幼なじみの愛が深すぎて僕は死ねない

 二度目の失敗からまたしばらくのあいだ、仁美は実験室にこもってしまった。それからちょうど一か月経った日曜日、僕は仁美に呼び出される。

 僕は仁美の家の前にいた。インターホンを鳴らしても反応がない。仕方ないので、思い切って玄関のドアノブに手をやると、鍵がかかっていないのが分かった。僕はドアを開けて、「お邪魔しまーす」と小さな声で言ってから中に入った。

 家に上がりすぐの階段を下って実験室を目指す。

 実験室の扉は重いガラス戸になっている。開けて中に入る。明るく照らされた実験室。見渡してみるが誰もいないようだった。壁際のコンピュータのファンが大きな音を立てている。

 突然背後でうなるような音がした。振り返ってみると、音はあの電話ボックスの方からだった。扉が開く。中から現れたのは仁美だった。

 仁美は僕のことには気づかずに、すたすたともう一つの電話ボックスの方へと向かう。その手には斧が握られている。

 仁美が扉を開けると、中から蒸気があふれ出した。蒸気が晴れて姿を現わしたのはもう一人の仁美。二人は顔を合わせ、何か言葉を交している。何を話しているのかは聞き取れない。

 一人目の仁美は、電話ボックスの中の瞳ににっこりとほほ笑みかけると、手に持っていた斧を手渡して背を向けてひざまずいた。そのままうなだれて、胸の前で両手を組み合わせてじっと目をつむっている。何かを祈っているかのように。

 斧を受け取ったもう一人の仁美は、斧を振りかざし、それを仁美の脳天にむけてまっすぐに落下させた。

 頭蓋の割れる音と同時に血と脳症が噴出する。ヒュウと息の漏れる音がして仁美は力なく前に倒れた。僕は思わず目をつむった。

 それから何回か、斧の振り落とされる音が繰り返される。その度に肉と骨が断たれる音と、血だまりのびちゃびちゃという音が実験室に響いた。

 目をつむっている間、僕は夢を見ているかのような気分だった。形にならないイメージや言葉にならない思考が現われては消えていった。目の前で繰り広げられているはずの光景だけが脳内で消えることなく反響していた。

 「浩一くん、どうしたの?」

 仁美の声で僕はハッとする。悪夢から醒めたときのように激しい動悸に襲われていた。

 目の前に立つ仁美は全身を赤く染めている。その肩の向こうには肉と骨と髪の毛の赤い山ができている。それを見て僕は軽いめまいを覚えた。

 「ここで何やってるの? 何か用?」

 仁美は僕がどうして実験室にいるのかよくわかっていない、という顔をしていた。

 「だって、仁美が僕を呼び出したんじゃないか」

 僕はやっとのことで口を開く。仁美はまだ合点がいかない、という様子だった。

 「仁美からメールがあったんだけど……」

 それを聞くと、「ちょっと待ってね」と言って転がる肉の山の方へと歩いていく。山の中をかき分けて、洋服のポケットを見つけるとその中から携帯電話を取り出した。

 仁美はぼたぼたと血の垂れる携帯電話を開いて何かを確認している。「防水にしといてよかった~」などと言いながら。

 しかし続けて仁美の悲鳴が続く。「失敗しちゃった……」と言って仁美は肩を落としてため息をついた。

 仁美がこちらに戻ってくる。

 「浩一くん、ごめんね…… 確かにあたし、浩一くんのこと呼び出したみたい。あたしが何をするつもりだったのか、もう思い出せないんだけど……」

 そう言って仁美はもう一度ため息をついた。

 「今実験してるのはね、あたし自身のコピー制作なの。浩一くんといつまでも一緒にいるためには、あたしも生き続けなきゃならないから。あ、コピーって言っても、クローンとは違うんだよ。クローンはね、DNAを採取して、受精卵から育てるの。だからあたしがやってるのは記録された状態と全く同じ年齢の肉体を作り出すことなのね」

 説明する仁美の表情は悲しげだった。僕は何も言葉をかけてやることができない。経験上、この状態の仁美を満足させられるのは、仁美の実験の成功だけだったから。僕はそのための一つの要素でしかない。

 「コピーを作るのはいいんだけど、何度もコピーを繰り返すうちに、あたしたち、年をとっちゃうじゃない? だからね、ある時点のあたしたちの状態を記録しておくの。それで、その記録をもとにコピーを生み出せば、いつまでも年をとらない肉体を生み出せる。でもね、それでも問題があるんだ。記憶の問題ね。ある時点のあたしたちの状態をもとにコピーを作り出せば、その記録された時点から、コピーを作るまでの間の記憶は消えちゃうことになっちゃう」

 喋っている間に仁美の声に熱がこもっていく。

 「だからね、コピーを作る前に、記憶の記録を取るんだ。それでね、ある時点の肉体の記録と、コピーを作る直前の最新の記憶とをミックスすることができれば、永遠の命の歓声ってわけ! でも……」

 そこでまたため息。

 「だめだったね。浩一くんのこと呼び出したこと、覚えてないもん。また失敗……」

 「ねえ……」僕は口を開く。前から気になっていることがあった。

 「僕はあの日、電話ボックスの中にいたもう一人の人間が、本当に僕じゃなかったのかどうか気になってて…… 実はあれが本当の僕でだったんじゃないのかって、すごく怖いんだ。仁美は、怖くないの……?」

 「ぜんぜん」

 仁美は無表情で僕をじっとまなざしている。仁美は僕の言いたいことがまるで分かっていないという様子だった。

 「コピーが生まれたら、コピーを生かして、自分は殺されるんでしょ…… このあいだはコピー作るのに失敗しちゃったけど、もし成功してたら…… そのときは、僕が殺されてたんだよね……?」

 仁美は無表情のまま首をかしげる。

 「ごめん、浩一くんが何を言ってるのかぜんぜん分かんない」

 「仁美は、自分が殺されるの、怖くないの……?」

 「ぜんぜん。だって、あたしが生きるんだもん。浩一くん、何考えてるの……?」

 「コピーを生き残して、自分は死んじゃうんだよ? 死ぬってことには変わらないんじゃないの?」

 仁美の顔が険しくなっていく。僕は動悸に襲われはじめていた。

 「浩一くん、大げさに考えすぎだよ…… 細胞分裂のこと考えてみてよ。細胞は分裂して増るけど、それは己自身の寿命であると同時に、自分を生かし続けることでもある。そと同じことだよ……? 合理的だと思わない……?」

 「でも……」

 仁美はもう泣き出しそうだった。

 「浩一くん、あたしの実験、おもしろくない……?」

 「おもしろくないだなんて、とんでもない……!」

 僕は大急ぎでフォローする。不安が僕に警鐘を鳴らしていた。

 「それじゃどうしてあたしの実験に不満そうなの……?」

 「いや、今回ばかりは、僕、本当に死んじゃうんじゃないかって、そう、思って……」

 「ひどい! あたし、浩一くんに生き続けてもらうために実験してるのに……! 浩一くんが言ってくれたんじゃない、ずっと一緒にいようって……」

 とうとうこらえきれずに涙をぽろぽろとこぼし始める。

 「戻ってよ、昔の浩一くんに戻ってよ……! あたしの実験を楽しんでくれる浩一くんに…… あたしのこと好きって言ってくれる浩一くんに……! 最後は一緒に死のうねって、言ってくれたじゃない……」

 僕は言葉を失った。一緒に死のう、だって!?

 そんな僕の様子を仁美が察知する。

 「覚えてないの……? あたしたちが3歳の頃だよ……? 本当に覚えてないの……?」

 じりじりと仁美が僕に詰め寄る。視線がまっすぐ僕を射抜いている。

 「お花で冠を作って、あたしにくれたじゃない…… そのときだよ、言ってくれたの…… あたし嬉しかったのに……」

 仁美は真っ赤に濡れた袖で涙を拭く。目も顔も、真っ赤だった。

 そのとき仁美はハッと何かに気づく。

 「ああ、きっとあたしのせいだ…… あたしが浩一くんにあんな実験したから……」

 「仁美……?」

 「ごめんね…… あんな実験やるんじゃなかったね……」

 「いや、仁美が悪いんじゃないよ……」

 「ううん、あたしが悪いの……」

 仁美が首を横に振ってうつむいた。

 「あたしのせいで浩一くんにノイズが走っちゃった……」

 「えっ?」

 「きっと記憶コピーに問題があったんだ……」

 「ちょっと、仁美……? 何言って――」

 「でも大丈夫!」

 仁美が顔を上げて僕の言葉を遮る。

 「あたしが元に戻してみせる! 元の浩一くんに戻してあげるね。だから安心してね」

 仁美は真っ赤な顔で、泣きはらした目で、にっこりと僕に笑いかける。僕はその顔を見る度に心臓を掴まれたような気持になるんだ。

 それから仁美は僕のそばから離れると、デスクに戻って引き出しの中を漁ると、すぐに戻ってきた。仁美は僕の目の前に注射器を差し出す。

 「ごめんね、ちょっとだけチクッとするけど、いい子だからじっとしててね」

 僕が抵抗する間もなく、首元にサッと注射が打たれた。するとすぐに僕は体の力を失って床にドサッと倒れる。意識ははっきりとしているが、全身にまったく力が入らない。幸い、痛みはなかった。

 仁美が僕の体を仰向けに寝かせる。仁美に触られる感覚も生きている。自分の意志で首から下の体が動かせなくなっていた。

 「怖くないからね、安心しててね」

 そう言うと仁美は僕の上に馬乗りになる。直後、一枚ずつ服を脱いでいった。不健康なほど白い肌が蛍光灯の光をつやつやと反射している。

 「何やってるの……?」と言うが仁美の反応はない。

 仁美はするすると服を脱いでいき、下着姿になったかと思うと、下着にも手をかけた。肋骨の浮き出た胸の上につんととがった二つの山が僕の前に姿を現わす。それを見る僕の心臓は強く鼓動を繰り返していた。僕は緊張と恐怖とともに興奮を覚えているのに気付かないわけにはいかなかった。

 仁美が僕の胸に耳を当てる。「うわあ、すごいどきどきしてるね。うふふ……」

 仁美は起き上がると僕の目の前に顔を寄せる。荒っぽい吐息が僕の顔にかかったかと思うと、僕の口は仁美の口でふさがれた。全身に感覚が波打つ。

 仁美の口が離れると、起き上がって僕の下半身に手を伸ばした。ズボンの上から手でさすると、「嬉しい……」と声をもらす。

 手際よくズボンのチャックをおろして仁美は目当てのものを取り出す。全身に力は入らないのに、それがいきり立っていることは僕もよくわかっていた。仁美の手がそれを擦るたびに快感の電気が全身を走る。

 仁美はそれを手で掴んだまま、腰を浮かせる。

 「え、ちょっと……!」

 僕の声は届いていないようだった。笑みを浮かべて僕を見つめる仁美はそのまま腰を下ろした。ぬるりとそれは仁美の中に押し込まれる。同時に仁美の甘い声が実験室に響いた。

 僕たちの体が一つに繋がれている。仁美の真っ赤に染まっている笑顔からは喜びがあふれている。

 仁美が体を動かすたびに僕の体が快感で満たされる。僕は抵抗する気持ちを失って、全身を仁美に任せていた。僕はそのとき、仁美を喜ばせる部分と、快感の電気が走る脳髄だけになってしまっていた。僕という存在は仁美を喜ばせるものであり、その喜びそのものだった。

 意識が快感と喜びに包まれて溶けてしまいそうだと思ったとき、僕は果てた。仁美の中でドクンドクンと脈打つのが分かる。

 僕が果てたことに気づいた仁美は、腰を動かすのをやめると、僕の上に乗ったままお腹を撫でて「えへへ」と笑顔を僕に向ける。仁美は僕の体の上に倒れかかってきた。その体は温かく、湿っていた。荒い呼吸で体が上下している。

 「ねえ、浩一くん、あたしのこと好き……?」

 「好きだよ」

 「ありがとう」

 仁美の涙が伝って僕の顔の上に落ちた。それから仁美は僕の体から立ち上がる。繋がっていた部分が離れるとき、仁美の太ももに白と赤の混じった液体がひとすじ流れ出した。

 「浩一くん、ありがとね」

 仰向けに寝転がったままの僕の顔を、裸のままの仁美が覗き込む。

 「浩一くんのこと、絶対に元に戻してあげるからね。待っててね」

 そして仁美は僕の顔の上に斧を振りかざした。






 ~ * ~ * ~ * ~






 高い天井。蛍光灯が明るく照らし出した、白い壁の広い部屋。機械の部品、何本ものコード、設計図などが散らばっている。壁際のコンピューターが起動しており、ファンの回っている音が部屋を満たしていた。

 ロッキングチェアに一人の少女が座っている。少女のお腹は妊婦のように膨らんでいた。少女はゆらゆらと椅子に揺られながら、お腹を優しく撫でていた。

「浩一くん、元気に生まれてきてね。いつまでも、一緒にいましょうね……」

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幼なじみの実験が危険すぎて僕は死ねない 響きハレ @hibikihare

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