#05 どこにいますか、メロッテさん
土曜日は何をしていたのかよく覚えていない。それくらい、僕の意識は日曜日に強く向いていた。
理由なんて一つしかない。彼女に、メロッテさんに会えるからだ。
「忘れ物はない……よね?」
日暮里駅の前まで来てから少し不安になって、肩から提げたバッグの中身を確かめる。財布にハンカチ、それからスマホ。必要そうなものはだいたい入っている。出てくる前に三回もチェックしたから大丈夫だって分かってるはずなのに、それでも不安になってしまう。
緊張して自然と早足になるのをどうにか抑えながら、僕は待ち合わせ場所にした太田道灌の像を視界に入れた。バッグからスマホを取り出して、指紋認証でロックを解除する。
「ボイスチャットがメインだったから、今までこれはあんまり使ってなかったんだよね」
junc.ti.onは最近流行りのサービスの例に漏れず、スマホ版のアプリもリリースしていた。使い勝手はWeb版とほとんど変わっていなくて、入れている友達も多い。ただ、通話との兼ね合いでボイスチャット機能が省かれていたから、僕とメロッテさんは今まであまり使っていなかった。
とは言え、テキストであってもお互いにやりとりができるのは便利。特にこうやって外に出ている時には尚更だ。こういう時、つまりネットで知り合った人と直接会う時は、周りにいる人がみんな知り合いに見えてくる。そういうときは、ネットで確認してから話しかける方が良かったりするものだ。
「メロッテさんも僕と同じぐらいの時間に来そう、だね……」
検閲に引っかからないように注意しながら、メロッテさんとこまめに連絡を取り合う。ちょうど僕と同じくらいのタイミングに家を出たらしい。日暮里駅までの距離は僕とほとんど変わらない。ほぼ同時に到着するはずだ。
いよいよ日暮里駅の全体像が見えてくる。横断歩道を渡ると、待ち合わせ場所にした太田道灌の像が視界に入ってきた。辺りに人影は見当たらない。まだ来ていないみたいだ。青信号になったのを見てから道路を横断して、メロッテさんにメッセージを送る。
『今待ち合わせ場所まで来ました』
僕がメッセージを送った直後に、スマホが小さく振動した。
通知欄に目をやると、junc.ti.onのアイコンと共に、こんなメッセージが表示されていた。
『今待ち合わせ場所まで来ました』
送り主は、他でもないメロッテさん、その人だった。
僕とメロッテさんは同じ場所、つまり日暮里駅前の太田道灌像の前にいる! 瞬時にそう察した僕は、メロッテさんらしき人の姿を探して懸命に目を凝らした。
『像の近くだよね?』
『そうです』
乗馬して勇ましく立つ太田道灌に見下ろされながら、僕が像の周囲を一周する。けれどメロッテさんらしき人はおろか、人っ子一人見当たらない。近くにいる人間は正真正銘僕だけだ。
狐につままれたような思いをしながら、もう一度像の周りを見て回る。いくら探しても、目を凝らしても、彼女の姿はどこにもなかった。
彼女に会いたい、逸る気持ちをどうにか抑えつつ、彼女に今自分がいる場所を伝えるにはどうしたらよいかを考える。幸い、僕は効果的な案をすぐに思いつくことができた。
『今見えてる風景を写真に撮るから、それを参考にしてみて』
メッセージを送るとすぐにカメラモードに切り替えて、見えている風景を撮影した。日暮里駅前の写真。これならメロッテさんにも僕の位置が正確に伝わるはず。プライバシーに引っかかりそうな情報がないことを確かめてから、junc.ti.onにアップロードした。
これを見て――と僕が言おうとした直後、またスマホが短く振動した。
「『今見えてる風景を写真に撮って送ります』……って!?」
そのメッセージの直後に、ファイルがアップロードされてきた。ファイルタイプは写真、解像度は僕が使っているスマホと同じもの。ファイルを受信して、震える手で中身を確認する。
「日暮里駅前……日暮里駅のすぐ近くだ……」
送られてきた写真は、僕のいる日暮里駅のすぐ近くを撮影したものだ。
問題は――それが、今さっき僕が撮影したものと異常なほど似ていることだった。まったく同じ位置から、完全に一緒の角度で、コンマ数秒まで一致した時間に撮影された写真。そうとしか思えなかった。
けれど、写真は完全には同一じゃなかった。違っていた。
違っていたけれど、それは明らかに違っていてはいけない部分だった。
「これ、どういうこと……?」
「なんでここに、スターバックスがあるんだ……!?」
僕の写真ではエクセルシオールカフェが移っている部分。メロッテさんの写真の該当する場所には、なぜかスターバックスコーヒーが写し出されている。場所は明らかに日暮里駅なのに、写っているものが違う。
それだけじゃない。同じ写真のはずなのに、二つの写真には差異がいくつもあった。
「パチンコ屋じゃなくて……これ、ゲームセンターだよね……」
「ここの車、プリウスじゃない、別の車種だ……!」
「談話室の看板が見当たらない……? 今も営業してて、表に看板が出てるはずなのに、どうして……」
「ビッグエコーじゃないよ、これ……代わりにカラオケ館が入ってるんだ」
同じ日暮里駅を撮影したはずなのに、写っているものがまるで違っている。パチンコ屋の代わりにゲームセンターが、ビッグエコーの代わりにカラオケ館が見える。違いはそれだけに止まらない。雰囲気はどこまでも似ているけれど、明らかな違いがいくつもいくつも見つかる。
どういうことなんだ。写真の正面に見えるスターバックスの意味が分からなくて、Safariの検索ボックスに「スターバックス 日暮里」と打ち込んで答えを訊ねた。もしかしたら、何か分かるかもしれない。根拠のない思い込みだったけど、そう思わずにはいられなかった。
けれどどうしたことだろう、普段なら冴えた答えを返すGoogleが、東京・有楽町付近にピン留めをした的外れな地図をトップに表示させている。僕が知りたいのは日暮里のスタバだ、有楽町じゃない。
公式サイトへ飛んで店舗一覧を調べる。都道府県別で東京都を選んで、日暮里駅のある荒川区を探す。
「……ない。ないぞ、見つからない……」
ドラム式のリストには、「荒川区」の選択肢は存在していなかった。
これはつまり、日暮里駅付近はおろか、荒川区全域に店舗が存在しないということになる。あの写真に写っていたスターバックスコーヒーは、実在しないってことだ。
「と、とりあえずメロッテさんに……!」
まるで整理できずに混乱する頭のまま、とにかくメロッテさんに連絡を取ろうとする。僕がメッセージを打ち始めた直後、メロッテさんからまた画像ファイルが転送されてきた。
メッセージを途中保存して画像を受信する。送られてきたのはGoogleマップの画像だ、下には「エクセルシオールカフェ 日暮里店」と書かれている。メロッテさんが検索して、結果を僕に送ってきたってことだ。
問題は、その画像が意味していたところで。
『エクセルシオールカフェ日暮里店は日暮里駅から歩いて10分って書いてます』
背筋が凍るように冷たくなった。僕の目の前にあるエクセルシオールカフェ日暮里店が、歩いて10分も掛かるところにあると言っている。言っていることの意味は分かる、けれど、まったく意味が分からなかった。
僕は僕で、日暮里駅近くにスターバックスコーヒーが無いことを知らせるために、Googleの検索結果を撮影して送る。
『こっちも同じようなことになってる 僕の近くにスターバックスは見当たらないんだ』
言い知れぬ恐怖とはこのことだろうか。僕とメロッテさんは同じ場所にいるはずなのに、まったく違うものを見ている。矛盾してはいけない情報が大量に矛盾している。見てはいけないものを見てしまった気分だ。
ここにいても埒があかない。一度彼女の声を聞きたい、彼女が確かに存在していることを確かめたい。
『一度帰ってボイスチャットで話そう』
『そうしたいです すぐに帰ります』
彼女の気持ちも、僕と同じみたいだった。
家へ帰ってきてからは荷物の整理もそこそこに、すぐにパソコンを起動して席に着く。普段はほとんど意識しないデスクトップが表示されるまでの時間が、今日に限っては永遠に続くんじゃないかと錯覚するほどに長く感じた。
スタートアップに入れているFirefoxが自動的に立ち上がり、前回終了時のタブの構成を復元する。少しでも早くjunc.ti.onにログインするために、バックで開いていたWikipediaやYouTubeのページをホイールボタンで次々に消していく。
目的のタブ以外をすべて閉じるころには、junc.ti.onのホーム画面がロードされていた。
一秒でも早く彼女の声が聞きたい。その一心で震える手を懸命に抑えつけながら、メロッテさんのホームからトークのセッションを開始する。ヘッドセットを付けて準備を済ませると、すぐさま彼女に声をかけた。
「メロッテさん」
「プレアデスさん! 大丈夫? 何か起きたりしてない?」
僕が呼びかけると同時に、メロッテさんが心配そうな声で僕に訊ねてきた。さっき僕らの身に起きたことを思えば、大丈夫かと訊ねたくなるのは当然のことだった。
「僕は大丈夫、なんともないよ。メロッテさんは?」
「こっちも、特におかしなところはないよ。いつも通り。ついさっきあんなことがあって、いつも通りって言うのもおかしな話だけど……」
とりあえず、僕も彼女も何か異常が起きているわけではなさそうだ。メロッテさんの声を聞くことができて、まず切羽詰まった気持ちは解消した。
けれど、ほっとしたのも束の間のこと。僕らが揃って尋常ではないものを見たっていうのは依然として事実だ。彼女と一緒に知っている情報を出し合って、何が起きたのかを整理する必要がある。
「とりあえず、状況を整理しよう。落ち着いて、今起きていることを把握するんだ」
「そうだね……起きてることが分かれば、どうすればいいかも思い浮かぶかもしれないし」
方向性が定まったところで、まず僕が口火を切る。
「帰る途中に調べたけど、やっぱり日暮里なんて駅は一つしかなかった」
「同じ名前の違う駅にいた、そういうことじゃないんだね。だからプレアデスさんも私も、同じ場所にいたはず」
「そう。けれど、お互いが送った写真には、違うものが写っていた……お互いにとって、ありえないものが」
「やっぱり、何か普通じゃないことが起きてるのは間違いないよ。どうしてこんなことに……」
話す内容が検閲されないかに気を遣わなきゃいけないjunc.ti.onだとどうしても話がしづらい。そう感じた僕は、彼女に「電話で話せないかな」と訊ねた。彼女はすぐさま「大丈夫」と言ってくれて、例の方法で番号を送る、と続けてきた。画像に電話番号を書くやり方だ。
間もなく彼女からファイルが送られてくる。受信は一瞬で終わった。 保存されたファイルを開いて、描かれていた番号を確かめる。
「よし、来た。僕が電話をかけるよ、それで着信履歴から登録してくれれば――」
そこから先、僕は続きを言うことができなくなってしまった。
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