Ⅸ 雨は降る。勝者にも、敗者にも

 雨が、降り始めていた。

 場そのものを上から阻害する雨は、場の気配を上手く隠してしまう。リコリスが周囲に放っている索敵術式も上手く動いていない。リコリス・インカルナタは雨よけに深く被ったローブの下で眉をきつく寄せる。完璧主義者の彼女にとって、それはひどくむずがゆいことだからだ。

 けれど彼女が動かないのは、どっちにしろ事件はもうすぐ終わるからだ。


「……意外に、簡単だったかもね」

 リコリスはつまらなそうに呟く。雨の音に紛れて聞こえないその声に、一体どんな思いをこめたのか、彼女自身すらも気づくことはない。そのとき、不意にスカートのポケットが熱くなる。中にある栞を取り出すと、金色に輝いている。


 クロードからの「黒髪を見つけた」合図の色。リコリスはクロードを追いかけるのを諦めていた。馬の扱いが下手なリコリスを置いて、彼はどんどん先に行ってしまったし、いまさら彼女が追いかけたところで黒髪はすでに捕獲済みだろう。

 神子は大体その時代に一人だけしか生まれない。時々二人生まれることもあるが、その才能はどちらかに偏っているか、双方とも才能の度合いが低いか、だ。これは魔術的な論理にも基づいていて、リコリスが歴代最強の神子とされている今、もう一人の神子がそれほど脅威になるとも思えない。

 それに、クロード・ストラトスは体術、剣術ともに「第二の神子」ともあだ名される秀才だ。そんな彼が不覚を取るわけがない。


 馬をゆっくりと走らせて、探査術式で見つけ出しておいた奴隷達の隠し場所に向かう。

 雨はどんどん強くなってきて、同時に寒さも増す。こんな中で、恐らく粗末な格好で暮らしていた奴隷達の健康状態を考える。基地に帰ってからも忙しくなりそうだった。


 リコリスは薄く笑って散々手こずった馬の手綱を木に引っ掛け、隠し場所であろう洞窟の中に入る。

 牢に改造された洞窟は冷たく、薄着で身を寄せ合う彼らは見るに耐えない姿だった。天井から滴る水も冷たく、それが余計に牢の生活環境を悪くしているように思える。

 無言で自分を追う視線を感じながら、リコリスは努めて冷静に牢の中を探索する。内心、リコリスは底知れぬ怖気に襲われていたが、それは気づかない振りをして。

 そんな風にして、リコリスは簡単に見つかった無人の商人用の部屋から鍵を持ち出した――。



「どういうことですの、それは!?」 

 エレアノールはもう我慢が聞かず、ライオネルの胸ぐらを掴んだ。

 怒鳴り声を聞いた部下が彼女を押さえようとするが、それでもエレアは手を離さなかった。


「答えなさい、ルロイ・ライオネル!」

「罠だったんだ! は初めから私の商会に協力するためじゃなく、戦争を起こさせようとしていたんだ!」 

「だから、それがどうしてお姉様に――」


 ライオネルは開いていた目を更に見開いた。 


「わからないのか、神子様を陥れることとティターニアの品格を落とすことは同義だ! 神子様を騙る者がもし、サマランカに何かしたら! そんな時に他の神子が現れて、彼女が偽者だとでも言ったら――」


 ようやく手を離した。ライオネルはぼとっと音を立てて椅子に倒れ込む。額を押さえて蒼白な顔でよろついたエレアノールを部下の一人が支えた。

 ライオネルは未だ息も絶え絶えに、しかしはっきりと告げる。


「そうだ。……戦争が、始まる……」


 それも、ティターニアにとっては最悪の状態で、だ。

 何か、の内容にもよるが――。恐らくサマランカは報復行為と称して、ティターニアに戦争を仕掛ける。神子を有しているのはティターニア王国ということは周知の事実だから、もし神子が何かの敵対行為、それも面子に関わることだとしたら諸外国の援助は難しいだろう。

 そしてそうなったとき、もっとも邪魔になるのが本物の神子であるリコリス・インカルナタ。


「お姉様………」

 エレアは知らず、栞を強く握りしめていた。



 不意にスカートの中が熱を持った。

(エレア、ノール……?)

 それは緊急用の赤い光による警告。 

 振り返ろうとしたその視界の端に写った黒。

 それが何なのか理解する前に、彼女は。



《――クロード大尉!》

「なんだ、今は忙し――」 

 そう言ったクロードは鋭く身をよじる。数瞬後には鈍く光る大剣があった。


「人の真剣勝負殺し合い中におしゃべりとか、余裕ですねえ大尉、殿ッ!」

「ふ、ざ、け、んなっ!」


 かろうじて交わした刃の水しぶきが、顔にかかる。

 字面だけ見れば軽口の叩き合いだったが、それは正真正銘殺し合いだった。


 目の前の短い『黒髪』を靡かせる恐らくクロードと同年代の青年。犬歯を見せて笑う、その表情はまさに戦闘狂を思わせる。あくまで楽しそうに、しかし剣筋は抉るように、凶暴に鮮やかに――。

 殺人的な軌跡を描いて迫るそれをクロードは紙一重といったところで交わし、反撃する。あくまで冷静に、冷血に。


「―――!」

「――ははっ」

 振り下ろした重い一撃を、笑って受けとめ押し返す黒髪。クロードは深追いもせず後ろに下がり、頬に伝う雨と汗のしずくをぬぐう。


(何だよ、この違和感)

 しかし彼は心中苛立ちを感じていた。なぜだか物足りないのだ、目の前の黒髪に。

 何度も打ち合い、負かされた、リコリスとの戦いと圧倒的に足りない。


(こいつが、リコリスと同類?)

 違う、と本能的に感じた。ポーカーフェイスの瞳に一瞬だけ、怒りにも見える光が宿る。


 それに目を剥いた彼目掛けて、クロードは剣を薙いだ。

 黒髪が吹っ飛んで、その下から眩い金髪が出てきた。


「……ズラか!」

 真面目に叫んだクロードは吹き出しそうな顔をした彼の一瞬を突いて剣もぶっ飛ばした。

 武装を解除された彼は自らの得物を目で追ってあー、と呻いただけだった。

 クロードが剣を構えて警戒するも彼は拗ねた子供のような声でいーよ、と言う。


「ズラじゃねーし……まあ、作戦は成功したし。 ねえ、大尉殿」


 犬歯を出して、ギラリと鮮烈な笑顔を浮かべて、彼は言った。


「リコリスお嬢様は、大丈夫?」



「――う、ぁッ」

 ざくり、と肉が裂ける感触がした。本能、というべきか一瞬で爆発の術を発動させる。敵を足止めできるのはせいぜい数十秒。リコリスは手負いの体で走り出す。その間にも多重作業を起動させ、魔力を高めて傷の治療を開始していた。


(気配もなしに背後に回るなんて)

 舌打ちすらのできないような痛みと焦り。一回で二回、十字に斬られた背中の傷に魔力が回っていることを確認しながら、さらに詠唱の要領で完全に敵の位置に集中し、痛みを完全に思考の外に追い出す――。

 きっかり二十秒後、洞窟の入り口に人影が見えた。意外に背も低い、小柄な姿。リコリスと同じようにローブを目深に被っている。


「ああ、やっぱり動き鈍いね」

 残った煙と雨、さらに出血もともなって相手の姿がよく見えない。けれど、ソレがあざ笑うように笑っているのだけは分かる。その姿に言いようのない怒りを覚え、


「―――術式発動、」

「だから遅いって」

 詠唱を始めるその一言すら許さずに、敵は一気に走る。一寸の無駄もない、そもすれば見とれてしまいそうなほど流麗な動き。時間とともに意識がはっきりしなくっていく彼女に、それは容赦なく襲い掛かってきた。 


 当然、リコリスも黙ってはいない。軍服からボトボトと大量の血をながしながら、汗だくになった美貌を笑みの形に歪めて叫んだ。


「そっちこそ、頭回ってないんじゃない!?」


 金色の魔法陣からまばゆく輝く鎖が相手の右腕を武器ごと拘束していた。相手は身を捩ろうとするが、当然鎖は動かない。リコリスの設置式の魔術の常套句。捕獲術式の発動後、もっとも効果的な位置で攻撃用の術式を発動させる必勝法。


「契約に従い、業火をここに―――!」

 詠唱の結びとともに大火力の炎が陣を飲み込み、降り注ぐ雨が蒸発する。リコリスは黒い瞳に確かな成果をうつしながら、しかし納得していなかった。


(手ごたえがない)

 やはりというべきか、発動が終わったそこには誰もいない。代わりにそこからほんの少し離れた位置に、敵は身じろぎもせず立っていた。

 この敵はこの十数秒、リコリスを十分狙えたはずなのにあえてそれを見逃したのだ。

 完全に遊ばれている。絶対的な自信。


 異常な力、技。リコリス・インカルナタは理解する。あるいはそれも遅かったのかもしれない。

 偽者でもなく、劣化したものでもなく――この敵は「本物の」神子だ。


 リコリスは腰を落として体勢を整える。それを待っていたようにゆらり、と一歩進み出た敵は言った。


「傷、大丈夫なの?」

 何を、と言いかけたリコリスを遮るように続ける。


「魔力を傷に回さないと治らないでしょ。それに魔力強化を続けないと君、もう立ってられないんでしょ?」


(―――どう、して、それを……!?)

 弱みをつかれた彼女は激昂した。

 それは最高の神子になることを求められた彼女にとって、最大の汚点。


 だから、彼女は自分を見失った。       

 感情に身を任せると冷静な思考を失う、昔からの悪癖。

「――だ、」


 足元に残っていた先ほどの魔法陣の残りが再構築され、


「ま、れ――!」


 破ぜた。

 ローブの残骸が空を舞って、息を切らして我に返る頃には、雨は抉るような強さになっていた。


(やった、かな……)


 雨が地面を穿つ音、うるさいくらいの心臓音、自分の呼吸の音。

 それらに混じって、砂利を踏む音。 

 すなわち、踏み切った音。


(――そんな、)


 濡れた黒髪を翻し、振り返った彼女が見たもの。

 今や黒く見える雲に、同化する黒い衣服。自分とわずかに色味が違う黒髪と黒い瞳。それを最後に、リコリス・インカルナタは意識を失った。



 深夜、ティターニア王国王宮。

 リコリス・インカルナタを国境にやってから十日は経つ。

 二日前に降っていた強い雨はさすがに止んで、今は美しい星空が広がっている。


 執務室の主、第二王子アルバートはリコリスから逐一送られてくる報告書をもとに外交策を練っていた。

 音の鳴る時計は集中力を乱す、という理由で置かれていない。そのせいで部屋の中に響くのは書類を捲る音だけ。


 そんな静寂を、第二王子の執務室を訪ねるにはあまりに強すぎるノックが崩壊させた。不機嫌げに「入れ」と告げた彼の言葉を聞いていたのかいないのか、大臣が息せききって入室した。


「殿下、宣戦布告です……! たった今、サマランカから宣戦布告が!」


 アルバートは立ち上がる。 

「何故……、いや、あいつは、リコリス・インカルナタ大佐は何をしていた!?」


 鋭く叫ぶアルバートに大臣は小刻みに震えながら手紙を取り出す。


「第二師団のエレアノール・スコットから書状が。 今読み上げ」

「貸せ」


 アルバートは時間が惜しいとばかりにひったくる。

 青い瞳が少なくとも三往復はして、アルバートは深くため息をついて目を閉じる。

 大臣は書状を回収しようとしたが、それより早くアルバートの手の中で握りつぶされ、ポケットの中へ消えた。


「任務中に失踪。最後にいたと思われる場所には大量の血液だけ残されていたそうだ。致死量は越えていた、と」


 言葉にならない声で何か呻いた大臣を部屋に残してアルバートは歩き去る。

 まず、このことも含めて兄と話し合わなければならない、と思いながら。





 あたりが白く見えるほどの雨が降っていた。雨は先ほどまでの戦いで砕かれた地面を容赦なく叩く。


 仲間が持ってきてくれたローブを再び目深に被り直す。


 新たな黒髪は、地面に横たわる黒髪の少女を無感動に眺めていた。

 背中から流れる赤い紅い血が地面を染め上げていくのを、じっと見つめていた。


「……やっぱり君は、失敗作なんだよ、リコリス」


 相当な時間が経って、小さく呟く。

 それに反応したかのように、リコリスの手がぴくり、と動いた。


 それに反応した自分は、下から睨みつけるリコリスの視線に射抜かれた。

 焦点は合っていないが未だに戦意は失われていない、強い光を灯した瞳。


「……どう、してッ……」


 そう言って不格好にも起きあがろうとする彼女の姿に耐えきれず、自分はその場を離れた。


 ローブの下に流れる液体は、涙なんかじゃない。

 耳に入る嗚咽は、自分のじゃない。

 そう自分を誤魔化しながら、新たな黒髪は走り去った。


 そう、それらは雨の音に紛れて広がり。


 雨の中へ、消える。

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真っ黒少女と六つの約束 早見千尋 @shimayun0724

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