腐虎の行動エッセイもどき。
まっつん。
第1話 腐虎、床に臥す。
タイトル通りである。
エッセイをいうものがどんなものなのかわからない。
だが、書かなければという気持ちが腐虎を動かした。
なので書いてみようと思う。
腐虎は去年の12月末に椎間板ヘルニアで倒れた。
起きることも立つこともできない。
トイレすら親に手伝ってもらう始末。
腐虎にとってそれは大人になって初めての体験だった。
毎日、病院へ電気治療を受けに行き、家に戻っては安静の日々。
疲弊する日々。
「ヘルニアは治りません」
医師から言われた台詞だ。
昔の知識として蓄えている人は、
『ヘルニア?治るだろ?』
と思ったり、言うだろう。
実際に復帰した際、何度も言われた台詞だ。
だが今(現実)は違うのだ。
手術をしても5年と経たないうちにヘルニアになる人もいるそうだ。
ブロック注射もそれで収まる人も居れば再発する人もいる。
今の治療は余程耐えられない痛みではない限り手術はしない。
腐虎は重度ではないと判断されたらしい。
治療には保存療法を用いた。
体に負荷をかけることなく、軽い治療法だ。
だが、長く辛い日が続いた。
「まずは腰を引っ張って骨と骨の間を伸ばしてあげよう」
「でも、元には戻らないから意識から変えないとね!」
「治らないからこそ、ちゃんと骨の周りの筋肉を鍛えようね」
作業療法士の先生たちが声をかけてくれた。
時には優しく、時には厳しく。
倒れて担がれるまま訪れた腐虎に吃驚していた先生と看護師たちは最初、驚きを見せていたものの、日が経つにつれ、対応が機敏だ。
時折、別の患者さんからも声援をもらうようになっていた。
「若いのに大変なことになったわねぇ…」
「無理しちゃだめだからね!」
何故だろう。
心の中に溜まった淀みがジワリと液体になったことを感じた。
ギリギリまで我慢していた腐虎のせいである。
抜けられない仕事だからと、無理を強いて仕事した結果。
倒れた。
人間はいずれ倒れる。
それは生まれた瞬間から決まっていることだ。
そう思って生きる人はそうはいないだろう。
いるとしてもそれは年老いてとか病気だからとか何かを意識、認識することで人間が考える最後の話だろう。
腐虎は思っていた。
いつかは倒れること。
幼い日から認識していたはずなのに、いざとなったら
『こんなにも呆気ないものなのか』
そんな風に考えるようになっていた。
他の患者さんに触れる度、呆気ないものが呆気ないものではなくなった。
腐虎一人では多分、そうは思わなかったであろう。
腐虎はまだ間に合うかもしれないと…。
不意に思った。
目標があったから。
時は過ぎ、大晦日、正月。
腐虎は原因不明の頭をハンマーで叩かれたような頭痛と永遠に続きそうな吐き気に襲われていた。
幼い頃から吐き慣れてはいたものの床に伏し、風呂にも入れず、吐くことは苦痛を伴った。
体勢は仰向けか横を向くのみ。
うつ伏せは禁止された。
負担が掛かるらしい。
母親とは仲良くはないものの一晩付き添われ、翌日には休日当番医院で点滴を受け吐き気だけは収まった。
数ヶ月後わかったことだが、虫歯と自身がもつアレルギー体質が引き寄せたというなんとも残念な結果だった。
コンビニで購入した食べ物にまさかアレルギーを引き起こす食べ物が入っていたなんて誰が思うか。
今では安全を考慮して、原料チェックをしている。
大人になってからのアレルギーは怖いことだらけだから注意して欲しい。
勿論、子供さんもだ。
―――2週間目。
腐虎は絶望していた。
昔、大工をしていた祖父がお遍路用に作りおきをしていた杖を使い、立ち・トイレ・風呂までは回復した。
上半身が動けるようになり、目標に向かって勉強をしようとしていたその時だ、
会社に報告してから年初めの電話で目標がなくなった。
理由は簡単。
「あ、受験。全部断ったから」
上司の一言は無情にも腐虎の心を一刀両断してくれた。
別の部署の担当者が意見も聞かず、全部なかったことにしたそうだ。
腐虎の目標とは国家資格を受けること。
そのためには講義を受け、実技試験と筆記試験に合格しなければならなかった。
1回目は病気で出られなくなり、2回目の講義に間に合わせていた。
そんな最中、目標は脆くも崩れた。
1年に1度なのに…。
腐虎は自分の目標を失った。
この時の腐虎は治らないけど、生活を取り戻すため頑張って来た意味を模索するようになっていた。
元々持ち合わせていたパニック症候群も重なり、首を締め付けることが頻繁になっていました。
「今は休もう」
「安静にしなきゃダメよ!」
と、患者さん達。
「酷い会社だな。なんなら父さんが抗議に行くぞ?」
と父親。
「大丈夫!?ご自愛してくださいね!」
「私もヘルニアになって…苦労したので、無理はしないでね」
「私も今、ヘルニアで療養してるのよ~お互いに大変だろうけど、頑張ろう」
と携帯ゲームの中の仲間や経験者さん。
腐虎は知らない間に皆さんに心配されていたことに気がつきました。
今までは自分のことで精一杯だったから。
腐虎は思いました。
心配してくださる方がいる。
同じようになった人も苦労をした人もいる。
会社だけに生きるのではない。
己のために生きよう。
両親が無理をしても仕事する人達だったというのが理由にあります。
仕事をしなければ。
仕事を疎かにしてはいけない。
中途採用で焦りもでたかもしれません。
強制的に教育されていた腐虎の心は一気に軽くなりました。
大事なのは、支えてくださる人達が今、此処にいるということ。
同じく経験をした、もしくはしているであろう人達。
その人たちがこの時の腐虎を支えてくださったのです。
あの時も有難うと言ったようなそうでないような腐虎ですが、
この場をお借りして言いたい。
「ありがとうございます!」
―――3、4週間(1ヶ月)
腐虎は遂に杖を捨て(投げ捨てたわけじゃない)、立てるようになりました!
ぎこちない、まだまだお風呂に入るのに時間がかかりましたが、歩けるようにもなりました。
それは、医師を驚かせるものでした。
それ程酷かったそうです。
何しろ、骨が出ていると言われて見たレントゲン写真(MRIのほう)は出てるを通り越して左に傾き、神経を引っ張るように圧迫していたからです。
先生や看護師さん、患者さんのコメントも
「あんなに長い杖持って、ダンダン歩いていたのに!」
「最初来た時なんて歩けないくらいだし、びっくりしたのにもう!?」
「若いってちがうのかしら?」
「僕なんて、何回も手術してるからもう何度も通ってるけど早いよね…大丈夫?」
腐虎は色んな方に言われて
「だけど、治ったわけではないから油断せずに行こう!」
最後には引き締めるように治療を行うことを約束しました。
皆さんのお陰で会社に復帰できるようになりました。
会社は二の次にしていた腐虎ですが、矢張り心配していた通りでした。
最後の一週間前に臨時で来ていた方が仕事をしてくださっていました。
ですが、一杯問題を残したまま、仕事を行った成果は皆さんの想像以上に後始末が大変だったことだけ記載します。
(一時的なので仕方ない)
同僚は心底、心配してくれました。
二人で頑張ってきた時期故に復帰できたと実感が湧きました。
居ない時に何があったのやら、どれだけ放置をしてくれたやらと報告してくださり、大変申し訳ない気持ちになりました。
「無茶はしないでね!?」
同僚が言ってくれました。
ありがたいことです。
腐虎は気をつけねばと思いました。
「ヘルニアだろ?そんなにかかるのか?」
「もう大丈夫か?やれるか?」
などと不服な顔で言う上司のあの顔だけは今でも腹が立ちます。
最初に
『治るだろう』
と言ったのもこの上司です。
更に上の上司がヘルニアになり酷いことになったことがなければ腐虎は会社にいられなかったと思います。
この時、いっそ殴っても良いのではと不埒なことを考えていた腐虎は元気だと思いました。
―――現在。
腐虎は今年、東京遠征に2回も行けました。
実は小説を書いて同人イベントに参加しています。
弱小ながらも元気に生きています。
病院へは今も、週に2回電気治療に行っています。
看護師さん達にも顔を覚えられています。
寧ろあったら、あの時のことを話されます。
【長い杖をダンダン言わせながら、歩いていた重症だった子】
という認識らしいです。
あながち間違いではないけど、あの時、短い普通の杖だったら前屈みになり治りが遅いと判断したからそういう結果になったわけで。
ですが、そのことが印象深いのか。
未だに言われます。
そして、筋力UPの体操も欠かせないものになりました。
支えになってくださった方とは疎遠やら治療で出会うこともなくなり、いささか寂しさがありますが、あの時の経験を腐虎は忘れないでしょう。
今は、来年に向けて勉強はそこそこですが、受験に向けて体調を調整しています。
無断で断られたあの国家資格を受けることにしました。
忙しい日が続いていますが、なんとか体を大切に生きるために腐虎なりに頑張っています。
もしかしたら、今、読んでいる方で椎間板ヘルニアになっている方がいるかもしれません。
でも、頑張ってもいいですが、無理をしたら何もかもなくなります。
仕事は程々に、己が倒れたらどうなるのか。
一度は考えてみても良いのではないのでしょうか?
腐虎の母親は考えない人なので、毎回同じ目にあい、この間も先生に怒られたばかりです。
その人をみて腐虎はこう思うのです。
「あの人のようにだけにはならないでおこう」
と。
最後に変な話をいれましたが、実際に入退院を繰り返される身内も辛いのだということを皆さんにも知って欲しいと思いました。
そして、する側も然り。
健康なのは良いのですが、人間誰しも最後はあります。
それに向けて、前進することで何を得たいのか。
考えてみてください。
占いで天中殺という言葉がありますが、大体の方が生まれた後、衰えてきた頃に当たる人が多いそうです。
それは天中殺でない盛りの時期に天中殺を迎える準備期間なのだそうです。
準備期間に頼れる人、信頼できる人を作り、人生を全うする時期に支えてもらう。
人を生かすも殺すもその人次第ということです。
占いは統計学の一種だそうです。
実はヘルニアになる前に占いをしてもらいまして、見事にハズレました!
腐虎は昔、占いの本をみていたので軽くで済んだので良いのですが、
手相というのはその人の人柄を表すなぁと思いました。
拙い文章でしたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。
まだ、長時間椅子に座ることができない腐虎ですが、
今回、エッセイというものを書く楽しみが増えました。
「本当にありがとうございました!」
腐虎の行動エッセイもどき。 まっつん。 @hayato1112
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