ある意味の戦い終わり
鳥谷先輩を倒した翌朝の事だった。
師匠のお部屋に行き、朝のご挨拶をしようと襖を開けた所、鳥谷先輩が正座してお辞儀をしている光景があった。
「お、尚美、早いのう」
「おはようございます師匠。と、鳥谷先輩…」
ここでお辞儀をやめて私の方に振り向く。
鳥谷先輩の顔色が土色になっていて、まるで死人のようだった。目の下の隅も凄い。ゾンビのようだ。
「…神崎か…」
正座の儘私に向く。身構えてしまった。なんか気持ち悪いから。
「申し訳なかったですううううう!!」
いきなりの全力の謝罪。正座の儘だから土下座の形になっている。
「し、下着を盗んだ事ですか?それなら北嶋さんに仇を取って貰ったから…」
私は一応常識人だと思っている。その常識人があれ以上ペナルティを与えるだろうか?同情するくらい、あまりにも可哀想過ぎた。
「か、神崎が掘り起こせと言わなけりゃ俺はマジ死んでいた!!」
北嶋さんは放置するつもりだったし、生乃は北嶋さんに全面的に同意しちゃうし、黒刀先輩はこの後に及んでも追い込もうとしていたしで、誰も鳥谷先輩を救出しようとしなかった。
意外な事に別館の男共も口を開く事すら無かった。単純に北嶋さんが怖かったのもあるんだろうが、後輩達にも特に慕われていなかったと言う事だろう。女子は言わずもがな。全員鳥谷先輩の被害者だし。
鳥谷先輩自身、一言も言わなかった。言ったらビンタが飛んでくるから。ただあの不気味な作り笑いをしていた。
「もういいんじゃない?鳥谷先輩を掘り起こさないの?」
あまりにも長時間ほったらかしだったので進言した。
「あ?なんだ尚美?あのクズを庇おうってのか?」
黒刀先輩がチンピラのように凄み、絡んでくる。
「おい殺し屋。神崎になんかあんのか?神崎は俺んところの所員だぞ?文句があるんなら所長の俺が聞いてやる」
「流石は尚美だ。あんなクズでも庇おうとするなんてな!流石私の後輩!」
爽やかな笑顔を拵えて肩を叩いてくる。『手のひら返しの黒刀』は後輩にも適用されるのか。北嶋さんが怖いからなんだろうけど。
「しゃーねえ。面倒だが掘り起こすか」
そう言って腰を上げた北嶋さん。そろそろ夕飯になろうと言う時間だった。
「まあ、あれは水谷で死人が出たら困るからであって…」
鳥谷先輩の為ではない事は確かだ。可哀想だと同情はしたが、救出は水谷の為。だから勘違いしないで欲しい。
「下着を盗んで悪かった!!返したいが受け取らねえだろう!!!だから金で払う!!買い取りとは言わないが、詫びだと思ってくれ!!」
土下座の儘封筒を滑らせる。どうしようか困ったところ、師匠と目が合い、頷かれたのでそれを受け取る。
…結構厚い?
「これ、いくら入っているんですか?」
「10万だ!」
10万!?捨ててもいいや程度に思っていた下着に10万!?
これは流石に受け取れない。さっきも言ったが北嶋さんに仇を取って貰ったから、私的にはあれで終わった話だし。
「これは受け取れな」
「頼むから受け取ってくれっ!!!」
必死の懇願である。なんで?
「尚美、受け取ってやれ。鳥谷の気持ちじゃ。気持ちは無下にしちゃいかんぞい?」
師匠に言われてはそうせざるを得ない。渋々ながら封筒を受け取る。
「あの小僧…いや、北嶋様にちゃんと言っておいてくれよ!?許したからと!!絶対だぞ!!」
受け取った瞬間、掴み掛からんばかりに接近してきた。正座の儘。目を見開きながら。要するに北嶋さんが怖いからか。納得したからちょっと離れて欲しい。
「ん?北嶋『様』?」
「馬鹿神崎!!北嶋様は北嶋様じゃねえか!!俺はあの人を心底尊敬したんだよ!!」
涙目で訴えられてもなぁ…尊敬したんじゃなくて超ビビっているの間違いじゃないの?
「鳥谷よ。尚美はあの小僧が嫁にと言った女じゃぞ?」
「神崎様!!北嶋様に俺がマジリスペクトしていたって言っておいてくださいっ!!!」
勢いある土下座である。おでこを付けた畳がバフンと音がする程だった。穴開いてないでしょうね?
「鳥谷先輩、嫁にと言っているのは北嶋さんが勝手に言っているだけですから。私は彼のお嫁さんでもないし、恋人でもない。ただの事務所の所員ですから」
だから『様』はやめて。本気で嫌だから。
「んな事はどうでもいいんだよ!!リスペクトしていたって言ってくれってば!!」
また必死の懇願である。そんなに取り入りたいのか?いや、これ以上狙われたくないんだろう。トラウマ植え付けられたみたいだし。
「わ、解りましたから。言っておきますから」
「そうか!!宜しく頼んだぞ神崎!!これで心残りはなくなった!!」
そう言ってスックと立ち上がる。心残りって…まさか自殺するつもりじゃないでしょうね?
「鳥谷は本日を以って水谷から独立したんじゃ。じゃから憂いは少しでも無くしておこうとな。いや、良い心掛けじゃ」
憂いって、悲しいんじゃなくて怖いからでしょ。師匠の破顔も独立を嬉しく思っているんじゃなくて、出て行ってくれるからでしょ。
「ワシは独立を嬉しく思っとるよ。特に鳥谷が選んだ場所は九州。九州は遠いからの。そこもよう選んでくれたと感謝すらしておる」
心を読まれた!!でも九州か。遠いから師匠も難儀していた場所だ。確かに助かるかもしれない。
「いや、九州は北嶋様からも遠いから…」
そこは素直に九州に弟子が少ないでいいでしょう!?別にそこまで認めろとは言わないよ!!
「ま、まあまあ…で、いつ出発しますか?」
「今」
「今!?まだ5時前ですよ!?荷物は纏めたんですか!?後輩達に一言くらい言ってくださいよ!!」
「昨晩の内に纏めたよ。デカいモンは後で送って貰う事にした。残ったモンは別館の野郎共で分けろと言っといた。リアルラブドールは持って行くけど」
リアルラブドールって物は知らないけど…昨日掘り返してから引っ越し(逃げる)準備をしたのか…
別館住まいが長いから結構な荷物だったろうに。
「でも住む部屋とかは…?」
「俺もこの業界は長いからな。暫く厄介になれる場所くらいはある」
お寺とか教会かな?九州方面はお弟子が少ないし、みんな女性ばかりだから鳥谷先輩を泊めようって人はいないだろうから。
「では師匠!!お世話になりました!!」
物凄くカッコイイお辞儀だった。師匠を尊敬しているのは本当みたいだ。じゃなきゃ、あんなに素晴らしい姿勢な筈が無い。
「うむ。事務所はワシの伝手で早い所手配して貰うでな。頑張れよ鳥谷」
「はい。じゃあな神崎。正月くらいはツラ見せに水谷に来いよ。俺も来るからよ」
鳥谷先輩を見直した。こんなに普通の会話ができる人だったのか、と。だからそれに応えた。
「はい。お元気で鳥谷先輩。お正月に会いましょう。北嶋さんと一緒に」
「お、おう…そうなっちゃうのか…だよなぁ…だけど正月はツラ見せなきゃなぁ…いや、でもなぁ…」
結構律儀だった事にも驚いた。北嶋さんに会いたくなきゃ、お正月も顔見せに来なければいいのに、師匠への義理立ては忘れない。鳥谷先輩は九州のお土産を沢山持ってお正月にご挨拶に来るのだろう。
「大丈夫です。私がちゃんと言っておきますから」
「お、おう、そうか?んじゃ、た、頼むな?」
最後は微妙なれど笑い、鳥谷先輩は水谷から去って行った。逃げたとも言えるが、まあ最後だ。見直した点も含めて良い方に捉えよう。一回り大きくなる為に巣立ったのだと。
「他の者が鳥谷に受けた被害を小僧に言って、代わりに仕返しされる事を恐れたのじゃがな」
「そこはもういいでしょう師匠…」
死人に鞭を打つ必要もあるまいに。自業自得とは言え酷い。
「と、言っても小僧は関心など示さぬじゃろうがな。あれはあくまでも尚美の下着を盗んだから怒ったのであって、他の者に適用される筈が無い」
それは嬉しいけど、死んじゃうかもしれない程追い込む必要も無いでしょう…嬉しいけど。うん。嬉しい。
「何をはにかんでおる?」
「い、いえ別に…と、ところで生乃は?」
強引に話題チェンジをする。突っ込まれると色々マズイ…何がマズイんだろ?
「お主も言っていた通り、まだ5時前じゃ。ワシは毎朝4時に起きとるが」
要するにまだ寝ているのか。木村さんだけかな?朝食の準備の為に起きている筈。
「生乃に何か用事か?」
「いえ、特には…ただ、北嶋さんに聞きたい事はあるかな?」
何故鳥谷先輩を埋めたのか?あれは絶対に『首』を模した。生乃を見てからそう決めた筈だ。
セクハラの事は知らなかった筈だが、生乃の仇も取ったと言う事なのか?
「あれはどうケジメを取ろうか悩んでいた時に、生乃の顔を見て思い付いただけじゃ。生乃の為ではない。小僧が怒ったのはあくまでもお主の為じゃ」
また心を読まれた。でもそうか。深い意味は無かったのか。
……何で安堵しているの私は?
「まあ、お前さんもまだいいわ。後々気付くじゃろうからな」
師匠が愉快そうに笑う。何がそんなにおかしいんだろう?
朝食の時間になっても北嶋さんは姿を現さなかった。生乃が凄く気にしている。ご飯がちっとも減っていないのがその証拠だ。
「そんなに気になるのなら起こしてくれば?」
呆れ顔で進言しているのは同期の梓。同期と言っても同じ年だからの同期だが。修業期間は梓の方が長い。12歳の頃から内弟子になって修行している。生乃は8歳だったっけ?
「う~ん…頑張ったからね…疲れているのかも…」
ご飯をポロポロこぼしながら言う。気にし過ぎでしょうよそれ。重症だよ?
「頑張ったって言っても、別館の馬鹿達をやっつけて、鳥谷先輩を生き埋めにしただけでしょ?」
呆れ顔の梓だが、今まで誰もそれが出来ないでいた。セクハラされてもお風呂を覗かれても泣き寝入りしていた。
師匠が叱ってもその時は項垂れていたが、直ぐに再犯したから。言うだけ無駄だからだ。
「そこまで言うなら梓が鳥谷先輩を止めてくれれば良かったでしょうに?その言い方だと楽勝のようだし?」
嫌味が混じったような物言いになってしまったが、梓は気にも留めない。
「私があんな男の為に労力を使うなんて考えられないわ。だいたい別館の馬鹿共がだらしないから増長したんでしょうに」
そのだらしない男達よりも、労力を使う事を嫌った梓よりも、頑張ったのは事実なのだ。だから梓の物言いはおかしい。と言うより腹が立つ。
「梓あ?北嶋様にそんな上等んな口を利くとは、天が許しても私は許さねえぞ!!」
凄む黒刀先輩。つか居たんですか。
「黒刀先輩も虚勢なんか張らなくてもいいんですよ?みんな知っていますから。ヘタレだって」
ガタン!!と大きな音と同時にテーブルに置いてあるおかずが床に落ちた。
「梓!!てめえ!」
胸座を掴む勢いだった黒刀先輩を冷たい瞳で一瞥する。
「私は先輩程度に構っている暇は無いんですよ。そのレベルで満足している先輩と違ってね」
「絶対許さねえ!!」
文字通り躍り掛かる黒刀先輩を全員で羽交い絞めにして止める。言い過ぎでしょ!!
「私レベルだぁ!?テメェなんて同期の中で一番力が弱いじゃねえか!!後から入ってきた尚美にも劣るなんて才能が無い証拠だぞ!!」
「尚美は頑張り屋で才能も有りますからね。でも、その言い分じゃ私が先輩より弱い事にはなりませんよね?それとも自信があるんですか?だったら私の代わりに『奴』を殺してくれますか?」
梓の言葉で鎮まる先輩。
梓の敵は私達…いや、水谷一門の敵の中でも最強。全員束になって向かって行っても勝てないだろう。それ程の相手だ。
師匠ですら勝ちを拾うのが難しい…だから黒刀先輩は黙るしかない。
その様子を見た梓は鼻で笑う。
「尚美は確かに才能がある。羨ましいくらいに。だけど所詮色情霊でしょ?生乃も私より早くから修行している。頑張っているのは知っている。だけど所詮ただの悪霊でしょ?北嶋って奴が凄いのは知っている。この目で見たからね。だけど所詮ただの人間でしょ?『奴』の前じゃどうかしらね?」
梓の敵の前じゃ……誰もが口を
「…師匠が決める事だから…正直何とも言えないけど、もし『奴』が北嶋さんと対峙する事になったら…梓、あなたの代わりに北嶋さんが『奴』を倒してくれるわ」
言い切った私にまん丸くした目を向ける梓。と生乃と黒刀先輩。
「な、尚美、いくら北嶋様っつっても…」
「流石に『奴』相手じゃ…」
やはり否定。そりゃそうだ。『奴』はまさしく伝説。魔人。だけど、北嶋さんが負ける事が何故かどうしても想像できない。『奴』を問題無く退けている姿は容易に想像できるけど。
「は、ははは…素人にそれだけ期待できれば大したもんだわ…その時はよろしくお願いするわ、尚美」
肩を竦めて冷笑する。全然よろしくお願いする態度じゃない。
だけど私は力強く応える。
「その時は北嶋心霊探偵事務所が格安で請け負ってあげるわ。彼の事だから報酬は添い寝とかお風呂とか言いそうだけどね」
本気でそれだけが心配だった。まあ、もし回ってくる案件ならば師匠経由だろうから、おかしな報酬は求めないだろうけど。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
凄い…全然心配していない…完全に信頼している…
私もみんなと同じく無理だと思っているのに、尚美だけは微塵たりともそんな事を思っていない。凛とした表情で梓を見据えている。
「…っ!!だから!!その時はお願いするってば!!」
尚美の得も言われぬ迫力に押されて、梓が食堂から去って行く。
しかし、みんなは押し黙った儘だ。尚美の迫力に押されたのは梓だけじゃ無かった。勿論私も。
「…凄いね尚美。そんなに信じられるなんて」
嫉妬が入り混じった感情で言う。私はそこまで信じられなかったから。
「どうしても北嶋さんが負ける姿が想像できないのよね。なんでだろ?」
顎に人差し指を当てて小首を傾げながら疑問に思っている。私にはそれが何だか、何となく解るけど…
「尚美、私…早く所員代われるように頑張るから」
「え?うん。そりゃそうでしょ?」
何となく宣戦布告を感情に込めて発した言葉なれど、尚美はキョトンとして返してきた。同然だと。
気付いていないのだろう。その儘気付かないで。私が彼の隣に行くまで、その儘でいて…
祈るような、いや、祈りながら私は頷く。ホント嫌な子だ。こんな自分ホント嫌だ。
だけど…それ以上に彼の隣で彼の役に立ちたい。その為なら嫌な私でもいい。
そんな私が彼に選ばれるのかが不安だが、今の私はこの程度。
もっと精進して、もっと大きくなったら、この感情を脇に置いて応援できるのだろうか…?それはその時に解る事だろう……
「さ、さあさあ。もうこんな時間だよ。修行する人はもう行かなくちゃ。仕事が入っている人は準備しなきゃ」
木村さんと同じく、みんなのお世話をしてくれている松村さんが手を叩いて促す。この空気に居た堪れなくなったのだろう。
「そ、そうだな…師匠に挨拶してから仕事場に戻るか…」
黒刀先輩が腰を上げたのを皮切りに、みんな自分のやるべき事をする為に食堂から出て行く。
「じゃあ私も荷造りを…」
松村さんが腰を浮かした尚美を止める。
「北嶋君、まだ朝ご飯食べていないのよ。寝ているんでしょうから起こして貰える?」
「はい。本当に世話が掛かる人なんだから…」
肩を落としながらも北嶋さんの客間に向おうとする尚美に声を掛ける。
「私も!行く!!」
「え?うん」
困惑気味ながらも頷く尚美。申し訳ないような気持になる。
ともあれ、本当によく寝る人だ。本当によく食べる人でもあるし。そんなところも彼の魅力なんだろうけど。
「朝ご飯も昨日みたいにバクバク食べないでしょね…」
お昼にご飯5人前食べた北嶋さんは夕ご飯も沢山食べた。別館の男子達にカレーを作るよう命令して。
曰く「カレー臭のせいでカレーが無性に喰いたくなったからお前等が支度しろ。お前等の先輩なんだろ?お前等が責任取って然るべきだ」だそうだ。
その理屈はよく解らないが、別館の男子達は北嶋さんの言う事に真っ青になりながら従った。
出来たのはポークカレー。食堂に運べと命令したけど、男子達はそれを拒んだ。一生懸命。女の園に限りなく近い水谷では男子は肩身が狭いから。鳥谷先輩が異常なだけ。
仕方ねーなと別館に赴き、カレーを4杯食べてそのまま酒盛りしたそうだ。客間に戻ってきた時その話を聞いた。
何故客間に来た時に聞けたか。私が北嶋さんの客間で待っていたからだ。お話ししたかったらから。
カレーばっかじゃ飽きるからサラダととんかつも作らせたと何故か胸を張って言っていた。
知っていれば一緒に…いや、別館に行く度胸はやはり無いからいいかな?鳥谷先輩と鉢合わせしなかったのは頑張って避けたからなんだろう。鳥谷先輩の方が。
そんなたわいの無い話を数分した頃、急に声がしなく無ったと思ったら…寝ていた。
一応年頃の女子が一緒の部屋にいるんだけどと落胆したが、この分なら尚美の心配もしなくていいと思い、逆に安堵した。
「一体毎月食費いくら掛かるんだろ…」
「経理もやるんだからお金の心配するのは当然だとしても、そこまで管理する必要ないんじゃない?」
食費の心配は所員の仕事じゃないでしょ。そこまで行ったらお嫁さんみたいじゃない…!
「住み込みになるからね…」
「近くにアパート借りて通えば!?」
つい語尾が強くなった。ホント嫌だな、こんなの…
「駄目よ!!自分のお金は限りなく節約して新しい車買うんだから!!今度はアルファロメオなんかがいいなあ…AMGも捨てがたいけど」
ああ、うん。そう。そうね。尚美はそっちの人だったもんね。なんか安心した。あらゆる意味で。
そして北嶋さんの客間。尚美は声もかけずに襖を開ける。北嶋さんは平和に寝息を立てている。
「まだ寝てる…」
「だ、だから起こしに来たんだよ?」
聞いちゃいない尚美は北嶋さんに近寄ると、激しく揺さぶった。お布団が破けちゃうんじゃないかってくらい激しく。
「朝よ!起きて!!起きて!!ああもう!!」
全く起きる気配が無い北嶋さんに苛立ち、遂には跳んで膝を落とした!!
「ぐはああああああああああああああ!?」
勢いよく飛び起きる北嶋さん。
「起きて顔洗って朝ごはん!!早く!!」
飛び起きた北嶋さんにバランスを崩される事なく反動で立ち、そのままの形で見下ろしながら言った。尚美ってこんなキャラだっけ!?
「もう朝か…昨日は盛り上がったからなあ…」
あっちこっちに跳ねた髪を掻きながら、欠伸を噛み殺しながら、取り敢えずは起きる。
「お、おはよう御座います北嶋さん…」
「…桐生か…朝飯なんだった?」
おはようの前に朝ごはんのおかずの心配か…
ちょっとガクッと来たが、それも北嶋さんらしい。
「えっと、シャケと卵焼きと焼き海苔、ひじきにほうれん草のお浸し…」
「生乃もいちいち教えなくていいの。食堂に行ったら解るんだから。だから早く顔洗う!!」
「それもそうだな…」
ここで漸くのそのそと起き上がる。私達は着替えの邪魔をしないように客間から出て行った。
「ふう…漸く荷造りが出来るわ。後はよろしくね生乃」
「え?あ、う、うん…」
尚美も自室に帰って行く。じゃあ私はどうしようか?よろしくと言われたから食堂に案内すればいいのかな?でも、もう知っているよね?え、えーっと、えーっと…
「あ、生乃、丁度良かった。急な除霊が一件入ったから行ってくれる?」
姉弟子があわあわしている私を見付けて仕事を申し付ける。
北嶋さんも気になるけど…お客様が優先だ。少し名残惜しいが、支度する為に自室に向った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『首』を倒してから暫し。生乃の報酬の件を北嶋さんにしつこく聞かれたが、適当にあしらっていたら、北嶋さんはすっかり忘れていた。つくづく単純で良かったと思う。
仕事は師匠が回してくれた案件をこなす。主に『この家』から日帰り可能な案件を回してくれている。
師匠が「遠い所は面倒だのう。少し楽になりたいのう」と、ぼやいていたのを思い出した。
水谷師匠から暖簾分けしてもらい、独り立ちした弟子は多々いるが、『この家』一帯には師匠のお弟子さんは居ない。
師匠にとっても、北嶋さんに仕事を回すのは負担が減り、助かるのだろう。
まぁ、対話で退散してくれる霊なら、私一人で充分なのだが、北嶋さんを働かせる事により、より迅速に対応可能になっているのは事実だ。
それよりも、困った事がある。
それは、北嶋さんが、毎日お風呂を覗きに来ると言う事だ。
その都度鼻をグーで殴っている。つまり北嶋さんは毎回鼻血を噴射させている事になる。その血を献血に充てて欲しいくらいだ。
「北嶋さん!今度お風呂覗いたら訴えるからね!!」
「愛し合っている筈の二人が一緒に風呂に入れないなんて…」
「誰が愛し合っているのよっ!!」
そしてグーで鼻っ柱を思いっきり殴る。
「ぷふぁ!!」
もう毎日同じ会話だ。テンプレートだ。
そして今日も絶好調に鼻血を噴射して倒れている北嶋さん。丁度いいからもう一つの苦情を言おう。
「寝ている時!寝室のドア開けようとするのをやめて!!」
「し、しかしだな、愛し合って…ごあっ!!」
最後まで言わせずに、顎にパンチを喰らわせた。アッパーだ。
「うぐぐ…下からの攻撃か…パンチのバリエーションが増えて来たな…」
顎を押さえながら、何故か誉めて来た。親指を私に向けて立てているのがその証拠だ。
「はぁ~…やっぱりアパートを借りようかな…」
この頃本気で考えている。
貞操が危ういのは勿論、生乃から送られて来るメールに参っているからだ。
『北嶋さんと何も無いよね?』
どんな話をしても、最後には必ずこの文章が添付されてくる。
正直言ってキツい。
『北嶋さんとそんな関係になる訳が無い』と、毎回返信するものだから、最近はコピーした文章を添付している。此方もテンプレートだ。
取り敢えずは、気分転換にドライブと洒落込もうか。少しはストレス解消できるしね。
ガレージにいそいそと向かう。途中居間で寛いでいる北嶋さんにどこに行くんだと聞かれたので、ドライブに行くと言ったら、青い顔になって行ってらっしゃいと言われた。
彼は車に酔いやすい体質みたいだから無理強いはしたくないが、ストレス解消に付き合ってくれてもいいのに、とか少しは思う。
そのストレスの元が彼なのだが。ストレスの原因をストレス解消に誘うとは、自分でも滑稽だなあ。とは思う。
まあ兎も角、愛車のキーを捻り、いい感じの音がマフラーから聞えてくる喜びに身を任せて風を切って走る。あー、ホントに気持ちいいー!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
居間でまったり寛いでいる俺だが、アホみたいな爆音によってまったりが掻き消される。
なんだなんだとキョドっていると、慌しい足音と共に神崎が居間に入って来た。物凄い汗だくで物凄く息が切れている。
「ど、どうしたんだ神崎?」
「……仕事…」
「ん?」
「仕事を沢山回してして貰いましょう!!今は近県しか来ないけど出張もバンバンこなすわよ!!」
なんか鬼気迫る勢いだ。一体何があったのだ?神崎を此処まで駆り立てるのは何だ!?
「か、神崎?何があった?」
「アルファロメオ!!」
アルファロメオ…ってイタリアの車だったっけ?それがどうしたと言うのだ?
「アルファスパイダーの新車が売っていたのよ!!それを買わなきゃ!!この事務所は立ち上げたばかりでローンが組めないと思うから現金を用意しなきゃ!!」
…いやいや。勝手に買えばいいがな。何故事務所の金を使おうとする?
興奮している神崎にそれを言う。そしたら物凄いおっかない目で睨まれた。めっさこええ!!なんでそんなに血走ってんの!?
「北嶋さんが車酔いしちゃうからでしょ!!アルファスパイダーだったらオープンカーだから車酔いもしない筈!!つまり事務所の車です!!経費です!!」
物凄い理屈だが、俺は首肯する。単純に迫力に押されたからだ。
「じゃあ早速師匠に電話を…」
「え?今から?」
問うも聞いちゃいねえ神崎。そのまま婆さんに仕事のおねだり。
電話を終えると満面な笑顔を俺に向けて言った。
「仕事を貰ったわよ北嶋さん!!今から出るよ!!」
マジで今からかよ!?だけど仕事だからなぁ…
因みに、と聞いてみる。
「どこだよ現場は?」
「神戸」
…聞き間違いかと思ったからもう一度聞いてみた。
「どこだって?」
「だから、神戸」
…今から神戸?もうちょっとで晩飯の準備をしなきゃならん時間だぞ?電車の手配とかどーすんだ!?
「さ、早く荷物まとめて、着替え用意して。早く」
ぐいぐいと俺の背中を押す神崎。だからちょっと待て!!
「電車の手配とか宿の手配はしたのかよ?晩飯はどーすんだ?」
「え?車で行くけど?宿はビジネスホテルくらい空いているでしょ?晩御飯?さあ?」
さあって!?行き当たりばったり過ぎるだろ!!
「お前それは少し…」
「何しているの?準備は?」
「だから行き当たりばった…」
「準備は?」
「………はい…」
俺は項垂れながら自室に向かう。神崎の謎のテンションが普通に怖かったからだ。
逆らえば俺は朝を迎える事ができない。俺の防衛本能がそう言っている…
神崎は観光にでも行くようなはしゃぎようで、自分の準備をせずに、店から貰ったであろうカタログを、ご機嫌よろしく眺めていた―
北嶋勇の心霊事件簿2~嗤う首~ しをおう @swoow
★で称える
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