シャボン玉

実花

第1話

「なかなか奇麗なものですね」


 宙をふわふわと頼りなさそうに飛ぶシャボン玉たちを眺めながら、矢津崎さんは言った。


「そうですね」


 僕は隣で同意の言葉を返した。シャボン玉たちも僕らを眺めるように、ふわふわと宙に浮かんで太陽を照り返してきた。それは色とりどりの光だった。


「シャボン玉って、色が付くんですね。初めて知りました」


 初めて知るという言葉は意味が被さっているように思えたけれど、無駄な揚げ足なので何も言わないことにした。


「ええ。僕も本当に色が付くとは思いませんでしたが、こうやって実際に見ると信じるしかないって感じですよ」


 色とりどりのシャボン玉。見ていて落ち着くようでいて、でも何故か違和感を覚えてしまう、そんな光景だった。

 僕が短い人生の中で見てきたシャボン玉は虹色がかった無色透明のものだけだ。でもこれらは違う。一つ一つに、赤、紫、黄、緑、橙といった様々な色が付いているのだ。

 これはつい先日、僕がネットのニュースで見つけたものだった。海外の、確かアメリカの人だったかが開発したものだ。なんでも、子供の時から何でシャボン玉には色が付いていないのかと疑問に思っていたらしい。そしてその疑問を解消するために、シャボン玉に色をつけられるか実験した。数々の方法を試し、あらゆる染料をかき集め、実現に至った。後日談、というかインタビューでは『他の誰かが色つきのシャボン玉を作ったというニュースをいつも夢でみて飛び起きていたんだ。そしてテレビのニュースを見て、それがやっていないことを確認して安心する毎日だったよ』と述べていた。

 うん、それくらいの気概があると、人生は楽しいのだろうな。なんて、悟ったようなことを僕は考えた。考えて、興味が沸いたので通販で取り寄せてみた。取り寄せて、自分一人で確かめるのも悲しいので矢津崎さんを呼んでみたんだ。

 僕は横にいる矢津崎さんを見た。矢津崎さんは、シャボン玉たちを眺めていた。その横顔には微笑を携えている。呼んで正解だったようだ。そう僕は得心する。


「なんか丸くて色が付いたものって、果物を想像させますよね?」


「果物ですか?」


 あまりに唐突な発言だったから、僕はオウム返しで言った。

 果物です――と、矢津崎さんは頷いた。


「ほら、あれとか葡萄みたいじゃないですか?」


 紫色のシャボン玉を指さして言う。続けて赤、緑、黄色のシャボン玉を指さして「林檎に、マスカットに、グレープフルーツです」と矢津崎さんは言った。


「そう言われると、そう思えてきますね」


 確かに、これだけ色鮮やかだとそう思えてくる。シャボン玉ではなく、果物のほうがしっくりくる。そう考えたらさっきまでの違和感が消えた。


「あと、それに三ヶ日みかん」


 橙色のシャボン玉を指さして、矢津崎さんは嬉しそうに言った。

 うん、みかんのようだ。

 みかんのように見えるけど、


「みっかび、って何です?」


「三ヶ日を知らないんですか?」


 疑問に疑問を返された。みっかびという単語を知らないことがそんなにおかしなことだろうか?


「三ヶ日。漢数字の『三』に一ヶ月の『ヶ』にお日様の『日』で『三ヶ日』です。静岡県の三ヶ日町のことです。本当に知らないんですか?」


「はい。知りませんでした」


「先輩って無知なんですね」


「はい。知りませんでしたか?」


「知りませんでしたよ」


 矢津崎さんは目を細め微笑みながら応えた。


「でも先輩、三ヶ日みかんって愛媛みかんと並んで有名なものなんですよ? スーパーとかで見かけるものなんですけどね」


「僕はあまりスーパーとか行きませんからね」


 それに、みかんに産地名がついているのは、愛媛みかんだけだと思い込んでいた。うん、でも、これって結構みんな知らないことなんじゃないだろうか。自分を棚に上げるわけじゃないけど、この歳で――高校生がスーパーを利用しあまつさえ果物を買うということはあまりない気がする。気がするだけで、実際は違うのかもしれない。スーパーで見かけると言うからには、矢津崎さんはよくスーパーに買いに行くのだろう。実は僕以外の同年代の人はよくスーパーを使うのかもしれなかった。考えて、一つ疑問が出てきた。


「あれっ? そういえば何故みかんだけ産地名を付けたんです?」


「それは私がよく買うからですよ。三ヶ日みかん、おいしいんですよ」


 そう言って、また微笑む矢津崎さん。その笑顔を見て、どういうわけかめまいにも似た症状が僕を襲った。だが、それも一瞬のことで、逆に僕はそのことに驚いた。

 今の感覚は何だったのだろうか。分からない。分かりたいのに、分からない。僕にはどうも、感情を推し量る技術が欠落しているようだ。他人の感情だけでなく、自分の感情も分からない。それが異常かもしれないと思っても、何とかしないと、と焦る気持ちも沸かなかった。……まあ、それはそれ。僕は僕だ。気にしない。


「――あっ」


 矢津崎さんが小さな悲鳴をあげた。と同時に風が強く吹く。当然、シャボン玉たちはその力に流されて、空高くへ舞い上がっていった。その光景は、少しのもの悲しさを僕に与えた。そして、少しの嬉しさを僕に与えてくれた。

 

 一瞬だったけど、

 僕は自分の感情を理解できた。

 シャボン玉がふわふわと、空を漂っていった。

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シャボン玉 実花 @jitsuka

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