」
わざとらしく言ったヴィダルの肩をヨーランは小突き、二人は大いに笑う。楽しく、嬉しげに。きっといつか、そんな笑い声が遠くの丘から聞こえてくると信じて。
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作品を書かれている方ならば、おそらく誰でもぶつかるであろう「羞恥心」という壁。正直、この作品を書き上げた後に作者が思ったのは、これを衆目に晒すのか、というものでした。やはり色々と小っ恥ずかしいことも書いてしまったので。しかし、それでも書ききった感はあります。なので満足です。
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