花簪(はなかんざし)

 お鈴は数えで十二歳のときに廓に売られた。

 商いに失敗した親の借金のかたに、器量良しのお鈴が家族の犠牲となった。

 当時、お上が遊郭と認めていたのは、吉原、島原、新町の三つだけである。大門を入っていくと仲之町、通りを挟んで左右に江戸町、京町と続く。夜にもなると不夜城は客と女郎たちの嬌声で華やぐ。


 吉原遊郭のお見世に売られたお鈴は、初めは禿かむろから始まり、振袖新造ふりそでしんぞうになった、姉女郎の元で三味線や舞いの稽古を積んで、芸事でも一目置かれるようになり、初見世のお開帳で男に挿されて破瓜はかの血を流し十六で女となった。

 今では座敷持ちの鈴音太夫すずねたゆうと呼ばれ、今年十九歳の鈴音は吉原でも売れっこの花魁である。

 その美しい花魁道中おいらんどうちゅうには多くの人たちが吉原へ見物客に訪れた。


 まだ鈴音が振袖新造だった頃、姉女郎が殺された。

 昼過ぎてもお客と寝所に籠ったまま起きてこない姉女郎に、お昼の御膳をどうしますかと聞きに部屋に入った禿が発見した。

 禿の悲鳴に、そろそろ御見世の支度に起きだしていた、周辺の女郎たちが駆け付けた。部屋の中では全裸で死んでいる姉女郎の上に、男が口から血を吐き絶命していた。


 姉女郎は首を絞められ殺されて、男が毒をあおって後追い心中したようだ。

 殺した後で男が死出の身支度をさせたのだろうか。真っ白な美しい裸の死体は、瞑目めいもくして胸の上で合掌させ数珠まで巻いてあった。

 その姉女郎の上に覆い被さる男の死体が吐いたどす黒い血が……姉女郎の白い肌に汚い染みのようにこびり付いておぞましい。


 その男は最近、姉女郎の馴染みになったお客で足繁く通って来ていた。

大店おおだなの跡取り息子で女房も子どももいるが、心を病んでいるという噂もあって、姉女郎に惚れ過ぎて気がふれたのかも知れない、情事の後で油断して寝込んだ姉女郎も迂闊だが……あれは無理心中だったのだ。

 そのとき鈴音は心底怖ろしいと思った。

 こんな目に合わされるなら客に気を許してはいけない、女郎は客に惚れても、惚れられ過ぎても身の破滅だと悟った。


 今夜は馴染客の山城屋やましろやの旦那が客を連れてくるので、御もてなしするよう頼まれている。

 鈴音ほどの花魁になると初顔の客は取らないのだが、大店おおだなの旦那の頼みなので断れない。

 山城屋が連れてきた客は若い男だった、こんなところの雰囲気に慣れてないせいか、俯いて小さくなっている。

 それでも山城屋の旦那は鈴音と杯を交わし、新造たちの舞いを見て上機嫌だった。

 今から野暮用があるからと急に立ち上がり、後は頼んだよと鈴音に目配せをして、男を残して先に帰ってしまった。


 ……致しかたないので、つまらない客だが男の相手をすることに。よく見ると歌舞伎役者のように整った顔立ちの男である。

「おひとつ、どうぞ」

 新造に酌をされて、杯をあけると男の顔はみるみる真っ赤になった、酒に弱いのだろう。鈴音が長煙管を勧めると一服吸って、激しく咳き込んだ……。

 なんて初心うぶな客なんだろう、可笑しくて緋色の仕掛けの袖に隠れて笑ってしまった。

 酔いがまわったせいか、男は自分のことを話し始めた。


 自分は京の蒔絵職人まきえしょくにんだが江戸に呼ばれてやってきた、江戸城の大奥に献上する蒔絵の化粧道具箱を作るために三月みつきの約束で山城屋さんの元で働いていた。

 丁度、三月経って仕事も終わったので、明日には京に帰る。

 山城屋さんの計らいで、最後に吉原で江戸の女を抱いて帰れと連れてこられたが……自分は国元にいいなづけがいるので、こんなところには実は来たくなかった。


 そんな話を聞かれもしないのに、男は京訛りでぽつりぽつりと喋る。

 なんて野暮な客なんだ、鈴音は冴えないお客にうんざりしていたが、上客の山城屋の連れてきた男なので無碍むげにするわけにもいかず、夜も更けて新造や禿も座敷を下がったので、花魁といえど、しょせん女郎やることは決まっている。


「……床にまいりんしょう」

 男を誘った、奥の間には緋色の寝具が敷き詰められ、ぼんやりと行燈が灯っていた。

 寝所にはいると鈴音は仕掛けを脱いで、帯を解いた、襦袢じゅばんひとつになると男の身体に抱きついた、初めは身を固くしていた男だが……。

 鈴音が唇を吸うと男も激しく唇を求め舌を絡めた。

 男は襦袢を脱がせ、鈴音を全裸にしてその美しい肌を愛撫した。

「きれいな肌やなぁ、まるで観音さまみたいや」

 京訛りでいうと男は鈴音の乳首を吸い、もう片方の乳房を揉んだ、やがて秘所に指を挿し入れて湿り具合をたしかめると、男も着物を脱いで鈴音の上に覆い被さってくる、硬くそそり起ったものが腿に触れる。

「立派でありんす」

 そういうと男のものを手で優しくしごいた、そして体位を入れ替わり、仰向けに寝た男の腹の上で男のものを口に含んで舌で舐めると……。

「うぅぅー」と気持ち良さそうに男が呻いた。

「あちきも濡れてきんした……」

 そういって鈴音は男のものを女陰にあてて、身を沈めた。

「あぁーあぁー」

 よがり声をあげ、鈴音は激しく腰を振った。

 男のものはいよいよ太くそそり起って、めくるめく快楽を誘う、獣の咆哮をあげて、男は鈴音の中に熱い精を放出した。

 抱きあったまま、ふたりは放心したようにがくりと身体が崩れた。


「おまえ、本当の名前はなんていうんや」

 腕枕の鈴音に男が聞いた。

「お鈴でありんす」

 その名で呼ばれていた自分は遠い昔のような気がした。

「おっかさんが鈴の音色が好きで、ここに売られるときも鈴を持たせてくれた、寂しくなりんしたらこれを鳴らしてお聴きって……」

 ふいに鈴音の瞼におっかさんの面影が浮かんできて恋しくなった。自分は女郎だが、こんな豪勢な暮らしをさせて貰っている、おっかさんは達者だろうか。

「おまえほどの花魁でもやはり家が恋しいんだろうね」

「……あい」

 もう娑婆には戻れない身ではあるが、いつか肉親に会いたいと願う鈴音であった。

「これをあげよう」

 そういうと男は懐中から布佐ふさに包んだものを取り出した、開いてみせると、それは花簪はなかんざしだった。

 まるで町娘がさすような可愛らしい簪で、花魁のつけるものではない。

「あちきは貰えんせん……」

 鈴音は即座に断った。

 その花簪はきっと国元で待つ、いいなづけへのお土産なのだろう。

 代わりに鈴音が手箱の中から鈴を一つ取り出し、よい音がしますと男の耳元でチリンと鳴らしてみせた、くすっと笑い男は鈴を受け取った。

「もういっかい、おまえの鈴を鳴らせたい……」

 そういって男は鈴音を抱き寄せて口づけをした、ふたりは再び夜が明けるまで愛し合った。

 不夜城の夜は長い――――。


「鈴音姉さん、掃除にきました」

 禿の娘が起こしにきた、あれからずっと眠っていたんだ。

 朝帰るお客を見送るのが女郎の務めだが、それも忘れて寝込んでしまった。あの客は早朝に帰ったらしい、花魁を起こさないでくれというので新造が代わりにお見送りをしたらしい。

「あらっ、きれい!」

 禿が頓狂とんきょうな声をだした。

 見れば、枕元に花簪が置かれていた、昨夜の客が置いていったのだろう。

 いらないといったのに……。

「それはおまえにやるよ」

 鈴音がいうと禿は大喜びでおかっぱ頭に花簪をさす真似をして、はしゃいでいる。

 女郎に思い出の品なんかいらない、もう逢えない男のものなんか持っていても仕方がない――。


 外を見ると格子窓から、賽の目に切られた空は明るく輝いていた。

 あの男は今頃何処まで行っただろうか、ふと旅路の男のことが心によぎった。

 一夜のかりそめの恋……。

「湯屋へいくよ」

 鈴音は布団の中で伸びをして、あくび交じりにそういうと布団から這いだした。


                  ― 了―

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花魁 泡沫恋歌 @utakatarennka

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