第2話 時葉町の都市伝説
一章 時葉町の都市伝説
「……遅かったか」
「みたいですね」
赤い運動ジャージの上から白衣を着た珍妙な格好をした女性は目の前で自分とは違う女性が道端に倒れている状況に舌打ちした。
女性の傍にはアスファルトが大きく陥没した跡があり、ただの貧血や体調不良で倒れているのではないということは容易に想像できた。
「翠、どうだ?」
「一応命に別状は無さそうです。ただ――」
翠と呼ばれた首に白い生地に青い十字架の刺繍が入ったマフラーを巻いた制服姿の少女は倒れている女性を抱え、首にかかっていた長髪を手で払って女性の首筋を確認する。
「やっぱり……」
倒れていた女性の首筋には二つの小さな穴が間隔をあけて開いていた。
「この人も噛まれてます。千歳さん」
「そうか」
千歳と言う名の白衣にジャージの女は履いていた便所サンダルをカツカツ音をたてながら倒れている女性の傍まで近づき一言「失礼」と言って背中に八つ、穴の開いた独創的なデザインのコートを着ている女性のポケットを漁る。
「ちょ、千歳さん!」
翠の非難の声を無視して千歳はコートのポケットからこの女性の物と思われる財布を抜く。
財布の中には免許証が入っていたので千歳達はようやくこの倒れている女性の名前を知る事が出来た。
「翠、メモってくれ。時葉町在住の22歳、名前は……神田玲子だ」
「毎回被害者の名前記録させますよね……そんなことメモってどうするんです?」
尋ねながら翠は抱えていた玲子の体をそっと下ろし、制服の胸ポケットに刺さったボールペンとバッグからピンクの手帳を取り出して言われた情報をメモする。
「以前の被害者との共通点があるかもしれない。それがわかれば次は出遅れずに済む」
「そうは言っても……前々回と前回の被害者からは共通点なんか見つかんなかったじゃないですか」
「チッ、いいから手を動かせ! メモ終わったら救急車に連絡を忘れるな。どうせまたただの『貧血』だろうがな」
翠の口答えにうざったそうに一喝する千歳。
「ぶー、私ばっかりこき使う」
「私の助手は翠だけだからな。あ、『傷消し』も忘れるなよ」
そう言って千歳は女性の穴が開いた首筋を指差す。
「はーい。女性の体に傷を残しとくわけにはいかないですからね」
千歳の指示を承服した翠は倒れている玲子の首筋に自分の両手を当てる。
「〝治癒〟!」
かざした両手が光り輝く緑色のオーラに包まれ翠は玲子の首筋に手を強く押し当てる。 約5秒間、翠は玲子の首に手を当て続けてからそっと手を離す。
離すと同時に翠の手に纏っていたオーラも霧消する。
「治療完了です!」
満面の笑みで翠が言い、千歳が確認の為玲子の首を検める。
先程まで玲子の首筋にはっきりと存在した吸血鬼映画で見るような綺麗な円形の歯型は跡形もなくなっていた。
「相変わらず治療だけは完璧だな」
だけのところを強調して千歳は言った。
「そこは素直に褒めてくれませんかね」
千歳のどこか引っかかる物言いに眉根をひそめる。
「最近増えてきた超常現象事件……やはりこの吸血鬼が原因なんでしょうか?」
「さあな。私にも解らんさ、相手が本当に吸血鬼なのかさえもな」
白衣のポケットに両手を突っ込みはるか頭上で輝く月を睨む千歳。
「何者なんだ……」
月光に投げかけた疑問は誰からも返事されることなく夜の闇に消えた。
●
吹きすさぶ風。
街のあちこちに植えられた木々から木の葉が舞う町、あまりに木が多いため昔の人々は暦をめくるより落ちてくる木の葉の色で時期をの移ろいを感じていた。
そんな昔話からなぞらえて名前が付けられたのがここ時葉町である。
その時葉町にある長い坂、別名『寝坊殺しの坂』を上月清司は寝坊することなくゆっくりと歩いて上る。
中肉中背の体が筋肉痛で悲鳴をあげ、目の覚めるような金髪を振り乱し、体のあちこちに絆創膏や包帯を巻き、松葉杖を突きながらなんとか寝坊殺しの坂を上りきって校門をくぐる清司。
県立時葉高等学校。
胸元に葉っぱ形の校章が入った学ランを着た上月清司はこの学校の1年生だ。
2年前に家庭の事情によりここ時葉町で親からの仕送りを貰いながら一人暮らしをしている。
高校生活が始まってからは派手な金髪で教師や高学年の生徒に睨まれもしたが、今では普通の学校生活を送っている。
下駄箱に到着し痛む体を曲げながらどうにか上履きに履き変える清司。
「うわ、上月君どうしたのその怪我!?」
下駄箱の出入り口から清司を見つけた女生徒が驚きの声をあげる。
声をかけたのは少し身長の低いヘアピンで前髪を留めた茶髪のショートヘアに白いマフラーを巻いた清司と同じクラスの蔵島翠だった。
「……おはよう。蔵島」
「いかにも朝っぱらから会いたくなかったみたいな顔で返事しないでよっ!」
引きつった顔で挨拶する清司の態度に泣きそうになる蔵島。
蔵島翠は清司の所属する1年B組のクラス委員をしており、入学以来周りから孤立しがちな清司のことを何かと気にかけているのだが、清司にとってはただのお節介な女子としか思われていなかったのだ。
「同じクラスになって結構経つんだしもう少しフレンドリーに接してくれても良いんじゃない? そうだ、ここは壁を崩すためにお互い下の名前で呼び合うってのは」
「却下だ。恥ずかしいだろそんなの」
「あっそう。で、どうしたのその怪我は?」
「自宅の階段から落ちたんだよ」
「嘘だね。上月君の住んでる家ってアパートの1階でしょう? しかも2階への階段だって最近新しくなったばかりじゃない」
「何で俺んちの情報を細かく知ってんだよ!?」
当たり前のように清司の個人情報を述べる蔵島の頭を恐怖の表情を浮かべながら叩く清司。
「いたっ! 私はクラス委員なんだからそれくらい知ってて当然でしょ!? ちなみに家族構成は外国人の父親と日本人の母親と妹が一人で現在は全員母の転勤に付いていって海外暮らしって事も把握済み!」
「怖いなおい! 今日びクラス委員ってそんな事まで把握してんのか?」
釈然としない疑問を抱えながらも蔵島と共に校舎東棟の階段を上がる清司。
松葉杖を使いにくそうに階段に突きながら一歩一歩ゆっくりと上る様子に蔵島が「荷物持とうか」と手を出したが、清司は大丈夫だと断った。
「本当は何で怪我したの?」
「何でも良いだろ。蔵島には関係ないこと」
「喧嘩? 事故? それとも本当は怪我なんてしてないなのに包帯巻いてるなんて痛いオチかな?」
「この暖かい中で不自然にもマフラー巻いてるような奴に中二病扱いされたくねぇな!」
「上月君だってかっこつけて金髪にしてるじゃん!」
「これは母親譲りの地毛だ!」
心底うざったそうに蔵島にツッコミを入れる清司。
「私のマフラーだって大切な人から貰った物だから肌身離さないようにしてるの! 学校にだって許可取ってるんだから」
不満そうに青い十字架の刺繍が入った白いマフラーをぎゅっと握って抗議する蔵島。
「常時マフラー着用OKなんて許可していいのかよ?」
「首の周りだけ肌が以上に弱いって学校に申請したからね。それにいつも身に着けてたらなんだかヒーローっぽい雰囲気出るじゃん」
「首の周りだけって明らかに虚偽の申請だよな!?」」
「もう、私のことはいいからちょっと怪我の具合見せてみ? ほれほれ」
「だから嫌だって……ああもう触るな触るな!」
清司の本気の拒絶を無視して蔵島は包帯やガーゼが貼られている箇所を無遠慮に触り続け、しばらくしてもう一度頭をはたかれるはめとなる。
そんな漫才を繰り広げながら2人は階段を上り続けた。
「最近この街さ、変な事件増えてるよね」
階段の踊り場まで来たところで唐突に蔵島が切り出した。右手にはいつの間にか取り出した黒革の手帳が握られている。
「……急に話変わったな」
清司は蔵島の顔も見ずに答える。
「昨日も派手にえぐれた地面の傍に女性が倒れてたんだって!」
「へー……ふぁ~」
エキサイトする蔵島とは対照的に清司は眠そうに目を擦った。
「これって宇宙人の仕業かな? それとも幽霊とかの心霊現象的なやつかな!?」
「そうなんじゃねーの」
「興味持ってよう!」
清司の無関心に気付いた蔵島が強く抗議する。
「そういうオカルト系の話嫌いなんだよ」
「やっぱり3ヶ月前にこの街に現れた〝吸血鬼〟のせいだと思う?」
「俺の話をきけよ……」
蔵島の言う3ヶ月前に時葉町に現れた吸血鬼の話は清司も知っていた。
以前、ここ時葉町には『六花』という若者で構成されたグループが存在した。
50人以上のメンバーで構成された六花は原付バイクによる暴走、窃盗、暴力事件など自分達が行った悪行を撮影し、インターネット上の掲示板などに貼り付け、自分達が有名になるのを楽しむという困った集団であり、警察も構成員の多さから対応が後手に回っていたのだが、3ヶ月前にこの六花をたった1人で壊滅させた者が突如として現れた。
黒髪で赤のパーカーを深く被って顔を隠した青年で、見た目からは想像できない程の怪力であっという間に六花の全員をねじ伏せられたと六花のリーダーだった男は警察の事情聴取で話したという。
最後にそのリーダーは恐ろしそうに頭を抱えて「奴には牙が生えていた。まるで人間ではなく吸血鬼のようだった」と叫んだが警察は信じずに表向きはグループ内の仲間割れが原因として発表された。
しかし、一部のマスコミがこの事情聴取の情報をどこからか入手して記事に載せたところ、話題を呼び、オカルトファン達の間で夜間の時葉町めぐりが流行したのだった。
「くだらねーな。吸血鬼なんているはずないだろう」
嘆息しながらそう一蹴する清司。
「そうとも限らないよ。この世には幽霊もいるし、妖怪や魔法みたいな不思議な力もきっとどこかに存在してると思うな」
「なんでもアリなんだなこの世界は」
活き活きと語る蔵島の言葉に清司は少し口の端をつり上げて苦笑した。
「で、吸血鬼の話に戻るけどさ。上月君はどんな人だと思う?」
「俺が知――」
俺が知るかと清司が答えようとした時だった。
突然、何の前ぶりもなく二人の間を一人の男子生徒が階段を転げながら踊り場まで落ちていった。
「ちょっと! 大丈夫!?」
突然の事態にも関わらず蔵島が素早く階段を駆け下りて倒れている男子生徒に声をかける。
蔵島とは対照的に清司は生徒が落ちてきた4階踊り場を見上げる。
そこには4人の男子生徒が悪い笑みを浮かべながら階段から落ちた生徒を見下ろしていた。
「おいおい小森。階段はゆっくり降りなきゃ危ないべぇ?」
「ぎゃはは。お前が10秒以内にオレンジジュース買ってこなきゃ殺すっつったんだろーがよっ」
「「ぎゃはははははっ!」」
男子生徒達は小森と呼んだ男子を心配する素振りなど一切見せずに腹をかかえて爆笑する。
いずれも清司と蔵島の同級生である江田、柴田、郷田、三田の通称〝T4〟の4人だった。
「大丈夫小森君!? しっかりして」
額から血を流す小森に向かって蔵島が声をかけるが、返事は返ってこない。
「あーあー血ぃ流してんじゃん」
まるで自分とは無関係と言う風なT4の茶髪、江田の物言いに蔵島は睨みつけて叫ぶ。
「悪ふざけにしたってやりすぎだよ江田君!」
「……は? 誰だよお前、シラけるんですけど」
流血している小森の額に自分のハンカチをあてながら激怒する蔵島に江田は冷たく返した。
「おい、蔵島……」
T4と蔵島の間に挟まれた清司が激昂する蔵島を落ち着かせようと声をかけるが耳に入っていないようだった。
「高校生にもなって弱い者いじめなんて恥ずかしくないの!?」
「なにが弱い者いじめだよ、小森が勝手に階段から落ちたんだろうが! そいつがコケたのが悪いんだよ」
「原因をつくったのは江田君達でしょ!」
「うっせぇぞブス。あんまナメてると男女平等パンチ喰らわすぞ!?」
ヒートアップする2人の間で清司はせめて自分は巻き込まれないよう蔵島に強く視線を送る。
その視線に気付いた蔵島は力強く頷いて口を開いた。
「上月君も弱い者いじめが許せないってさ!」
蔵島のとんでもない発言に思わずずっこけそうになる清司。
「おまえ何言って――」
「私みたいな可愛い女子に殴り合いなんか出来ないでしょ?」
「だからって俺を売るなっ!」
「へー。既にそんな怪我してるくせに俺らT4に喧嘩売ろうってのお前?」
訂正も間に合わずに蔵島から清司に視線を移して江田が睨む。
「ちょっ、俺は別に喧嘩なんかしたくねーよ」
「いまさら遅いんだよ金髪こらボゲェ!」
完全にキレた江田が階段を駆け下りながら清司に殴りかかった。
勢いよく放たれたストレートを体を横にそらして回避する清司。
「うおっ!? おわぁあああ」
空振りした勢いで自分の体を制止できずに江田は叫びながら階段を転げ落ち、蔵島と小森の傍に倒れた。
「てめぇ……よくも江田をやりやがったな!」
「T4を怒らせたらどうなるか教えてやろうか!」
「こいつが勝手に自滅したんだろうーが……よっと!」
仲間がやられたことに激昂する柴田、郷田、三田の様子を見て逃げるのを諦めた清司は松葉杖を思い切り柴田目掛けて投げつける。
突然の攻撃に反応できなかった柴田は松葉杖の柄の部分が顔面にクリーンヒットして背中から倒れた。
「お、ラッキー」
「柴田ぁ!」
「てめー、柴田まで……マジただじゃすまねぇぞ!」
怒り狂う郷田と三田を前に清司は呆れた表情で倒れた柴田を指差しながら言った。
「相手してやるよヤンキー。かかってこい」
●
放課後。
「では、失礼しまーす!」
「伸ばすんじゃない! しっかりと言わんか」
「はいはい! 失礼します!」
「返事は一回で――」
校内での喧嘩した件について指定された枚数の反省文を書き終えた上月清司は教師からお約束のツッコミを入れられる前にドアを叩きつけるように閉めて進路指導室を出る。
指導室の奥では江田、柴田、三田、郷田の4人がまだ体育教師にこってりと絞られていた。
「ったく何で俺まで説教受けるんだよ。こっちは怪我人だぞ」
出て早々に清司は愚痴をこぼした。
市販されている染髪料では再現できないほど鮮やかな金髪が窓から差し込む夕陽の光を反射して煌く。
「あの……上月君……」
説教から開放され、教室に荷物を取りに歩き出した清司は明らかに指導室から出てくるのを待っていたようなタイミングで背後から声をかけられる。
「お前は今朝の……」
清司が振り向いた先にいたのは今朝、階段から落ちてきた同級生の男子だった。
「C組の小森栄太郎。蔵島さんと同じボランティア委員だ」
同い年にしては落ち着いた物言いに黒縁眼鏡に七三分けという外見から高校生というよりは若手のサラリーマンっぽい印象だと清司は思った。
「ごめん、まだ人の顔と名前が一致しなくてさ」
「もう入学から二ヶ月も経ってるけどね」
謝る清司に小森は苦笑する。
「で、何?」
「一言お礼を言っておこうと思ってね、助けてくれてありがとう。君と蔵島さんが助けてくれたのだと保健室の先生から聞いたよ」
「あー、いいっていいって」」
しっかりと頭を下げて礼をする大和田の態度に困ったように頬を掻く清司。
助けたという響きは清司に違和感しか与えなかったからだ。
どちらかと言えば蔵島のせいで巻き込まれ、成り行きで小森を助ける結果となってしまった。
「あと、僕のせいで怪我までさせて本当にごめん」
ちらちらと清司の腕や頭に巻かれた包帯に目をやりながら申し訳無さそうに小森は何度も頭を下げる。
「そんなに頭下げんなって。この怪我はもともとだし、それに――」
腕に巻いた包帯を解き、完全に傷の癒えた腕を小森に見せ付ける。
「そのもともとの怪我ももう治ってるしな!」
言いながら清司は額に巻かれた包帯や頬に付けた絆創膏も次々とと剥がして後でゴミ箱に捨てるためにポケットへ突っ込んだ。
傷一つ残っていない清司の綺麗な腕を見て小森は静かに何かを察する。
「そっ、そう……上月君って意外とアレな人だったんだね……」
「何か言ったか?」
問いかけに小森は焦ったように首を横に振った。
「まぁとにかくだ、俺は大丈夫だからそんなに気にするなよ」
余計な心配をさせないように言った後、清司は小森と歩き始める。
「ありがとう。正直、上月君のような腕っ節の強い人が間に入ってくれて助かったよ」と 歩きながら小森が言った。
率直な感謝の言葉に清司は恥ずかしそうに首を振る。
「お前は気絶してたから見てないだろうけど、俺はボコボコにやられてたんだぞ。あいつら怪我人にも容赦ねーの」
事実、格好付けた啖呵をきったわりに自分の攻撃は三田と郷田にはかすりもせず逆に反撃のボディーブロー(顔を狙われなかったのは恐らく目立つ傷を残さないためだろう)は全て直撃でもらうという情けない内容の喧嘩を踊り場で展開していた清司。
危うく倒されてしまうところだったが、駆けつけた体育教師達が三田と郷田を取り押さてくれたおかげで事なきを得る。
その後、治療を受けた清司は進路指導室に呼ばれて教師からの説教と反省文3枚を書いて提出するはめとなった。
ちなみに蔵島と小森はいつの間にか現場から姿を隠しており、T4と清司のみが処罰される形となっていた。
「本当にごめん……僕のせいで」
「だからもういいって。本当言うとお前助けるために割って入ったわけじゃないし、あいつらT4が殴りかかってきたから応戦しただけだしさ」
そう言って清司は後ろの指導室を親指で指す。
「それでも結果的には助けられたからさ」
「つーかお前は何であいつらに絡まれてたんだ?」
あくまで感謝の念を絶やさない小森に清司は歩きながら尋ねた。
質問に小森は答えづらそうに俯いた。
「やっぱ……いじめか?」
小森は無言で頷いた。
「一ヶ月くらい前からかな。理由は解らないけど、急にT4から目をつけられちゃって」
悔しそうに拳を握り締める小森。
「ある日いきなり殴られてさ『存在が目障りだ』って言われたよ。何が何だか解らないよね」
「……先生や親には?」
清司の問いに小森は首を横に振る。
「僕の母親は女手一つで僕を育ててくれてる。これ以上の心配はかけたくないんだ」
「そうか……」
「恐らく蔵島さんも僕の事情を考えた上であの場から逃げさせてくれたんだと思う」
「へぇ、意外と考えてんだなあいつも」
てっきり蔵島は自分が巻き添えをくわない為に逃げ出したのだとばかり考えていた清司は次に蔵島に会った時、男女平等パンチをお見舞いする予定だったのだが、小森の意見を聞いてその予定を白紙に戻す。
「蔵島って意外にいい奴だったんだな」
「上月君ほど意外でもないよ」
そう言って笑う小森。
素早い言葉のカウンターをもらい、清司は間が悪そうに咳払いした。
「ところで小森はやり返したりしないのか?」
「解ってて言ってるんだよね」
小森は自分の貧相な腕を困ったように見つめる。
「じゃあこれからもやられっぱなしなのか?」
「僕はね」
「僕は?」
妙な言い回しをする小森に清司は首を傾げて聞き返す。
「今、法律の勉強してるんだ。僕は将来弁護士になって同じ苦しみに耐える子供達を救ってあげたいんだ」
「おお、そりゃ立派だ立派」
ドヤ顔でかけていた眼鏡を中指でずらし上げる小森に清司は薄く笑って言った。
「それにしてもわざわざ人目につく場所でいじめなんて、本当に阿呆な連中だ」
清司は嘆息しつつ遠ざかる指導室に侮蔑の視線を送った。
「いじめはしてはいけない事だって口で言って解ってくれるならこんなに苦労はしないんだけどね」
なんとも言えない顔で答える小森の様子を見て清司はこれ以上は何も言わずに廊下を歩く。
「いじめられる側はまるで蜘蛛の糸に囚われているみたいな感覚だよ。抜け出そうともがく度に余計に絡み付いて身動きが取れなくなる」
「小森……」
「……けど、もしかしたらもうすぐ抜け出せるかもしれない……」
「え?」
冷たい目つきで呟いた小森の言葉を清司は聞き取る事ができなかったが、小森は何でもないといってごまかした。
階段まで差し掛かり「じゃあ僕はここで」と言って小森は階段を降りていった。
清司は一度荷物を取りに教室がある校舎4階まで上る。
「えーっと」
教室に着くと自分の席で一人の女生徒が頭を突っ伏して寝ていた。
顔は見えないが暖かい日が続いているのに首に青い十字架が刺繍された白いマフラーを巻いているおかしな女子といえば蔵島翠以外にありえなかった。
「人の机で寝てるなよ」
「んあ……上月君?」
寝ぼけ眼で顔を上げた蔵島は眠そうに口の端から垂れている透明な唾液を制服の袖で拭う。
「人の机に涎垂らしてんじゃねー!」
「アダー!」
怒りの拳骨を喰らい、蔵島が苦悶の声をあげる。
「まったく……お前のせいで今日は散々な目に遭ったじゃねーか。何か俺に恨みでもあんのか?」
「失礼だなー。悪いと思ってるからこうしてわざわざ上月君を待っててあげたんだよ」
「頭が高いわ!」
「アダー!」
上から目線な蔵島の頭に再び拳骨が炸裂する。
「だ、だいたい清司君が負けるのが悪いんだよ! 信じて送り出したのに」
「怪我人を戦わせるんじゃねーよ!」
本当に反省しているのか疑わしいほどの蔵島の偉そうな態度に憤慨する清司。
「で、わざわざ俺に謝るために放課後までここに残ってたのか?」
気持ちを抑え、ため息まじりに清司は尋ねる。
「うん。それもあるんだけどもう一つ上月君に聞きたいことがあって……真面目な私がバイトをサボタージュして待ってたんだ」
自画自賛する蔵島は何故か無い胸を張ってそう言った。
「いやサボりはいかんだろ」
「普段真面目だからたまにはいいの! それに今朝暴力事件起こした不良の清司君に説教なんかされたくないね!」
「誰のせいだと思ってやがるっ!」
もう一度殴ってやろうかと思う清司だったが話が進まないので自制した。
深く深呼吸して落ち着いた後、再び蔵島に尋ねる。
「で、俺に聞きたいことって?」
「うん。清司君の怪我のことなんだけど……」
言いかけて蔵島は目を見開く。
「あれ、包帯は? 松葉杖は?」
「ああ。もう治ったから全部取った」
「そっか、うん。解ってる。思春期だもんね」
清司の言葉に蔵島はよく解らない返事を返す。
「言っとくけど中二病とかじゃなくてほんとに治ったんだからな!」
(そういえばさっき小森に怪我の話をした時も蔵島と同じような反応をされたな……)
少し落ち込みそうになりながら話を進める清司。
「俺の怪我の事は今朝話したろ。まだ何か聞きたいのか」
「今朝も言ったと思うけど、最近この町の近辺でおかしな事件が増えてるよね?」
「また吸血鬼の話かよ」
「別に吸血鬼に限った話じゃないんだけど上月君の怪我の原因が何かの事件に巻き込まれたものなんじゃないかって心配だったんだけど」
先程まで包帯を巻いていた無傷の腕を指差して蔵島は笑う。
「思春期特有のアレでよかったよかった」
「だから中二じゃねーって!」
赤面しながら異議を唱えるが必死になっている様が余計に蔵島をツボにはまらせた。
「だいたい、さっき会った小森だって傷の一つもなかったぜ」
「……へー」
小森の話を出すと蔵島は途端に笑うのをやめる。
「最近の医学ってすげーよな。血まで流してたのに〝傷も残って無かった〟ぜ」
「そ、それはぁ……すすすごいねぇえ?」
小森が怪我をした時一番近くにいた蔵島は何かをごまかすように白々しく笑った。
「それにしても随分吸血鬼やおかしな事件にご執心らしいな」
真面目な顔で清司は話題を変えた。
「死人だって出てるんだ。あんまり吸血鬼とかには関わらない方がいいと思うぜ」
「へぇ、何だか意外」
首を傾げて蔵島が見つめる。
その様子を見て清司も首を傾げる。
「何がだ?」
「今朝、こういう話は興味ないって言ってたから、てっきりこの手のオカルト話は信じてないものだと思ってたんだけど」
「……別に信じてなんかいないさ。ただ、お前に何かあったらクラスメイトとして嫌な気持ちになるだろ」
「いやん、上月君ったらツンデレだね! もしかして私のこと」
「やっぱ死ねブス」
全て言い切る前に真顔でつい本音をオブラートに包まず吐き捨ててしまう。
息を吐くほど自然に心の声が出てしまったので清司自身も少し驚いた顔をする。
「ひっどい! 私顔は結構可愛いほうだよ!」
顔の輪郭を両手で触りながら蔵島は泣きそうな顔で言った。
「自分で言うな」
「清司君なんかもう話しかけてあげないんだから永遠にぼっち生活してしまえばいいさ」
「おお俺は友達いないんじゃなくてつつ作ってないだけだし!」
弱いところを突かれて今度は清司が泣きそうになるが男の意地でぐっと涙をこらえる。
二人の醜い言い争いが終わったところで蔵島の鞄から唐突に携帯の着信音が鳴る。
「デンワジャーッ! デンワジャーッ!」
「どんな着信音だよ……」
清司のぼやきを無視して蔵島は鞄から青いガラケーを取り出して耳に当てる。
ちなみにここ時葉高校では校内での携帯使用は厳禁である。
「真面目が聞いてあきれるぜ」
ジト目で蔵島を睨む清司。
「もしもし千歳さん……はいぃ! すいませんすぐ行きますからっ!」
蔵島の様子を見ながらどうして人間は電話越しでも謝る時は腰を折ってしまうのだろうと清司は不思議に思った。
短い通話を終えた蔵島は清司の席から二つ隣の自分の席へ駆け寄り、急いだ様子で帰り支度を済ました。
「ごめん、私そろそろ行くね。今日は巻き込んで本当にごめん!」
「電話はバイト先からか?」
「うん。あと30分以内でこないとクビだって言われたからダッシュでいかないと」
鞄を肩にかけた蔵島は清司の横を通りすぎて先程清司が教室に入る際中途半端に開けた教室の引き戸を思い切り開ける。
「じゃあまた明日ね。上月君」
「ちょっと待ってくれ」
今にも廊下を走って行きそうな勢いの蔵島を開いた手を前に出して呼び止める。
「何?」
「最後に一つだけ。お前なんでそんなに吸血鬼にこだわる?」
清司の質問を聞いて蔵島はクスリと小さく笑ってこう言った。
「趣味だよ……ただのね」
清司からの答えを聞くことなく蔵島は教室を出て予想通り廊下を全速力で駆け抜けて行った。学年掲示板に張られた廊下は走るなと書かれたポスターすら無視して。
その様子を見て奴は間違いなく真面目な生徒などではないと清司は確信する。
教室の窓越しに外を見るともう太陽がほとんど沈んで辺りは夜になろうと薄暗く外のグラウンドを暗く染める。
鞄を肩にかけ、清司も教室を出ようとした時だった。
「キーッ」
小石がぶつかったような音が窓から聞こえて清司は振り返る。
「キーッ! キーッ!」
見ると手のひらサイズ程の小柄な蝙蝠がまるで清司に自分の存在に気付いてほしそうに何度も3階教室の窓に小さな足をぶつけていた。
「またか……」
蝙蝠の様子を見て深く嘆息する清司。
頭の中でつい今しがたそこにいた蔵島の言葉が再生される。
上月君はオカルト話なんて信じないと思ってた。
「信じるさ。信じなきゃいけない」
バッグの中に入れていた予防用マスクを着用し、清司も下駄箱を目指して廊下を全速力で駆け出した。
蔵島翠のX-ファイル 初壱 始 @hatuichi
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