#08 さようなら、すばる
翌日の新聞一面を飾ったのは、junc.ti.onの突然の閉鎖を報じる記事だった。僕にとってはとっくに分かっていたことで、今更という思いを拭えない。
junc.ti.onがサービス停止からの閉鎖へ追い込まれたのは、未成年の利用者が性犯罪に巻き込まれたというのが、一般的に流布されている理由だ。一般的、という注釈を付けたのは、あまりに唐突な終焉を迎えたために、たくさんの人がいろいろな憶測を流しているからだ。
新聞が報じたような、未成年者が犯罪に巻き込まれた事案が本当にあったのか。実際のところ、それさえも定かではない。
その後の続報によると、閉鎖からほぼ間を置かずにサーバーなどの機器類が根こそぎ押収されて、関係者が取調べを受けているという。僕としては、警察の取調べであのjunc.ti.onという得体の知れないWebサービスの全容が解明されるとは、あまり思えなかった。もしかすると、こういう異常な組織や個人を調査したりする、僕らの知らない秘密の機関があったりするのかも知れないけれど。
サービス再開の目処はまったく立っていない。経緯が経緯で、こんな形でサービスが終了してしまったから、おそらく再開されることは二度とないだろう。よその会社が同様の技術を持っているとも思えないから、類似のサービスが提供されることも期待できない。
あとはただ、このまま記憶から消えていくだけだろう。
「なんだったんだろうな、あれは……」
そして閉鎖から一週間が経って、大方の予想通り、もうほとんどの人がjunc.ti.onへの興味を失くしてしまった。
ニュースサイトの過去ログを辿った先にある、三日前、四日前の日付の記事をぼんやり眺めながら、僕は気力を失くしてほとんど何もできずにいた。一昨日鏡を見たら、そこにはあまりに生気のない顔が写っていて、これは誰だろうと驚いた。
他でもない、僕自身の顔だった。
(せめて、夢だったらよかったのに)
僕が長い長い夢を見ていて、その夢の中で彼女と会っていただけなら、単に切ない夢を見ていただけだと割りきることもできただろう。あるいは、女の子の自分と恋に落ちるなんてナルシストにも程があるなんて、笑い飛ばすこともできたかも知れない。
残念ながら、あの一連の出来事は夢でもなんでもない、紛れもなく現実だった。僕の手元には、junc.ti.onが確かにここに存在したということを示す、大小様々な記憶と記録が残っている。
Firefoxの閲覧履歴、そこへ記憶させたアカウントとパスワードの情報、junc.ti.onをフミコさんから紹介された時のTwitterのリプライ、機能しなくなったiPhoneのアイコン、最後の最後まで記録され続けたボイスチャットのログ、彼女とやりとりした手描き文字の画像。
そして……彼女から贈られた、あの一枚の写真。
(『すばる』)
最後に聞こえた彼女が僕を呼ぶ声が、明瞭に蘇ってくる。
気が付くと僕は写真をプレビューしていた。着装をきちんと整え、力強く弓を構えた、すばるの後ろ姿が写し出されている。写真を受け取った日から些かも色褪せずに鮮やかなままで、彼女と僕が確かに同じ時間を過ごしていたことを思い起こさせる。
別のウィンドウでもう一枚画像を開く。僕が彼女へ贈ったあのイラストだった。示し合わせたわけでもないのに、驚くほど似た構図と姿の少女が描かれている。自分をイラストにしてもらったらこんな風になると思う、すばるはそう言っていた。
(僕が彼女に渡すことができたのは……これだけだった)
本当はもっともっといろいろなものを、イラストだけじゃない、他にもたくさんのものを、すばるに渡したかった。そして、すばるからも受け取りたかった。
僕らの関係は、まだ始まったばかりだったのに。
これから始まるものも、たくさんあったはずなのに。
日暮里駅の近くを歩いていた。駅から少し離れると、途端に下町の色が濃くなる。東京にはそんな駅がたくさんあって、日暮里もまたその例に漏れない。
今、彼女は、すばるはどこにいるだろうか。僕と同じ存在だから、向こうの世界の日暮里駅近くを歩いていたりするのだろうか。
すばるが僕で、僕がすばるなのだとすると――きっと今も同じ場所にいるに違いない。
(願わくは、彼女が幸せな道を歩めますように)
僕が幸せになれば、彼女もまた幸せになる。僕が幸せな日々を過ごせるようになれば、それは彼女にとっても幸せな時間が続いていくことを意味する。僕は自分に繰り返し言い聞かせて、彼女と共に在ることを許されない悲しみを振り払おうとしていた。
けれど、と僕は疑問を浮かべて、すばるの上にはない空を見上げる。
(僕の幸せは……すばると共に在ることだったのに)
すばるの隣にいる。すばるが隣にいる。
僕は、それ以外の幸せを見つけられるビジョンを持てなかった。
(僕はここにいて、すばるもここにいる)
(僕が悲しいときは、すばるも悲しんでいて)
(すばるが喜んでいるときは、僕も喜んでいるだろう)
(僕らは繋がっている。決して解けないつながりで、永遠に繋がっている)
違う世界の、同じ存在。そのつながりは何よりも強くて、決して解けることはないだろう。
(けれど、どれだけ手を伸ばしても、すばるの手を取ることは叶わない)
僕らは二つ並んだ道を歩いている。平行な道を。どこまで行っても決して交わることのない道を。
互いの存在を知ることもなく、自分以外の自分が存在を知ることもなく、そのまま終着点まで、まっすぐに進んでいくはずだった。
交差点の上で僕とすばるが出会ったことは、僕らに何をもたらしたのだろう。
(僕の見ている空の下に、すばるはいなくて)
(すばるの見ている空の下に、僕はいなんだ)
ただ一度でいいから、この手で彼女の手を取りたかった。爪が食い込むほど、拳を強く握り締める。
その掌に、ひとしずくの熱い涙が零れた。
僕と私は交差点で 586 @586
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます