業の終焉(レクイエム)
あずみじゅん
第1話
螺子を回す。ゆっくり回す。然程大きくもないオルゴールから聴こえてきたのは、トロイメライ。
「貴方が一番好きな曲でしたね。」
窓辺に棚引くレースのカーテン越しに、貴方の影が揺れる。
「紅茶は、どれになさいます?アッサム、それともヌワラエリア?」
どれでもいいわと、あなたは微かに頷いた。気がした。
「この曲、私も大好きでしたわ。貴方が結婚する時、伯父様が贈ってくれたのでしたよね。」
淋しい時や哀しい時、何故かこのオルゴールを引っ張り出しては螺子を回した。そして必ず、私は泣いた。呪文のようなその言葉を心に刻みつけられながら・・・
笙子、永遠に幸せに・・・
これを見る度私は泣いた。母の人生は、本当に幸せなんだろうかと。幼い私には知る術もなく、ただトロイメライの切ないメロディと伯父の言葉が、私を泣かせた。
「ああ、お母様、紅茶が・・・拭いて差し上げますね。」
口の端から零れ滴り落ちた紅茶を丁寧に拭い、私はまた母に語りかけた。
「それで、貴方は幸せだったんですか?」
母は無言のまま、答えなかった。
「私は少なくとも、幸せではありませんでしたよ。貴方の娘に生まれて。」
一瞬、母の顔が歪んだ。ような気がした。
「だってそうでしょう。私の記憶の貴方は・・・」
私は・・・母に抱かれた記憶がない。いつも薬臭い部屋で暗い顔をして、私のこと蔑むような眼差しで見ていた。私が何か失敗をすると、決まって貴方はこう言った。
「ほら、御覧なさい。ママの言うことを聞かないからですよ。」
そしてこうも言った。
「何も気にしなくていいのよ。心配しないで。ママの言うことを聞いていれば全ては上手くいくから。」
本当にそうなの・・・ええ、もちろん・・・
私は貴方の言うことを聞き、貴方に従った。幸せになるため。
「ねぇ、お母様。貴方は私をどうしたかったの?」
「幸せになるため。その一言で私を縛り付け側に置き、片時も離さず・・・どうしたかったんですの?」
やはり、母は答えなかった。
「私は貴方の玩具・・・だったんですよね。貴方の気分次第で愛玩具にも甚振る玩具にもなった・・・」
「私、憶えているんですよ。貴方がお父様と喧嘩した時のこと。不機嫌な貴方は私を抓っていましたね、お父様に知られないように。ええ、お父様は私を本当に愛して下さったから。そんな私が憎らしかったんですものね。」
「・・・・・・」
「ああ、こんなこともありましたわ。私の他愛無い悪戯を大げさに言い付け、お父様に殴られる私を見ながらほくそ笑んでいたこと。全て、知っていたんですよ。」
母の顔から血の気が引いた。
「時に貴方は、私に催眠術まで掛けようとしましたね。貴方を好きだと思い込ませるために。」
「貴方は本当に、私が貴方を好きだと思っていたのですか?」
相変わらず、母は答えなかった。
「教えてあげましょう。私は・・・貴方が大嫌いだった!反吐が出るくらい!」
「・・・・・・」
「驚きました?そうですよね。私は貴方の・・・可愛い可愛い玩具だったのですから。何一つ逆らうことなく貴方に従う、理想の娘だったのですから!」
「・・・聞いてます、お母様?」
母に目をやる。ピクリとも動かず何の反応も示さない・・・答えなど返って来るはずもない。そう、貴方は死んだのだから。私はようやく貴方という呪縛から解放され自由になれたのだ!
「貴方の大好きなオルゴール、棺に入れて差し上げますわ。天国にいる伯父様と、感動の再会をなさってくださいね。」
「ダメ!そのオルゴール、お婆様に渡さないで!それは私の!」
「何を言っているの?これはお婆様が大切にされていた・・・」
「私がお婆様から頂いたの!だからママにはあげない!」
「いけませんよ。ほら、お婆様を見て御覧なさい。ここ、手・・・オルゴール頂戴って言っているでしょう?」
母の歪んだ指先を示し言った。
「お婆様の手にそのオルゴールを持たせて、静かに送ってあげましょう。」
「私のオルゴールは?」
「大丈夫よ。ママが新しい物買ってあげるから。」
「本当?」
「本当よ。貴方が永遠に幸せでありますようにと、呪文をかけてね。」
「ありがとう、ママ!」
「さぁ、行きましょう。」
もう二度と目を開けることのない母の手に、オルゴールをねじ込んだ。
(終)
業の終焉(レクイエム) あずみじゅん @monokaki-ya
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