#07 声を聴かせて、すばる
サウンドは僕の背中から聞こえてきただけじゃなく、ヘッドフォン越しにすばるの部屋でも鳴ったのが分かった。胸騒ぎを感じて、僕が手を伸ばしてスマホを取ってくる。
「何か……変な通知が来てるよ。タイムラインが見られない、だって……?」
「こっちもだよ。友達から、ジャンクションの調子がおかしいって」
新規タブを開いて、自分のホーム画面を読み込む。いつもならスッと読み込めるはずのページが、表示されるまでにひどく時間がかかっている。今までこんなことは一度もなかったから、胸騒ぎを覚えてしまう。
ようやく読み込みが終わる。けれど、その画面はほとんどすべての画像の読み込みに失敗して、普段とは明らかに異なるスタイルで表示されてしまっている。中央のタイムラインは停止して、「通信エラー」のメッセージをズラリと並べている有様だった。
「通信エラー、だって……」
「同じことになってるよ、通信エラー、っていっぱい出てる」
システム障害が起きているのだろうか。崩れたホーム画面から「障害情報」のリンクを何とか探し出して、新規タブに開いてアクセスしようとする。けれどこっちは散々待たされた挙句、「500 Internal Server Error」が返されてしまった。
何か起きているけれど、何が起きているのかは分からない。じっとしてなんていられない状況だった。
また新しいタブを開いて、Twitterにアクセスする。こっちは正常にするする読み込まれたから、僕のネットワークが不調というわけではなさそうだ。
こっちのタイムラインを見ると、僕と同じようにjunc.ti.onにアクセスできない、不安定になっているという報告がぼろぼろ上がっていた。トレンドにも「junc.ti.on」が入っている有様で、全体的に様子がおかしいらしい。
「ちょっと、別の知り合いに確かめてみる」
まだ機能が生きているボイスチャットですばるにそう断ってから、今度はSkypeを立ち上げた。見るとフミコさんがオンラインになっている。フミコさんなら何か分かるかもしれない、そう思ってすぐにメッセージを送信した。
「フミコさん」
「プレアデスじゃん。どうかした?」
「junc.ti.on様子おかしくない?」
「おー」
「そっちもだったんだ」
「さっきから全然繋がんなくなっちゃったし」
「障害かな?」
「たぶん障害だよ それも大規模の」
「あっ」
「どうしたの?」
「さっきまでチャットできてた人が見えなくなった」
「マジで」
「今度はjunさんからだ。今ボイチャが切れたって」
ボイチャ……ボイスチャットが切れた。
その言葉に僕はハッとして、「大丈夫!?」と声を上げる。Skypeのウィンドウを後ろへ追いやって、Firefoxにフォーカスする。
「大丈夫、こっちはまだつながってるよ。でも、他の子はもう繋がらなくなったって言ってる」
「やっぱりそうなんだ、一体何が起きてるんだろう?」
いつもなら「一体何が起きてるんだろう?」とテキストログに記録されるはずだった。ところが、それが今回ばかりは違った。「一体何が起き」で記録が停止して、その後は何も画面に表示されなくなった。
テキストログの記録機能も停止した。時間を追うごとに接続がどんどん不安定になってきている。
(まるで……サービスが停止するみたいじゃないか)
無意識のうちにそんなことを思い浮かべていて、それの意味するところを理解して思わずハッとする。
junc.ti.onが停止してしまうということは、僕らがもう二度と、互いに言葉を交わせなくなるということに等しくて。
同じ時間を過ごせなくなる。そういうことを、意味していて。
「あっ……! 何これ、システムメッセージ……!?」
すばるの声に現実へ引き戻され、僕が画面を見やる。そこには赤いボールドの書体で、こんな警告が書かれていた。
『Error# 7002997F: Datastreamer Malfunction.』
『Error# 70036F7B: Inner Connection Timed Out.』
『システムメッセージ: スーパーバイザーからレベル0-シャットダウンが入力されました』
『Error# 7002F25C: Data is Corrupted.』
『システムメッセージ: レベル0-シャットダウン フェーズ1が開始されました』
『Error# 7002997F: Datastreamer Malfunction.』
『Error# 7003D971: Certification Server Stopped. Process Aborted.』
『Error# 7002F25C: Data is Corrupted.』
『システムメッセージ: レベル0-シャットダウン フェーズ1は異常終了しました。フェーズ2に強制移行します』
『Error# 80036F7B: Inner Connection Timed Out.』
システムが異常をきたしているのか、内部のエラーメッセージが僕らのセッションウィンドウに表示されている。
そしてその直後、ヘッドフォンから砂嵐のような音が聞こえてきた。
「もしもし? 聞こえてる?」
「まだ、なんとか……でもノイズがひどくて、聞き取るのがやっとで……」
ボイスチャットのサーバも停止しかかっている。とうとうここまで来てしまった。ここで彼女と接続が切れたら、もう二度と声が聞けなくなる。僕にはそう思えてならなかった。
遥か遠くのここにいる彼女も、同じことを考えていて。
「ここまで来て、二度と話せなくなるなんて……!」
「もう少し、もう少しでいいから、時間がほしかった!」
「もっともっと……たくさんのことを話したい、話したいのに!」
ノイズが混ざる中で、僕は全身全霊を傾けて、彼女の声を聞こうとした、聞き逃すまいとした。
彼女が声を上げた。
「私は君で、君は私で」
「同じで、同じ存在で、でも違ってて」
「私が、始めて好きになった人」
僕が声を上げた。
「僕はここにいる、君もここにいる」
「同じ場所にいるんだ」
「例え遠く離れていても、僕たちは同じ場所にいる」
力の限り叫んで、やっとお互いの声を届けることができる。それほどまでに通信環境は悪化していて、終わりがもうすぐそこまで近付いてきていることが感じ取れた。
システムの終わりが、僕らの終わりが、すぐそこまで近付いてきている。
「会いたいよ……会いたいよ!」
「一目でいいから、君に会いたいんだ!」
もう声はほとんど聞こえない。彼女にも声は届いていないかも知れない。
それでも僕は叫ぶ。彼女と繋がっている限り、少しでも声が届いている可能性がある限り。
「……! ……!」
ノイズの音が大きくなる。これ以上接続を維持できない、彼女と言葉を交わすことができなくなる。すばると話すことができなくなる。そんなの嫌だ! せっかくすばるに会えたのに、もう二度と声も聞けなくなるなんて!
すばるの他にはもう何も考えられない。すばる、すばる、すばる。彼女の名前が、僕と同じ彼女の名前が無数に浮かんでは消えていく。どうか最後に、彼女を名前で呼ばせてほしい。どうか最期に、彼女から名前で呼んでほしい。
僕の声が、彼女の声が、二人の「すばる」の声が完全に聞こえなくなる間際、僕らは――。
――僕らは。
「すばる『すばる』!!」
最愛の人の名前を、声の限りに叫んだ。
すばる。その言葉を最後に、耳障りなノイズがすべてを飲み込んでいって、彼女の声は聞こえなくなった。
やがて砂嵐も消えて、完全な静寂が僕をゆっくりと包み込んでゆく。
(すばる……今、すばるは確かに『すばる』って……)
僕は呆然としながら、彼女が最後に発した言葉が脳内でリフレインするに任せていた。
junc.ti.onのシステム全体が不安定になって、機能停止しかかっていたせいだろうか。最後の最後にプライバシー保護のための検閲機構が働かなくなって、すばるが僕を呼ぶ声が、僕がすばるを呼ぶ声が、そのまま伝わってきて、伝えることができた。
これで終わりなんだろうか。僕は諦め掛けて、いや、そうと決まったわけじゃない、と首を振る。
「……まだだ、まだ終わりじゃない。繋ぎ直すんだ……!」
タブを閉じて開き直した。junc.ti.onから応答はなく、タイムアウトした。
すべてのタブを閉じて、Firefox自体を再起動してからアクセスした。junc.ti.onというドメインは見つからない、そんなエラーメッセージが返ってきた。
バックグラウンドで動作させていたプログラムを片っ端から終了させて、システムを再起動する。それからもう一度アクセスを試みる。状況は何も変わらなかった。
スマホからアクセスする。Safariのエラー画面が表示される。
ネットワーク接続の修復を試みる。作業が終わった後再び接続を試す。サーバーが見つからない状況は変わらなかった。
hostsを再設定する。変わらない。コマンドプロンプトからIPキャッシュをフラッシュする。サーバが見つからない。無線LANルータを再起動する。繋がらない。モデムの電源を落として一分待ってからもう一度やり直す。
接続することは、できなかった。
「ダメだ、どうやっても……」
圧倒的で絶望的な徒労感と虚脱感に包まれて、僕は魂が抜けたような声で、最愛の人の名前を口にする。
「すばる……」
僕が発した言葉に答える声は、もう二度と、聞こえてくることはなかった。
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