勘違いだらけの
機島わう
第1話
美しい夕日がビル山に飲み込まれていく光景は、まるで映画のクライマックスシーンみたいにドラマチックで美しくて、ずっと見ていると泣きたくなるような、叫びたくなるような、とにかく心の中をめちゃくちゃにかき乱される感覚だけが残って、世界はオレンジ色から藍色へと姿を変えていく、その無限のグラデーションの中で俺は、パンツ一枚だった。
「武山てめー勝手に手おろしてんじゃねーぞ。お前は今カカシなんだよ。わかる? カカシは両手を広げてねーと意味ねーだーろうが!」
「ぐっ……!」
野太い声が響いたと同時に俺のケツに衝撃が走った。
蹴られたのだ。腰が砕けそうになったがなんとか踏みとどまった。
ちょっと手を下しただけで蹴られるだなんて最悪だ。屈辱だ。
後ろをちょっと振り返るとそこには三人のクソ野郎どもが立っていた。
もちろん彼らは筋肉だけが取り柄の不良で、かつ性格がねじ曲がっていて弱者をいたぶるのを趣味としているゴミクズのような連中だ。
それぞれに名前があったはずだが正直思い出せない。俺の脳はゴミの名前をいちいち記憶するようにはできちゃいないのだ。
しかしながら名前が無いと不便だ。だからここは便宜的に名前を授けてやろうと思う。考えるのが面倒だから野田でいい。野田A、野田B、野田Cだ。お前らなんか、みんな野田なんだよ! この、野田!
「なんだよその目は。おい、カカシが濁った眼でにらんでんじゃねーぞ!」
「ぐはッ!」
今度は腹を殴られて、思わず地面に膝をつく。吐き気がこみ上げてくる。屈辱だ。
人質さえとられてなければ、こんなゴミども、一瞬で片づけてやるのに。
「おら、早く立てよ。アレがどうなってもいいのか?」
野田Aが俺の背中を蹴りながら言う。
俺はあまりの恐怖に振り返った。
後ろに控えている野田Bが、俺の大事なアレを空高く掲げた。
そのままひらひら動かし地面に放り投げようとする。
「や、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
あいつが手に持っているのは俺の人質――なによりも大事な、俺のバーコードバトラー。
くそ! なんたる不覚!
バーコードバトラーを学校に持ってきたのが運の尽きだった。
加奈に自慢してやろうと思っていたのに、あの野田達に目をつけられ、盗まれた。
俺は自分の不手際を呪わずにはいられない。
「けっ、ダッセーやつ。大体なんだよこの古くせえゲーム機は? これほんとに動くのかよ」
野田Bはにやにやしたいやらしい笑みを浮かべながら俺のバーコードバトラーをもてあそぶ。
「貴様、そいつに指一本でも触れてみろ……生きてることを後悔させてやる」
「お前バカだろ。さっきから普通に触ってるっての」
「だからお前らはもう完全にぶっ殺してやるって言ってんだよ!!」
うるせえ、という声とともに脇腹を蹴られる。
「おら立てよ。さっさとカカシになれ」
俺は再び立ち上がる。カカシになってすでに三時間だ。日が暮れていて遠くのビル山には明かりが灯っている。学校の屋上から見える景色は綺麗だったが、寒い。震えそうだ。
「おい貴様ら、一つ聞きたいんだが、俺はなぜカカシになっているんだ?」
「俺らがパチンコで負けたからだよ」
背後の野田の誰かが答えた。答えになっていなかった。バタフライエフェクトとかそういうことだろうか? 野田はバカだなと思った。
結局あいつらにとっては、理由なんかどうでもいいのだ。とにかく誰かを苦しめたい、嫌がってる姿を見たい、それだけなのだ。
「俺はいつになったらカカシをやめていいんだ?」
「俺らがやめていいって言うまでに決まってるだろ」
ぎゃははははははははと背後で下卑た笑い声が響いた。
狂ってる……。野田は完全に狂っている。俺がカカシになっていることのどこがそんなに面白いっていうんだ。心の中が怒りで濁っていく。
バーコードバトラーさえ戻れば……!
その時、背後で金属がこすれる耳障りな音が聞こえる。
屋上の立て付けが悪いドアが立てる音だ。
「誰だてめぇ!」
野田達がざわめいた。誰かが入って来たらしい。
しかし、こんな時間に?
もう夜なのだ。学校に残っている生徒はごくわずかだろう。その上で屋上に用事がある生徒なんているのだろうか?
もしや、教師の見回りか? だとすれば好都合だ。
俺は希望を込めて振り返る。
そこに立っていたのは――少女だった。月明かりに白い肌を照らされながら立つ、はかなげでか弱そうな少女。
「なんだてめぇは? 優雅に月光浴でもなさっておいでかあ?」
まずい。野田達が少女の周りに近寄っていく。まるで誘蛾灯のように少女の白さはゴミどもを惹きつける。あのままでは、少女もカカシにされてしまうかもしれない。
それだけは、絶対に許さない……!
「あなたたち……何してるの……」
少女の声は小さかった。まるで月光のように澄んだ声色。
不思議と怯えた感じはない。まるで何もかもを見透かしているような――。
「俺らちょっと遊んでんだよ、お嬢ちゃん。ほら、あそこに立ってるカカシが見えるだろ。アレを立たせておくのが俺らの唯一のストレス解消法なんだよなああああ」
ぎゃはははははと野田達が笑った。
少女の目が俺を捉えるのが分かる。パンツ一枚のカカシの俺を。
見られたくなかった。だが、この姿を見て引き返してくれるならそれでいい。
気持ち悪いでも、怖いでもいい。とにかく何か感情を抱くはずだ。
ここから立ち去ってくれるなら、俺はどう思われたっていいのだ。
でも――少女は、少女の目には、どんな色の感情も見えない。
そして、
「あれは……カカシじゃない。人間よ」
そんな、現実的でないことを、平気な顔して言うのだ。
その一言が野田達を怒らせるのが分かる。
空気が暴力の気配をはらむ。
「俺はカカシだ! 俺は……ただのカカシなんだよ! 貴様はさっさと立ち去るがいい!」
咄嗟に叫ぶ。
ここにいてはいけないと、それだけを伝えたかった。
「いいえ、嘘だわ。カカシは喋ったりしないもの。それに……そんなに悲しそうな顔を、したりしないわ」
まっすぐな瞳に、俺の心臓が、場違いに高鳴った。
その闇に溶けるような黒髪と、すべてを超越したような瞳、暗闇に浮かぶ幽玄な白い肌。
まるで。
まるでそれは――夢の中の光景のような美しさで――。
「お前、なんかうっぜーな。さっさと帰りゃいいのに、わざわざ首突っ込んできて、それなんなんだよ? 人助けがしたいってか? ああ? 自分ならどうにかなるとでも思ってんのか? 自分だけは怪我しないって? ふざっけんなよクソブスが」
野田Aがずかすかと少女に近寄っていく。完全にキレている。
自分の思うように物事が進まない、ただそれだけのことであそこまで激昂できるのは一種の才能だ。死ねばいいのに。
俺は野田Bが持つバーコードバトラーをちらりと確認。事ここにいたっては、もう人質だなんて言っていられない。あの少女だけは、巻き添えにしてはいけないと思う。かくなる上は、犠牲を覚悟で野田達をぶち殺す。それしか選択肢は無いだろう。
「あなたたち……間違ってる」
少女は、それでも全く空気を読まずにそう言った。
反抗しているわけではない。何か主張があるわけでもなさそうだった。
彼女は何も見ていないのだ。遊離している。現実を生きていない。
そんな感じがした。
「わたしは……とても可愛い」
えっ? と思った瞬間、野田Aの体が浮いていた。
えっ? と思った瞬間、野田Aは屋上の端のフェンスにめり込んで舌を口からはみ出させて白目で失神していた。
えっ? と思った瞬間、野田Bも、えっ? って思ったんだろう、飛んで行った野田Aの方を見てから少女に向き直るが、そこに少女の姿はもうなかった。
なかったはずだ。
なぜなら少女は野田Bの懐に潜り込んでいたのだから。
腰を落として構える少女は本当に小さく見えた。野田Bと比べると大人と子供くらいの身長差だった。しかし、構えから伝わってくるのは途方もなく冷徹な殺気だった。触れれば切れそうなくらいに、思わず目を背けたくなるくらいに、少女は「暴力」になじんでいた。
「あなたたちは間違っている。あなたたちは、女の子の私より、弱い」
野田Bの体がぐにゃりと折れ曲がり、凄惨な速度で地面を転がっていく。その巨体がフェンスに激突する金属質の音が屋上に響いた。
俺は身動きも取れず、まさしくカカシのように微動だにせず、その光景を見守ることしかできない。
野田Cは次々に失神していく仲間を見ながら、それでも熱に浮かされたような顔をして少女に飛びかかった。自分と相手にどれだけの差があるのか、それを目にしてもなお勝てると思ったのだろうか。どう考えても野田は頭がよくなかった。
「あなたたちは間違ってる。間違っている人には」
おしおきが必要だね、という言葉と共に、野田Cも飛んで行った。
フェンスの下には三人の巨体が、まるで死体のように転がっている。
夢の中のようなできごとに、俺は現実感を失いかけるが、どうにかして現実を把握しようと頭をひねり、
「き、貴様は、何者だ?」
結局、口をついて出たのはそんな言葉だった。
少女ははかなげに空を見上げていたが、俺の言葉に、静かに顔を下げ、こういった。
「1年5組……野田綾子」
お前も野田かよ!! なんなんだよ!!
これが俺と綾子との出会いだった。
勘違いだらけの 機島わう @kijima
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