第18話 そして、超える
帝都、アドナス。
救助隊に発見されたリタたちは、テレポート装置を使って帰ってきた。
テレポートした場所から一番近い、治療のできる施設が魔法省だったため、重症のヴィレは魔法省へ。
ヴィレの手術は八時間前から行われており、未だ終わっていない。
ヴィレの手術室の前にはユウト、リタ、キリジツ、ハルナの四人が居た。
「まだ終わらねぇのか……」
キリジツが苛立ちを露わにする。
ヴィレもリタも暗い顔で椅子に座っていた。
「兄貴、黙って座って」
ハルナも苛立っているのか、キリジツにきつく当たる。
キリジツがハルナに反論しようとしたが、手術室の前に現れたある男を見て黙った。
「手術室の前で騒ぐな」
その男はダーデス・ガラス。
四十代後半で、厳つい顔の男。
キリジツが黙った理由は、この男が……
「魔法大臣……!」
魔法大臣。
大臣の中でも特別な存在。帝国に置いて三番目の権力者という位置にいる。
多忙な魔法大臣がなぜここにいるのか。
四人の誰もその理由がわからなかった。
「どけ」
ダーデスがキリジツをどかし、手術室の扉へ手をかける。
魔法大臣のダーデスも医者なのだろうか、彼が手術室に入ろうとした。
「大臣、ヴィレは助かるのか?」
キリジツがその背中に問う。
ダーデスはキリジツに振り向きもせず答えた。
「直接見てもないのに分かるわけがないだろう」
ダーデスはそう言って、扉を閉めた。
手術室の前に無言の四人が取り残される。
それからは誰も手術室に立ち寄る者はいなかった。
手術室の扉が開いたのは、ダーデスが来てからさらに三時間後。
出てきたのは、医者ではなくダーデスだった。
「ヴィレ・ルータストの死亡が確認された」
なんでもないことのように、すらりとダーデスはそう告げた。
だが、四人にとってその言葉は衝撃すぎた。
「大量の出血、内臓の損傷、挙げればキリがないが、その二つが主な原因だな」
ダーデスはカルテを見ながら、淡々と告げた。
「手遅れ……だったのか?」
手術室の前で初めてリタが喋った。
ダーデスはリタの目を見て答えた。
「ああ。手術室に運ばれてきた時にまだ息があったのは、奇跡と言えるくらいだ。だが、奇跡は二度も起きなかった」
「そうか……」
リタはこうなることを予想していたのだろう。激しく動揺することはしなかった。
だが、動揺しているキリジツは、リタの胸ぐらを掴んで無理やり立たせる。
「お前なんでそんなに冷静なんだよ」
「兄貴、やめて!」
「うるさい!」
ハルナはリタを掴んでいるキリジツの腕を離すように手を出したが、キリジツがハルナを引き剥がす。
「嬢ちゃんは帝国最強なんだろ? 世界最強なんだろ?」
リタはキリジツに抵抗しない。無言のままキリジツの言葉を聞く。
「あと一日、あと数時間、あいつを守ることぐらいできたろ!」
リタはそれでも反論しない。お前の言うとおりだという目でキリジツを見る。
「何が世界最強--」
「やめろ、キリジツ」
黙っていたユウトがキリジツに低い声で話しかける。
ヴィレと一番付き合いの長いユウトに注意され、キリジツはリタの胸ぐらを離す。
「俺たち救助部隊だってあと数時間早く見つけることができなかったんだ。彼女を責めることなんてできないはずだろ?」
ユウトがリタを見る。
「彼女だったからこそ、ここまであいつは生きてこれたんだ。彼女以外じゃ誰もここまで生き残れなかったんだよ」
リタが崩れるように座った。
彼女だって苦しんでいる。
なぁ、親友。彼女を苦しませているお前は、本当に罪深い奴だよ。
「あいつもリタを責めることを望んでいない」
ユウトがキリジツとハルナに言ったことに対し、二人は何も反論しなかった。
ダーデスがこの場にいる四人を見ながらこう告げた。
「ヴィレ・ルータストの死は公表しない」
「その方が大臣にとっても都合がいいのか?」
ユウトがダーデスに問う。
「そうだ。最強の英雄を救ったという救助隊の功績に泥を塗るわけにはいかない。この国のためにも市民に知らせるわけにはいかない」
「俺らが納得するとでも?」
「こうなることも覚悟の上でお前たちは軍人になったのだろう? 死んだ彼も反対はしないはずだ」
「確かにあいつは反対しないだろうが--」
「なら、条件がある」
ダーデスにそう言ったのは、リタだった。
「なんだ? 言ってみろ」
「私をユウト隊の副隊長にしてくれ」
リタの言葉で全員が黙った。
そして、リタの言った言葉を理解して……
「何言ってんだ、あんた!?」
一番に驚いたのは、もちろんユウトだった。
「あいつの代わりに、お前が英雄になるために私が手を貸そう」
「そんなことできるわけ」
ないだろ、と言おうとしたユウトの言葉をダーデスが遮る。
「議会で提案してやる。許可することはできないが、それくらいならできるぞ」
「わかった。それでいい」
リタはそう言って、その場から離れていった。ダーデスも自分の仕事場へと戻っていく。
手術室の前には三人。
「俺の意見は無視なのか?」
ユウトはそう呟ずにはいられなかった。
***
久しぶりの自分の部屋。
砂に囲まれたドームと違い、その部屋は綺麗で、机の上に少し埃が被っているぐらいだった。
ミネヴァが襲ってくる心配もない。何も警戒せずにぐっすりと眠ることができる。
今まで当たり前だと思っていたことがこんなにも幸せなことだと知って。
あの砂漠でそれを知ることができた。そして、知ったことはもう一つ。
この気持ちはとても大切なものだ。
例え相手が居なくなったとしても、私はこの気持ちを絶対に忘れない。
机の上に置いてある鏡に自分が映る。その顔は酷いの一言だ。
涙はこぼれそうで必死に堪えている顔。こんな顔は誰にも見せることなんてできない。いや、あいつにだったら……
ふとテーブルの横に積まれてあったたくさんの賞状やトロフィーが目に入った。
それらは帝国から贈られてきたものばかりだ。
英雄の称号を与える、と書いてある賞状を、私は手に取って
ビリビリに破く。
トロフィーを手に取り、魔法でぐちゃぐちゃにする。
そこに置いてあったものを掴んでは破り、ぐちゃぐちゃにしていく。
「何が帝国最強だ! 何が世界最強だ!」
たった一人を守れなくて。
恋した相手を守れなくて。
「何が最強の英雄だ!」
最強の英雄と呼ばれて自分の力を過信していたんだろ。
自分の力なら二人とも生き残れると思ったんだろ。
そうだろリタ・バレランス!
「ふざけるな! ふざけるなぁ!」
形の崩れたトロフィーが部屋中に散らばっていく。
私は涙が出るのだけは堪えて、賞状を破っていく。
こんなことをしても何も意味がないというのに。
「なんで私が、私だけが!」
生き残ったんだ!
そう叫ぼうとして、何かが落ちたのに気づく。
その紙は、賞状とは違って砂だらけで私の血が少し着いていた。
落ちたのは、ヴィレの遺書。
私が書くと言い出して、彼も書くと反論してきたのを思い出す。
彼が存在した証。
彼がこの世に残した最後の言葉。
私は読む資格があるのだろうか?
それもビリビリに破く方がいいのだろうか?
できるわけがない。
彼の遺書を破けるわけがない。
私は震える手でそれを拾った。
椅子に座って、おそるおそる広げる。
『リタ・バレランス様』
「私……宛?」
ドキリとした。
彼にだってたくさんの友人がいる。ユウト隊長やキリジツさん。彼ら全員に向けて書くと思っていたのに、私一人の名前しか書かれていなかった。
さっきまで暴れていた私は、少しばかり冷静になる。
『この手紙を最初に読むのは君だと思うから、君宛に書かせてもらった。固い文章じゃなくてすまない。他の人に書きたいこともあるけど、ユウトに絶対に英雄になれって伝えてくれたら、それで十分だ』
分かった……必ず伝えよう。
私宛に書いてくれてありがとうな。
ヴィレの書いた字を見たのは、これで初めてのような気がする。
予想通りと言うか、ヴィレの字は読みやすい字だった。
『君を初めて見たのは、帝都に一番近い村に訪れた時だった。当時、その村はミネヴァによってほぼ壊滅し、人の血で染まっていた。
俺は軍学校の生徒としてミネヴァ討伐に参加していたけど、人を殺していくミネヴァに対して恐怖を抱いていた』
あの時、初めて私が固有魔法を使った時、ヴィレはあの場に居たのか。
確かに軍人の他に、軍学校の生徒たちも居たような気がする。
『だけど、ミネヴァは土の槍によって一瞬で葬られた。振り向けば、そこには一人の少女。その少女はミネヴァに対して恐怖でも怒りでもない、失望の眼差しを向けていたのは、今でも忘れられないことだ』
お前の言う通りだ。私はあの時、ミネヴァに失望していたんだ。
すごいな。
お前はそこまで気づいたんだな。
『時は流れ、君は英雄になり、世界最強と呼ばれるようになった。その時には、もう俺もユウト隊の副隊長の仕事に慣れてきた頃だった。君は戦場で活躍し、全兵士の憧れと言っても過言じゃ無かった』
違う。
違うんだ、ヴィレ。
私はお前を守れなかった、お前に守られていただけの存在なんだ。
私を世界最強なんて呼ばないでくれ。
『その憧れは言わば、恋のようなもので。多くの兵士が戦場で君に恋をした。だけど、戦場で君の隣に立てる人間は誰一人いなくて』
大げさなことを言う。いや、言うじゃなくて書く、か。
『兵士たちが「越えられない距離」と呼ぶのは、君への叶わぬ恋を表現するためでもあるのだろう、というのは考え過ぎだろうか?』
「……考え…過ぎだ」
『そんな最強の君と一緒に砂漠で生き残ったわけだが、君は俺の想像とは違った。カレーの作り方も知らない。皿洗いもしたことがない。不器用でトランプのマジックもできない。そういった一つ一つのことが、君は俺より年下の女の子だと認識させた』
そんなこともあったな。
とても懐かしく感じる。
砂漠での日々が走馬灯のように蘇る。
ヴィレの呆れ顔、困った顔、笑顔、泣き顔、寝顔、死ぬ間際の顔。
いろいろな感情が私の中で暴れ出し、それが形となって目に溜まっていく。
それでも、私はそれだけは流さないように堪える。
『君に一つだけ頼みがある』
どんどん視界がぼやけてくるが、どんなことがあってもこの手紙だけは絶対に読む。
『どうかユウトの力になってやってくれ。あんなやつだが、あいつこそ英雄になるべきだと俺は思っている。帝国から英雄の称号を与えられるではなく、あいつには人々が求める真の英雄になってほしい』
ああ、分かっている。
私がお前の代わりにユウト隊長を……
『できれば、君とユウト、二人が真の英雄になって国を導く姿を見たかった』
私はお前と一緒に国を導きたかった。お前とならやれると思ったんだ……
『まだ書きたいことはたくさんあるが、余白も少なくなってきたのであと少しだけ』
終わってしまう。
彼の最後の意思が込められた文章が終わってしまう。
待ってくれ。終わらないでくれ。
私はもっとお前を……
『約束破ってすまない。二人で生き残れなくてごめん』
「許すわけ…ないだろ……許すわけないだろ!」
『君の幸せを祈っている』
ヴィレ・ルータストより。
そこで遺書は終わった。
終わってしまった。
幸せを祈っているってなんだ。お前がいないのにどうやって幸せになれって言うんだ。
教えてくれ、ヴィレ……
お前がいない世界でどうやって幸せになれる?
どこにもいないお前に問いたい。
私はお前のことが好きだった。お前はどうだったんだ?
遺書の相手に選んでくれたのはそういうことなのか? でも、そんなことはどこにも遺書に書いていない。
お前にとって、私はただ砂漠で共に生き残る仲間に過ぎなかったのか?
教えてくれ。
それさえ教えてくれれば、私はどんな結果だって受け入れてやる。
窓から月の光が入ってくる。
夜空を見上げれば、数多の星が。
彼と一緒に見た砂漠の夜空を思い出す。
私は遺書に視線を戻した。
偶々だった、何もない遺書の端の溝に気づいたのは。
溜まった涙でぼやけて見えるというのに、月明かりで明るくなったおかげなのか。
私は机の上の鉛筆を持って、遺書の端を優しく塗りつぶす。
そして、浮かび上がってきた文字は
『好きだ』
そうか、そうだったのか。
ヴィレの遺書に、初めて水滴が落ちた。
泣かないと決めていたのに、泣いたらおしまいだと思っていたのに。
溢れる感情が涙となって頬を伝う。
あいつも私と同じようにこれを書いて消したんだ。私の重荷にならないように、と思って。
やっぱり私たちは似た者同士だよ……
残された私にとってこの言葉は重荷じゃなかった。重荷になるわけがない。この言葉はこれからずっと私の背中を押し続けてくれるだろう。
ヴィレ、お前の心は『越えられない距離』を超えて来たぞ……
明日からお前の願いを叶えるために頑張るから。
だから今だけ、せめて今だけは。
月の光に照らされた部屋の中で、一人の少女が声を上げて泣いた。
Seekers 遊学 @retry
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