《金の瞳が見つめる場所》03

 祐樹は辟易していた。

 見回しても人、人、人。いや、ペットでもない限り人であることは確かなのだが、

「多すぎだろ……」

 そうぼやいてしまうほど、そこは人で溢れかえっていた。

 鈴音島最大の大型商業施設、アクアモール。出資は祐樹たちが通う私立銀嶺学園も経営している《ルナ》という企業グループだ。会長は御堂茜。暇なのかどうかは知らないが、学園長も兼任している。

 アクアモールは服飾に力を入れており、というのも、《ルナ》の主産業がアパレル関連だからである。しかも、ここは少々特殊な場所で、《ルナ》の本社ビルが鈴音島にあることに関係するかは定かではないが、常に割引価格で《ルナ》の製品を販売している。

 つまり、もともと服が安く買える、というわけで、学生の身にはありがたい限りだが、今日、明日はその価格からさらに割り引かれ、およそ原価の二割から三割程度で購入が可能となる。

 祐樹としてはアホか、と言いたくなるが、現実は目の前の景色そのもので、目当ての服を安く買おうとする男女を問わない客がひしめいている。

 祐樹はそんな混沌の中に身を投じる勇気はなくて、他の相手待ちの人に混じってぼうっと人の群れを眺めていた。

 祐樹は腕時計を確認する。時刻は十時ちょっと過ぎ。ちなみに、ここの開店時間は十時ちょうど。セールの日でもそれは例外ではない。

「…………」

 人の群れもさすがに見飽きてきて、持ってきた本でも読もうかな、と思った矢先、

「おい、そこの優男」

 聞きなれた声がして振り向くと、そこには人に揉みくちゃにされ、体力を削り取られた金髪がいた。

「雅か。奇遇だな。お前も買い物か?」

 げっそりしながらこちらに退避してきた彼に問いかけると、頭を振り、

「いや、オレは荷物持ち。美苑ちゃんに付き合って、な」

「へえ、美苑が」

 意外、と言えるかもしれないが、祐樹は妙に納得してしまった。思わず笑みが浮かぶ。その表情を雅に見とがめられ、

「おいおい、オレがこき使われるのがそんなに楽しいか? お前だって似たようなもんだろ?」

「いや、違くてな」

 否定の言葉を前置き、

「なんというか……頑張ったな、と思って」

 雅は訳が分からないらしく、首を傾げていたが、祐樹が何でもないという風に手を振ると、詮索をしてこなかった。

「てか、お前って霧香と一緒だよな? せっかくだし、昼飯一緒に食わねえか?」

 雅の誘いに少し考えてから、

「女性陣の意見も聞いてからにした方がいいと思う」

「まあ、それもそうか」

 雅もそれに同意し、それから待つこと三十分以上。

「遅くね?」

「ああ、遅いな。迷ってるのか」

「そういう時はオレがびしって言って決めてやるっ」

「やめとけよ。センス違うだろうし」

 しびれを切らして、自分のセンスで服を選ぶと言い出した雅をやんわりと止める。

「それは冗談として、見に行った方がよくね?」

「そうだな」

 やれやれなことだ、そう思いながら、祐樹は雅と連れ立って、人ごみをかき分けながら霧香たちがいるはずの店へと向かう。

「…………」

 霧香と美苑は一緒にいた。その分、容姿の際立つ二人は見つけやすいのだが、それ以上に目立っていたのは、広げた服の数。売り場の片隅を占拠し、さながらファッションショーの様相を呈している。彼女たちを中心に、観衆が詰めかけている状態だ。

「おい、お前ら店で何やってる?」

 呆れ声で問うと、霧香は群衆の中心で首を傾げ、

「あたしはただ試着してるだけよ? なんか人集まって、こっちが困ってるくらいだけど」

 祐樹は霧香の隣に立ち、周囲を見回す。観衆の多くである男性は目を逸らし、そそくさと去ろうとする。連れがいると知って気まずいのだろうし、そもそも、ここにきているということは彼ら自身にも連れはいる筈である。

「まあいいさ。お前に見惚れるやつがいるのは別におかしなことじゃないしな。なにせ、ファンクラブがあるんだから。それより――」

 祐樹は霧香の傍らで服を物色している黒髪の少女、神崎美苑に声をかける。

「やあ、美苑。雅と一緒に来てるんだって?」

「こんにちは、祐樹先輩。ええ、至極残念なことに、私の連れは水瀬先輩です」

「残念って……お前が誘ったんじゃないのか?」

「いえ、違いますよ。お昼を食べるのに誘われたのですが、せっかくですから、セールも見ていきたいのでここにきている次第です。霧香先輩と出会ったのは全くの偶然ですよ」

 首を傾げ、腰まで届く長い黒髪を揺らしながら答える。

 彼女の容姿は例えるなら日本人形。長いまつ毛に漆黒の潤んだ瞳。口や鼻は小さくまとまっていて、非常に上品な雰囲気だ。

「で、荷物持ちさんは? 祐樹先輩と一緒にいるものと思っていたのですが……」

 だが、台詞に毒あり、である。物腰は至って柔らかいし、礼儀正しくはあるが、心許した相手には毒舌が飛び出す。生徒会に所属して以来、その毒舌はもっぱら雅に向けられていたが。

 で、祐樹も言われて今更気付いたが、雅が付いてきていない。後ろを振り向くと、人の流れに押されてもみくちゃにされていた。

「まったく何やってんだか」

 肩を竦めると、美苑もそっとため息をついて同意を示した。

「祐樹、ちょっといい?」

 霧香の声に振り向くと、

「これとこれ、どっちがいい?」

 厳選したのだろうか。二着を手にどちらがいいか問うてくる。

 右手に持っているのは上が胸元に白いレースをあしらったスカイブルーのキャミソールに、白い薄手のカーディガン、下は青のギンガムチェックのスカートを合わせたもの。

 左手のは、

「ゴスパンク?」

 と祐樹が呟くのももっともで、赤と黒を基調としたノースリーブに同色のアームカバー。スカートは短めで、黒い地に赤のラインが入ったもの。要所要所にレースをあしらってるのがなんとも言えない。

「どう、どっちがいい?」

 決断を催促してくる。一般的な選択ならキャミソールの方になるのだろうが、あえて霧香がその二着を選択しようとしているということは、ゴスパンクも着てみたいと思ってる顕れではないだろうか。

「着てみたいと思うなら、こっちにしたらどうだ?」

 そう言って指し示すのは赤と黒のゴスパンク。

「そう……かな。似合うと思う?」

 すると、頬を赤くして霧香が言う。それへ祐樹は軽く頷いて、

「お前なら何着ても似合うだろ。折角だし、試着でもしたらどうだ?」

「そ、そう……じゃあ、着てみる」

 彼女はキャミソールを売り場にもどし、人の間を縫って試着室に向かう。

「祐樹先輩」

「なんだ?」

 美苑はその愛らしい顔に悪戯っぽい笑みを浮かべ、

「なんでも似合うなんて、普通はダメダメ感丸出しの意見ですが、こと霧香先輩に限ってはその通りですよね、と思って」

「まあ、可愛いしな」

 てらいもなく言ってみせると、美苑は目を丸くした後に苦笑して、

「本人には言わないのに、こんな時だけ素直なんですね」

「それは美苑も、じゃないか?」

「そんなこと――」

 視線がようやく人ごみから脱出できた雅に向けられ、軽いため息と共に、

「あるかも知れませんね。私、素直じゃないですから」

「おいおい、なんの話してんだ?」

 近くに寄ってきた雅が話に加わろうとするが、美苑はふいとよそを向き、その様子を見て祐樹は苦笑する。

「おいおい、オレが無理やり誘ったのは謝るけどさ、あからさまに嫌がることないだろ?」

「ご心配なく。嫌がってはいませんよ。祐樹先輩はすぐに抜け出せたのに、苦戦してる水瀬先輩に呆れてただけです」

「あー……わりぃ」

 なぜか謝る雅。横目でそれを見た美苑は再度ため息をつき、

「そう簡単に謝らないでください。そんなに自分を卑下したいんですか?」

「……わかったよ。約束通り、昼飯は奢るから」

 頭を掻く雅。

「じゃあ、俺も奢ってもらうか」

 冗談めかして言ってやると、彼は大いに慌て、

「待て待て、二人分奢るとオレの財布は質量がマイナスに――」

「なるわけないですね、物理的に」

「気分の話だけじゃなくてだな、そんなに金ないんだよ、今日は」

「あら、可愛い女の子には無条件で奢ってくれるんじゃないの、雅」

「誰がそんな設定考え――」

 声のした方に振り向いた雅の言葉が途中で停止した。何事かと思って同じ方を向いた祐樹の思考も一瞬だけ停止した。

 なんというか、ある意味破壊兵器がそこにあった。

 霧香だ。そこにいるのは確かに霧香で、私服なんて同居してるから見慣れている筈なのに、今のその姿、つまり、ゴスパンクルックの彼女は非常に可愛かった。

 服が似合っている、というのもあるが、それ以上に目を惹いたのは、慣れない格好に恥じらうその不安げで、しかし期待に頬を上気させ、目を輝かせた表情だった。それは反則的に、

「可愛い、な……うん」

 今まで本人を前にして言ったことがなかったというのに、今は自然にその言葉が口をついて出てくる。

「そ、そうかしら。やっぱり、素材がいいからかしらねっ」

 強気にそう言い放ち、腰に手を当てて胸を反らす。その動きにあおられて黒のネクタイがひらりと舞い動く。

「ええ、似合っていますよ、先輩。ところで、ここまで着て来てよかったんですか? 試着の場合――」

「大丈夫、これもう買ったから。さっきまでの服はこっち」

 そう言って掲げたのはこの店の紙袋で、中をちらりと見ると、なるほど、さっきまでの服がそこに収まっている。つまり、脱ぎたて。

 いや、落ち着け、新城祐樹。そう自分に言い聞かせ、頭を軽く殴る。

「大丈夫ですか、色々と?」

「なんか大丈夫じゃなさそうだ」

 美苑に心配されるが、自分で言った通り、あまり平静ではないようだ。どうやら、霧香の可愛さにあてられたらしい。日常的に一緒にいるはずなのに、なんということだろうか。

「これが夏の魔力か……」

「いきなり暴走しないでください、祐樹先輩。性格崩壊してますよ?」

「すまない」

 深く息を吸い、気持ちを落ち着かせる。これまでの感情は一時的にリセットだ。目を閉じ、外界と遮断。次に目を開いた時には、

「よし、大丈夫。で、時間はまだ早いようだが、美苑の買い物は?」

 切り替え完了。

「私は、ちょっと五分ほど時間もらえますか? すぐに選んじゃいますから」

 断り、すぐに売り場の一角へと歩き出す。祐樹は雅の背中を軽く押し、

「一緒に選んでやれよ」

「え、いや……オレ、ファッションセンスないし」

「いいから」

 強く押すと、渋々美苑の背中を追いかける雅。その後ろ姿を見て霧香は、

「あの二人、先が思いやられるわよね……」

 しみじみと呟く。

 祐樹は無言で同意を示し、横目で改めて霧香の姿を見る。勝ち気で凛とした佇まいの彼女には、黒と赤を基調としたその服装は非常に引き締まった印象を与えつつも、要所に飾られたレースが可愛らしさを引き出している。

「なあ、あの帽子は買わないのか?」

 服と同系の模様が入ったキャスケット帽を指さすと、彼女は困ったように、

「ちょっとあれ買うと予算オーバーなのよね。いくら安くなってるって言っても、学生の財布なんてたかが知れてるし」

 まあ、それはそうなのかも知れないが、折角、同系の装飾具があるのだ。買わない手はない気もする。

「じゃあ、俺からのプレゼントってことで。駄目か?」

「駄目か? って、そりゃ駄目に決まってるでしょ。第一、記念日でもなんでもないのに」

「うーん……強いて言えば、お前にあれを被って欲しい、という欲求ゆえに」

「欲求、ね……祐樹ってそういうところがすさまじく素直よね。でも――」

 ちらりと帽子を見て、少し残念そうな顔をしてから、

「彼氏じゃない男子からのプレゼントは無暗に受け取れないわ。記念日じゃないなら特に、ね」

「そう、か」

 そこまでいうなら仕方がない。今回は諦めよう。しかし、その帽子をしっかりと記憶に留め、祐樹は軽く笑む。霧香には似合うだろう、そう思ったからだ。

「なにか企んでる?」

「いや、何も」

 笑顔を見咎められ、霧香に詰問されるが、祐樹はゆったりと首を振って否定する。言った通り、何も企んではいない。

「そう。で、美苑はなにを買うつもりかしらね?」

「聞かれてもわからんぞ?」

「それもそうね」

 しばらく待っていると、美苑が雅を引き連れて戻ってきた。その顔は平静を保とうとしていたが、口の端に浮かんだ笑みは隠しきれないようだった。いいことでもあったのだろうが、聞かないのが花だろう。

「なに買ったの?」

 霧香の好奇心に満ちた問いに、美苑は袋の口を開いて見せながら、

「カーディガンとブラウスを」

「へえ、可愛い色ね」

「ええ、気に入ったので」

 女の子同士で服飾談義に花を咲かせる横で、祐樹はこの後について雅と話す。

「で、買い物はこんなにも早く済んでしまったが、この後どうするつもりだ?」

「少し早いが、そろそろ店に行ってもいいんじゃないか? この混雑だ。店のほうも待つと思うぜ?」

「まあ、それでいいか。もしかしたら、ちょうどいい時間かもしれないな」

 二人に声をかけると、それでいいとのことだったので、雅の先導に従って店を目指す。

 入る店を決めていなかった祐樹としては素直に助かった。二人きりの場合でも、どのみち霧香の意見に従っていただろうから困ることはなかったようには思うが。

「ここだな。ああ、もう結構並んでる」

 雅が代表で記名を済ませ、四人は順番を待つ。

 店名は『ぱれっと』。カフェ風の洋食店らしい。

「ここっていつも順番待ちよね……」

「そうなのか?」

「まあ、ご飯時は絶対に待たされますし、相席になる場合も多いですよ。大人数向けに大きな席を多く用意しているためらしいですけど」

「へえ……」

「でも、混んでるだけあって、味は保証できるな。なにを頼んでも正解だぜ?」

「それは楽しみだな」

 料理のレパートリーを増やす機会にもなるかも知れない。

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