第17話 今だけは……

 リタは目を覚ました。

 自分が背負われていることに気づく。

 リタの顔の近くには金色の髪。

 砂嵐のミネヴァは?

 逃げたのか? 倒したのか?

 それを聞こうとして、自分の服の惨状に気づく。

 真っ赤なのだ。

 自分の胸から腹がその色で染まっている。

 自分の血ではない。となれば、これは自分を背負っている男の血。


「ヴィレ!」


 男はリタの言葉に返事をしない。

 男はリタが目を覚ましたことには気づいている。しかし、返事をする余裕すら無いのだ。

 今は夜。

 リタは自分がどれほど気絶していたのか理解した。半日ほど気絶していたのだろう。そして、自分が気絶している間、彼はずっと歩いて。


「ごほっごほっ……」


 男が咳き込む。

 リタはその咳に血が混じっていることに気づいた。


「ヴィレっ!」


 リタが無理やり自分を降ろすように暴れる。男はリタに抵抗する力すら残っておらず、リタが地面へと足をつける。リタは、そのまま地面へと崩れた男の横に移動した。


「っ!」


 ヴィレの顔は酷かった。

 鼻と口から血が出ており、目は虚ろで、呼吸も正常ではない。


 夜風が砂を運ぶ。

 リタは砂のドームを作り、ヴィレと共に中へ入る。ヴィレは砂の壁にもたれかかった。


「水を飲むんだ」


 リタがペットボトルをヴィレに差し出す。

 ヴィレはリタから受け取ろうとしてひどく咳き込む。口に当てた手には、大量の血がついていた。


「や……めて…おく」


 ヴィレはそう言うとまた咳き込んだ。

 リタはペットボトルを置いて、自分の服の一部を破る。


「ヴィレ」

「?」


 リタが右手をヴィレの頬に当て、自分の方に向かせた。


「じっとしていろ」


 リタがヴィレの血を拭いていく。

 ヴィレはリタになすがままにされる。


「あ……りが…とうな」

「礼を言うのは私の方だ」


 リタがヴィレの顔を拭き終わった。


「これでよし」


 リタはヴィレの頬から手を離した。


「あ」


 リタの掌には元々血が着いていたため、ヴィレの頬にリタの赤い手形が綺麗に残ってしまった。


「すまない、ヴィレ」

「?」


 ヴィレは自分の顔がどうなっているのか分かっていない。リタはそんなヴィレの様子を見て微笑んでしまう。

 目の前には好きな人。

 その人の頬には自分の血による手形。

 彼が自分の物であるとその手形が主張しているようで。

 リタは微笑んでヴィレの赤い頬にまた自分の右手を当てる。


「なぁ、ヴィレ」

「?」

「お前は私の物だ」


 質問ではなく、宣言。

 自分勝手な断言。

 こんな時に言う言葉ではないかもしれないけど、こんな時だからこそ言いたい言葉。

 ヴィレがリタの右手に自分の手を添えた。


「……そう…だな」


 喋ることすら辛いヴィレがリタに応える。

 リタはヴィレの頭を自分の膝の上に移動させ、撫でる。


「ヴィレ、疲れただろう? お前が寝るまでこうしよう」


 自分が彼のためにできること。

 こんなことしかできないけど、少しでも彼が楽になればいい。


「そうか……」


 ヴィレはリタの温もりを感じながら目を閉じた。
























 真夜中。

 満月が夜空を照らす刻。

 夜明けとは程遠い。

 ヴィレは目を覚ました。

 身体の痛みも少しはマシになり、起き上がることもできた。

 リタはヴィレのすぐ近くで寝ていた。

 ヴィレはそのリタの頭を撫でる。

 リタは起きる気配がない。随分と疲れて寝ているようだ。


 オォォ……


 リタの寝顔を見ていたら、何かが聞こえてきた。

 ヴィレは音を立てないようにする。


 オオォォォ


 空耳ではない。

 今度は確信が持てる。

 ヴィレは砂のドームから外に出た。そして、その目に映ったものは……


「砂嵐……!」


 巨大な砂嵐だった。

 自然が作りだしたものだろうか、それとも--


 ヒヒィィーーン


 そのミネヴァの声が聞こえ、砂嵐の近くに大量のミネヴァを見ることができた。


 あのミネヴァはあの時、確かに殺した。

 なら、考えられるのは一つ。

 二体目の砂嵐のミネヴァ。

 同じミネヴァがいることは珍しいことじゃない。それはカテゴリー1や2を見ればわかること。

 だが、数少ないカテゴリー4のミネヴァに二回連続、しかも同じ姿、同じ能力。

 こんな時に出会ってしまった。

 不幸というより、運命と言われた方が納得できる。

 遠くにある砂嵐は確実にこちらに向かってきていた。

 今すぐ向かって戦えば、砂嵐がここを通るのを防ぐことができるかもしれない。そうすれば、リタだけでも生き残ることができる。

 寝ているリタを見る。

 生きるのも死ぬのも一緒と約束した。

 だけど、願わずにはいられない。彼女だけでも生き残るということを。彼女が生き残って真の英雄になることを。


「リタ、すまない」


 また彼女を裏切り、俺はナイフと布を取り出して砂嵐へ向かった。





























 砂漠で火柱が上がる。


 馬の姿をしたミネヴァは悲鳴を上げながら、地面へと倒れた。

 砂漠の上には大量のミネヴァの死体と一人の人間。

 人間は血を吐きながらも痛みに耐える。


「はぁ、はぁ」


 ヴィレは肩で息をする。

 ミネヴァの群れを倒すことはできたが、無傷で済むわけがない。

 頭から血を流し、右腕はピクリとも動かない。だが、足二本と腕一本はまだ動く。

 それらさえ動けば、彼女を背負うことができる。

 ヴィレはリタの元へと足を向けた。

 そんな中、月明かりが消えていく。

 砂漠に巨大な雲?

 不思議に思ったヴィレが空を見上げれば


「なんだ…あれ……!?」


 上空には中心が黒い、赤いブラックホールのようなものが存在していた。


 あんなものを見たことがない。

 魔法?

 いや、違う。そんな言葉で表現できるものではない。あれは、この世界の理を超えた何かだ。


 ブラックホールの中心から化け物たちが現れた。その化け物は俗に言うミネヴァという化け物で。

 世界中にいるミネヴァがどうやって生まれているのか。

 科学者でも分からない理が目の前に。

 上空にある黒と赤の渦。

 あれがミネヴァを作り出していたのか?

 あれは一体なんだ?


 ミネヴァの群れがあっという間に形成された。そのミネヴァの中には砂嵐のミネヴァと同じミネヴァもいた。


 ブラックホールからミネヴァはもう出てこなくなったが、それで終わりでは無かった。

 一体の人の形をしたナニカが降りてきたのだ。

 三メートルほどの長身。紫の鎧で全身が覆われた存在。鎧の中には何も無いように見える。その右手には短剣が。

 その存在は地面から少し浮いていた。

 そして、ソレが空中を歩くようにヴィレに向かってくる。


「くっ!」


 ヴィレはナイフを浮かす。

 ソレはヴィレに近づきながら、短剣を振りかぶる。そして、その短剣がまだ届かない位置にいるというのに、ソレは短剣を振り下ろした。


「えっ?」


 それは一瞬の出来事だった。

 ソレの短剣が二倍ほどの長さになって、ヴィレの身体を傷つけたのだ。

 大量の血が砂漠に流れる。

 致命打を食らったヴィレは仰向けに倒れた。


 ソレは上空のブラックホールのようなものに吸い込まれるように上がっていく。


「ま……て」


 ヴィレは起き上がることができない。

 突然現れた、ミネヴァでもない謎の存在。ヴィレはその存在が何者か全く分からずに、ただ空中に浮かぶソレを見ることしかできなかった。

 そのままソレは消え、ブラックホールのような存在も消滅した。

 その場に残ったのはミネヴァの群れと倒れているヴィレ。

 大量のミネヴァたちが一斉にヴィレへと飛びかかった!











***



「ヴィレ?」


 目を覚ましたリタは、膝に重みを感じなかったため彼を探す。

 だが、砂のドームの中に彼はいなかった。その代わりにあったのは、ドームの入り口に続く血の跡。

 まさか、と思い、リタはドームの外へ出た。

 彼の血の跡を追って走る。

 右足が骨折しているというのに、全力で走る。

 やがて見えてきたのは、大量もミネヴァたち。そして、中心には血だらけの彼が。

 ミネヴァたちが一斉に彼へと飛びかかった。


「ヴィレェェーーー!」


 リタが砂の槍を無数に生み出す。

 その槍はほとんどのミネヴァを貫いた。

 砂嵐のミネヴァがリタに気づき、かまいたちをリタに連発する。

 リタは砂の壁でそれを防いで、ヴィレの元へ駆ける。




















***



「ヴィレ! ヴィレ!」


 彼女の綺麗な赤髪が視界に入ってきた。

 彼女の顔が視界を覆う。

 視界の隅には砂嵐のミネヴァが。

 かまいたちが俺たちを襲ってくる。


「くっ!」


 リタが俺を守るように俺の身体に覆いかぶさる。

 リタを守らなければ。

 ナイフを浮かしてミネヴァを攻撃しようと試みるが、ナイフは俺の意思に従わずに動かない。

 ミネヴァがかまいたちを確実に当てようとこちらに近づいてくる。

 動いてくれ、俺の身体。

 これでは二人とも死んでしまう。

 彼女が逃げる時間を稼ぐまででいいから動いてくれ。


「ブルルッ」


 ミネヴァが俺たちの目の前まで来てしまった。

 ミネヴァの周りの空気が巨大なかまいたちを作り出そうとして動く。


 リタが俺を庇うために両手を広げる。

 このままではダメだ。俺もリタも死んで終わりだ。

 世界がゆっくり動いて見える。

 ミネヴァの首の動作、リタが目を瞑る動作。全てがスローモーションのように動いていく。


 駄目だ。

 やめろ。

 リタを死なせたくない。

 誰か。誰でもいい。

 リタを……

 


 世界はゆっくりでも動いているというのに、俺は動くことすらできない。

 リタを庇いたくても、身体が俺の命令を無視する。


「ヒヒィーーン!」


 ミネヴァが魔法を放とうとする。

 俺とリタが全てを諦めた時









「ぶっ飛べぇぇぇ!!」







 ミネヴァが別方向からの風によって、その巨体を宙に浮かせた。

 諦めていた俺とリタの前に一人の男が現れる。


「ハルナ、二人を見つけたぞ! 増援をよこせ! テレポートの準備も!」


 ああ、そうか、そうだったな。

 見慣れているのに随分と懐かしい黒い髪が見える。

 普段はいい加減なくせに、助けを求められたら救う。

 やっぱりあんたは俺の憧れだよ。

 なあ……


「……ユウト」


 ユウトが俺とリタの近くに駆け寄って来る。

 他の帝国軍の兵士たちが現れ、ミネヴァを攻撃していく。

 その様子を見て、信じられないといったようにリタが呟いた。


「救助隊だぞ……ヴィレ」


 リタ、なんでそんな顔をするんだ?

 なんで泣いているんだ?


「ヴィレ!」


 俺たちに駆け寄って来たユウトの顔が見える。

 なんて顔をしているんだ、隊長。


 ああ、わかっているよ。

 俺の体から流れている血の量が、結末を語っているんだろ?

 俺に残された少ない時間で、こいつらに伝えたいことを全部伝えなければいけない。


「ユウト……」

「なんだ、親友?」


 俺のことを親友と呼んでくれるのか。

 嬉しいな。


「あり……が…とう」


 真の英雄を俺に教えてくれて。

 俺を何度も救ってくれて。

 リタを救ってくれて。


「英雄に……なって…くれよ」

「何言ってんだ! 俺が英雄になって、お前も英雄になるんだろ!」


 ああ、それも良かったかもしれない。

 二人で国を背負って、守って、変えて。

 でも、俺はもう英雄になりたいとは思っていないんだ。だから、お前が英雄になってくれれば、それでいい。

 それで、俺は満足なんだ。


「リタ……」

「……」


 リタは返事をしてくれない。

 それでも、俺は服の中に入れていた遺書を取り出す。

 その遺書はリタが書いた遺書で、俺の血によって赤色に染まっていた。

 俺はそれをビリビリに破く。

 これはもう必要ない。

 それを見たリタも、俺の遺書を出して破こうとしたので、リタの腕を掴むことでやめてほしいことを伝える。


「賭け、覚えているか?」

「……ああ」


 黙っていたリタがやっと返事をしてくれた。


「俺の……勝ちだな」

「そうだ。だからこそ、生き残って私に命令しろ……!」


 リタが涙を流しながら、俺に訴えてくる。それは無理だと分かっているはずなのに。

 また彼女を泣かせてしまった。

 もう泣かせないと決めたはずなのに。


「命令はな……」

「今、言うな!」

「今だけはごほっごほっ!」


 口から大量の血が出る。

 喋ることができなくなってしまった。


「ヴィレ!」


 リタが叫ぶ。

 正直、命令の内容なんて考えていなかった。

 命令しなかったらリタの心残りになるかもしれないし、酷い命令で彼女を永遠に縛りたくもない。

 俺のために涙を流してくれた彼女を見て、その命令の内容を決めたのだ。

 でも、喋ることができない。

 この状態で彼女に自分の気持ちを伝えることなんてできない。

 泣いているリタの顔を見る。

 今までの砂漠での生活がどんどん思い出されていく。

 カレーを作ることができなかったリタ。

 共和国やミネヴァと戦ったリタ。

 風邪を引いたリタ。

 いたづらな笑みを浮かべたリタ。

 俺を自分のものだと言ってきたリタ。


 生き残るために必死だった。でも、かけがえのない時間を過ごせたと思う。

 俺は彼女に……


 今だけは。

 せめて今だけは。

















***



「ごほっごほっ!」


 ヴィレが咳き込む。

 彼の口から血が溢れでる。

 息もまともにできていない。

 虚ろな目の彼が私を見る。

 私は何も言うことができない。

 彼が今、最期に何かを私に伝えようとしている。

 私はなんと答えればいい?

 すまなかったと謝るべきか?

 一緒に生き残る約束を破るのを許さないと怒るべきか?

 不意でヴィレの手が私の頬を撫でた。

 その手は優しく私の頬を包む。

 彼の体温と共に、彼の気持ちも伝わってきた。

 賭けの命令も理解する。

 それは私から言った言葉で。

 その言葉に対する返事なのだろうか?

 咳き込む前に、彼は今だけはと言った。

 今だけじゃなくてもいいのに、彼は敢えて今だけと言ったんだ。

 溢れる涙が止まらない。

 ちゃんと、ちゃんと私に伝わったぞ、お前の気持ち。

 ヴィレの気持ちが私に伝わったことを証明するために、私は彼に応える。


「私は。私はお前のものだぞ、ヴィレ」


 私のその言葉で安心したのか、ヴィレはその瞼をゆっくりと閉じていく。

 頬に当たる彼の手がどんどん冷たくなっていく。


 そして、彼の手が私から離れた。


「おい、ヴィレ! 寝るな! 寝たら二度と起きれないぞ! ヴィレ!!」


 彼にユウトの声はもう聞こえていないのだろう。





 ヴィレは目を完全に閉じた。

 

 

 

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