ひとりぼっちの防衛者

starsongbird

ひとりぼっちの防衛者

 その瞬間、爆発の余波を受けた身体が宙を舞った。

「ぐっ――――――!」

 激しく道路に叩きつけられた衝撃で暗視ゴーグルが飛び、わたしの視界が闇に染まる。

 いけない。早く動かないと。

 身を起こそうとする腕に力が入らない。頭を打ったショックのせいか、思考が霞んでいく。

『ことり、何やってんだ!?』耳に差し込んだイヤホンから流れ込んでくる声もやがて小さくなっていく。

 ぼんやりと、そして薄れていく意識の中。

 わたしの頭に、なぜかあの日のことが浮かび上がる。


 それは、ずっと好きだった人に告白された日。

 それは、大の仲良しだった従姉を失った日。

 そして、わたしが「ひとりぼっちの防衛者」になった日―――。




【ひとりぼっちの、防衛者】




「ん? ことり来てたの?」

 聞き慣れた美咲姉の声に、わたしはごろりと寝返りをうつ。その拍子に、床に散らばる書きかけの絵や原稿用紙がわたしの下敷きになる。

「ことりー、他人様の家だっていうのにくつろぎすぎ」

「だって、学校もないし暇だもん」そのまま床をごろごろとするわたしに、美咲姉はイヤホンを外しながら深々とため息をついてみせる。

「四月からは女子大生になる乙女が、休みの日に従姉の家でごろ寝とはねえ」

「大きなお世話ですー」と、わたしは頬を膨らませてもう一度寝返りをうつ。

 大学受験も終わった三月の上旬。わたしたち三年生は学校に行かなくてもいいことになってる。というわけで、わたしは今日も従姉の家に上がり込んでいるというわけだった。

「やれやれ、友達や彼と遊びに行ったりすればいいのに」

 わたしの書いた絵や小説の切れ端を拾い上げながら呟く美咲姉。「あ、この男の子の絵、いい雰囲気」

「友達も彼もいないですー」と言いながら、わたしは床に大の字になってみせる。「そういう美咲姉だって、今日も街をぶらぶらしてたんでしょ?」

「あたしのは大事な仕事なの」と絵を見ながら返事する美咲姉に、わたしは「そんな仕事聞いたことないよー」と言ってみせる。

 わたしの従姉――わたしはいつも『美咲姉』と呼んでるけれど――は、もうじき三十路に手が届きそうな無職のひとだ。いつも街をぶらぶらしたり、家の中で本を読んだりしてて、仕事をしてる様子が全然ない。数年前まではスーツ姿の彼女を見た記憶があるのだけれど。

「あたしのことはいいの。ことりは年頃の女の子なんだから、浮いた話のひとつふたつあってもいいのにねえ」やれやれと首を振ろうとした美咲姉が、急にぽん、と手を打った。

「そう言えば、ゆうくんとはどうなの?」

 幼なじみの名前が出た瞬間、わたしの顔は真っ赤になる。

「なになにー? まんざらでもないみたいね?」

「あ、いや、その」しどろもどろになるわたし。にやにやする美咲姉。

「ことり、頑張らないとダメだぞー。ゆうくん、高校卒業したら自衛隊入るんでしょ? 今のうちにひっついとかないと。姉さんも応援するよ?」

 頭の上に降り注ぐ従姉の言葉に、わたしはクッションに顔を埋め、聞こえないふりをしたのだった。



 わたし、咲守ことりは、しがない物書き見習いだ。

 小さい頃から絵を描いたり、色んなことを頭の中で思い描いては文章にするのが好きだった。小学校の頃はクラスメイトのみんなで絵の見せ合いっこや、お話を書いたノートを交換したりしていて、友人から「ことりちゃんって、絵もお話も上手だね」なんて言われたりしたものだった。

 そんな友人たちは、中学になるにつれ少しずつ興味を別のことに移し始めた。わたしは相変わらずだったけれど、自分の書いたものをやがて人に見せなくなり、高校に上がる頃には、クラスメイトにはそんなわたしの趣味を明かさないようになっていた。

 そんなわたしの数少ない現在の読者が、美咲姉と、そして幼なじみの裕太くんだった。

「ことりちゃん、次の絵はやくー」と言っていた背の低かった幼なじみは、いつしかわたしよりずっと身長も伸びたけど。今でも「ことりー、最近描いた絵見せてくれよー」と、部活が休みの時、二人で歩く帰り道でわたしにせがんだりする。そんな下校途中のひとときは、わたしにとってかけがえのない時間だった。



「……もう一緒に帰れないのかあ」

 顔を埋めたクッションの隙間からこぼした呟きに、美咲姉は軽くわたしの肩を叩く。

「一緒に帰りたいのなら、ことりが頑張らないとね」

「頑張れるかな、わたし」そう言って、わたしは美咲姉を見上げた。

「大丈夫だって。ことり可愛いし。それに姉さんの見立てでは……ひっひっひ」

 なんかヤな笑い方をする美咲姉。

「それはともかく、よかったら久しぶりにゆうくんと一緒に家に来たらどう? 姉さんちゃんと気を利かしてあげるよ?」

「……信用できない」

 わたしの言葉に、美咲姉はさも心外だと言わんばかりに両手を広げてみせる。

「ことりとゆうくんのためなら、姉さん一肌もふた肌も脱いじゃうよ? あ、でも金曜の夜はダメだけどね」

 わたしはやれやれと首を振りながら、ふと美咲姉の言葉が気になって訊ねてみる。

「美咲姉、いつも金曜の夜は来ちゃダメって言うけど、何かあるの?」

 わたしの疑問に美咲姉は笑顔で答えた。

「ヒミツです」「なによそれー」

 抗議の声を上げるわたしに、「オトナにはオトナの事情があるのよ」と、年上の従姉は意味ありげな笑顔で切り返した。

「それよりも、もうすぐ卒業式なんでしょ。ことりも頑張らないと、いい大人のオンナになれないぞー」

 いい大人のオンナとやらには別に興味はないけれど。

 幼なじみの顔を浮かべながら、わたしは頭の中で卒業式までの日数を指折り数えていた。




 街路灯がぼんやりと照らす夜の道を、わたしは踊るように歩いていた。三月の冷たい夜気も気にならないほど頬が熱い。思わず口笛を吹いてしまいそうだ。

 ずいぶんと遅い時間になってしまったから、お母さんに怒られるかもしれないな、なんて思いつつ、今日のことを思い出すだけでわたしの頬はゆるんでしまう。

 大学の合否結果の報告に、久方ぶりに制服に袖を通して学校に行った時のことだった。

 進学校を目指す母校の先生方は、「受かりましたー」というわたしの報告に一堂立ち上がって拍手してくれた。ついでにお茶と饅頭まで出してくれた。

 あんまり先生たちと喋ることもなくて少し困っていると、視線の先で校長室の扉が開いた。

 そこから姿を現した人影に、わたしは思わず「あ」と声を出していた。

「あ、裕太くん」「ことりじゃないか、何してるんだ?」

 そこにいたのは、裕太くんと濃緑色の制服を着た男の人だった。どうやら、自衛隊入隊の挨拶に校長先生を訪ねてきたようだった。

「裕太くん、こちらは?」制服を着た男の人――自衛隊の幹部さん――の言葉に、「自分の幼なじみです」と背筋を伸ばして答える裕太くん。

「ほう、幼なじみか」と言いながら、幹部さんは満面の笑顔を浮かべる。「お嬢さん、これからも裕太くんと仲良くな」

 そう言うと、幹部さんは裕太くんの肩を叩いて笑った。「裕太くん、お嬢さんを大事にするんだぞ。何だかんだ言っても、自衛隊は男所帯だからなあ」それだけ言うと、幹部さんは「じゃあ裕太くん、また訓練所で」と手を振って玄関へと向かっていく。

 そして後には、裕太くんと、わたしと、お茶と饅頭だけが残った。



「え、入隊式って四月の終わりなんだ」

「そう。だから卒業してもしばらく暇みたいなんだ」

 もうすぐ夜の帳が降りてきそうな春の夕べ。わたしは裕太くんと二人、学校からの帰り道を歩く。

 自衛隊の幹部さんが帰った後、わたしと裕太くんと先生たちとで話しているうちに、随分と遅い時間になってしまった。と言っても、喋っていたのは主に裕太くんと先生たちで、わたしは裕太くんが話を振ってきた時に受け答えをしてただけだけれど。

 まだ肌寒い春の風がそよぐ中を、わたしは裕太君と並んで歩く。

「そっか。でも、四月になったら裕太くんはこの町を出ちゃうんだね」

 こうやって歩くことができるのも、ひょっとして最後なのかな。そんなことを思いながら、わたしは小さい声で呟く。

「まあでも出雲の駐屯地だから、そんなに遠くはないよ」と笑いながら裕太くんは、それに親父もよく有給とって家でごろごろしてたよと言葉を続ける。裕太くんのお父さんも自衛隊員で、小さい頃は駐屯地の一般公開によく連れていってもらったものだった。そんな裕太くんのお父さんは、数年前に行方不明になってしまったのだけれど。

「でもなあ、入隊したらことりの絵とか小説とか、読めなくなるんだよなあ」裕太くんはため息混じりに呟いた後、何かを思い出したかのようにわたしの方を向いた。

「そう言えば、ことり、前に読ませてもらったあれ、続き書いたのか? ほら、ゾンビになった恋人に会いに、女の子が塀に囲まれた街に行く話」

「ああ、それなら―――」

 美咲姉の家にあるよ、と言いかけた時。

『よかったら久しぶりにゆうくんと一緒に家に来たら?』

 美咲姉の言葉が急に頭に浮かび上がる。

『一緒に帰りたいのなら、ことりが頑張らないとね』

 頭が急に熱くなってくる。

『あの話なら美咲姉の家にあるよ。あ、今から読みに行く?』

 簡単な一言。五秒もかからず言える言葉だ。

 わたしは一瞬唾を飲み込んだ。

「ごめん、まだ全然書いてないんだ。それより、あれはゾンビじゃなくて夜行人です。前も説明しなかったっけ?」

「あ、ゾンビじゃなかったか。そうかー、恋人に会った続きが知りたかったんだけどなあ」

 残念と呟く裕太くんの隣で、わたしは心の中で大きな大きなため息をつく。


 ばかだ、わたし。


 今日で最後かもしれない、二人での帰り道。

 次にいつ会えるか分からない、わたしと裕太くん。

 なのに。

 そんなわたしの様子に気づいていないのか、裕太くんは腕を組んで唸っている。

「うーん、自衛隊に入隊したら、あの話の続きも、ことりの新しい絵も見れないんだなあ」少しがっかりしてる様子の裕太くん。

「おれ、ことりの絵と話、大好きなんだけどなあ」

 その言葉に、わたしは笑顔をしてみせる。

「じゃあ、メールで送るよ。見づらいかもしれないけど」

「悪いな、ことり。楽しみにしてるよ」

 そう言って片手でわたしを拝む裕太くんに、まかせなさいとばかりに自分の胸を叩いてみせるわたし。

 ……卒業して一緒に帰ることができなくなっても、裕太くんとの縁が切れちゃうわけじゃないんだよね。

 だったら、それでいいよね。

 地面に視線を落としながら、わたしは足を進めていく。

 その時だった。


「……あー、違う。俺は本当に馬鹿だ」

 え。

 視線を移した先には、顔を真っ赤にして、頭をぼりぼりとかいている裕太くんの姿があった。

「ことり、俺な、そういうことが言いたいわけじゃないんだ」

 わたしの前で、ひとり首を横に振る裕太くん。

 わたしは何と答えていいのか分からず、ただ彼の顔を見上げていた。

「俺、ことりの絵や話が大好きだけどさ、そういうことじゃないんだ。ああ、何て言うのかな」

 それだけ言って黙り込む裕太くん。

 そんな裕太くんを、ぽかんと口を開けて見ているわたし。

 いくばくかの時間が、わたしたちの間を流れていった後だった。

「ことり、俺さ、ことりの絵や話、大好きだよ」

 さっきと同じことを、裕太くんはさっきよりも真っ赤な顔で言った。

「うん」こくこくと首を縦に振るわたし。

「でもな、絵や話よりも、俺、俺さ」

 裕太くんの言葉が一瞬途切れ、

 そして。

「俺、ことりのことが大好きだ。小さい頃から、ずっと」

 裕太くんの真っ直ぐな目がわたしを見つめていた。

 こういう光景を本で漫画で、わたしは何度も見てきた。そんな時、きまって主人公の女の子はぽろぽろと涙を流してたものだった。

 そしてわたしも、胸の奥の方からこみあげてきたもので一杯になって、何も言葉に出すことができずに、ただただ泣いてしまった。

 そんなわたしを見ておろおろする裕太くん。

 裕太くんの前で泣きじゃくるわたし。

 夜の帳が降り始めた学校からの帰り道、わたしたちは二人、お互いにただただ立ち尽くすばかりだった。



 わたしたちはその後、顔を真っ赤にしたまま、マックに行ったり、映画館に立ち寄ったりした。

 マックでは、いつものようにポテトの取り合いっこをしたり。

 映画館では、いつものように自分でホラー映画が見たいと言いながら寝てしまう裕太くんをつねってみたり。

 いつもどおりで、何も変わらない時間だけれど。

 わたしたちは二人、手をつないで街を歩く。

 たったそれだけの違いが、わたしはたまらなく嬉しかった。

 四月になったら、裕太くんは少し遠いところにいってしまうけれど。

 この手の温かさを思い出せば、いつまでも幸せでいられる、そんなふうにわたしは思った。



「ことり、送っていかなくて大丈夫か?」

 裕太くんの家の前。その言葉に、わたしは大丈夫だよと軽く手を振ってみせる。

 映画を見て駅から歩いてきて、家の前でしばらくの間おしゃべりをして。

 それでも名残惜しかったけど、わたしは「おやすみ」と別れの挨拶をして裕太くんに手を振った。

「あ、ことり」

 手を振り返そうとして、動きを止める裕太くん。

「?」

「明日も、どっか出かけないか?」

 ――――――――――っ。

 わたしは大きく首を縦に振る。「うん、また明日ね」と大きく手を振って、一人家路へと足を向ける。

 角を曲がって見えなくなるまで、わたしは何度も何度も振り返り、街灯の下に佇む裕太くんにその度ごとに手を振り続けていた。



 街路灯がぼんやりと照らす夜の道を、わたしは踊るように歩いていた。三月の冷たい夜気も気にならないほど頬が熱い。思わず口笛を吹いてしまいそうだ。

 ずいぶんと遅い時間になってしまったから、お母さんに怒られるかもしれないな、なんて思いつつ、今日のことを思い出すだけでわたしの頬はゆるんでしまう。

 ふと気がつけば、わたしはいつの間にか自分の家を通りすぎてしまっていた。

 いくらなんでも浮かれすぎだ、と思った時だった。

『姉さんも応援するよ?』

 にっこりと笑う美咲姉の顔をわたしは思い出す。

 ここからなら、美咲姉の家までちょっとだし、寄っていこうかな。裕太くんから告白されたよー、なんて言ったら美咲姉は喜んでくれるかな。

 そんなことを思いながら、わたしは従姉の家へと足を向けた。


 それが、わたしと世界とを分かつことになるなんて、露にも思わずに。



 いつもと同じように合鍵で美咲姉の家に上がり込むと、わたしは片っ端から灯りを付けた後に彼女の部屋に入る。「ことりー、家中の灯りをつけるのはもったいないと姉さんは思うなあ」なんてよく小言を言われるけど、帰りの遅い美咲姉をお迎えするつもりで、わたしはいつもこうしているのだった。

 灯りで家中が満たされたことに満足したわたしは、上機嫌のままいつもごろごろしてる部屋に転がり込む。鞄を放り出し、ベッドに飛び込んでお気に入りのクッションに抱きつくと、今日の出来事が頭に浮かんでくる。

『ことり、明日もどっか出かけないか?』

 裕太くんの言葉が耳元に残ってる。

 街の中を歩いたときに握った手の感触を思い出して、わたしは仰向けになって腕を伸ばし、手のひらをじっと見つめる。ああだめだ、どうしても顔がほころんでしまう。美咲姉になんて話そうかと考えながら、わたしはベッドの上をごろごろと何往復もしてしまう。

―――――――――――あ。

 そのとき、わたしは今日の日付を思い出す。そういえば、今日は金曜日だったかな、と。


『金曜の夜はダメだけどね』


 ある時から、美咲姉は金曜日にわたしが来るのを断るようになった。なぜかは分からないけれど、「オトナには色々あるのよ」という言葉に何となく納得して、わたしは金曜日の夜だけはここに来ないようにしていた。

 怒られるかなあ、なんて思いながら、わたしは先に連絡しておこうと鞄から携帯電話を取りだし、仰向けになりながらメールを打とうとした。


 その時だった。


 携帯電話の向こうに見える天井が、きらきら、と少し光った。

 ? なんだろう?

 目をこらすわたしの視線の先で。

 きらきらとした光が、ゆっくりと天井の一部から降り注いでくる。

 光の粒が少しずつ、さらさらと、わたしが普段寝そべって絵や物語を書いているカーペットの辺りに落ちていく。

 細かな光の粒子が降り積もっていき。

 やがて何かの形をなしていく。

 そして、それが一つのはっきりとした形となり、光が薄くなったときだった。



「―――――――みさき、姉?」


 そう。


 わたしの目の前にあったのは、全身を切り刻まれ、体中から血をこぼす、わたしの従姉の姿だった。



 美咲姉のそんな姿を見ても、わたしは何もできなかった。駆け寄って身体を揺すればもっと血が噴き出そうで、固く閉ざされた目は頬を叩いても決して開くことはなさそうで。

 いや、それよりも、わたしには目の前の光景が何なのかが、全く理解できていなかった。

 天井から降ってきた光の粒がどうして美咲姉に?

 いつも笑顔の絶えない従姉が、どうして顔を蒼白にして、そして血まみれの姿でここに?

 ベッドから身を起こしたまま身動きひとつできないわたしの前で、その時、美咲姉の口から吐息がひとつこぼれる。

 ――――――その瞬間、わたしはベッドを転げ落ち、美咲姉の元に駆け寄った。

「美咲姉!? なに、どうしたの? なんでこんなことに!?」

 堰を切ったように叫びながら、わたしは美咲姉の頬に手を当てる。冷たい頬と、ぬるりとした血の感触が指に伝わる。

 ――――救急車、救急車を。

 ポケットから携帯電話を取り出し、わたしは血まみれになった指でボタンを押す。長い長い一コールの呼び出し音に続いて聞こえる「もしもし、火事ですか?」の声に、「救急ですっ、急いでっ!」と、わたしは涙混じりに叫んだ。

 そのとき。

 わたしの目の前で、美咲姉の目がうっすらと開いた。

「美咲姉! 大丈夫!? いま救急車呼んでるから、呼んでるからね」わたしの叫び声が聞こえたのか、彼女の眼が少しずつ開く。

 そして、次の瞬間、彼女の目が大きく見開かれるのをわたしは見た。

「ことり!? あなたが、どうして――――」

 小さくかすれた声とともに彼女は血の塊を吐き出す。

 美咲姉は手を伸ばすわたしに構わず立ち上がろうとして、体中から血煙を上げて再び倒れ込んだ。

「……ことり、ああ、ことり……こんなことになるなんて」

「美咲姉、しゃべらないで。すぐに救急車が来るから」

 携帯電話に住所を告げながら、わたしは美咲姉に声をかける。そんなわたしの声が聞こえないかのように、美咲姉は横たわりながら言葉を続けていた。

「……もう時間がない……もうすぐ始まってしまうのに……あなたに、託すことになるなんて」

 その時わたしは、血糊にまみれた美咲姉の頬に、涙が一筋、流れ落ちていくのを見た。

「美咲姉?」

「ことり……ごめんね。こんなことになって、ほんとうに、ごめん……」

 美咲姉は震える手で胸ポケットから何かを取り出すと、わたしに差し出した。

 それは、美咲姉がいつも使っていた、携帯型の音楽プレーヤーだった。

「……これを……大切にしてね……」

 ただただ首を縦に振りながら、わたしは真っ赤に染まったそれを受け取った。

「もうすぐ救急車が来るから、美咲姉、頑張って、頑張ってよう……」

 わたしの言葉が届いたのかは分からない。

 救急車のサイレンが鳴り響く中、美咲姉はそのまま、ゆっくりと目を閉じていった。



 青白い蛍光灯に照らされた部屋の中で、わたしはひとり腰掛けていた。

 あの後。

 ようやく到着した救急車に美咲姉と一緒に乗り込んだわたしは、こうして西川津総合病院のICU家族待合室にいる。

「あなたは彼女の妹さん? ご両親に連絡取れる?」

 制服姿を見て姉妹だと思ったのだろうか、看護婦さんがわたしに訊ねる。でも、美咲姉には家族がいない。お父さんもお母さんも、ずっと前に亡くなっていたから。

 何も言わずにずっと俯いているわたしに看護婦さんは何か言おうとして、「何してるの、準備急いで!」と駆けつけてきた同僚の人に連れられていった。

 彼女が消えていった部屋の上に明滅する「手術中」のランプを、わたしはぼんやりと眺めてた。

 裕太くんに告白されて。

 美咲姉の家にお邪魔して。

 天井から降ってきた光が美咲姉の姿になって。

 血まみれになった従姉の姿が急に頭に浮かんできて、わたしはぎゅっと両手を握り締める。ごめんね、と涙を流す彼女の姿に、わたしの目からも涙が止めどなくあふれてきた。

 どうして、こんなことになったんだろう。

 結論の出ないまま、わたしの思考は同じところをただひたすら回り続けていた。


 どれほどの時間が経っただろうか。


 みっともなく流していた涙と鼻水を拭おうと鞄からハンカチを取り出そうとして、わたしはそれを見つけた。

 真っ赤な染みがこびり付いた、携帯用音楽プレーヤー。

 それは、美咲姉がわたしに渡したものだった。

 血で汚れた液晶画面には現在の時刻が表示されているばかりの、どこにでもあるようなプレーヤーだった。

 今日という日が間もなく終わることを告げる時刻を眺めながら、わたしは彼女がいつもこのプレーヤーを身につけていたことを思い出す。

『ん? 何聞いてるのかって?』

 ある時に訊ねたわたしに、美咲姉は笑いながら片方のイヤホンを外し、「聴いてごらん」と差し出した。

 興味津々だったわたしは、耳に差し込んだイヤホンから流れてきた音にがっかりしたものだった。それは、AMラジオの番組みたいに、番組の司会者が何か喋っている声がただ聞こえただけだったのだ。

 何でこんなの聴いてるの? と訊ねるわたしに彼女は、『大人のオンナには欠かせないことなのよ』なんて言いながらイヤホンを付け直していた。

『……これを……大切にしてね……』

 血まみれの手で、大切そうにこのプレーヤーを渡す美咲姉の姿が目に浮かぶ。

 わたしは何とはなしにイヤホンを耳に付け、そして、プレーヤーの電源ボタンに指を伸ばした。


 その時だった。


 先ほどまで点滅していた「手術中」の文字が消えた。

 ――――美咲姉!?

 立ち上がった瞬間、わたしは何かが違うことに気づいた。

 手術中の表示が消えた。

 それだけではなかった。明滅する明かりに照らされていた扉も、部屋につながる床も消えた。天井の蛍光灯が発するかすかな唸り声のような音も、待合室に置かれたテレビの映像も、何もかもがその瞬間に消え去っていた。

 病院が、真っ暗になってる。

 「停電」の二文字がわたしの頭をよぎる。よりによって、こんな時に。わたしはぎゅっと手を握りしめた。手の中でかちりと、プレーヤーのスイッチが入る感触がした。

 静寂に満ちていた世界に急に雑音が飛び込み、わたしは思わず顔をしかめる。暗闇の中、それだけが微かに光る液晶の明かりを頼りに、わたしはボリュームを下げようとした。

『美咲、聞こえるか? 現在の場所を報告しろ』

 え。

 耳に飛び込んできた声に、わたしは我を疑った。

 チューニングの少しずれたAMラジオのようなノイズ混じりの声。その声が確かに、「美咲」と言ったのだ。

『おい、美咲、聞こえていないのか? もう始まってるんだぞ』急かすような声に、思わずわたしは声を上げていた。

「あなた、あなたは誰?」

 わたしの声が暗闇に響き渡った瞬間。イヤホンからの声が途絶えた。まるで、予期せぬ声に驚いているかのように。

 それでもわたしは声を上げるのを止めなかった。「あなたは誰? 美咲姉の知り合いなの?」と言葉を続ける。あなたは知ってるの? 美咲姉がどうしてあんなことに――――。

『そうか、美咲のやつは、死んだのか』

 ぽつりと、その言葉は耳に流れ込んできた。

 立ち尽くすわたしの耳元で、ノイズ混じりのその声は、淡々と言葉を続けた。

『初めまして、新しい「防衛者」。短いつき合いになるかもしれないが、よろしくな』と。



 次の瞬間、わたしはイヤホンをちぎるように耳から抜き取っていた。

 美咲姉が死んだ? 何で、そんなことを。

 プレーヤーを握り締めた腕をわたしは大きく振り上げる。イヤホンから微かに聞こえるノイズ混じりの音を無視しながら、暗闇の中、わたしはそれを床に叩き付けようとした。

『……これを……大切にしてね……』

 脳裏に、美咲姉の言葉が走る。

 血まみれで、涙をこぼす彼女の姿が浮かび上がる。

 振り上げた腕を、しばらくして力なく下ろすと、わたしはプレーヤーをしまい込んだ。

 液晶画面が鞄の中に消え、周囲が再び闇に包まれる。

 停電なんだろうか。代わりに取り出した携帯電話で周囲を照らしながら、わたしは音ひとつしない院内を見渡す。

 停電にしても、こんなに人の気配がしないのはどういうわけなんだろう。懐中電灯を持った看護婦さんが回ってきたりとか、そういうことはないのだろうか。

 それに、とわたしはICUの方に視線を向ける。「手術中」の表示が消えたままの室内では、今も手術が行われているのだろうか。


『そうか、美咲のやつは死んだのか』


 不意に浮かび上がってきた言葉を、わたしは何度も首を横に振ってうち消した。大丈夫、病院には非常用電源があるんだから。大丈夫、美咲姉はきっと大丈夫。だから、ここで待っていよう。あの扉から美咲姉が出てくるまで。

 わたしは待合室の壁にもたれかかり、そのままその場でしゃがみ込む。

 携帯電話の待ち受け画面をぼんやりと眺めていたわたしはその時、画面に映し出された『圏外』という文字に気がついた。

 暗闇に包まれた病院。

 静寂に満ちた世界。

 そして、つながらなくなった携帯電話。

 何かが、起きている。停電というだけじゃない、もっと別の何かが。

『もう始まっているんだぞ』音楽プレーヤーの声はそう言った。

『……もうじき始まってしまうのに』血まみれの姿で、美咲姉は涙をこぼしながらそう呟いた。

 美咲姉、一体何が起きているの?

 携帯電話を握り締め、わたしは身を縮こませた。

 その時。


 かつーんと、廊下に音が響き渡った。

 部屋の外、廊下のはるか向こうから断続的に聞こえるその音に、わたしは待合室から身を乗り出す。真っ黒に塗りつぶされ何も見えないけれど、音は確かに廊下の向こうにある階段から、はっきりと聞こえてきた。

 誰かが階段を上がってきているんだ。わたしは安堵のため息をつく。きっと看護婦さんが巡回に回ってきたのだろう。

 結局、真っ暗になったのはただの停電で。

 携帯電話が圏外なのも、急な停電で電話回線が一杯になっただけだ。

 何かが起きているなんて考えすぎだと、自分の空想癖に呆れながら、わたしは看護婦さんに合図しようと待合室から一歩外に出た。

 次の瞬間、鞄の中で何かが音を立てた。

 ? まるで携帯電話のマナーモードのような振動に、わたしは首を傾げる。携帯電話はここにあるのにと訝しみながら、わたしは鞄を開く。

 音を立てていたのは、美咲姉の音楽プレーヤーだった。

『美咲のやつは、死んだのか』

 その言葉が脳裏をかすめながら、わたしはそれを手にとった。プレーヤーにこんな機能があるのか、と思いつつ、明滅する液晶画面を覗き込む。


『わたしは後ろにいるよ 美咲』

 ――――――――――美咲姉!?

 わたしは愕然と振り返った。


 その時、漆黒の闇の中から、ぱん、と軽い音が上がった。

 え。

 そして次の瞬間。

 ICUの扉に火花が舞い散り、甲高い大きな金属音が悲鳴のように響き渡る。

 ぱん。

 ぱん。

 ぱん。

 何度も上がる軽い音に続く火花と金属音に、わたしは待合室の中でしゃがみ込んだ。

「なに? 何なの?」

 耳を押さえるわたしの前で、音楽プレーヤーが再び明滅する。

『時間がないの。早くイヤホンをつけて 美咲』

 液晶画面の表示に、わたしはイヤホンに手を伸ばし、そして一瞬ためらい、けれど耳に付けた。

 先ほどと同じノイズが耳に飛び込んでくる。

「美咲姉、なに、何が起きてるの?」

 思わず叫ぶわたしに、ノイズの向こうから声が飛び込んできた。

『馬鹿野郎! お前、死ぬところだったんだぞ!』

 さっきの声が、耳の中でがんがんと鳴り響いた。

「あなたは誰なの? 美咲姉のこと知ってるの?」

『今はそんなことを言ってる場合じゃねえ! お前のいるのは、西川津総合病院の四階にあるICU家族待合室。そうだな?』

 その言葉に、わたしは思わず周囲を見渡す。

「なんでそれを?」

『そんなことはいい。それよりも、今から俺の言うとおりに行動しろ』

 わたしの質問を無視して話し続ける声の主に、わたしは何か言い返そうと口を開きかける。

「あなたは一体―――――」


『このままだと、お前、死ぬぞ』

 絶句するわたしに構わず、イヤホンからはノイズ混じりの声が続く。

『いいか、その部屋に窓があるはずだ』

 わたしは真っ暗な部屋の中を見回す。廊下で響き渡る銃声と共に生じた火花が部屋を照らし、窓を浮かび上がらせた。

「あったわ」わたしの言葉に、イヤホンの向こうにいる声の主が口を開いた。

『よし。お前、その窓から飛び降りろ』

「な―――――――――」

 わたしには、言われた言葉の意味が分からなかった。

 飛び降りろ? 四階から?

「なんで――――」口を開きかけたわたしの背中で、次々と火花が舞い散った。

 分かっていた。甲高い金属音が連続して鳴り響く病院の中で、わたしは一人うずくまりながら、今の自分がどういう状態にあるかを、ぼんやりとだけど気づいていた。

「わたしが、狙われているの?」

『そうだ』

 少しの間を置いて、だけど、はっきりとイヤホンの向こうから声が聞こえた。

「どうして?」

『説明している時間がない、まずはここから逃げるんだ。いいな』

 その言葉に、わたしは身を起こした。がくがくと震える膝を手で押さえて、鞄を肩にかけて窓際へと歩いていく。なんとか窓ガラスまでたどり着くと、わたしはブラインドを一気に引き上げた。

 次の瞬間、わたしを、世界を、青白い光が包み込んだ。

 満月の灯りが暗闇を追い払ってくれる中、わたしは窓ガラスを開いた。覗き込んだ先は、黒い水をたたえていた。園庭の池だ。

『いいか、下の池に落ちろ』「落ちろって、水面もコンクリートの硬さがあるって」

『垂直に落ちればそこまでの衝撃にはならない。それに』「それに?」

 私の疑問に、ノイズ混じりの声は淡々と答えた。『そこにいても死ぬだけだ。生きたければ飛び込め。池に落ちたらすぐに病院の敷地から出るんだ。いいな?』

 わたしはゆっくりと窓枠に足をかけ、サッシの上で立った。眼下に見える池はあまりに小さく思える。足が震える。背後からは間断なく銃撃の音が響き渡る。でも。

 永遠にも思える時間が経ち、そして。

『お前が死んだら、美咲のやつは浮かばれねえぞ』

 ――――――――――。

「あなたに言っておくことがあるわ」『? なんだ』

「わたしには、『咲守ことり』っていう名前があるの」

 その言葉とともに、わたしは宙へと足を踏み出した。

 ジェットコースターで頂点にたどり着いたような感覚に包まれた瞬間。

 わたしの身体は、真っ暗な冷たい水の中に放り込まれていた。

 無我夢中で手を足を動かし、青白い光の注がれる水面へと向かう。勢いよく顔を出すと、わたしはそのまま池の縁へと泳ぎ、慌てて池から這い出した。

 酸素を求めて荒くなる呼吸の中で、わたしは目の前の建物を見上げる。

 はるか頭上にはためくカーテンが視界に入ってわたしは息を呑む。あんな高いところから飛び降りたんだ、わたし。

 そう思うと、再び膝が震えてくる。

『ぼやぼやするな、ことり、早く走れ!』

「走れ、って―――――」

 その瞬間。

 池の中に、次々と水柱が上がった。

 撃ってきてる!

 わたしは踵を返して駆け出した。濡れたスカートが重い。靴の中に水が詰まっていて走りづらい。

「ねえ、どこに向かえばいいの?」

『美咲の家に行け』

 相変わらずの淡々とした口調に苛立ちを覚えつつ、わたしは全力で病院の敷地を走る。

 青白い月明かりが照らす世界を、たった、ひとりで。



 病院の敷地内を駆け抜けたわたしは、住み慣れた街を走っていく。

 満天の星々が照らし出す世界は、街灯の灯火も家の明かりもなく、ただひたすらに静けさに包み込まれていた。

 私は美咲姉の家を目指しながら、我慢できずに口を開く。

「ねえ、聞こえてるんでしょう?」

『……どうした』

 無愛想な返事に構うことなく、わたしは言葉を続ける。

「街が真っ暗になってる。車も走ってない。誰とも会わない。なんで? どうして街がこんなに静かなの? この街に何が起こっているの?」

『……簡単なことだ。ことり、ここはお前と相手のためだけに用意された「戦場」だからだよ』

 携帯音楽プレーヤーの向こうで、その声は淡々と答えた。

 ―――――「戦場」?

「それって」

『足を止めるな。今捕まったら、お前、死ぬぞ』

 いつの間にか立ち止まっていたわたしは、慌てて駆け出した。

『……ここは「戦場」だ。ここにいるのは、ことり、「防衛者」であるお前と、「攻撃者」であるさっきのあいつ、二人だけだ』

 ノイズ混じりの言葉が続く。

『この「戦場」でのルールはひとつだ。相手を倒すか、降参させろ。それができるまで、お前は元の世界には戻れない』

「倒すって――――」

 先ほどの病院の光景が脳裏に浮かび上がる。

 階下に響き渡る銃声。

 暗闇に光る火花。

 水面に舞い上がった水飛沫。

『まあ、今までに降参したやつなんていないがな』

 それは、つまり。

 住み慣れた住宅街の中をわたしは走る。あの屋根もこの家も、小さい頃からずっと見てきたわたしの街の光景。

 灯りの消えた裕太くんの家を通り過ぎる。

 お母さんが待ってるはずの、自分の家の前を駆け抜けていく。

 裕太くんと手を振ってお別れをした。

 学校に行ってくるねとお母さんに伝えて出かけた。

 今日の出来事が頭に次々と浮かんでは消えていく。どうして、なんでこんなことに。

『ことり、ごめんね』

 美咲姉の涙混じりの声。わたしは通りを走りながら、大声で叫んでいた。

「なんで、どうしてこんなことに? なんでわたしが銃で狙われるの? なんで殺し合いをしなくちゃいけないの!?」

『簡単なことだ』

 わたしの耳元に、再びノイズ混じりの声が流れ込む。

『美咲の後を継いで、お前は「防衛者」になったんだ。世界を「攻撃者」から守る、この星の「防衛者」にな』



『この宇宙には、それこそ無数の星がある』

 今までどおりの淡々とした声がイヤホンから流れてくる。

『そして、同じだけ無数の生物が、この宇宙には存在している。俺やお前のようにな。だが、無数の生物が生きていけるほど、この宇宙には余裕がない』

 地表が数千度にも達する灼熱の惑星。

 個体化した窒素で覆われた極寒の大地。

 そのような環境で生きられる知性体は少ない。

『そんな中で、惑星の寿命も次々と尽きていく』

 膨張する太陽に呑み込まれる故郷の星。巨大隕石の衝突を予測した惑星。

 そうした惑星の人々は、新天地を求めて星々の海に旅立っていくと『彼』は言葉を続けた。

『だが、この宇宙には余裕がない。新天地には先住民がいる』

 だから、戦いが起こる。百三十七億年の宇宙の歴史の中で、数多くの生命体が滅んでいった。新しい住処を手に入れることができずに。宇宙の彼方から飛来した『侵略者』に星を奪われて。

 あるいは、争いの中で、星ごと塵と化して。

「……この戦いも、そうだというの」

『そうだ。ことり、お前たち先住者と、新しい住処を求める者との戦いだ』

「だったら……だったら何で、わたしが戦うの?」

『地球を巡る戦いの、それがルールだからだ』

 ――――――ルール?

『昔、地球もまた他の惑星と同じように、惑星間での戦いを繰り返していた。多くの種族がこの星を訪れ、先住民と戦い、中にはこの惑星に棲みついた者もいる。しかし五億年前、地球を巡る戦いにおいて、惑星を破壊しかねない戦いを、俺たちは禁止することにした』

『この星を巡る戦いに、俺たちはルールを定めた。この星への移住を求める者は、種族から「攻撃者」一人を選び、この星の「防衛者」と戦って勝つこと、とな』

「……どうして、そんなルールを」

『五億年前、俺たちがこの星を調査した時のことだ』

 そのとき、今までの淡々とした口調に、別の何かが混じった。

『その時に分かったんだよ。この星が、宇宙にたった数千個しかない、「封印星」だってことがな』

「封印星?」

『そうだ。この宇宙とあの宇宙とを分ける「くさび」だ。今までに、すでに多くの封印星が星間戦争で破壊されてしまっていた。これ以上封印が弱くなることを防ぐために、俺たちは封印星を巡る戦いについて、ルールを定めることにした。そういうことだ』

 わたしには、イヤホンの向こうにいる『彼』の言葉が、全く理解できなかった。

 五億年前。まだ生物は陸上に上がってきてさえいないはずだ。

 そもそも宇宙人なんて、本やテレビの特番でしか登場しない存在だった。

 それが、人類が登場する前から、星間戦争が行われていて。

 地球が、何かを封印している珍しい惑星で。

 その地球を巡る戦いの代表が、このわたし。

「こんなこと、信じられるわけないじゃない」

 でも。

 病室に鳴り響いた銃声。

 音ひとつないわたしの街。

 そして、光の粒となって現れた、全身血まみれの美咲姉の姿。

『信じる信じないは勝手だ』

 美咲姉の家まで、後わずかだった。

『だがな、この五億年間、みんなが戦ってきたから、お前やこの世界がある。それを忘れるなよ』

「……みんなって、誰?」

『二億五千万年前の頃は、恐竜が多かったな。その後はネズミだ。しばらくして、人類の祖先だ』

 淡々と声は続いた。

『牙で、爪で。斧で、槍で。誰もがな、訳も分からず戦って、そして勝ってきたんだ。美咲も、その前のやつも、その前の前のやつも、急に「防衛者」になって、納得できないまま戦ってきた。そのことだけは、忘れるなよ』

 その声は、淡々と言葉を紡ぐように努めていた。

「……まるで、見てきたみたいね」

 わたしは、荒い息を吐きながら呟いた。

『ああ、見てきたよ。それが「支援者」である俺の役割だからな』

 ぽつりと、イヤホンの向こうからの呟きが聞こえたとき。

 目の前に、美咲姉の家があった。



 合鍵で玄関の扉を開けると、わたしは美咲姉の家に上がり込んだ。いつもの癖で電灯のスイッチに手を伸ばし、この世界には灯りがないことを思い出す。

『美咲の家は灯りがつくぞ』

 耳の奥に流れ込む言葉に、わたしは「え?」と思わず聞き返す。

『ここの家には自家発電の設備があるからな。もっとも、灯りはつけない方がいい。相手にお前の姿が見られる。それよりも、二階の部屋に行け。いつもの部屋だ』

「どうして知ってるの?」

 わたしの疑問に返事はない。わたしは軽く首を振って、二階の美咲姉の部屋へと向かった。

 扉を開けた向こうの光景は、わたしがこの部屋を出て行った時のままだった。

 青白い月の光に照らされた部屋の中央の染みに、わたしは心臓をぎゅっと鷲掴みされたような感覚に襲われた。

『金曜日の夜はだめだからね』

 美咲姉の言葉が蘇る。

「ねえ、美咲姉は金曜日の夜、いつもこんなことをしていたの?」

『……そうだ。五年前からずっとだ』

 それは、美咲姉のスーツ姿を見なくなった頃だった。

『五年前、「防衛者」に初めてなった日、あいつはずっと泣いてたよ。なんでわたしが、こんなことにってな』

 わたしの心に、血で汚れた頬に涙を流す彼女の顔が思い浮かぶ。

『でもな、あいつはすぐに「防衛者」になった。毎週の戦いのために、「戦場」になる街を毎日調べ、武器を調達し、そして淡々と「戦場」に赴くあいつに、俺は訊ねたことがある』

「……何を?」

『どうしてそんなに冷静に戦えるのか、って聞いたんだ。あいつはこう答えたよ。「戦いから戻ればね、従妹の小説や絵が見られるんだ。あの子のいる世界をわたしが守れるなら、こんなこと、何も気にならないわ」ってな』

 わたしの書いた話を読みふける、美咲姉の姿が脳裏に浮かぶ。

『ことりー、この「宇宙人に面談するため、戦闘機に乗り込む総理大臣」っていいよねー』

『ほんと? ふざけてるかなあって思ったんだけど』

 宇宙人が日本に襲来してくる話に、美咲姉は首を横に振って言った。

『ううん、いいよ、この話。宇宙船に乗り込んだ時の、「日本国政府は、あなた方を国民として受け入れる準備がある」って台詞、わたしすごく好きだなあ。うん、すごくいいよ』

 あの時の美咲姉の表情。

 わたしは、何も分かってなかった。

 あの時、美咲姉が戦っていたことを。

 この星を守る『防衛者』として、ひとりぼっちで戦っていたことを。

 わたしの書いた三文小説のように、話し合いで解決できる世界を心から望んでいたことを。

 わたしは悔しくて残念で、涙をぽろぽろと流していた。

『ことり、あまり時間はないぞ。準備をしろ』

「……分かった。やってみせるわ、美咲姉のように」

 わたしは涙を拭った。やってみせる。美咲姉が、わたしを守ってくれたように。

 わたしも守ってみせる。美咲姉が守ってきた世界を。裕太くんやお母さんがいる、大切な世界を。



 わたしは部屋に備え付けられた、美咲姉のクローゼットを開く。

 そこに掛けられているのは、美咲姉にお似合いの大人びた服と、そして、この世界の彼女が身につけていたであろう衣装の数々。わたしは濡れそぼった服を脱いで、防刃ベストを着込み、防弾コートを羽織っていく。『クローゼットの下にある長持みたいなのを開けな』という言葉に従って、わたしは大きな蓋を持ち上げる。

 月明かりの中で黒く光る銃身。

 無造作に放り込まれた、青白く輝く刃。

 あまりに現実感のない光景が目の前に広がる。

『ことり、散弾銃があるだろう。銃身が二つになってるやつだ』耳に流れ込んでくる声に、わたしは淡々と従っていく。

 箱の中から、二連式の散弾銃を取り出す。

 机の引き出しを開け、紙箱に詰められた弾を銃に詰め込んだ。ポケットに入れられるだけ弾を入れた。

『後は、引き出しの中にボタンの付いた小さな箱があるはずだ。それを持っていろ』

 引き出しの奥に置かれていた携帯用音楽プレーヤーよりもっと小さな箱を、わたしはしげしげと眺める。

「……これは何に使うの?」

『その時になったら教える。それまでは間違って押すなよ。後は、窓を開けて銃を構えていろ』

 わたしは窓を開け、銃を置いた。

 銃なんて使ったことがない。

 何かを撃つなんてしたことがない。

 だけど。

 美咲姉のように、わたしも誰かを守れるのなら。

 引き金に手を掛けたまま、わたしはじっと玄関先を見つめていた。

『もうすぐ来るぞ』

「……なんでそんなことが分かるの?」

『お前と相手の位置は、お互いの「支援者」が把握しているのさ。相手もお前が待ち伏せしてることは知ってるよ』

「なのに来るの?」

『みたいだな』

 それだけ言うと、声は黙り込んだ。黙って構えていろということなのだろうと、わたしも口を閉ざす。

 微かなノイズ音だけが世界に満ちている時間が続いた。

『……今からカウントを始める。ゼロになったら撃て。二発撃ったらすぐに弾を詰め替えて撃て。俺が止めろと言うまで繰り返すんだ。いくぞ』

 不意に飛び込んできた声に、わたしの身体が一瞬大きく揺れる。

 大丈夫、大丈夫だ。

『5』

 大きく深呼吸をする。

『4』

 一度目をつぶった。

『3』

 目を開く。青白い世界を、わたしはじっと見つめる。

『2』

 美咲姉、わたし、頑張るから。

『1』

 裕太くん、明日も会いたいな。

『ゼロ』

 家の前に現れた影に向かって、わたしは大きく引き金を絞った。

 大きな音を立て跳ね上がる銃身を慌てて押さえ、わたしは目標に向かって狙いをつける。

 その瞬間、目標が視界に入った。

「な――――――――――」

『ことり、何やってんだ? 撃ち方を止めるな!』

「だって、あれ、あれって―――――」

 叫びながら、わたしの身体は固まってしまっていた。

 わたしの視線の先、美咲姉の家の前で倒れている影。

 それは、人間の、小学校低学年くらいの少女の姿をしていたのだった。



『ことり、早く撃て! もたもたするな!』

 耳をつんざくような怒声が響き渡る。

 だけど、わたしの身体は動かない。ぱくぱくと開く口から吸い込んだ空気が胸につかえて、かすれた声がこぼれるばかりだった。

「だって、あれ、女の子だよ。小学生だよ。わたし、子どもを」

『小学生? 子ども? そんなはずは―――』

 次の瞬間、声がノイズにまぎれる。沈黙が訪れる中、わたしの目は家の前に倒れる影に釘付けになっていた。

 散弾銃の弾が何処かに当たったのか、うずくまったままの姿。小さなその影は、身動きひとつせず横たわっていた。

 わたしは、子どもを撃ったんだ。

 全身の血が引いていく感覚が、わたしの身体中を駆け巡った。

『やられた。ことり、そいつは違う、そいつは「義骸」だ』

 ―――義骸?

 耳の奥に飛び込んできた声を、わたしはぼんやりと聞いていた。

『そうだ、「義骸」だ。情報知性体の奴らが「戦場」に出てくるために、そういう外装をまとうんだ。そいつは人間じゃないんだ』

 イヤホンの向こうで舌打ちする音が聞こえた。

『ここ数万年、情報知性体の奴らが参戦することがなかったからって、油断していた。畜生、俺のミスか。いいか、ことり、そいつは人間に見える殻を被っているだけだ。撃て、撃つんだ』

 あれは、人じゃない。

 あれは子どもなんかじゃない。

 わたしは散弾銃を構え直す。倒れ込んだままの小さな影に銃口を向け、そして。

 そして、わたしは吐いた。こみ上げてきたものを押さえていられなくて、わたしはその場で吐いていた。

「……無理だよ。義骸なんて言われても、女の子にしか見えないよ。撃てない、撃てるわけないよ」

『馬鹿野郎、死にたいのか!』

 耳に突き刺さる怒声に、わたしは首を何度も横に振った。

「できないよ、できるわけないじゃない。わたし、銃持ったの初めてだよ? 人を撃ったことなんてないんだよ。なのに、いきなり子どもを撃てなんて、できない、できるわけないじゃない!」

 わたしはその場にうずくまった。胸が苦しくて吐きたくて、わたしは泣きながら膝を抱えた。

 美咲姉、美咲姉はいつもこんなことをしてたの?

 美咲姉も小さな子どもを撃ったりしていたの? 無防備な相手を撃っていたの?

 笑顔の美咲姉が目蓋の裏に浮かび上がる。美咲姉、わたし、わたしにはできない、できないよう……。

『……ことり、俺が今から言うことを聞け』

 泣きじゃくるわたしの耳元に、ノイズ混じりの小さな声が聞こえてきた。

 黙りこくったままのわたしに構わず、その声は耳に流れ込んできた。

『いいか、ことり。これは戦争なんだ。「防衛者」が守るこの世界を奪うためなら、「攻撃者」はできる限りのことをする。子どもの姿もすれば騙し討ちもする。なぜか分かるか?』

 わたしは首を横に振った。

『相手だって背負ってるんだ。何億もの仲間の命をだ。自分が勝てば助かる。負ければ死をただ待つだけの仲間たちのためにだ。そのためなら、餓鬼の格好だってする。卑怯なんて言われても構わない、当然のことだよ』

 わたしは首を横に振った。

『ことり、忘れたのか? お前も、「防衛者」も無数の命を背負ってるんだ』

「……分からない」

 わたしは涙を流しながら呟いた。

『分からない? ことり、お前は「防衛者」なんだぞ』

「分からないよ、なんでわたしが「防衛者」にならないといけなかったの? たった一人で、ひとりぼっちで世界を守るなんて、わたし、耐えられない、こんなの耐えられないよ!」

 わたしは両耳を押さえ、固く目を閉じて叫んでいた。

 ひとりぼっちの「防衛者」。

 星降る街でひとり、見知らぬ相手を殺すために佇む「防衛者」。

 わたしには耐えられない。一人で、世界を守るなんて耐えられない。

 真っ暗な世界の中、わたしはひとりぼっちで膝を抱えて再びうずくまっていた。

『ことり、お前は、ひとりじゃない』

 しばらくの沈黙の後、再び聞こえた声に、わたしは顔を上げた。

「違う。わたしは一人だよ」

『違う。お前はひとりじゃない。今から証拠を見せてやる』

 次の瞬間。

 わたしの耳に、甲高い金属音が鳴り響いた。

 あまりの音に思わずイヤホンを外そうとするわたしの身体を押さえつけるように、その音はさらに大きく、高く響き渡る。

「あ、ぐっ――――――――っ!」

 両耳を押さえたまま美咲姉の部屋を転げ回った後。

 わたしの意識は、闇の中に放り込まれていた。




 ここには何もない。

 闇の中で、わたしの意識は宙を漂っていた。

『ことり、よく見ろ。ここには本当に何もないのか。自分の目を凝らしてみろ』

 どこからか湧き上がる声。

 わたしは声の聞こえた方向に意識を向ける。

 けれど、そこも真っ黒な深淵が見えるばかりだった。

 わたしは、暗闇の中で、ひとりぼっちだった。

 結局、わたしはひとりなんだ。

 ぽつりと思った時だった。

 視界の片隅に、何か光るものがあった。

 まるで光の粒が落ちているかのように。

『ことり、よく見ろ』

 その声に、わたしは光に意識を向けた。

 光の粒に近づいていくような感覚がわたしを包み込み。

 そして。

 わたしは気がついた。やがて近づき大きくなっていく粒が、もっと小さな光の集まりから出来ていることを。

 わたしは気がついた。光の粒が、何かの模様をしていることを。

 そして、光の粒の模様のひとつが、わたしの良く知る形を取っていることを。


「あれは、日本?」

 わたしの目の前で。北海道の、本州の。四国の、九州の形をした光の粒が広がっていく。

「この光は?」

 思わず呟いたわたしに、どこからか聞こえてくる「声」が答えた。

「それは、防衛者たちの光だ』

 その言葉に、わたしは思わず耳を疑った。



―――――「防衛者たち」?



「それって」

『そうだ』

 唖然とするわたしに向かって、「声」が言った。

『そうだ。ことり、お前の目の前で輝く無数の灯火は、世界中に散らばり、自分の生まれ育った街を守る、「防衛者」たちの命の灯火だよ』と。

 それは、つまり。

『ことり、「防衛者」はひとりじゃない。ひとりじゃないんだ』

 淡々とした口調の「声」が、わたしの耳に流れ込み続ける。

『お前の住む街を守ることができるのは、ことり、この街の「防衛者」であるお前だけだ。だがな、無数の防衛者たちが、お前と同じように「攻撃者」と戦っている。お前と同じように、理由もなく防衛者になり、自分の住む街の友人を、恋人を、家族を守るために、終わらない戦いを繰り返しているんだ』

 「声」の言っていることは理不尽だ。

 わたしが「防衛者」になったのに理由はない。

 なのに、この街の皆を守るために殺し合え。

 こんなことって、ない。

 だけど。

 わたしの目の前で無数の光の粒が作り上げる、ユーラシア大陸。

 アメリカと、アフリカの大陸の輝き。

 無数の光で照らされた地球が、わたしにはただ眩いばかりだった。

 この街では、わたしはひとりぼっちの「防衛者」だ。

 だけど、この世界では。

 わたしは、ひとりなんかじゃ、ない。

 だから。

「……わたしも、守ってみせるよ」

 光り輝く地球が遠ざかる中、わたしはひとり呟いていた。



 次の瞬間、わたしは美咲姉の部屋に戻っていた。

 ポケットに詰め込んだ弾を取り出し散弾銃に装填すると、わたしは窓際に駆け寄る。

 月明かりの下。

 家の前には、すでに少女の、いや、「攻撃者」の姿はなかった。

『玄関を上がったところだ。もうすぐ来るぞ』

 イヤホンから聞こえる声に、わたしは身体を翻し、部屋のドアへと銃口を向ける。

『いいか。姿が見えたら撃て。相手は子どもじゃない、「攻撃者」だ。ことり、忘れるなよ』

「……それより、教えてほしいことがあるの」

 押し黙った「声」に構わず、わたしは言葉を続けた。

「情報知性体って、どういう生物なの?」

『……姿を持たない存在だ。通常はエントロピーの増大を防ぐ現象の中に生息する。これでいいか?』「全然分からない」

 開け放たれたドアに意識を集中しながら、わたしは答える。

『エントロピーは知ってるよな?』「ほっといたらエネルギーは拡散していって、宇宙は熱死するという話?」

『まあ、それだ。これに対し、生き物は外部からのエネルギーを取り込み、エントロピーの増大を防ごうとしているだろ? 情報知性体はそういった存在に寄生して生きているんだ。生物に限らず、機械でも、自然の振る舞いでも構わない』

「……わたしにも寄生できるの?」

『まあな。ただ、身体を乗っ取られる訳じゃない』

 それだけ言うと、イヤホンの向こうは沈黙した。

 代わりに、階段のきしむ音が微かに耳に入ってくる。あと少しで、「攻撃者」が来る。

「もう一つ聞きたいことがあるの」

『時間がないぞ』

「さっき引き出しから取り出したボタン。押すとどうなるのか教えて」

『ことり、お前―――』

 絶句する雰囲気が耳に伝わってくる。

 わたしは散弾銃を構えたまま、声を促す。

『この台詞、すごく好きだなあ。うん、すごくいいよ』

 美咲姉の声と笑顔が脳裏に浮かぶ。

「時間がないの。早く教えて」

『……分かった』

 ノイズ混じりの声が耳元に流れる中、わたしは心の中で、大好きだった従姉に呟く。

 美咲姉、わたし、頑張るからね。

 次の瞬間、部屋の入り口に影が蠢いた。

 「―――――――っ!」

 散弾銃の引き金を引く。轟音が上がり、開きかけのドアが吹き飛ぶ。

『ことり、次だ!』

 わたしは跳ね上がった銃身を入り口に向ける。

 その瞬間、視界に「攻撃者」の姿が飛び込んだ。

 片足を失い、身体を引きずる少女の姿。

 わたしの身体が、わずかに固まる。

 いけない。

 彼女の片手に握られた拳銃がこちらに向けられた瞬間、わたしは散弾銃の引き金を引く。

 乾いた音に続いて轟く銃声。

 目の前で、少女がのけぞった。

 そして次の瞬間、わたしもまた、胸に突き刺さる衝撃に、後ろへと倒れ込む。撃たれた衝撃に呼吸が詰まり、視界が宙をさまよい、一瞬気が遠くなる。

『ことり、次だ! 急げ!』

 耳元でがなり立てる「声」に、わたしは身体を起こそうと腕に力を入れる。半身を起こしたわたしの視界の先で、少女が同じように身を起こそうとしていた。

 わたしは窓際にもたれかかったまま、散弾銃の引き金を引いた。

 かちり、という乾いた音が響き渡った。

『ことり、早く弾を詰め込むんだ!』

 耳元に聞こえる声。

 目の前で、少女が構えた銃口。

 わたしはポケットへと手を伸ばし、小さな箱を握り締める。

 それは爆薬のスイッチだと、さっき「声」が教えてくれた。

 美咲姉の家の一室に詰まった、この家を吹き飛ばすほどの爆薬を起動するスイッチ。

『ことり、お前』

 呆然としたような声に、わたしは訊ねた。

「引き分けの場合って、どうなるのかな」

 かちり、とボタンを押した瞬間。

 耳をつんざくような轟音が、世界中に響き渡った。



 目を開けると、そこには満天の星空があった。

 わたしの街を求める「攻撃者」たちが住む世界とは思えないほど、星々の瞬く宇宙はたまらなく綺麗だった。

 まだ負けてはいないみたいだ。全身を駆け巡る激痛をこらえながら、わたしは立ち上がった。

 目の前には、美咲姉の家だった残骸が残っていた。

 わたしは爆発を受けて窓から放り出されたようだった。二階から投げ出されてこの程度のケガで済んでいるのは、奇跡といってもいい。

『……聞こえるか、ことり?』

「ええ、聞こえてるよ」

 片方の耳に残っていたイヤホンから流れる声に返事をしながら、わたしは周囲を見渡した。

「攻撃者はどこ?」

 わたしの言葉に、「声」は少し沈黙する。相手の位置を調べているんだろう。

『……そこだ、ことり、お前の目の前にある瓦礫の下だよ』

 その声に、わたしは視線を動かした。

 大きな屋根の瓦礫の下から、小さな手が生えていた。

「……生きてるの?」

 わたしの呟きに、「声」は淡々と答えた。

『ああ。寄生対象の義骸が少しでも作動する限り、情報知性体は死なない』

「でも、もう動けない」

『そうだな。ことり、義骸を燃やせ。そうすればお前の勝ちだ』

 わたしは周囲を見回す。

 月明かりに照らされた街並み。家の車庫に並ぶ車からガソリンを抜き取れば、義骸を燃やせる。

 わたしは足を踏み出した。

 ただし、街並みの方にではなく。

 小さな手だけを覗かせた、「攻撃者」の方へと。

『ことり? お前』

「攻撃者と話がしたいの? できる?」

『……義骸を通じて会話が可能だ。だが』

 わたしは耳元の声に構わず、小さな手の前でしゃがみ込んだ。

「わたしの声、聞こえてる? お願い、返事をして」

 わたしの言葉に、小さな手が震えた。

「……ああ、聞こえているよ、この街の防衛者」

 可愛らしい小さな手には似つかわない、錆びた声が瓦礫の下から聞こえた。

「残念だが、わたしの負けのようだ。後は好きにするがいい」

 感情のない声が響き渡る。

 全てを諦めたような、空っぽな凍えた声。

 その声に、わたしは軽く目を閉じた。

 目蓋の裏に、わたしの原稿の束を手にした美咲姉の姿が浮かび上がる。

 わたしの耳に、『うん、いいよ、この話』と話す、嬉しそうな美咲姉の声が聞こえる。

 美咲姉、わたしのすることを、見守っていてね。

 わたしは軽く息を吐き、そして言った。

「あなたに聞きたいことがあるの」

「……勝者たる防衛者よ、何でも聞くがいい」

「あなたたち情報知性体は、人間にも寄生できるの」

「……ああ、可能だ」

「それは、人間一人に、何体できるの?」

 その言葉に、瓦礫の下の声はしばらく絶句していた。

「……地球人一人分の構造があれば、我々全てが寄生することが可能だ。しかし」

「支援者、聞こえる?」

 わたしはイヤホンの向こうにいるだろう「支援者」に向かって叫んだ。


「わたし、咲守ことりは。『この街の防衛者』たる咲守ことりは、彼ら情報知性体を、この身体に受け入れる準備があります」


『ことり、お前……』

 耳に流れ込む声に、わたしは首を横に振った。

「わたしは、この街のみんなを守りたい。だから戦うよ。これからもずっと。だけど、戦わなくていいのなら、助けられるんだったら、わたし、助けたい、助けてあげたいよ」

 わたしたちは、同じ人間同士でも争ったりする存在だ。そんなわたしたちが、宇宙から来た、姿形が全く異なる異星人を受け入れるなんて、すぐにはできないかもしれない。

 だけど。わたしの心の中で、美咲姉の言葉が浮かび上がる。

『「日本国政府は、あなた方を国民として受け入れる準備がある」って台詞、わたしすごく好きだなあ』

 戦わなくすむのなら。

 いや、戦ったとしても、受け入れることができるのなら。

 大好きだった従姉の望んでいたことを、わたしは叶えてあげたかった。

『……今回の戦いは、「攻撃者」が降参したことで、すでに済んでいる』

 イヤホンから、「支援者」の淡々とした声が聞こえてくる。

『だから、ここから先のことは、ルールとは関係ないことだ。俺たちがどうこう言うことじゃない』

「……ありがとう」

『……礼を言われる筋合いもない』

 イヤホンの向こうの声が少し上ずったような気がした。

『ことり、義骸の手に触れろ。それだけで、情報知性体はお前の身体に移ることができる』

「それだけ? それだけで全員が移れるの?」

「……支援者の言うとおりだ」

 瓦礫の下からも同意の声がした。

 わたしは、そっと手を近づけた。

「防衛者よ、本当に、いいのか?」

 瓦礫の下から聞こえてくる声に、わたしはちょっと笑ってみせる。

「違うよ」

「?」

「こういう時は、『今後とも、よろしくお願いします』って言うものでしょ? よろしくね、わたしの店子さん」

 それだけ言うと、わたしは義骸の手を握る。

 次の瞬間、世界は果てしなく白い光に包まれていった――――――。







『ことり、何やってんだ!?』耳に差し込んだイヤホンから流れ込んでくる声に、わたしは我に返った。

 冷たいアスファルトの感触を頬に感じた瞬間、わたしは弾けたように身体を跳ね上げる。

「わたし、どのくらい気絶してた?」

『一瞬だ』

 その言葉に安堵しながら、わたしは道路脇の電柱に姿を隠す。

「さっきのは何? 爆発物を使用しているの?」

 わたしの質問に、イヤホンの向こうの「支援者」が冷静な口調で答える。

『いや、魔術だな』

「魔術!? 何でそんなものが使えるの?」

『お前の星でも使っている人間はいるぜ』

「どこにいるのよ!?」

 呆れるわたしの脳裏に、別の言葉が流れ込んでくる。

『我々情報知性体が手伝えば、ことり、君も使うことが可能だ。どうする?』

「また今度にしておくわ」

 わたしは電柱から飛び出し、手にした拳銃を撃ちながら後退する。気を失っていた一瞬に見ていた、あの日の出来事を思い出しながら。

 ずっと好きだった人に告白され、大切な従姉を失った日。

 わたしは、防衛者になった。

 それは、たった一人で、異星からの「攻撃者」と戦う存在。

 だけど、わたしはひとりぼっちなんかじゃない。

 あの日見た、全世界で瞬く光をわたしは思い出す。

 わたしと同じように、星降る戦場で戦いを繰り広げている仲間が、わたしにはいる。

 そして、一緒に戦ってくれる「支援者」と、無数の情報知性体種族がいる。

『ことり、そのまま美咲の家まで下がれ、爆風を使うのが手っ取り早い』

『いや、相手は義骸入りだ。交渉できる余地があるのではないか?』

『お前ら、支援者の邪魔をするんじゃねえ』『ことり、たかが五億歳程度の若造の戯言より、我々の方が知識も深いぞ』

 賑やかな戦場を、わたしは駆け抜けていく。

 こんなわたしを美咲姉が見たらどう思うのかな。わたしはつい吹き出してしまう。

『どうした、ことり?』

「ううん、なんでもないよ」

 訝しむ「支援者」に返事をしながら、わたしは手榴弾を背中越しに放り投げる。

 美咲姉、この間ね、また情報知性体を助けたよ。

 美咲姉、わたしね、ネット上で他の「防衛者」と連絡を取り合ってるんだ。昨日ね、隣町の「防衛者」とお茶したんだよ。

 美咲姉、来週ね、裕太くんが家に遊びに来るんだよ。

 美咲姉、わたし、頑張るから、頑張るからね。 

 背後に轟く爆発音と湧き起こる熱風の中。

 もう二度と会えない従姉に声をかけながら、わたしは住み慣れた街を走っていく――――――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ひとりぼっちの防衛者 starsongbird @starsongbird

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ