#06 教えてください、プレアデスさん

 画像ファイルに手描きで記された電話番号。11ケタの規則は守られているし、数字以外が混じってるとかでもない。頭は090から始まる普通の番号で、僕以外が見れば本当になんの変哲もない携帯の電話番号に見えたことだろう。

 けれど……僕が目にしたものは、決して描かれているはずのない、描かれていることなどあり得ない電話番号で。

「プレアデスさん? どうかしたの? 何かあった?」

「……ごめん、メロッテさん。電話はできない。僕は、この番号には掛けられない」

「えっ!? そ、それって、一体どういう……」

 彼女との連絡に電話は使えない。だから、junc.ti.onを使うしかない。

 送られてきたファイルを見て、僕は瞬時に一つの可能性を見出した。それは突拍子もなくて非現実的だったけれど、今僕ら二人に起きていることを矛盾なく全部説明できる。

 説明、できてしまう。

「一つ、仮説を思いついたんだ。電話を掛ける代わりに、僕の質問にいくつか答えてほしい。僕もそれに自分で答えるから」

 彼女は戸惑いながらも「分かった」と言ってくれた。メモ帳を起動して、これからする質問を軽くまとめる。

 あれと、これと、それと。いくつか質問を揃えてから、メロッテさんへ問いかけた。

「メロッテさん、画像で応答してほしい。通っている高校はどこ? 僕もこれからファイルを送る」

 画像を送ってから五秒も経たないうちに応答があった。画像には「古寺高校」と描かれている。

 裏のpixiaで開きっぱなしにしていた、僕がさきほど送ったファイルにも「古寺高校」とある。まったく同じだ。

「僕が通っている高校は男子校だ。弓道部もない」

「私の高校は女子校で、漫研がない。プレアデスさんが訊きたいことって、こういうこと、だよね」

「うん。その通りだよ」

 そしてメロッテさんの答えは、前もって予想していた通りでもあった。

「友達にさ、龍造寺って名字の子はいないかな」

「いるよ、いるいる。同じ弓道部に所属してて、それで……」

「副部長を務めてたりする、そうだよね?」

「……すごい、合ってる。龍造寺さんは、副部長をしてくれてるよ」

「なるほど。僕の知っている龍造寺は漫研の副部長で、言うまでもなく男子だ」

「私の知ってる龍造寺さんは、女の子だよ」

 龍造寺という友達がいて、そして彼と彼女は、それぞれ僕らが所属している部活で副部長の座に着いている。偶然にしてはできすぎている。

 僕はもう既に、偶然とは思えなくなってきていたけれども。

「私も、プレアデスさんに質問していいかな」

「いいよ、なんでも答える」

 僕が何を確認しようとしているのかを、メロッテさんも察したのだろう。彼女の方から僕に確認したいことがあるという。僕は、それがどんな質問であろうと、ただ事実のみを告げるんだという覚悟を決める。

「誕生日はいつ? あと、生まれた病院はどこ?」

「一九九九年七月三日、病院は日本医科大学附属病院だよ」

「やっぱり……私もまったく同じだよ。生まれてくるときに時間がかかって、お母さんも危なかったって話、聞いたことない?」

「聞かされたよ。すごく大変だったって」

 誕生日も同じ、生まれた病院も同じ、出生時にちょっとしたトラブルがあったことも同じ。

 全部、同じだ。

「今は荒川区にいるけど、たぶん小4の頃まで葛飾区にいて、それから引っ越したとか……」

「うん。あのNマートに入り込んだのも、葛飾区に住んでた頃だった」

 かつて葛飾区に住んでいて、今は荒川区にいる。僕も彼女も、まったく変わらない経緯を辿っている。

 メロッテさんは黙り込んでしまった。僕も何も言えなくなった。ここまで何もかもが一致するなんて、どう考えたっておかしい。もう偶然なんて言葉じゃ片付けられないところまで来てしまっている。

 それでもまだここまでなら、赤の他人でも一致する可能性は無いとは言えない。一縷の望みとほとんど絶対的な確信を胸に抱いて、再び僕が質問を投げかけた。

「八歳の頃に、自動車の玉突き事故に巻き込まれなかったかな」

「巻き込まれたよ。助手席に乗ってて、頭をフロントガラスに強く打って……」

「血が出るくらいの怪我をした。病院へ行って、CTスキャンを受けて……」

「大人しくしてたのに、お医者さんに、動いてますよ、って言われたっけ」

 事故に巻き込まれたことも、事故で負った怪我の内容も、その後病院で起きたことも。

「小5だったかな。塾に通い始めたんだ」

「能開センター、って名前の学習塾だったよね。課題図書に、二年間の休暇、って上下巻の本を渡されて」

「勉強のために読むつもりが、物語にすっかり引き込まれちゃって、三日で全部読んだ」

「たくさんいた登場人物の中でも、私はゴードンに共感してた」

「どうして、か。それは……前の年に、両親が離婚して」

「……父親が、家を出て行ったから」

 かつて通っていた学習塾も、そこで読んだ本の感想も、前年に家族の間で生じた亀裂も。

「去年の春、高校に進学したお祝いに、スマホを、iPhone6を買ってもらった」

「買ってもらった時期も同じ、機種も同じ、そして……」

 僕は言葉に詰まる。口に出そうとしている言葉の意味を、それが僕らにとってどんな意味を持つのかを噛み締めて、その重さに折れてしまいそうになっていた。

 けれど、僕は事実を言わなきゃいけない。彼女に、伝えなきゃいけない。

「……電話番号も、同じだ」

 契約者ごとに割り当てられた電話番号。廃止されて再利用されたものでもなければ、決して重複することはない。そして僕も彼女も、キャリアとの契約は未だ有効なままだ。僕の電話番号と彼女の電話番号、その両方が有効になっている。これは、普通ならあり得ないこと、通常なら起こり得ないことだ。

 普通なら、通常なら。それは僕らの間に起きていることが、尋常なことではないという事実を物語っていて。

「プレアデスさん。今更、かも知れないけど」

「そのハンドルネームの由来は、もしかして……」

 メロッテさんの質問の意図は、明瞭に理解できた。彼女もまた同じことを考えているのだろう、そんな揺るぎない確信があった。

「僕の本名からとって、それをもじったものだよ」

「プレアデス星団から付けたんだ。プレアデス星団、その和名が……僕の名前だ」

「それに、今調べてみて分かった」

「メロッテさんも――メロッテさんのアカウント名の由来も、きっとそうじゃないか、って」

 pleiades045とmelotte22。僕はプレアデス星団の名をそのまま拝借して自分のハンドルネームにした。メロッテさんはどうか。melotte22……Melotte 22というのは、何を示しているものか。

 フィリベール・ジャック・メロッテが作成した星団の目録であるメロッテ・カタログ。とある星の群れが、そのカタログの22番に指定されている。ゆえにその星団は、「Melotte 22」の名前で呼ばれることがある。

「プレアデスさん」

 メロッテさんから呼びかけられて、僕が顔を上げる。

「私たちの本当の名前、送りっこしませんか」

「ペイントで描いて、これから送ります」

 僕は何も言わずにpixiaで新規キャンバスを作成して、そしてペンタブで自分の名前を描き付けた。

『時任すばる』

 メロッテさんからファイルが伝送されてきた。

 僕は息を止めて、フォルダに保存されたビットマップファイルを開いた。

『時任すばる』

 時任すばる。

 そこには、確かにそう描かれていた。

 時任すばると、時任すばる。

 僕は時任すばるで、そして彼女も――メロッテさんも、時任すばるだ。

「……そっか」

「やっぱり、そうだったんだ」

「私、だったんだ」

 彼女の言葉が、僕らの身に何が起きたのか、何が起きているのかを、とても如実に顕していた。

「もうこんな状況になったら、何を言われても驚かないと思う。だから、思い切って言うよ」

「僕は仮説を一つ思いついたんだ。この仮説なら、僕らの状況を全部説明できる」

 さっきから頭の中にあった仮説。彼女との、「すばる」とのやりとりを通して、僕はそれを正しいと考えるに至った。

「僕らは、違う世界の同じ存在で」

「同じポジションを担うために生まれてきたんだ」

「姿形は違っていようと、役割は同じなんだ」

 僕らは違う世界にいて、同じ「時任すばる」として生きている。「時任すばる」として与えられた役割を担うために。

「僕は、男の子として」

「私は、女の子として」

 このまま生きていれば決して出会うはずがなかった二人のすばるが、junc.ti.onを通して出会った。

 出会ってしまった、と言うべきだろうか。

「たぶん、だけど」

「うん……」

「世界の成り立ちはほとんど……99.9パーセントくらい一致してる。物理法則とか人間の思考とかの、基本的なルールはきっと完全に同じだ。だから、僕の世界にもそっちの世界にも、同じ学校やお店がある」

「たぶん、すごく似た歴史を辿ってコーヒーショップができて、スーパーマーケットがなくなったんだね」

「そうだと思う。でも、それぞれの世界には違う部分もあって、それが日暮里駅の今の姿に影響を与えたんだ」

「こっちにはスターバックスが、そっちにはエクセルシオールがあったのも、きっとそのせいで」

 似て非なる世界に僕らはいて、とても近いけれど違う風景を見ている。

 僕らは同じ空の下にいない。この空の下に彼女はいなくて、彼女の世界に僕は立っていない。

「私の通ってる高校が女子校で、そっちの高校が男子校なのも、役割が違ってたから……」

「男子と女子が入れ替わって、別の歴史を辿った。けれど、高校としての機能は同じだった」

「漫研の代わりに弓道部が、弓道部の代わりに漫研ができた。きっと、そうなんだよね」

 彼女の、すばるの言う通りだ。笑ってしまいそうになるくらい、話がスムーズに進む。

 それもそのはずだ。僕と彼女は、異なる同一の存在なのだから。

「ジャンクションは」

「一つの世界じゃなくて、いくつもの世界を結びつけてる、立体交差なんだ」

「僕らがまだ知らないだけで、全然違う状況にいる僕や君も、サービスを使っているかも知れない」

「利用者の数がとんでもなく多いって言われてるのも納得だよ。だって事実上、無限にいるんだから」

「とは言え、僕が見た限り、僕らが知ってる人間の常識から外れた人間……腕が二本より多かったりとか、口の代わりにテレパシーで会話するような人間は見た記憶がない」

「きっと混乱しないように、僕と君の世界のように、近似した世界同士で交差点を作ってるんだと思う」

「個人情報が厳しく検閲されてるのも、そんな実態を知られたくないからだよ」

 こうして利用者の数を荒稼ぎしながら、junc.ti.onは運営されている。今この瞬間も、会員数は増え続けているだろう。

 junc.ti.onが僕とすばるの世界の交差点になって、僕らは互いを知ってしまった。

(僕はすばるに会うための方法を知らない)

(僕はすばるに会いにいくことができない)

 すばるは今「ここ」にいて、同じ場所にいるのに、僕は彼女に触れることも、手をつなぐこともできない。

 二人同じ時間を共有しているのに、僕らは目と目を合わせて会話することさえできない。

 僕は彼女で、彼女は僕で。僕はすばるで、すばるは僕で。同じ意味を持って生まれてきた、けれど確かに違う存在で、一目会いたいと思っていた女の子で。

 ここにいるのに、僕らはここにいるのに、どうやっても手の届かない、ずっとずっと、果てしなく遠い場所にいる。

「そうか」

「僕らは、会えないんだ」

 すばるのことを、こんなにも強く想っているのに。

 ヘッドフォンの向こうから、すすり泣く声が聞こえてくる。すばるが泣いている、涙を流している。

 僕は泣きじゃくる彼女の涙を拭おうとして、自分の目に手を当てていることに気が付いた。

「泣かないで、なんて、僕に言う資格はない」

「僕は君の涙を拭えない、僕は君に触れることさえできない」

 掠れた声で、上ずった声で、僕が彼女に語りかける。僕にできることなんてなかった。僕は彼女に、何一つしてあげられない。

 己の無力さを、ただ呪うほかなかった。

「ごめんね、ごめんね――」

 彼女が何か言っている。けれど僕はそれを聞き取ることができない。どれだけ耳を澄ませても、彼女が確かに言った言葉が聞こえてくることはない。

(本当に、大した仕組みだよ)

(『すばる』を……僕の個人名だって認識して、検閲してしまうんだから)

 個人の名前は検閲されてしまって、ボイスチャットでは流すことができない。彼女の言葉は、システムの検閲機構の前に手折られ、電子の藻屑と消えてしまう。

 彼女は確かに僕の名前を、「すばる」という僕と彼女に共に与えられた名前を呼んでいるのに、僕はそれを耳にすることができない。

「どうやっているのか分からないけれど、大した機能だよ、まったくさ」

「お互いに、本当の名前で呼ぶことさえさせないなんてね……徹底してるよ、嫌になるくらいに」

「それでいて……僕らはジャンクションを介さなければ、こうやって繋がっていられない」

「サービスに囚われた、哀れな人間の姿ってわけ、か……」

 自嘲を込めてつぶやく。もう、ただ笑うしかなかった。

 かつて僕らはjunc.ti.onで出会って、junc.ti.onで仲良くなって、junc.ti.onで恋人同士になった。

 今の僕らはjunc.ti.onに出会うことを阻まれて、junc.ti.onに声を遮られて、junc.ti.onに悲しみを味わわされている。

 それでも僕らが繋がりつづけるためには、junc.ti.onを使うしかない。こんな状況に置かれてしまったら、乾いた笑いしか出てこない。すべてをjunc.ti.onに握られているのだから。

「泣いちゃってごめんね、ごめんね、本当に……本当に……っ!」

「いいんだよ。泣いてくれていいんだよ。それは……僕を想ってくれてることに他ならないから」

 泣いていることを謝る必要なんて、どこにもない。僕に会えないことを悲しんでくれているなら、それは彼女が僕に会いたいと思っていてくれたことの現れだから。

 僕は、泣いていた。声を殺して、歯を食いしばって、溢れ出る涙を零れるに任せていた。

 ずっと――彼女に会いたいと、彼女と共にありたいと、彼女と幸せになりたいと、そう思い続けていたから。

(すばる)

(僕は君に会いたいのに)

(君は僕に会いたいと思ってくれているのに)

(僕らは……)

 僕がすばるに会うことはできない。その現実に打ちひしがれて、がっくりとうなだれていた最中だった。

(♪)

 突然、背後でスマホの通知サウンドが鳴った。

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