らすてぃ。
ziggy
らすてぃ。
「おー? こりゃ見ねーなー。なんだと思うこれ?」
隣で頓狂な声を上げる馬鹿が一匹。ボクはそちらを見もせずに今し方拾い上げた鉄くずを
「知らないよ」
「いや見ろって。めっちゃおもしろいカタチしてんよ」
「形はどうでもいい。金属なら仕舞って、それ以外なら捨てろよ」
「なーなー」
横から肩を揺すぶってくるので、ため息を一つついてからゴーグルをあげてそちらに目をやる。ボクと同じ煤けた顔にニカッと頭悪そうな笑みを浮かべた少女が、錆び付いた短い鉄の棒をボクに差し出した。
先の方にヘンにぐねった形の刃がついている。でも短すぎてナイフとしては使えそうにないし、その横の出っ張りが邪魔でそもそも刃物として機能するか怪しい。
「
「いーや、こりゃおれのお気に入りに入れる。こんなおもしろいもん溶かしてつまらん皿かなんかにされちゃたまらん」
「イサナ。使えないおもしろいものより使えるつまらんもんだ」
「むー」
赤錆と砂埃で汚れた面が、ぷうっと膨れて不満を示す。
「めっちゃおもしろいカタチしてんのに……」
「それさっきも聞いた。だいたい、なんか拾うたびにおもしろいもんつまらんもんに分けてたら日が暮れるよ。ハグロのとこの叔父さんみたいにザンギリガザミに喰われたらどうする。あいつら最近やけに増えてんだから」
「足がイッパイの生き物に喰われるのはカンベンだなー」
「だろ。メッチャオモシロイカタチにされたくなきゃ、ちゃっちゃと拾ってちゃっちゃと詰めろ」
イサナは、ちぇー、と口を尖らせながらまたガレキの山と格闘し始めた。妙なカタチをした例の道具は、結局背嚢ではなく、奴の
「ったく、ニコにはロマンってものがわかんねえなあ。せっかくのイセキ探索も、やってることはまるでハイヒンカイシューだ」
「そりゃ廃品回収だもの。大昔のガラクタに熱を上げてもメシは食えないだろ」
「人間はユメ喰って生きてんだよ!」
「じゃあ今日の分のおまえの配給はボクが貰ってもいいよな」
「やだ!」
「子供か」
また一つため息をつくと、ボクは目の前のガラクタの山にツルハシを突き立てた。ガレキをかき分けていくと、赤茶けた金属の先端が顔を出す。
これは大物だ。もしかしたら古代鉄骨の端かもしれない。
「しめた」
周りのガレキを慎重にどけていき、半分ほど地面の下にあるらしいそれを軽く引っ張ってみた。
「んっ……おあ!?」
ぼきり。
間抜けに尻餅をつく。軽く手応えを確かめようとしただけのそれで、鉄骨はあえなく折れてしまった。折れた断面を覗いてみると、あれま。中はすかすかの穴だらけだ。
「…………」
「はは! おーいニコ、なにコケてんだ? ……なんだそれ、鉄骨? 折れてっけど」
けらけらと腹の立つ笑い方をしながら、イサナがぱたぱた駆け寄ってくる。ボクは舌打ちを一つ添えて、鉄骨の断面を奴の眼前に突きつけた。
「ダメだ。中身全部サビクイムシにやられて空っぽだよ」
「うわ! なんかムシ詰まってる! きめえ!」
ぷらぷらと振ると、中からぽろぽろ小判型の虫が数匹こぼれ落ちた。
たっぷりとぬか喜びさせてくれた夢の切れ端を放り捨てる。かしゃんという儚げな音が巨石の林にこだました。
「こりゃ凹むなー。おれだって凹むもん。あんたんたんな気分ってヤツだな!」
「なにその頭の悪さだけが的確に伝わってくる表現。暗澹たる、な」
ボクはしゃがみ込んで胸の
サビクイムシは鉄の回収では必ず出くわすが、最近見かける個体は特に大きくなっているようだ。
「ニコだって人のこと言えねーじゃん! ヘンな生き物見つけるたびに絵に描いてさ! ジカンノムダじゃないんですかー!?」
「やかましい。おまえのと違ってボクのは時間を割くだけちゃんと役に立つんだよ。どこにどんな生き物がいて、なにが食べられて、なにが食べられなくて、なにを食べようとすると食われるかとか」
「最後怖っ」
イサナは虫を一匹拾い上げて、じろじろと眺めている。
「これを描いたとこで役に立つのかな……」
「ゴーグルを下ろさないと目が潰れるぞ」
「ほぇあっ」
ちょっと脅かしてやると、イサナは面白いほどに竦み上がって虫を放り捨てた。
「けけけ」
「おおお脅かすんじゃねえよ!」
「でもホントだぞ。酸性の液吐くから」
「えっ」
サビクイムシは強酸を吐いて鉄を腐食させる。それをもろくなった端からかじって鉄をぼろぼろにしてしまうのだ。少し放っておいた鉄鍋がいつの間にか穴だらけになってたりするのはこいつのせい。
「……ん、こんなもんかな」
この旧遺跡には興味深い生き物がたくさんいる。サビクイムシにオカギンチャク、キリキリマイマイにジンガサハムシ。人の手を完全に離れた生態系は、人が再び戻ってくることを拒絶するように繁茂している。上を見れば巨石の建造物の間を縫って、キモンハネイカの群がのんきに飛んでいた。
太古に打ち捨てられたこの古代都市は、一つの巨大な生き物のように呼吸していた。
「なー、ここらでもう大物は見つかんねえんじゃねえの? この前だって叔父貴たちがでっかい動物の銅像を見つけたじゃん。あれより上物はもうないって」
「あー、あれね。ヤガサさんたちの見つけたやつ。あれはすごかったな。溶かしたらずいぶんでかい銅板に加工できたらしい」
「あー、ほんっとありえねえ! あんなおもしれーもんただの板にしちまうなんて……」
バカが頭を抱えて唸る。例の銅像の話をするといつもこれだ。仰々しい台座に乗せられていたので、旧文明における何らかの崇拝対象だったのかもしれない。
まあ、どうでもいいが。銅の食器になった方がまだ役立つ。
「うん、ここらでご飯にしようか」
「お、よしきた!」
イサナはあっさり機嫌を直すと、ぽいとツルハシを放り出した。
単純な頭だ。
腰に結わえた袋からブリキの缶詰を四つ取り出すと、ナイフを突き立ててこじ開け始める。
「もうちょっとばかし開けやすく作ってくんねえかな。これだから缶詰ってキライ」
「仕方ないだろ。缶詰にしないと長い間保存きかないんだから」
ボクも腰に差したナイフを抜いて、その辺の壁をペタペタと手のひらで探る。すぐに不自然に膨らんだ箇所が三つほど見つかった。思わずほくそ笑む。ナイフで引き剥がすようにしてめくると、ぷくりとよく肥ったカベハミカサガイが穫れた。
「なにそれ! 食えんの? 旨いの?」
「闇市に出したら一個三千
「悪い顔」
この手の貝は壁を消化液で溶かして穴を開けると、溶かしたそれを貝殻の穴から分泌して固め、壁の一部のように擬態する。遺跡では特に大きいのが穫れるが、ナイショである。みんなに教えたらなくなっちゃうし。
「焼くから用意してー」
「アイアイ・サー!」
○
残った汁まですすって空っぽになった貝殻をガレキの山に投げ捨て、凹んだ薬缶からヤブ茶をブリキのカップに注いで一息つく。空き缶は踏みつぶして背嚢に仕舞った。再利用再利用。
ボクはまた手帳を開き、カベハミカサガイの頁に追記を書き込む。岩藻塩との相性良し、と。
「なーなーニコっ」
「ん?」
「旧遺跡っていったい、いつからあるんだ?」
「さあね。わかんない。四百年前とか八千年前とか、説によって様々だし」
「四百年と八千年は幅がありすぎでしょ」
「学者が少ないんだよ。人類の大多数がこんな生活をしているような世の中じゃ、学問なんて遊んでるみたいなもんだ」
イサナが背後からにゅっと顔を出し、ボクの持つ手帳の端をぴんと指で弾いた。
「でもニコはガクシャになるんだろ」
「もう学者さ。誰かが『キミは学者だ』と認めてくれるわけじゃなし。名乗ったもん勝ちだよ」
「へー。じゃあじゃあ、おれもガクシャ!」
「ほー。何学者さ」
「あー、えーと……ロマン! おれはロマンガクシャだ!」
「浪漫学者、ねえ」
「おう! ロマンロマン!」
適当に相づちを打っていると、体にかすかな振動を感じた。低い地鳴りのような音も遠く聞こえる。見上げる遺跡の建物から、ぱらぱらと小さな小石が落ちてきた。揺れと地鳴りはずん、ずん、とゆっくりと連続して響き、少しずつ近づいてくるようだ。
「んー? なんだこれ」
「お、イサナ、おもしろいものが見れるよ」
視線の先、道の向こう。巨大な建造物の間を縫う道の中でも、かなり大きく広い通りが十字に交差している。腹に響くような振動と音はどんどんと近づき、そして建物の向こうから、ぬっと巨大なシルエットが顔を出した。
「うっ……わ! すっげ!」
引き結んだ硬質のくちばしをつけた頭は、隣の建物の七階ほどの高さ。砂利固めの地面を、小さな家ほどの太さの足が踏みしめている。幾何学的図形が身を寄せあった巨大な背の甲殻の隙間からは、樹齢百年はくだらないであろう大木が何本ともしれず生え、アーチを描くその甲羅は、まるで木々生い茂る山そのものだ。
「うわ! うっわ! ニコ、なんだあれ! でかいカメ!」
「
「……もしくは? なんでもしくは?」
「あれはでかいカメだけど実際はでかいカメじゃない。キノコだ」
「はあ?」
首を傾げるイサナの後ろで、動く山のような甲羅の縁が建物にぶつかり、がらがらと巨石の建造物を崩す。
「あれは元々、ボクたちの背丈くらいの大きさしかない、その辺によくいるイワガメの一種だ。二百年ほど生きるんだが、それが希に三百年も四百年も死なずに生き延びることがある」
「実感のわかない数字だなー」
「そうしてるうち、体は何の問題もないのに、精神の方がすり減って死んじまうのさ。だから、生きてるのに頭空っぽで何もしなくなってしまう」
「まあ四百年も生きてたらなー」
「頭のとこ、白い根が張ってただろ。あれはキノコの菌糸だ。頭の中身だけが死んだイワガメがあれにとりつかれると、あのキノコが体を乗っ取っちゃうってわけ」
「おおう、キモい」
「そんでそいつがずっと死なずに大きくなると、ああなる」
「はー」
あれはおそらく寄生されてさらに四百年ほど経っている。あそこまで巨大な個体は、この遺跡全てでもあの一頭だけだろう。
ロウセンキはたいてい、頭にとりついたキノコの方が早く寿命を迎えてしまい、再び主を失ったその体は、朽ちて本当に山となるという。そもそもが個体数の少ない生き物であり、情報がないゆえその真偽は定かではないが、その悠然たる姿はまさに、この遺跡の主といった風格だ。
「すげえなあ……」
惚けたように口を開けながら、その巨大な背中を見送るイサナ。
その横でボクはロウセンキの項にまたいくつかを書き加えた。
「なあニコ」
「ん?」
「この遺跡からさ、おれは未来を掘り出すんだ!」
目を輝かせて巨石の林を見上げる阿呆一匹を後目に、ボクは手帳を胸の衣嚢に仕舞い直して、冷めかけたヤブ茶を一息に呷った。
「未来、ねえ。遺跡にあるのは過去だけだろ」
「でもその過去はここに住んでた連中の過去だ。おれたちがそれをここで見つけたら、それは初対面ってことだ!」
「……まあね」
「それは、おれたちの『これから』だ!」
傾き始めた日差しを浴びて、イサナの腰帯に差さった例の鉄棒が、錆の隙間をちらりと光らせた。
「……『これから』、ね。いいんじゃない?」
ぽつりとこぼすように呟いたその言葉にかぶりつくように、イサナがずいと顔を近づけてくる。
「おお、わかるか! わかるだろ!?」
「……とりあえず『これから』より今日の鉄を集める方が大事だとよくわかる」
「おう、ぜんっぜんわかってねえ」
ぶつくさ文句を言いながら、イサナはまたガレキの山にツルハシを突き立て始める。ボクは袖に忍ばせた懐中時計をちらりと確認してから同じく作業に戻った。日暮れまであまり時間がない。だが、まだ余裕はあるはずだ。さっさと集めてさっさと帰ろう。
「イサナ、なるべく急いで――――」
鉄の欠片を拾い上げながら、イサナを急かすべく顔を上げたときだった。
きりきりきり。かしゃかしゃかしゃ。
まったくもー、ロマンのわからねえ奴はこれだから、と文句を垂れる相方の背後に、それはいた。
ぼつぼつと硬質のイボがついた鈍色の甲殻に、感情の見えない飛び出た目。八本の棘に覆われた歩脚と、ボクたちのツルハシの倍ほどにも巨大な鋏脚。
ぞっとするほど巨大な蟹が。
節足動物門甲殻綱十脚目短尾類ワタリガニ科オニオカワタリ属――――ザンギリガザミ。
「イサナッ!!」
きょとんとこちらを呆けた面で見る奴の背後で、軋むような音を立てて補食者の鋏が大きく開かれた。
ほんの数歩の距離。まだ何事か気づいてもいないイサナに向かって駆け出す。
一歩、二歩。しかし三歩目の足よりも早く、ボクの額が地面に頭突きをかましていた。
「ぐ、がっ!?」
視界がめまぐるしく白黒する。地面に擦りつけられた頬に生温かい感触。火花散る視界に映ったのは地面に広がる赤。血だ。どうやら額が割れている。
首をねじってピントの合わない目で見れば、ボクの足を、建物の陰から伸びた鋏が、握りつぶすように挟み込んでいた。
…………もう一匹。
薄靄のかかる頭に、驚愕と恐怖に引きつった悲鳴が響く。首を無理矢理動かして見れば、大きな影が小さい影に襲いかかり、もつれ合っている。視界は一瞬見えてはまたぼやけを繰り返す。
「イ、サナ……」
ずるり。
足をつかんだ鋏脚に力が込められた。ずるりずるりと引きずられ、建物の陰へと引っ張られる。もつれ合う二つの影が遠ざかる。
バカな、ありえない。こいつらが日暮れ前に二区画先の巣を出てから、ここに来るまでにはまだ時間があるはずだ。
少しずつぼやけていく頭で考える。
ザンギリガザミは集団生活をする甲殻類だ。一カ所に集まって住み、日が傾き始めると巣から出て、獲物を探し始める薄明性の生き物。普段ならば巣を出てからこの区画まで来るころには、すでに日が暮れているはずだ。まだ日も落ちきっていないというのに、なぜ……。
「………………」
鈍い思考を巡らせているうちにも、どんどんと体は建物の陰に引きずり込まれていく。
「イサナ……」
また一瞬ピントの合った視界で、無骨な鋏が少女の腕を引きちぎるのが見えた。
「…………う、ぐ」
物陰で待ちかまえていた、鋏の持ち主と対面する。大きな獲物と血の匂いに興奮しているのか、かちゃかちゃと泡まみれの口元を動かしている。のし掛かった体から伸びる脚は、まるでボクを逃がすまいとする檻のようだ。
脚をつかんでいた鋏が今度は体を押さえつける。この鋏で解体されて、肉片になって、あの口で食われるのだろう。
抵抗する気も起きなかった。額から血と一緒に気力も流れていったようだ。
朦朧とする頭は悲観するよりも、疑問をぐるぐると巡らせていた。
わからない。わからない。ありえない。なぜ。生き物は気まぐれで動くようにはできていない。何か理由がある。まだ知らない、何か。
「…………ったく、まだ……しらないこと、だらけ、だ」
震える唇とかすれた声で最期の悪態を吐いた。鋏は邪魔な作業着を引き裂いて剥がそうとしている。
あーあ。なにが学者だ。こんなとこであっさり食われるようじゃ……
「…………役には、立たなかった、かな」
「そうでもねえぞ」
がしゅっ。
蟹のあぶくにまみれた口に、鋳鉄のツルハシが打ち込まれた。
「こンの節足どーぶつがッ!」
ザンギリガザミの棘だらけの脚が、ボクの上で激しく痙攣を起こし、もつれている。
その巨大な甲羅の上に乗ったイサナが、突き刺したツルハシの柄を踵で蹴り、更に深く突き込む。痙攣する脚から一気に力が抜け、ボクの上に崩れ落ちる。巨大な蟹とその上のイサナの分まで体重をかけられて、下敷きのボクは『げうっ』と潰れた蛙のような声を出した。
「はっ、はっ……へへ、蟹の急所は口の奥。これを教えてくれたのはおまえだぜ、ガクシャセンセー」
「…………
「まったくだ。この義手いっぽん買う金でふた月はおまんまが食えらあ」
あちこち擦り傷切り傷で血が滲み、極めつけに左腕をもがれているが、イサナは至って元気そうだ。肩を借りて何とか立ち上がる。
「ニコこそその足もう使えねえんじゃねえの?」
「ハグロの義足は……イサナの安物と違って頑丈なんだよ。この、程度じゃ……平気の平左さ。……少し修理すれば何とかなる……う、ぐ」
頭を打ったせいでまだ朦朧とする。
引きずり込まれた裏路地から通りに戻ると、イサナを襲っていたもう一匹は同じように口元に大穴をあけて絶命していた。よく見れば右の眼柄が欠けている。
「……よく助かったな」
「へへ、これで目ん玉抉ってやった」
自慢げにイサナが見せてきたのは例の謎の鉄棒だった。眼柄の付け根に差し込んで、ぐいっと捻った、らしい。
「……なるほど、ね……この妙な形の刃を、そう使ったのか……」
「拾ってて良かっただろ!? これを腰帯じゃなくて背嚢に仕舞ってたら死んでたぞおれたち! ロマンに感謝だ!」
「……なんかむかつくな」
蟹の化け物と揉み合っているうちに、さらに日は落ちていた。普段ならもう少しだけ作業する時間があるが、これだけの怪我をした上に、周りにはまだほかのガザミがうろついているかもしれない。一刻も早くここを出なければ。
「……言ってる間にまた来たか」
「ん、マズいなァコレ」
向こうに見える建物の陰から、また数匹の蟹どもが顔を出している。走って逃げれば何とかなるだろうが、あいにく今ボクの片足はひしゃげている。
「イサナ」
「なんだよ」
「ボクと心中しろ」
「……そこはおまえだけでも逃げろとかじゃねーの?」
「いっぺん助かっといて、一人で死にたく、ない」
「このやろう」
そうしている間にもガザミたちは少しずつ距離を詰めてくる。カチャカチャと甲殻の擦れ合う音が聞こえてきた。
「いちかばちかこいつらも仕留めてみる?」
「無理だな」
「おう、簡潔」
言いながらもイサナは、腰に差した蟹の体液で濡れたツルハシを抜いて構える。片手のイサナの邪魔にならないよう、ボクは肩から離れて地面に座った。崩れた、に近かったが。
今にも飛びかからんとする甲殻類たちと、やけくそ気味の笑いを浮かべてツルハシを構えたイサナ。両者の距離が十数歩分になったあたりで、ボクたちの背後からその間に何かが投げ込まれた。
「おわ!?」
かしゃんと音を立てて何かが砕け散り、その直後にごうっと火の手が上がる。突如燃え上がった炎に炙られ、蟹たちがあわてて退散していった。
「か、火炎ビン―――? うげっ!?」
「ぎゃっ!?」
その様子を見ていたボクたちの頭を、後ろからごつごつとした手が続けざまにひっぱたいた。
「こンの馬鹿どもが!」
いつの間にかボクたちの背後には、憤怒の表情を浮かべたごついおっさんが仁王立ちしていた。
「うげ! 叔父貴」
「や、ヤガサさん……」
○
拳骨をもう一発ずつもらったボクたちは、ヤガサさんに先導されて遺跡の出口へ向かっていた。
ボク、頭から血ィ出てるのに、容赦ないなあ。
しかしまあ気は使ってもらっているようで、イサナはふつうに歩かされているが、ボクはヤガサさんの引く荷車の荷台に荷物と一緒ごと放り込まれている。それに、ガザミにずだぼろにされた作業着の上に、ヤガサさんの大きな上着を羽織らせてもらっていた。ありがたいが、ボクのより数段汗くさい。
ボクに上着を貸しているから、ヤガサさんは肌着姿だった。岩のような筋肉が外気にさらされている。いくらボクでも、あの姿で遺跡をうろつく勇気はない。
「ったく、片手片足で済んで運が良かったな、お前ら」
「ぜんぜん良くねえよ叔父貴! おれこれからまたしばらく片手だぜ!」
「うるせえクソガキ、いっぺん両手足ダルマにされてからほざきやがれ。てめえ義手で良かったものの蟹どもの気分で逆の腕もがれてたら死んでたんだぞ」
荷車を引く古傷だらけの背中は、顔を見なくてもわかるほどの怒りに満ちている。拳骨二発で済んだこともまた運が良かったようだ。ヤガサさんはボクの方を振り返って続ける。
「だからいつも言ってるだろ、お前らみたいなガキ、それも女二人で遺跡に入るんじゃねえっつうの」
被せられた上着を、ぎゅう、と握りしめる。
女が遺跡での廃鉄回収の仕事に就くことはほとんどない。適性もないしそもそもみんなやりたがらないからだ。でもボクはこの仕事を選んだ。この遺跡に入れる仕事は、これ以外になかったから。
五体満足の人間の方が珍しいような危険な仕事だが、それでも知りたくてたまらないことがこの遺跡にはあふれている。
ボクは生物学者だ。誰かが認めてくれなくとも。
この足を失った日だって、それは揺らがなかった。
「……ボクはこの仕事を選んだとき、女なんかとっくに捨てました」
だから、ボクにとっては適性のない『女』だと思われるのは不都合だ。この遺跡から引き離されるわけにはいかない。
それはたぶん、イサナも一緒だろう。あいつはあいつで、ロマンとやらのために。
「そーだそーだ! 外野は黙ってろー!」
「ナマ言うんじゃねえ。女捨てたってのはウチのカミさんみてえなのを言うんだ。だいたいだな……」
ヤガサさんの説教を聞き流しながら、ボクは煤まみれの荷物に背中を預け、解けなかった疑問についてようやくハッキリしてきた頭で思案する。
活動時間にさしかかったばかりのはずのザンギリガザミが、なぜ巣から離れた区画に急に姿を現したのか。連中の巣はあの区画にはなかったはずなのに。
そういえば、聞くところあいつらは最近やけに増えているということだったな。遺跡は食料が豊富だし、ザンギリガザミを食べようという生き物もそうはいない。個体数は増える一方だろう。
……待てよ、個体数がどんどん増えて、巣の中がいっぱいになったらどうなるんだ?
ぱちん。と手を打つ。
「……なるほど、巣分けか……!」
「ん? どうした」
つぶやいた言葉にイサナが反応する。
「あいつらがいるはずのない時間にいるはずのない場所にいた理由だよ!」
「なんか理由があんのか?」
「あいつらには、たぶん巣の中の個体数が一定以上になると、その一部が別の住処を求めて移動する習性があったんじゃないかな」
「おお? それでその移動に出くわしちまったわけか?」
ふむ、とイサナは顎に手をやる。賢いフリ。
「でもおかしいぜニコ。あいつら急に現れただろ。群れがそのまま動いてたら近づく前におれたちも気づくって」
「あー、えっと……」
確かにそうだ。それにこれだけじゃ活動時間にさしかかってすぐにやつらに襲われた理由がわからない。まだ巣ができていなかった以上、近くにどこか仮宿でも持っていたとしか……あ。
「…………ロウセンキだ」
「え?」
「あいつら、ロウセンキの背中を仮宿にして移動してたんだ。だからあんなに近づかれるまでわからなかった……!」
あいつらは、あのでかいカメの森のごとく木の茂った甲羅を仮宿にして移動し、そこからたまたま見つけた
「なるほど、見とれてる場合じゃなかったわけね」
「ん、となるとこれからはロウセンキの移動パターンや時間を考慮したうえで採鉄エリアを選ぶ必要が……」
ボクはぶつぶつつぶやきながら手帳のザンギリガザミの欄に追記する。ずいぶん血のシミで汚れてしまったが、今回の情報は非常に重要だ。危険生物の生態については、常に多くを知っておく必要がある。
「はあ、まだまだ知らないことばっかりだ」
「あーあー。イキモノに熱を上げてるときのニコには、おれもかなわねえなあ」
イサナが隣で呆れたような声を上げる。もちろん無視だ。
「だが負けてらんねえ、おれだってでっかい未来のロマンをここから掘り出してみせる!」
「おいガキども、俺のハナシ聞いてンのか?」
「聞いてねぇ!」
…………ロマン、ね。
軽口をたたいたイサナがヤガサさんに殴られるのを横目で見てから、ボクはふと地面に倒れた柱の看板に目をやる。錆まみれの看板から微かに見て取れるのは、読み方も知らぬ古代文字。それはもしかしたら、この遺跡が古代に呼ばれていた名前かもしれない。
SHIBUYA
名も知らぬこの都市の在りし日を想った今の感情が、もしかするとロマンとやらなのかもな、なんて思った。
「なあニコ! このおもしろい形の鉄棒、缶詰開けるのに使えると思わねえ!?」
「そりゃないだろ」
いや、やっぱりアホらしい。
らすてぃ。 ziggy @vel
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