2-3
ハクオウ皇国の春は短くその恩恵も少ない。
しかし、人々は堪え忍んだ冬が長いだけに、その短い春に溢れんばかりの活気の花を咲かせていた。
夕刻、皇国最南端の町である《ダナァ》についた一行も、路端に所狭しと出店を構え、威勢のいい声で客引きを行う商人の群れの中を歩いていた。
ダンクはいつの間に買ったのか、山羊の乳で作ったバターで焼いた、ジョッコという芋の一種にかぶりついている。
片手には芋から醸造した酒がなみなみ入った例の杯を持っていた。
度数の高い酒の筈だが、ダンクは顔を赤らめるだけで、足取りはしっかりしたもので、巧みに人を避けながら進むガイルの後をしっかりとついてきている。
頭巾をつけていようと、その背丈と飲みっぷりから、ドワーフだという事は容易に周囲にばれてしまう。
酔ったドワーフに絡まれたくないがために周りの人間が避けているようにも見えた。
ガイルが彼を止めないのも、ドワーフであるという事が隠せないのは当然の事であり、ならば彼の自由にさせても構わないと判断したからだ。人相さえ割らなければ問題はない。
「この辺りにはパンが売ってないのか?」
カイリが不思議そうに周囲の出店を見渡して尋ねる。
多種多様な店の中に、パンを売っているものはない。
「ハクオウ皇国には痩せた土地しかない。限りある平野で小麦を育てているが、それらは王都で取引される事がほとんどでこの辺りまではあまり流れてこないからな」
カイリはその話を聞きながら、昨夜食べたパンの事を思い出しているようだった。
王都から持ってきたパンは、昨夜カイリが食べたもので最後だ。
「この辺りならば、麦の代わりに芋や、ヤドという穀物を使った料理が多い」
ヤドは痩せた大地でも逞しく育つが、味が悪い。
しかし、貴重な栄養源のため、薄く伸ばした生地に味の濃い具材を巻いて食べるのが一般的だ。
「ちょうどそこに出店がある。少し早いが夕飯にしよう」
カイリはその言葉を聞くと、コクリと小さく頷く。
屋台に近づくと、焼いたヤドの独特な香りが四人の鼻腔を満たした。
「らっしゃっい!お客さん、ヤドルは初めてかい?」
店主はふいっと顔を上げると、四人の格好を見て、にっと愛嬌のある笑顔を作った。
「ああ、うちの子が初めてだ」
カイリが小さく頭をさげる。
この旅の最中、カイリはガイルの娘ということで通すことになっており、カイリもこれにだけは従った。
「そうかそうか!嬢ちゃんは運がいいな!うちのヤドルが初めてならヤドのことも好きになるぞぉ」
「ヤドは変な味と聞いているが……」
カイリは心配そうに、店主がヤドの生地を薄く伸ばして焼くのを見て呟く。
「うちのヤドルは具がうめぇんだ。
秘伝のタレに丸一日漬け込んだ鳥肉を外側がパリッとするまでじっくり焼いたのを挟むんだ。自慢じゃねぇが、この町で一番の味だろうさ」
「それは……おいしそう……」
カイリは物欲しそうな目で串焼きにされている鳥を見る。
「では、その鳥と、あとカシューを挟んだのを二つずつ頼む」
「カシューを頼むたぁ、あんちゃん分かってるねぇ。おまけに具はたっぷり詰めてやるよ。お代は負けられないがね」
「感謝する」
「カシュー?」
カイリが訝しげにガイルを睨む。
「ハクオウでしか採れん木の実だ」
カイリはハクオウで育ったというのに、自分の生まれた国について知らなさすぎる。
カシューはハクオウ皇国に広く分布する木の実で、秋頃に小さな赤い木の実をつける。
生では酸味が強く食べられぬが、冬の間に石室の中で干しておくと、春には琥珀色の、甘い乾物になる。
それをヤギのミルクに入れたり、ハクオウでは高価な砂糖の代わりに菓子に入れたりするのだ。
「私は肉の方を食べるから」
食べ盛りには肉の方がいいらしく、カイリはそう言い捨て、店主の手際に没頭している。
店主は薄く焼いたヤドルに、鶏肉を敷き詰めていく。カイリがゴクリと唾を飲むのが聞こえた。
ガイルが、カイリは食べ物で釣れるんじゃないかと真剣に考えていると、店主が熱々のヤドルをカシューの葉で包んで二人に差し出した。
「銀貨一枚に銅貨二枚だ」
ガイルは懐から巾着袋を取り出すと、銀貨を二枚店主に渡す。
「釣りは取っておいてくれ。代わりと言ってはなんだが、この辺りで旅の支度を整えられる店と宿を教えてくれないか」
「こりゃありがてぇ」
店主は受け取った銀貨を、カウンターの下にある袋に放り込んだ。
「そういうことなら、バロアの行商組合に行くといい。宿の手配から旅支度まで揃えてくれるぜ。ほれ、ちょうどこの道をまっすぐ行けばでけぇ看板がすぐ見えらぁ」
店主は街の中心の方を指差した。
ガイルは店主に礼を言うと、後ろにいたダンクとミリィに、鳥とカシューのヤドルを一つずつ向ける。
ダンクはさっさと芋を頬張ると、酒を一口ぐびっと飲み、空いた手で鳥のヤドルを受け取った。
「では、私はこちらを」
ミリィはカシューの入ったヤドルを受け取ると、小さく一口かじる。
「甘いですね」
「歩きながら食べよう」
ミリィとガイルが並んで先導する後を、ダンクとカイリが豪快にヤドルにかぶりつきながら付いて行く。
ヤドルは一口噛むたびに中から甘辛いタレと肉汁がじゅわっと出てきて、そこにパリッと焼けた香ばしい鳥の皮がいい具合に混ざり合う。
ヤドの生地に若干の苦味があるが、それがまた一層肉の甘みを引き立てるのだ。
「旨い!かーっ!エールが欲しくならぁ!」
「美味しい……!」
ダンクは麦がない故に無い酒を思いながら地団駄し、カイリは口の中いっぱいにヤドルを詰め込んで幸せそうに唸っている。
「こっちも食べてみるか?」
「食べる!」
ガイルがそう言って差し出したカシューのヤドルにも、カイリは容易く食いついた。
薄いヤドルの皮を破ると、カシューの実が舌の上でほろりと溶け、爽やかな甘みが口から鼻腔の奥へと抜けていく。
「あの店は当たりだな」
上機嫌でヤドルを頬張るカイリを横目に、ガイルは満足気に笑った。
「ガイル。あれではないですか?」
四人が丁度ヤドルを食べ終わる頃、ミリィがその看板を見つけた。
羽ペンを模した看板に、バロアの文字がある。
「間違いない。あれだ」
街の中央広場に入ってすぐのところに、バロアの行商組合はあった。
その前には不揃いな武装した屈強な男達がたむろしている。
山越えする商隊の護衛として声がかかるのを待つ用心棒の類だ。
彼等は行商組合に入ろうとする四人の事を訝しむ目で見ていた。
商人にしては荷物が少ないため、同業者と疑われたのだろう。
修羅場をくぐり抜けたもの特有の、圧を伴った視線が先頭のガイルに集中するが、ガイルはそんなものを気にする素振りも見せずに組合の中に入る。
中では数個の窓口に、幾人かの列ができていた。
もう少し春も早い時期に来ていれば、ハクオウから他の国へ行く行商人の群れにでくわせただろうが、すでにその数は少なくなっている。
ガイルは適当に手前の列に並ぶ。
やがて、ガイルたちの順番が来ると、丸顔の愛嬌のある受付嬢がカウンター越しに頭を下げた。
「宿と、旅の用意を幾つかお願いしたい」
「かしこまりました。宿のご希望はございますか?」
「四人部屋を、最悪貸し切れるなら五か六人部屋でも構わない。それと、出来れば朝飯のついたところがいい」
「確認に行かせます。旅の用意とは具体的にはどちらへ?」
「ダムヴァ山を越えてナナンカ連邦に行きたい。必要な物をそちらで頼めるか?」
「ええ。可能です」
受付嬢はカウンターに目を落とし、すらすらと文字を書き連ねる。
その間にダンクはガイルに小さく耳打ちした。耳打ちとは言っても、ガイルとダンクとの身長差ではどうしても無理があるので、ただの小声の会話だが。
「ダムヴァ山脈を超える?まさかとは思うが、上から行こうってんじゃないだろうな」
ダンクは答えなんて分かっているというようにガイルに確認した。
「仕方ないだろう。他に道はない」
ガイルは険しい表情でダンクをたしなめたが、ダンクはそんな事もおかまいなしに、自慢気に口を開く。
「いいや、あるさ。とっておきのがな」
ダンクはバチリと不器用にウィンクして見せた。
義を見てせざるは勇なきなりか 天村真 @amamura1118
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