《金の瞳が見つめる場所》01

 新城祐樹は目覚ましの音で目を覚ました。時刻を見ると六時ちょっと過ぎ。冷房をつけずに寝たため、部屋の中は蒸し暑い。せめて窓を開けて寝るべきだった。

 今さら後悔していても始まらないので、ベッドから立ち上がり、寝ている間に蹴飛ばして落としていたタオルケットを畳んでベッドの上に置き、窓を開けた。夏の陽は早く、6時過ぎの現在でもすっかりとその姿を覗かせている。

「いい天気だな」

 呟く通り、空は晴れ渡っており、雲は上空にわずかにあるのみ。つまり、陽光は遮られることなく地上に降り注ぎ、気温は否応なしに高くなるということでもある。祐樹はうんざりした顔を見せるが、すぐにそれは諦めへと取って代わり、窓を背にして朝の日課であるストレッチとトレーニングを始めた。

 毎朝、余程のことがない限りは三十分の時間をトレーニングに充てている。体を解し、簡単な鍛錬を行う。普段はその間に余計なことを考えることはないが、今日は先ほどまで見ていた夢の内容を思い返していた。頻度は高くないが、時折、『過去』の出来事を夢として見ることがある。今日のものもそうであり、あれは祐樹の『過去』である。無論、地球という惑星の日本というかなり平和な国に住まう祐樹があのような場に居て、あのようなことを行っていた訳ではない。あれは前世というべきものだ。

「前世、ね……」

 口に出して呟いてみても、およそ現実感のない言葉だ。だが、祐樹はあれが妄想の類ではないことを知っていた。祐樹がこの記憶が妄想でないと確信するに至った出来事が三年前にあった。表向きは事故として片付けられた、最愛の女性を失った『事件』。あの時のことを思い出すたびに、左の脇腹がずきりと痛む。

 自分の無力に対する憤りと喪失の悲しみを思い出しそうになり、慌てて記憶を再生を拒んだ。

祐樹はそれ以上は何も考えないことにして、トレーニングに没頭した。

無心で過ごす三十分はあっという間に過ぎ、祐樹は汗を吸った寝巻を制服に着替え、脱いだ寝巻を持って階下に降りた。

寝巻は洗濯籠に放り込み、顔を洗ってからキッチンに向かう。弁当箱を二つ用意し、おかずの調理に取り掛かる。大体の仕込みは昨日の夜に終わっているため、朝は簡単な調理を行い、後はそれを弁当箱に詰めればいい。今日の弁当のおかずは唐揚げだったので、揚げ物用の鍋に油を注ぎ、火に掛ける。油が温まるまでの時間に下味を付けた鶏肉に衣をまぶす。適当な温度になった油に鶏肉を入れ、揚げる。揚げあがるまでの時間に予約して炊いておいたご飯を弁当箱に詰める。

手際よく弁当を完成させ、朝食の準備を行おうとすると、声を掛けられた。

「おはよう、祐樹」

「おはよう。今日も眠そうだな」

 顔を上げてカウンターキッチンの向こう側に立つ人物に目を向ける。制服に着替えてはいるものの、眠そうに目を擦っているポニーテールの少女は新城霧香。訳あって祐樹の家に居候している人物だ。学園では生徒会長を務め、生徒の纏め役として奔走する彼女だが、家では無防備な姿を晒していることが多い。勿論、気を許して貰える程信用されているのは祐樹としても嬉しいが、彼とて健全な男子である。

「目玉焼きとスクランブルエッグ、どっちがいい?」

「ん~……今日は目玉焼きで。半熟希望」

「了解」

 一瞬、あえてスクランブルエッグにしようかと思ったが、意地悪をしても仕方ないので、希望に沿うことにする。祐樹がトーストを焼き、調理を開始すると、霧香は戸棚から食器を出し、準備をする。

「今日は暑くなりそうだな」

「そうね。まあ、夏はいつだって暑いものだけど」

「……身も蓋もないな」

 あまり中身のない会話を交わしつつ、それぞれ役割分担して朝食の準備は進んでいく。

「あんまり付けると太るぞ」

 トーストにジャムを盛っていた霧香を嗜めると、彼女は頬を膨らませ、

「運動するからいいの。今日は体育あるんだし」

「だからって、山盛りにするなよ。トーストが見えなくなってるだろ」

 出来上がった目玉焼きを皿に盛り付け、食卓へと運ぶ。二人は向かい合って座り、食事を開始する。

「いただきます」

「いっただっきま~す」

 しばらく無言で食事をしていたが、やがて霧香が口を開いた。

「あのさ、明後日って休日じゃない?」

「ん? そうだな」

 トーストを飲み込んでから相槌を打つ。霧香は若干身を乗り出し、

「なにも用事ないならさ、買い物に付き合ってよ。明後日と明々後日、モールでセールやるの。夏物買っときたいし、息抜きがてら」

「セールね……」

 祐樹は考える。まだ夏は始まったばかりとは言え、日光降り注ぐ中モールまで行き、そして、セール目当ての買い物客の海に飛び込む。

「息抜きにならないだろ。第一、俺が荷物持ちだろ?」

「そうかな……荷物持ちにするつもりはないけど、やっぱり人ごみって疲れる?」

「人ごみが疲れるというか……」

 牛乳を一口飲み、

「人々のセールにかける熱意に圧倒されるだろうな」

「…………」

 霧香は思案顔、ではあるが、ジャムを盛ったトーストを頬張りながらなので、どこか間が抜けて見える。

「うーん……じゃあ、お昼を食べに行くついでに、一か所だけ見てもいい?」

 どうやら、それが彼女の妥協案らしい。根本的なところは全くと言っていい程解決されていない気がするが、これ以上ごねるのも面倒くさい。

「わかったよ」

 溜息と共に呟くと、霧香はやや不満げに頬を膨らませながらも頷いた。

「食べ終わったなら、食器運んどけよ」

 祐樹はそう言い置き、自分の分の食器を水を溜めたシンクに沈める。その後、歯を磨き、通学の準備を行うために自室に戻った。教科書とノートを鞄に詰め、鏡を見ながら身なりを整える。

 その時、視界の隅にある物が映った。紅い鞘に収まった一振りの日本刀。鞘から抜き放てば、薄紅い刀身に炎を思わせる刃紋が特徴的な美しい刀だ。誰の作かはわからないが、銘は『紅雲』と刻まれているのは確認済みだ。模造刀ではなく本物であり、以前に庭木の枝で試したところ、切断面も滑らかにすっぱりと斬れた。試し切りをしたのは後にも先にもその一回だけであるが、日々手入れは欠かしていないので、今も切れ味は変わることはないだろう。

 しばらく刀を眺めていたが、登校の時間が差し迫っているのを思い出し、鞄を掴んで部屋を出る。隣室を見てみると、扉が閉まっており、中から準備をする若干騒がしい音が聞こえてくる。

「先に下行ってるからな」

 声を掛けてから下へと降りる。郵便受けから新聞を取り、玄関で立ったまま広げる。地方欄に目を通すと、二つの記事が目に入る。一つは集団失踪事件。一人ならまだしも、数人単位になると流石に事件性を疑わざるを得ない。失踪した人物の写真を見ると、幾らか見知った顔があることに気付く。友人ではないが、知り合いと呼べる範囲ではある。

「最近見ないと思ってたら、失踪か……キナ臭いな」

 見知った顔の人物達はいずれも年は十五から十八ぐらいの少年だ。徒党を組み、他の似たような連中を相手に乱闘騒ぎを起こしたり、恐喝まがいのナンパをしたりして何度か祐樹も制裁を加えたことがある。だが、失踪するような連中ではない筈だ。

 不可解さを感じながらも、もう一つの記事に目を通す。最近、この島の若者の間である日突然無気力になる人間が増えているらしい。医者にも詳しい原因はわからないらしく、環境によるストレスが原因なのではないかと推測しているらしい。

 原因など知る由もないが、身近にそういう人間がいないか確認しておくことに決めた。他に目ぼしい記事はなく、新聞を折り畳んでいると、慌ただしい足音が上階から降りてくる。

「遅かったな。ほれ、弁当だ」

 彼女の分の弁当を渡し、靴を履いて外に出る。朝だというのに、すでに陽光は容赦なく降り注ぎ、地上はかなり気温が上がっている。次いで出てきた霧香に忘れ物がないか確認し、鍵を閉めて学校へと向かった。

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