第31話 混浴温泉で口づけを 1
「魂の収奪。そのためには『リアルラブ』に目覚めた生徒を、『抜け殻』にする必要があった」
東機は校長室から薔薇園を臨みながら口を開いた。彼の顔には精気があり、髪にも白いものはさほど目立たない。その若さは妻、聖奈への執着にも似た、一途な愛、まさに「リアルラブ」に支えられているかのようでもある。東機が、なぜ聖奈へそこまでこだわるのか、それはまだヴェールに包まれている。彼は一つ一つの謎繙いていくようだ。東機の謎解きに手を貸すのは、教頭の江連だ。
「そのためには、覚醒者を文字通り魂が『抜け殻』になるまで、使い古さなければならなかった。それはとても、暗い話です」
江連に耳を傾け、東機は物憂げだ。だが同時に妻、聖奈への偏った愛情も揺るがない。彼はただひたすら聖奈と、自らの境遇だけに心を置いている。東機が心を砕くのは聖奈のためだけ、という印象だ。そうでなければ、次男である祭儀を「検体」にすることなど考えもしなかっただろう。東機は、薔薇園につがいの蝶々が舞っているのを目にする。
「そう。だから私は覚醒者を生徒会員として集めた。あとは彼女たちが抜け殻になるまで、酷使すればよかっただけだよ。『収奪機』で魂を奪うことは容易かった」
「収奪機」とは、生徒の魂を吸い取る、何がしかの機械らしい。東機には、罪の意識や後悔がなく、その表情は正気を疑いたくなるほど淡々としている。東機は立ち上がり、隠しフロアの奥で眠る、次男、祭儀のもとへ歩み寄る。祭儀は、ピラミッドフィールドで宙に浮いて、寝息を立てている。祭儀には罪はない。それだからか負わされた業に気づく気配はない。東機は、20代にして半身まひとなった祭儀には、わずかばかりの同情があるようだ。だが、東機が祭儀を「使った」ことには間違いがない。感情の波を抑える東機へ、江連は歩み寄る。彼女が明かすのは、この戦いのあらましだ。
「けれど、才知さんが天徒を出現させて以来事情が変わった。彼は校長、あなたの計画を止めるためとはいえ、学園の生徒を襲った。才知さんの心にあったのは、学園の閉鎖と、弟、祭儀さんの救出」
東機の目はピクリと動く。彼にとって、才知が具現化装置を開発したのも驚きだったが、東機のプランを破綻させるべく動いたのも衝撃だった。なぜなら東機は、才知を工学博士としても、父に反抗する息子としても侮り、見くびっていたからだ。その才知が自分に牙を剥いた。それはたしかに予想外だっただろう。だが、東機はことが都合のいいように進んだととらえたようだ。
「才知の襲撃。そのお陰で私の名目は立った。覚醒者を生徒会に集めて、魂の収奪もより容易になった。私にとって才知の動きはありがたかったんだよ」
口元が少しほころんだ東機の顔を見て、江連は、冷徹で凍てついた視線を彼に送る。東機。この男は、家族を含めた多くの人間を犠牲にしても、それを露とも思わない。冷淡な男だ。江連はそう思わずにはいられない。だが同時に、江連は東機のその気質ゆえに、彼に惹かれている。妻、聖奈のため、たったそれだけのために突き進む東機に、一面美しさを感じたからだろう。江連はそんな自分が歯がゆくも感じる。だが彼女は、何とか心の内を知られまいとする。
「才知さんには、何かもう一つ目的があると踏んだ方がいいでしょう」
江連の忠告に東機は一言、「すべてが、上手くいく」と返すだけだ。その盲目すぎるほどの確信に、江連は頭をさげるしかない。盲目。整った顔立ちを持つ東機。彼を言い表す言葉は「盲目」。まさにこの一言かもしれない。隠しフロア、ピラミッドフィールドでは、心地よい夢でも見ているであろう、祭儀の穏やかな寝顔が、光で色鮮やかに照らされていた。
「さぁて! 温泉、温泉!」
その頃教室では、椎奈が両腕を突きあげて、旅行荷物の準備をしていた。そう。今日の午後からは、3泊4日の生徒会慰安温泉旅行が控えているのだ。嬉しさ余って、思いきりはしゃぐ椎奈をよそに、面白くないのはゼナリだ。翔と蓮が同行するのはいいとして、予定に組まれた「混浴温泉トレーニング」というのが、何より気にかかる。ゼナリは眉をしかめる。
「『混浴温泉トレーニング?』。何よっ。それ! ちょっと、ってか! かなりワケわかんないんだけど!」
「心配するな。ゼナリ。『混浴温泉トレーニング』とは水辺での戦いをイメージしたもの。場所が混浴温泉なだけだ。もちろん水着の着用も許されているぞ」
ゼナリを落ちつかせるのは弥生の役目だ。少し声が裏返って、思いのほか弾けた声を出す、ゼナリの肩を彼女はポンポンと叩く。水着の着用まで。そこまで許されているのなら、ゼナリも渋々ではあるが納得するしかない。だが、若干気落ち気味のゼナリを冷やかし、あおるのはやはり椎奈だ。
「ゼナリちゃーん! なーに? その弱気。温泉に限らず、入浴中の天徒の襲撃なんてざらにあるかもなのよ? それくらいのこと予測しなさいって! 肌の露出の一つや二つ。ガマンなさいな」
「椎奈ちゃん? あなたには、ててて、照れってものがないの?」
椎奈を問いただすゼナリは言葉がつっかえる。椎奈はいつものゼナリの赤面っぷりを見て、さらに調子に乗ったのか、翔の首筋に抱きついて、彼を誘惑する。こういう時の椎奈は強い。翔とゼナリの仲をおちょくるのが、心底楽しいようだ。椎奈は翔のうなじに指を触れる。
「照れ? そんなもの覚醒者には必要ござーません。大切なのは学園の生徒を守ること? 違う? ゼ・ナ・リちゃん?」
「そゆのは控えめに、ね? 椎奈さん?」
翔も椎奈に自分の肩越しから、ゼナリを挑発されたらたまったものではない。右目を軽く見開き、身をのけぞらせながら、椎奈に一言は添えた。ゼナリはやはり照れが先に立つ。顔から炎を焚きあげて「だけどー!」とまたも声を裏返す。そんないつもの光景に声を差し挟んだのは弥生だ。弥生は両手を腰にあてがい、堂々とした態度で物を申す。偉そうと言えば偉そうに見えるが仕方ない。
「椎奈の言う通り、入浴中の天徒の襲撃は存分にあり得る。肌をさらしてしまうことなんぞに、抵抗を感じている場合ではないかもしれないぞ。ゼナリ」
「弥生さんまでっ!」
ゼナリは、血が逆流したのかと思うくらい、顔を紅潮させる。だが、弥生の腹のくくりっぷりに、感銘するのは意外な人物だった。それはドアをスライドさせて、教室に入ってきた教頭の江連だった。江連は皆の視線を一身に受けて、艶のある髪をかきあげる。
「それはいい心がけだ。覚醒者ナンバー4、橋川弥生。いついかなる時も天徒の襲来、襲撃に備える。それこそが覚醒者、そして生徒会メンバーのあるべき姿だ」
上官にあたる江連に褒められて、弥生は悪い気はしていない。だが江連と弥生の間には何か埋めがたい溝、超えられない壁のようなものがある。それが教官、蓮を巡るものであるのは、その場に居合わせる誰一人として知らなかったが。弥生はとりあえず「ありがとうございます」とだけ口にする。
弥生、椎奈の言い分ばかりが認められて、ゼナリはもちろん居心地が悪い。「ふぬぬぬぬぬ」と頭を抱えるばかりだ。そんなゼナリに畳みかけるのは、これまでずっと黙っていた千紗だった。千紗は指先でゼナリの肩をつつき、両指を組み合わせると、目を潤ませて、輝かせる。
「おっきいんでしょ!? ゼナリちゃん! お胸!」
「おぉおおい!」
ゼナリの大声が教室を突き抜けて、空にまで響き渡るのと同時に、凄まじい勢いで、またも教室のドアをスライドさせる人物がいた。それは何を隠そう蓮だ。蓮は血相を変えている。蓮は翔を見つけると、大股で歩み寄りながら彼に呼びかける。女生徒たちがいることにさえ、蓮は気づけていないようだ。
「聞いたかっ! 翔! 今しがた校長にたしかめたんだが! 『混浴温泉トレーニング』は水着の着用は不可だそうだ! ヤッタネ! 翔ちゃん!」
はしゃぐ蓮に注がれる女性陣の冷たい視線。男、蓮。20代、いまだ独身。彼もまた、花も実もあるお年頃であった。
とある家庭の家族ゲンカに巻き込まれた両刀使いのゼナリさん @keisei1
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