《金の瞳が見つめる場所》02

 特に何事もなく授業は終わり、放課後になり、祐樹と霧香は生徒会室に向かった。

「さて、今日も仕事仕事ッ!」

 霧香が張り切っているのは何時ものことだ。常任の委員会が存在しないこの学園では、生徒会も部活動として動いている。なので、他の学校のように大々的に生徒会選挙のようなものは行われず、生徒会執行部に入部した人の中で内々に決められる。とは言え、全部活動に対する介入権を持つ生徒会のトップとなれば、当然発言力は大きい。その上、一年の頃から生徒会長を務めているというイレギュラーさを加えると、新城霧香の名前はほとんどの生徒が知るところである。その容姿故に、ファンクラブまがいのものまで結成されているのは本人も知るところではあり、しかし、扱いは放置である。生徒に嫌われていないのは結構なことだが、祐樹としては若干頭が痛い。

 生徒会室は普段施錠されており、会長、副会長、会計、書記の役職者だけが鍵を所持している。とは言え、現行の生徒会は役職者しか在籍していないため、全員が鍵を持っていることになるが。

 書記である水瀬雅と会計の神崎美苑はまだ来ていないらしく、部屋は施錠されたままだった。霧香が開錠をしている間に、祐樹は投書箱の中を覗き、中身が入っていることを確認して箱を抱えた。

 箱を生徒会長用の机に載せ、蓋を開く。

「今日もぎっしり?」

「いや? そんなにないみたいだな」

「そう。じゃあ、とっとと終わらせちゃおうか」

 早速席に着き、投書の選り分けを始める。祐樹も半分を受け持ち、作業を始める。目立つのは、夏休みの合宿や試合に関する申請書だ。中間考査も終わり、夏休みを待つだけという中途半端な時期である。こういった申請書が多くなるのは当然のことだ。夏休みが明ければ、文化祭に関する申請書で投書箱が一杯になるのは目に見えている。なので、夏休みに十分に休んでおかないと、しばらくは休み返上が続き、過労で倒れかねない。

 書類の選り分けをしていると、生徒会室の木製の扉が押し開かれ、白金の髪を持つ少年が転がり込んで来る。

「……どうした、雅?」

 何かやらかしたのだろうか。何時ものことと言えばそれまでだが、厄介事を持ちこむようであれば何らかの対処をしなければならない。

 雅は慌てて扉を閉め、背中で押さえる。

「いや、ちょっとな……」

 頬を汗が伝う。何故だかそれが冷や汗のようだ、と思った時、若い女性の声が雅の名を呼ぶ。

「水瀬君? 生徒会室に逃げたって無駄ですよ?」

 声の主を知っていたので、思わず霧香と顔を見合わせた。

「なにやったの? まさか先生にセクハラしたとか? そりゃないわよ。怒られて当然だわ」

「いや、待て。オレはなにもしてねぇ。というか、途中からオレの話聞く気無くなってるの気のせいか?」

「さあな。で、正直に話すととても楽になると俺は思う訳だが」

 これ見よがしに一一〇番を表示させた携帯を雅に見せる。雅は頬を引き攣らせ、扉の向こうを窺ってから、

「真面目に聞けよ?」

 そう前置きし、

「茜ちゃんがオレに執事服着せようとするんだ。だからオレは逃げてきた訳だが、何か文句あるか?」

「ある。俺を巻き込むな。お前がここに来たら、俺に矛先が向くかも知れないだろ」

「ぐっ……それを考えてなかった。というか、そろそろ来るぞ。オレはどうすればいい?」

 懇願するように問われ、霧香はちょっと首を傾げてから、ロッカーを指差す。掃除用具を押し込んではいるが、少し我慢すれば人一人ぐらいは余裕で入る。

「助かる。後は任せた」

 雅は近付いて来る足音に慌ててロッカーへと飛び込む。何かをぶつけたような鈍い音がしたが、気にしてやる義理はない。祐樹は何事もなかったように仕事に戻り、霧香もそれに倣う。

「逃げなくて良かったの?」

 小声で聞いて来るが、それには答えない。そうこうしている間に足音は扉の前で止まる。しばらく無音が続き、中の様子を窺っているらしい。祐樹はそれを意識から追い出し、黙々と作業を進める。霧香もこちらのペースに合わせてか処理の手を早める。しばらくしてから、扉がそっと開かれた。

 そうして顔を覗かせたのは妙齢の女性。焦げ茶の髪をバレッタでまとめ、白いブラウスにベージュのスカートを合わせている。瞳の色は菫色で、かなり印象的だ。その瞳が部屋の中を見回し、目的の人物が見付からなかったのか、首を傾げながら部屋の中に入って来た。その手には雅が言っていた通りの執事服らしきものが握られており、祐樹の背中に一筋の汗が伝う。

「どうなされたんですか、茜先生?」

 極めて自然に霧香が問い掛けると、この銀鈴学園の学園長たる御堂茜は尚も首を傾げながら、

「ええ、それが……水瀬君にこれを着て貰おうと思って追い掛けていたのですが、見失ったようです」

 茜が服一式を掲げて見せる。霧香はそれを見遣り、

「今度はなにを作ったんですか?」

 若干呆れの混じった声で問う。茜は待ってましたとばかりに顔を輝かせ、

「執事服ですよ、執事服。水瀬君用にきちんと採寸して仕立てたんですよ。それなのに水瀬君ったら逃げ出して。何処に行ったんでしょうね? お二人が彼を庇う訳ないですし」

 愛されているというべきか、貶されているというべきか判断に困る台詞だ。

「まあ、ここには居なさそうなので、他を当たってみますね。それじゃ、お仕事中失礼しました」

 手を振って退室しようとして、扉が閉まる直前に、

「今度祐樹君の分も作っておきますね。お楽しみに」

 そう言い置いて今度こそ出て行った。

 祐樹は肩を落とし、完全に彼女の足音が遠ざかったのを確認してから、雅に声を掛ける。

「それにしても、俺の分は要らないって……」

「あんがとよ。悪意が無い分、厄介だよな」

「そうね。まあ今回はあたしに関係なさそうだし、良かった」

「他人事だな、お前。今度お前がオレみたいになっても知らん顔するぞ?」

「あら、今かくまってあげた恩を早速忘れるの? 恩知らずね。やっぱり今からでも――」

「待て待て待て――オレが悪かったから。今度そうなったらオレも協力する。それでいいだろ?」

 慌ててロッカーから出て来る雅に対し、霧香はどうでも良さそうに肩を竦めて、

「ま、しすぎない程度に期待しとくわ」

「引っかかるもの言いだが……まあ、今回は助かった」

 雅は椅子を引いて座ると、祐樹に目を向け、

「そういえば、今日は会議ないよな? 見たところ美苑ちゃんもいないし」

 祐樹は頷き返し、

「今日は書類の処理だけだ。その結果次第で明日にはやるかも知れないが」

「了解了解。んじゃ、オレは茶でも淹れてるか。二人とも飲むだろ?」

「助かるわ。それが終わったらちょっと雑用頼まれてくれるともっと助かるけど」

「内容による」

 雅が渋い顔をすると、霧香は手にした紙を振り、

「簡単な仕事よ。これを会計用のファイルに入れてくれればいいだけだから」

「そんだけなら引き受けた。んじゃ、先にそっちを済ませちまおう。茶はじっくりと淹れたいしな」

 頼むわ、と言い、霧香は整理の終わった投書の処理に移る。雅も頼まれた雑用をさっさと済ませ、生徒会室備えつけの給湯設備と向き合う。何を入れるかに一分ほど悩んだ結果、日本茶に決めたらしく、いそいそと、しかし何処か楽しそうに準備を進めている。そんな様子を見ていると、彼ほど雑用の似合う男もそうはいないな、と自分でも褒めてるのか貶してるのかよくわからない感想が浮かんだ。

 祐樹は、副会長の権限で処理できる内容の投書に目を通した。

 外からは運動系の部活の掛け声が聞こえてくる。夏だというのによくやるな、とは思うが、自分も運動は好きなのであまり人のことは言えない。

「どうした?」

 お茶を淹れ終わった雅が祐樹の前に湯呑みを置きながら訊いてくる。祐樹は彼に視線を向け、

「ん? いや、夏だな、と思ってただけだが?」

「まあな。陽も長いし、暑いし、蝉は鳴いてるし……あー、アイス喰いたくなってきた」

「そういいつつも淹れるお茶はホットなのな?」

「日本茶は当然熱いものだ。紅茶かコーヒーだったら考えなくもないが」

「だったらそうしなさいよね。あんたの淹れてくれるのは美味しいから飲むけど。不味かったら問答無用で頭からかけるわよ?」

 何だかんだ言いつつも、皆熱いお茶をすする。

「霧香、後どれくらいで終わる?」

「んー、後三十分もあれば終わるんじゃない? 議題になりそうなものもなさそうだし」

「そうか。じゃ、明日も会議はなしかな? でも、しばらくしたら文化祭と体育祭の準備もしなきゃならないしな。休める今のうちに休んでおくのもいい」

「そうね……夏休み返上にならなきゃいいけど」

「大丈夫だろ。去年は会計の不在でそうなったけど、今年は心強い味方がいるんだから」

 雅の言葉に内心で頷く。今日は来ていない美苑は一年生ながら生徒会に所属し、この半年間文句も言わずに会計の仕事を果たしてくれた。毒舌な彼女だが、それはすべて雅に向いていた。

「ところで祐樹。明日の小テストの対策は大丈夫なのか?」

「今さら何を。普段から勉強をしていればわざわざ対策する必要もないだろ」

「そうね。今さら何かする必要を感じないわ」

 祐樹と霧香の発言に雅は深くうな垂れ、

「チクショウ……優等生は言う事が違うぜ。仕方ない。オレはこれから勉強することにするよ」

「自信がないならそうしとけ。今日はやることもないだろうから、帰ってもいいし」

「あー……とりあえず、お前ら終わるまでここでやってる。わからなかったら訊けるし」

「そうか。まあ、どこでやろうと構わないからな」

 基本的に書記は役職者の中で普段の一番仕事が少ない。

 雅は鞄から教科書とノートを取り出し、睨めっこを始める。決して馬鹿ではないが、テスト前ともなると不安があるのだろう。

「てか、中間考査が終わった後に小テストとか鬼じゃね?」

「たるんでないか調べてるんだろ? あと、一夜漬け連中をあぶりだす目的もあるだろうしな」

「抜き打ちじゃないだけましだと思いなさいよ」

「へいへい」

 軽口を叩きながら、三人はそれぞれのやることを終わらせていく。途中、雅がいくつかの問題についてヒントを求めてきたので、それに軽く答えてやることおよそ四十分。

「終わったわ」

「こっちもこれで……よし」

「ここらでいいか。大体わかったし」

 霧香は椅子に深く腰掛け、祐樹は伸びを。雅はだらんと机に上体を投げ出した。

「じゃあ、帰りましょうか。美苑ちゃんにはあたしから連絡しとくわ」

「ああ、頼む」

 美苑への連絡は霧香に任せ、祐樹たちは後片付けを開始した。

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