第5話 謁見にて
豪壮華麗な装飾が施された扉が重々しく開いていく。
(すっごく手の込んだ装飾……)
すっかり変わってしまった感性にフェテリシアは内心苦笑していた。たった五年間で彼女とここまで差異が生まれてしまったことに。
壁や柱はおろか、梁にまで施されている彫刻には金銀宝石がちりばめられ、回廊の窓には、この国の神話をモチーフにした色とりどりステンドグラス。
床には緋色地に金糸銀糸の縁取りが施されたかかとまで埋まりそうなふわふわの絨毯。
一定間隔で立つ衛兵の制服は金糸銀糸の刺繍が隅々にまで施され、手にもつ儀礼槍もまた琺瑯と宝石の装飾が施された絢爛豪華なもの。
天上の美しさと感じたそれらもシンプルなデザインに慣れた身からすれば、過剰装飾にしか思えない。
もっともそうやって職人の技術向上や経済貨幣の循環されるのだから、悪いことだけではないと学んでいたが。
豪壮華麗で重厚な扉が重々しい音を起てて停まる。
(そういえば初めて入るんだよね、この広間……)
ふとそんなことを思った。
かつての彼女は貴族の範疇に入っていたが、幼かったために正式なお披露目はまだだった。帝国における貴族子女のお披露目は”魔法適正の儀”で、それを越えられなかったのだから。
――あの日からすべてが変わった、変わってしまった。
家族からだけではない、家臣や召使いからの蔑みの眼。気持ちの悪い情念も見えた。追い出されるまでの数日は彼女の記憶もあやふやで思い出せない。
(ああ、やめやめ。暗くなってもしょうがない、今は任務、任務)
その言葉で彼女は切り替わる。
『”天塔図書館”ユニカ親善大使 ご入場』
重々しく入場を告げられて、フェテリシアは濃緋色の絨毯をゆっくりと歩み始めた。
グランリア超帝国首都グラン・ド・グランリア。
その中央にそびえ立つ5000年を超える歴史があると云われる帝城"ハイ・ルーブル"中央広間。
辺境伯や公爵といった大貴族の謁見に使われるその広間において、皇帝の謁見が行われようとしていた。
帝国888家ともいわれる貴族が代理人を含むとはいえ全て勢ぞろいした式典。それをわずか一日で準備させたことは、皇帝の権力の強さを象徴している。
ただ中央広間と呼ばれるその大広間は、贅を尽くし、華麗で荘厳であった。
巨大なステンドグラスが全ての窓を飾り、天井には建国の歴史を描いたと言われる装飾画が金銀宝石を使って描かれ、列柱には隅々まで彫刻と黄金と白銀の装飾が施されている。
そして三段128個にもおよぶ魔晶石式魔導灯が埋め込まれた巨大なシャンデリアが三つも天上にあり、荘厳な光を参列者に落としている。
参列した貴族もまたその装飾に劣らぬ華麗な装いだった。若い者が多いが、その仕立てもまた贅を凝らしており、丈の合わぬものを着ている者など一人もいない。。
がやがやと周囲の貴族と雑談をしながらその時を待つ。
式典官の声とともに大扉がゆっくりと開いていく。
入場者がその姿を広間に表したとき、息をのむ音が静かに広がる。
ゆっくりと入場するフェテリシアが身に着けている制服は天塔騎士団第一種礼装女性用C装備。
それは薄く虹色の光沢を帯びた白を基調として白銀の装飾を施されたジャケットとひざ下まであるタイトスカート、そしてそれを覆うサイドフレアスカート。羽織っている濃いターコイズブルー地のショートマントコートの肩には、フリルがふんだんに施された肩記章装飾
艶やかな黒髪は長いポニーテールに結び、兎の耳を模した意匠の帽子を着けている。
要所にフェテリシアの個人色である緋色と天塔騎士団の紋章『天高くそびえ立つ塔と本の描かれた盾』が入っていた。
彼女の専用装備である緋色鞘の
荘厳な装飾を施された中央広間に決して見劣りしない、
参列している華麗な貴族たちの服装よりも、上質に見えるほどの仕立てだった。
《さて、吉とでるか凶とでるか》
《フェテリシア……凶と出るようなことばかりしてますよね》
《囮なんだから、目立たないと》
機密回線越しでもあきれるような感じのするウィルに、フェテリシアはあくまでも軽く答える。その間も彼女は気付かれない範囲で、周囲を確認する。
《お、いるいる。というか、貴族も魔導杖持ちがけっこういるね》
騎士団はすぐに判別出来る。
彼らは専用礼装姿で、巧妙に隠されてはいるが急所に装甲が施されているのがうかがえる。また鞘や柄に装飾こそされているが、実戦用魔導剣を帯剣している。
魔法使のほうが少しだけ厄介だった。
宮廷魔法使は礼装が定まっているため、すぐに判別できる。だが、貴族として参加する場合もあり、全員の位置は把握できない。
もっともフェテリシアは気にしていない。
ここには敵となりうる者しかいないのだから。
《防御は予定通りにしますか?》
《魔法発動阻害》《やっぱり対魔法力場》
《先制攻撃させるのですか?》
《中っても効果はないよね》
《服が汚れます》
《そっちなの》
《その制服洗うの大変なんですからね》
《HIFの仕事》
《洗濯は乱数項目が多いのでリアルタイム指示をしなければならないのです》
《意外に不便》
《ヒトの認識と鍛えられた技能は凄いのです》
《そうかもしんないけど》
《ゆえに今回の勝利条件は無傷無汚無洗濯です》
《厳しくない、それ》
《訓練に比べれば圧倒的に楽です》
《そりゃそうだけど。というか帰っていい? もうめんどくさい》
《ダメです。また全裸首輪で吊るされたいのですか》
《児童虐待反対》
《”この物語の登場人物は18歳以上です”(棒》
《なにそれ》
《
《ときどきよくわかんない言葉使うよね》
《歌って踊れて料理も洗濯も戦闘もできる万能文化知性体ですから》
《方向性がなにか間違っているとおもう》
《設計者たちに云ってください。とりあえず汚れものと繕い物は出さないでください》
《はーい、ってそうじゃないでしょ!》
《ツッコミが0,02秒遅いです》
※注 高速思考無線文字通信中なのでここまで一秒未満。
《対魔法力場の使用許可が下りました》
《これで初手は完全に防ぐ。専守防衛》
《なるほど。防いだうえで完膚なきまでに叩き潰すのですか》
《なんか酷い言われような気がする》
《いえいえ、フェテリシアは優しいです(棒》
《その”(棒”ってなに》
《超々古代の文字感情表現法です》
ウィルとのやり取りの間もフェテリシアは表情一つ変えずに歩む。
その先には皇帝と臣下がそろう一段高くなった段間があり、見知っていた顔がいくつかあった。フェテリシアにはなんの感慨も浮かばなかった。そのことにむしろ自分にあきれた。
(やっぱりボクは壊れているのかなぁ……わかっていたつもりなんだけど)
黒髪の少女は無表情なまま歩んで立ち止まる。
両側に金髪と銀髪の筆頭近衛騎士。
どちらも見覚えがある。
金髪の彼に至っては、彼女の幼馴染で婚約者だったと記憶している。
銀髪の彼によくつっかかるように喧嘩をしていた。
皇帝が座する玉座よりおよそ三十メートル。
玉座に座る絢爛豪奢な衣装をまとう皇帝ド・グランリア。
左隣には豪華絢爛な衣をまとう皇妃。
左脇に荘厳な礼装の宮廷魔法師長レオン・ド・ゴルド、右脇に精悍な礼装の騎士団長アフォンガウス・ド・ルートジェノサイドが傲然と控えている。
(あ、元父さまもいるね。まだ引退してなかったんだ)
記憶にはほとんどない宮廷魔法師長の衣装を着た黒髪の男性を見ながらそんなこと思いつつ観察を続ける。
一段下がった場所に皇太子、そして皇姫カーラと専属近衛騎士が付き添っている。
内心を表に表すこともなくゆっくりとかがみ、その場に小太刀を置いて一歩下がる。
そして、優雅な動作で最高格式礼をする。
「お初にお目にかかります。天塔図書館ユネカ直属騎士団第八位 フェテリシア・コード・オクタにございます」
透き通るような声で滔々とあげた自己紹介。
それに対して、皇帝が鷹揚にうなずこうとした時
「偽りを申すなっ!!」
怒声が発された。
《このタイミングかぁ……》
《予測確率23%と高確率でしたが、とても正気とは思えませんね》
ウィルの言葉は辛辣だった。未来予測演算チャートの中で確率は高いと示されていたが、本当にくるとは思っていなかった未来。
それが選択された以上、フェテリシアも覚悟を決めた。
「偽りとはどういうことだ?」
フェテリシアが無言でいると、皇太子が声の方向に正確に向く。
「恐れながら申し上げます。その者は天塔騎士を名乗りながら、わたくしに手も足も出なく、また魔法も使えませぬ!」
皇姫カーラの側を離れて進み出てきた近衛騎士――アフィーナが弾劾する。
「なんと。それはまことか?」
「このわたくしめがこの身をもってしかと確認いたしました」
跪き頭を垂れながらアフィーナ・ド・ゴルドが奏上する。
皇太子と近衛騎士の乱れのない会話。そして静まりかえった広間。
参列している貴族達も驚きの色を見せておらず、またざわめきひとつない。
事前に根回しされていたことがよくわかる茶番劇。
フェテリシアは黙ったまま無表情に進行を待つ。
「天塔騎士がそのように弱いわけがありませぬ。偽物にございますっ!」
ばっと手でフェテリシアを指し示して、弾劾する。
「なんと、それは! 近衛騎士たちよ!!」
皇太子が片手を上げ下命、近衛騎士団が皇帝をかばうようにフェテリシアの前に立ちはだかり、広間にいる1/3近くの人間が魔導杖を構え、剣を向ける。
「……」
ことここにいたってもフェテリシアはなにも云わない。
《予定通り、ドール・キャリアは
《了解。お気をつけください、フェテリシア》
《ありがとう》
通信の間も皇太子とアフィーナの茶番は進む。
「なんと、剣も魔法もまともに使えぬ者が天塔騎士と偽るなどと、神をも恐れぬとはこのことではないか」
「おそれながら今すぐ、捕縛し、詳細を取り調べる必要があるかと」
近衛騎士団長アフォンガウスが重々しくうなずく。
「詳細な取り調べの後に"天塔図書館ユネカ"にも知らせる必要がありますぞ」
宮廷魔法師長が白々しく云う。その目は、彼女の装備に興味津々である。
フェテリシアは目の前の茶番など気にもかけずに、礼をとったまま。
礼を受けている皇帝は眉ひとつ動かず。
瞳に感情一つ浮かべず、ただ静かにフェテリシアを見下ろすのみ。
白々しい茶番の会話を終えて、ようやく皇太子はフェテリシアに視線を戻した。
「さて、そこで天塔騎士を騙った愚か者をどうするか……おお、なにか危険なモノを持っていないか、調べねばなるまいな」
わざとらしくつづける。
「その場で、身に纏うもの全てを外して三歩下がるがよい」
皇太子はそれに従うとは考えていない。
フェテリシアはまだ未成熟な少女であるとはいえ、女である。衆目の集まるこの場で全裸になることに躊躇を示すだろうと考えていた。少しでも反抗的な態度をとれば、その場で処分する理由になる。
皇太子は近衛騎士団長と宮廷魔導師長に顎でフェテリシアを指示、どちらの長もその意図を理解し、いつでも下命できるようにみせぬように身構えた。
「……」
フェテリシアはなおも動かない。
しびれを切らした金髪の筆頭近衛騎士が怒鳴りつける。
「殿下の命が聞こえぬのか! 今すぐその場に装備一式を置いて下れっ!!」
フェテリシアは平然として黙殺する。
命令を無視されて憤怒した彼が下命する。
「取り押さえよっ!!」
騎士たちが動いた。
三人同時。抜刀した騎士が身体強化を発動して踏込。
しゃらららん……っ!
華麗な音を引き連れて宙を伸びるいくつもの光の鎖。
捕縛魔法『聖なる光の鎖』
密かに詠唱していた魔法士たちが一斉に放ったのだ。
先行する騎士を追い抜き、フェテリシアを雁字搦めにしようとした瞬間、突如鳴り響く空裂音。
鎖が弾き跳ばれて宙を転げまわり、
「ぐげっ!」「ぎゃっ!」「ぐむっ!」「ぎゃぁっ!」
騎士が床に無様に転げまわった。
「きゃあああっ!!」
貴族夫人が悲鳴をあげて身を避ける。
風切り音を立てながら魔導剣がきれいに一列に床に突き刺さった。
なおもフェテリシアは言葉を発さない。
マントの裾すら揺らしていない。ただ両掌が軽く握られていた。
「な、な、にが、起き、て」
床と接吻をした帝国騎士がふらふらと立ち上がろうとして無様に倒れる。脳震盪を起こしているのだ。
「なにをやっておるか、恥さらしどもがっ!!」
「魔法士たちっ! 放て!」
騎士団長宮廷魔法士長レオン・ド・ゴルドが怒鳴る。
数十人の魔法士たちが杖をかざして、一斉に攻撃魔法を放つ。
『光よ、我が敵を貫け』『轟き貫け、我が雷よ』『偉大なる我が意に従い、焼き尽せ炎よ』火、雷、光の砲撃魔法が空を斬り裂いて殺到する。そのどれもが即死の威力。
肩をすくめたフェテリシアの姿が
命中寸前に光束が捻じ曲がり、雷と接触、紫電をまき散らして跳び散り、炎は壁に突き当たったように分れて消えていく。
「く、耐魔法処理外衣、いや騎士甲冑か!」
宮廷魔法士長レオン・ド・ゴルドが呻く。
攻撃魔法がことごとく効果を現さないことからの推測。
しかも帝国で研究中のものよりもはるかに高性能であるように見えて、歯ぎしりする。
「なんと卑怯なっ!! 騎士の風上にも置けぬわっ!!」
騎士団長アフォンガウス・ド・ルートジェノサイドがわめく。
彼らはわかっていなかった。
フェテリシアは
「もはや名誉ある騎士と思わぬ。"
アフォンガウスの下命に従い、六人の騎士が跳び出す。
蒼のサーコートをひるがえしてフェテリシアを取り囲むようにかろやかに着地する。
そして見せつけるように大剣をゆっくりと鞘から抜き、宣告する。
「我が帝国が威にひれ伏さぬとは無礼千万」
「ゆえにわれらが蒼の騎士が汝を討伐す」
「だが、我らは寛容である」
「一度だけ許そう。だが二度目はない」
「ゆえに命ずる。その身にまとうものすべてを置いて下がれ」
「地に頭をすりつけ許しを請い、我らが奴婢と成ることを誓えば許さぬこともない」
整った顔をしているフェテリシアをみるその瞳には、ぬらぬらとした情欲に塗れた光がぎらついていた。
フェテリシアは無表情、むしろ無関心だった。視線すら動かさない。
「返答はなし」
「われらが言葉を無視するか、愚か者よ」
「下賤の輩は、言葉も理解出来ぬと見える」
「ならば、是非もなし」
「仕方あるまい」
「抵抗は無益なことと憶えよ」
蒼の騎士たちは一斉に踏み込んだ。
「我らが必殺の剣を食らうがよいっ!!」
蒼の騎士たちが一斉に踏み込んだ。前後左右から同時、剣による包囲網。
その速さは残像すら残す。
フェテリシアが動いた
前を向いたまま滑るように後方へ。
くるりと身をかわして剣筋を外し騎士の後方へ。
「ぬわぁっ!!」
すり抜け様に足を引っ掛けつんのめさせる。
「ぬぅっ!」「むぅんっ」「はぁっ!!」
残りの騎士は慌てつつも剣を引き、強引に小さく跳んで衝突を回避する。
「ぬぅ、どこに――なにぃっ!?」
フェテリシアを追撃しようとし――すでに姿がない。彼らに背を向けて立っている。
「はあああっ!!」
構わずに背後から斬りかかる。四人同時斬撃。
しかし、軌道が見えているかのように剣山を抜ける。優雅な舞踏の足捌を刻み、剣などかすらせもしない。
「甞めるなぁああっ!!」
蒼の騎士の一人が攻撃魔法を発動。最速の雷魔法。
「≪わが意のもとに雷よ、かの敵を――≫へぶぅううっ!」
脈絡なく顎が打ち抜かれるように吹っ飛び、くずおれる。
フェテリシアの短幕衣がすこしだけ揺れた。
「ぎゃっ!」「うぐっ!」「うごっ!」
斬りかかろうとして、いきなり吹っ飛ばされる帝国騎士たち。
そこはフェテリシアにとって無手の間合い。刀を抜くまでもない。
静まりかえる大広間に響くのは無様に転がった騎士と魔法士たちのうめき声。
フェテリシアはサイドフレアスカートの裾をつまみ優雅に一礼。
「お初にお目にかかります。天塔図書館ユネカ直属騎士団第八位 フェテリシア・コード・オクタにございます。偉大なる統治者、輝ける北の星、大グランリア帝国皇帝陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
朗々と口上を述べた。
滅国の少女騎士 ~二つの月、巡る物語 森河尚武 @shobumorikawa
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