第58話 追記(保留作品)

 しつこいって感じです。以前保留になっていたものを片付けておこうと思いました。


「黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い」

 そこそことして作品フォローしました。感想は多分書きません。個人的に読むために作品フォロー?それとももう切ってしまうか?を決めるため読んでいます。飽きるか?もっと良いと思った星やレビューしようと思います。ずっと懸念だった点でこれ2つの視点で描かれていて、その片方がイマイチ機能してないと見ていました。それがやっと繋がってきました。それで今まで足りなかったレベルが一段上がってこれならと思ってフォローしています。



 あれほど書いておいて、まだやるのか?私としては新規を見たいんですよ。それに対して他の読者の刺激にしたいと思っています。あらかた評価が定まっていて切るか?フォローするか?星評価(レビュー)するか?それらを決めるだけの作業になるのは刺激としてつまらないと思っています。ただそれなら私はまだ続ければ良いじゃないか?となると思います。外れを読むのがすごく苦痛なんですよ。保留にしたのはある程度マシな作品ばかりです。


 ジレンマと言うか矛盾というか、読者に対しては新規を見た感想を書きたい。しかし新規を読むのは外れに当たると不快レベルにまで行く。結局、私はランキングが機能してるか?自分が読んで直接評価を下して判断したい。それが主たる目的だったので、その苦痛に耐えられたわけです。今やってるのは中途半端で終った作品について結論を下しておきたいって目的と、続きを読むのが楽しみでもあるからって不快感の無さが上手く合致したからです。


 私ははっきりズレテルと思っています。自分が何故カクヨムで活動をしたのか?これは過去形です。今は距離を置いてるからです。それは私のような視点が今の読書離れが何故おきてるのか?をきちんと分かってほしいからです。サイレントマジョリティは基本語りません。私はそれをきちんと分かってほしいから書いています。私のズレこそが本読み好きが逆に読書離れが起きてる層にたいするズレそのものだからです。だから私は苦痛だ苦痛だと書いています。小説は苦痛だけど物語自体は好きだと書いています。



「剣の紋章」

 コテコテ。独特の言葉にならないイマイチさがある。でもつい読んでしまう。話の進め方が強引なんだよな。悪い意味で漫画みたい。そして良い意味で漫画みたい。ダークブランカって魔法使いがすべてを一つに繋げるように動かしてる。ただそのやり方が強引。ダークブランカ=作者かよって強引さでバラバラの流れを一つにまとめていってる。このせいで地味だなとって気持が生じてしまう。本来ならイマイチになる。ただそれを乗り越える何かを持ってる。不思議とこのテンポの良さが嫌いになれない。地味だけどフォローする。過去にそれなら地味だけど切ってしまったものとどんな差があるんだ?となる。地味とそこそこの間で保留じゃなくてフォローにする感じ。普通はどっちかに決めるけど、もう決められないのでこれは地味とそこそこの間って位置で一端留める。



「錬金術師の小間使い!」

 会話がうっとしい…。笑いって本当に難しい。ライトな雰囲気のために少し会話に笑いを入れるけど、これがなんとも言えない。難しいなこれ別に笑わせるのが主たる目的じゃないから良いんだけど。だからってこういうの全く無いと多分固くなるんだろうな。ああやっかいだ。これはそこそこ出せないな。フォローは基本地味とそこそこの間からって感じだと思う。地味でも良い。個人的に何か気になるでも良いから。ずっとランキング上位のドラゴンの話が気になってて、あれ切ったけど地味に楽しかった。まあ上にあるからいつでも見られるしと放置しても良いけど。



「御伽噺を翔ける魔女」

 これ止めよう…。本の中に入ってしまうってごちゃごちゃして分かりにくいんだよな。どう展開させるか?は個性が凄くあるけど土台は斬新ではないし。これは面倒系だな。ただ個性的ではアル。個性ってすごく難しい。なろう系って慣れきってる人は馬鹿馬鹿しいと見てると思う。あれすごい個性がある。根本的に物語としてどうか?って思うぐらい逸脱してる。その癖子供でも楽しめそうな単純さ。それに較べると過去から良くある。多分ここになる。何故なろう系はすごいのか?多分ネット小説好きは自身のなれでなろう系のすごさを分かって無い。大半の作品は過去からあるものをどうやって延長させて作るか?にある。この過去からある。これがなろうが何故今受けてるのか?のポイントなんだ。難解で複雑な物語じゃないのに、過去コンナ作品見たことがないなって思える。漫画物語の先端ってこういうのが多い。もちろん、根本は異世界転生召喚にある。しかし、過去の異世界転生召喚と似てるか?って疑問が出るほど大きな違いがある。私がやがて行き詰ると見てるのは、それでも所詮は異世界転生召喚の過去からの流れから完全には分離してないって点。カモノハシが哺乳類になれない。ジャンプのバトルモノが未だにコツコツ発展を続けて様々な作品分化してるのと比較すると、新しい大きな種になるほどじゃないなと。ネコ科=本の中の物語とすると、ネバーエンディングストーリーもふしぎ遊戯もどらえもんの本の中に入る道具の話しも、ネコ、虎、ライオンぐらいの違いでしか無い。後本の中物語って異世界召喚にそっくり。特にネバーエンディングストーリーはもろ魔法っぽいファンタジー風の世界観で根本的に異世界召喚の亜種だと思う。その点なろう系の古い仲間といえると思う。



 しかし私ケチですね。私単純に小説として評価して無いんですよ。小説って字を読む面倒臭さがものすごく評価落としています。選んだ作品もし上手く絵に出来たら評価どれも上がると思いますよ。私本当に小説嫌い…。文字の小説って事で文章を楽しむって意味を含めて文芸を支持してるのは実は私自分の感情からじゃないです。私そういうのうんざりするほど嫌いだから。それでも何でも優れたものは良い事だって気持ちがあるんですよ。例え多くの人が求めなくて、小数の集団だけで価値だとされていても、そのグループの中で磨き上げられる表現は価値として感情が動かなくても捨ててしまうには惜しいと思うわけです。それは小説愛とかからっきし無いけど私の性分ですね。後私文芸ってのはそういった文章のよさだけじゃなくてもっと様々な文字創作のよさがあると思います。そういったものをしっかり考えて読む楽しさそれはあまり頭を使わない漫画物語ではあまり得られないんじゃないかな?と思って価値にしています。後ある程度は私も価値が分かるためです。ただ私の物語愛がそれを邪魔してるだけです。同時に物語愛が消えゆく価値を残したいと思っています。



「ドミネーション」

 これ面白いな。星つけたいぐらい。つけないのは話し少なすぎ。やってる事は何の捻りも無いけど。何か楽しい。個人的なものなのかもしれない。ただ根本的にはオーバーロードと似てる。オーバーロードってもっと設定が凝ってる。これ腕輪以外単純すぎる。アルスラーンの内政を主にやってるナルサスみたいなものだ。


「ドラゴン・コア」

 これ悩む。話し自体はなんとも言えない。いろいろ見るとアリキタリなもので構成されてる。面白いのはストーリー展開だと分かる。そこに個性があるからアリキタリだと感じなかったようだ。後文章が笑いを混ぜてコメディの陽にじゃないけど何か軽い感じがする。これは少年少女が主人公の物語のせいなのかな?このあたりは良く分からない。この文体のようなものが読みやすくしている。なんとも枝葉の部分で見てる。フォローはしたけどそこそこ届かずかな。



 いろいろ見てきて何故これらの作品を保留にしたか?が分かった気がしてきました。うーん、長く見るとイマイチな部分が分かってきます。ただそれでも面白いと感じてみてしまう。イマイチだと思ってるけど結果として面白い。変な気分。じゃ面白さとは別のこの感情ってなんだ?と言うと私は普段アリキタリやつくりの単調さをかなり嫌ってます。私が重視するものは人が作れないモノを創る事になると思います。私の中で作り手の能力に言及する時にその人しか作れないなら希少価値が出ると見ます。それが新しさだけで決まらない王道作品の質です。新しさは確かに個性になりやすい。ただ総合的に良く出来てる。そういった完成度の高さの様なものも土台がアリキタリでもその作家しか作れないれベル差を感じます。それが価値だと感じるわけです。その価値によって私の感情は揺さぶられる事が多いです。だからそうじゃないのに楽しいって感情が動いてることに不思議さを覚えるからです。


「モンスタークリエイト」

 突然視点が変わって理解できなかった。ルル達のダンジョンに誰か冒険者が入ってきたのか。相手側から見る視点って構図は素直に面白いと思うが、最後の最後に気がつくまでどうなったんだ?ってわけが分からなかった。だからちょっとイマイチな一話だった。でもやっぱりこれはフォローだ。この商人ヨハネかいって分かった時フォローしようと思えた。というかこれトリックなのかな??文字による読者騙し。


「エターナル・ライン」

 地味だ。本当にジブリだな。ただなんと言うか大きな謎を秘めた記憶喪失の少女。ラピュタで言うシータ。昔はそれで見れた。最近はそれが分かるまで待ちぼうけに面倒になってる。昔懐かしいと言えば良く聞こえるが、古臭いというよりまたこのパターンかになってしまう。もちろん他の作品もそれは同じ。分かれ道がどこにあるのか?は分からない。それを言うとドラゴンコアも似ている。ただ言えるのはドラゴンコアは使ってある素材がアリキタリ。その差だと思う。この匙加減はすごく難しい。一過性なら新しいものほど良い。しかしそれらの中で何故残るものと残らないものが分かれるのか?新しく生まれたものは淘汰されていく。それによって王道が生まれていく。私はあくまで漫画アニメの王道が生まれた瞬間に数多く立ち会ってるため。どうやったら桁違いのヒットを飛ばすか分かっている。王道が新しい作品として生まれる瞬間が最高点の刺激になる。詳しい人や理性的にものを考えようとする人は起源をどうしても重視してしまう。


 実際は大ヒットは案外2番煎じでもアル。例えばけいおん。この前にあずまんが大王、ひだまりスケッチの方が創作として起源的な価値がある。でもこのスタイルの一つの完成形として上手くけいおんは嵌っている。ひだまりは微妙に笑って楽しい会話って話じゃない。その点けいおんはわざとらしい。どっちかと言えばひだまりの方が会話が良く出来てる。人によって違うと思うけどけいおんはすぐ飽きてしまう。会話のバリエーションが笑わせようみたいなノリが強くて単調だから。そういう意味であずまんが大王に似てる。でもけいおんはひだまりの後の作品になる。あずまんが大王は後によつばとに行くのが良く分かる作りになってて笑いの質が根本的に違う。キャラクターを可愛く見せる方向性が違うのが大きい。その点でけいおんはあずまんが大王の様にギャグ色が強いけどひだまりの後継者になる。私から見るとひだまりスケッチの作者の方が才能があるように思えるけど、実際大きくヒットしたのはけいおんになる。アニメ化の差も大きい。日常系はストーリーが無いから小説の話とはずれすぎるけど、あれは会話で楽しませるものなのでキャラクター見て可愛いだけであれだけの人気になるわけが無い。ちゃんと中身はあるけどストーリーしか見ない人間には分からないし、小説にも会話の重要性は大きい。



 正直このレベルだと困ってしまう。ある程度減らそうと思うから厳しく見てるのと、なんとなく序列をきちんとつけたいというのがある。ただそのせいで逆に本来上下つけられるものじゃないものを無理矢理やってしまっている。ただ根本的にあまりに明確な謎ケースはそれによって全容を出さずに見るので前半が弱い。次に一番重要だけど。ここで最新の更新が終っている。それを待つのが面倒…。これかなり重要。それを乗り越えてでも見たいと思う強さは無い。それ作品の出来と関係ないだろう?いや現時点では先が無いから判断できない。出来るには待たなくてはいけない。根本的に私は読むのを続けるのか?これを一番の判断にしている。未知のものが効果的に私を刺激し無いならあまり高く評価しない。その点この手の流れは作られすぎた。間違いなくこれからも使われるであろう一過性の流行ではない王道なんだけど。


 ここで釘を刺しておきたいけど、多くの目の肥えた人は、本物や永遠の名作に拘ると思う。でも漫画物語の本質はそこには無いと思う。新しいと思える印象が大事で、それは常に一過性の底の浅い流行によって支えられる。流行と言う言葉は誤解を与えると思うけど、私が述べたいのはオタクとは流行の先端の刺激を求めていると見ている。すべてのオタクじゃない。この刺激に後追いで乗ってきて多くの人が知る流行と言うものが生まれる。目の超えた人はそんなの小手先目くらましだと思うと思う。彼らは本物や永遠を質とするから。一過性の刺激で消えていく刹那を価値とするわけが無い。でも刺激の本質は新しいと感じる印象にある。事実新しいものである必要は無い。だから私は起源に囚われるなと書いてる。ゼロ年代からオタク論はキャラクター論に終始するけど、実際はそれは嘘だと見ている。確かに2000根代はそれでやれた。でもキャラ重視の2次創作的な作風、キャラクターの属性が飽和状態になり、キャラデザの水準が上がりすぎてしまった現在ゼロ年代のキャラクター論は片手落ちだと思う部分が強い。


 SAOのアスナファンには申し訳ないが、私はアスナはゼロ年代のキャラクター論では切り取れない古典的ヒロイン像と合致すると見ている。彼女は多分2次創作で魅力的にならない。せいぜいエロ同人がせきのやま。彼女の魅力はSAOと言うストーリーと切っても切り離せない関係にある。これは新しいわけじゃない、むしろ古い。私はキャラクター論ばかり言われるゼロ年代から物語でヒットした作品を数多く見てきた。ただ割合としてキャラクターを魅力的に見せるストーリーって作品が多かっただけで、きちんとゼロ年代からストーリーがキャラクターを魅せる作品もあった。そして今でもラブライブと言うキャラクターを見せるための凡庸な脚本って作品もある。ただ花田さんのコメディに振り切った回は凡庸だとは言えないけど。ラブライブは王道と言えば聞こえは良いけど、実際はキャラクターの魅力の邪魔をし無い部分がある。どちらも4コマ漫画原作アニメに比較されるとストーリーが面白いといわれる作品だと思う。でも私はラブライブはけいおんなど近い作品だと見ている。いかにもアニメらしい脚本はオマケみたいな作品に仕上がっている。昨今のアニメオリジナルの失敗の中でラブライブの成功が際立ってるのは、原作を含めたアニメのストーリーって点で見たとき能力の足りないアニメ脚本家でもなんとか作れてしまう作品なのが大きい。アニメ業界は今の漫画物語の先端の中で戦えるような人材がほとんど居ない。


 漫画原作者としても稚拙、一般小説家としてもイマイチ。私はSAOの作者をそうやって見てる。しかし彼の作品はリアリティで受けている。何故か?それは新しさを感じさせるから。新しいは重要じゃない。今この時のストーリーを感じさせるから。絶大な10,20代からの支持があった理由はココにあると思う。リアリズムじゃないリアリティ。ちなみに私は面白いけど、SAOを凡庸なレベルの面白さでしか感じてない。それは上記の2つが致命的にイマイチだから。バトルは冴えない、人間ドラマはつまらん。これで何を楽しめと?それを補って余りある刺激に溢れてるから。小説としてはゼロ年代の作品だけど、私は10年代のアニメはSAOが支配したといえるものを持ってると思う。それがネット小説の他の作品による部分が大きい。アニメの原作としてしか私はカクヨムの作品の価値を考えてない。ただし絶対じゃない。私の楽しんでる作品を見れば分かると思う。中年を代表して言わせて貰うと、古典作品は私達の過ぎ去った今の物語で、それらのリアリズムがどれだけしっかりしていても、自分達の物語であると言う今を感じさせるリアリティはそこには無い。じゃ何故それを私は楽しんでるのか?物語のリアリティで楽しんでるわけじゃないから…。基本私は先端の漫画物語に対して稚拙で王道としては残れないかもしれないけど、一歩引いて良く出来た今の玩具を楽しんでるだけだから。


「殻鎖記紀」

 これ絶対絵の方が映える。ケモナー大興奮の作品。ただ単純な擬人化じゃない緻密な種で区別された社会構造。これは見事だな。結局SFとファンタジーって高度なレベルでは面白いポイントは変わらない。飛躍をどう扱うか?この一点に集約されてしまう。SF好きの都合の良い結果論的な面白い作品をSFに取り込もうとする下品さが嫌いで私はハードSFだけSFと読んでくれと嫌気が指している。定義なんてシンプルなほうが良いに決まってる。ファンタジーとSFを根本的に区別しようとするほうが頭がおかしい。SFとファンタジーの間のSF風ファンタジー=漫画SFってのがしっかり確立されれば良いのにと思う。ガンダムは当然この漫画SFの中に入る。印象として受け手にどう写るか?この方が重要。何故SFが衰退したのか?で小説で見るのは良くない。非日常的なファンタジー世界として古臭い骨董品になって進化できなかったから。今SFが受けないのは印象が古臭いからに尽きる。ただこの作品以前から書いてる人種がどう関わるのか?これを見てからじゃないと評価できない。フォローだけ決定。


「異世界ダンジョンのボーナスポイント」

 これ面白いわ。懐かしいRPGツクールだな。意外と現実モードが楽しい。これGATEにやっぱり似てる。GATEで自衛隊以外の人が商売してた部分。アウトブレイクカンパニーは文化だから。思い切り物品。これはそこそこと言う評価前では最高レベルにしてフォロー決定。ただこの手の作品この先どうなるんだろうか?これが良く分からない。そうとう捻くれた作り方になって今がある。ただ剣と魔法の世界を堪能する時代は終ってる。ここから進化したと普通は思うだろう。それがなろうの欠点でもアル。同じコミュニュティの中じゃその中の事しか頭が回らない。なろうがアニメに与えてきた影響が今後どうなるのか?アニメによって与える刺激が落ちたら多分なろうはピークを終える。ただなろうの中では絶滅と言うことは無い。それがものすごく複雑なんだ。でもカクヨムはそうはいかない。なろうほど巨大じゃないから。中にいては気がつかない事で、この手のものは、大きな進化をし無いと大体初期の王道が面白いんだ。根本の部分でこれは王道の作りになってる。ただひねくれてきてるな…。これ良く無いんだよな。なろうの中では新しい進化をそのまま刺激にしてしまう。しかしジワジワと元あった刺激が薄くなってる事に気がつかない。新しさが持つ罠。何度も書いてるけど、ただ新しいだけじゃすぐに淘汰されてしまう。それがされないのは、なろうって閉じた空間の中で一般的な反応をし無い訓練された読者だから。だがラノベより大きなアニメまで含めたオタク層は違う。私はどう見てももうやばいと見てる。偶然、捻くれた進化から全く新しいものが生まれる可能性がある。ただその確立は低い。基本的に進化の袋小路は衰退の流れしかない。


「戦巫姫と黒の魔神」

 アリキタリな世界観じゃない。ただそこまで自由か?と言うとシンプルだと思う。だから逆に見やすい。根本の部分で悪魔ですべて片付けていてそこがどれだけ工夫してもアリキタリになる部分がある。地味とイマイチの間。地味でフォローする事はあるのか?ならあると思う。何事も例外。それは過去地味で切った作品と何の差があったのか?一番は適当。そもそも適当の領域になってしまうのが駄目だと思ってる。技術によって確率を上げられるならそれは偶然が必然に近づくことになる。そもそも適当な選択をされるのは必然を作れて無いからって事だから。次に50点と51点は違う。でも言葉はどっちも地味。そういう差があるのかもしれないけど探る気も無い…。ただ今回は何か読みやすいなと思うのでそこでプラスかと。


 作り手の性別はわからないけど多分女性じゃないか?と思う面がある。女性は何故か和風ファンタジーが多い。夏目友人帳とか見てもなるほど高いレベルの作品が多いと感じる。肌感覚なリアルさから女性は自由になれない。それゆえどうしてもリアルな繊細さの出しやすい日本を作りガチなんじゃないか?と疑ってしまう。リアルさに関してクソ真面目すぎる。これだけならすごい力に思えるけど、その反面非現実的な部分の刺激の作り方が甘い。どっちを立てるか?でどうしても性別に根ざすような選択をしてしまう。それは男はリアルさで雑なものを作りがちじゃないか?ならそうだと思う。ただ漫画物語の先端で戦いたいなら男の枠組みで勝負すべきだと思ってる。その時女性的リアルさは微塵も役に立たない。それはもっと突っ込むと自分の面白さとは何か?の追及が甘い。


 女性蔑視的な話がしたいわけじゃなくて、男向けでも受けてるもので日常4コマがある。あれは女性的好みを上手く男性向けに加工してる。オタク向けは作り手の好きと受け手の好きの共有で成立する。これがオタク向けが熱狂的なファンが生まれやすい原因。男の好きと女の好きが同じなるわけが無い。しかも問題なのは女オタの方は女性一般の好みとズレテル。女っぽい作品だなと思っても全く深夜アニメでヒットしない原因はここにある。基本的に深夜アニメは男性オタクで、残りの女性オタが特殊な趣味してて一般女性向けがヒットしない…。だから女性がオタク向けで生き残るには男性オタに受けるか?同じ女性オタに受けるか?になる。どっちにしてもオタクっ気が無いなら自分の好きじゃない。そこで参考になるのが日常4コマになるって話になる。実際は多くのカクヨムの女性作家さんはオタク向けなんて作ってる気は無いと思う…。ただ漫画だけ物語として私は女性作家(推測)には間違いなく刺激を受けないとだけ書いておきたくて。ちなみに日常4コマの半数以上は男性オタク作者さんで自分好みの少女を量産しています…。私もずっと女性漫画家さんだと思ってた人が男性だったのを知って複雑な気分になりました…。


「アンチヴレイブ」

 結構前に見たのに覚えてる。これ駄目。見てたら特徴が分かった。これ絵的なほうが面白い。おそらく復讐譚に対して戦闘が多いから。実際最初はそんなんだった。こんなの文字で見るのもったない。良い作品だと思うけど面倒でやめ。バトルでも文字による表現の追及ってあると思う。ただライトに見るならそれは面白さになりようがない。ふざけた人間だと多分思われると思う。ただ私は何故小説がここまで衰退したのか?を書いてる。小説の衰退は紙媒体の衰退にあって直接的ではない。でも本が売れない前から実際読書に対する若者はなれがかなり前から目立っていた。それは私の若い頃から合って、漫画の層を取り込もうと始めた部分がラノベには強い。


 女性っぽい作品だなと思うほうが案外アクションとかバトルで小説では上手いと感じる事がカクヨムでは多々ある。ただそれはリアルな描写タイプの作品が多い。要するに女性らしいリアリズムの縛りが結果論的に戦いの描写のレベルを上げてしまってると見てる。女は漫画やファンタジーが向かないとは思ってない。ただ受け手の好みに自分の好みを上手く加工したほうが言いと思ってる。そういう意識が無いと自然に作ったら絶対男オタクに女性向けの作品は受けない。私女性蔑視的じゃなくて逆で女性にもきちんと意識すれば作れると思ってる。ただそれは自分の作りたいものを創るって自由さはある程度制約を受けると思う。じゃ受け手に受けるように作るのが良いのか?と言うとそんなオタク向けはヌルイものじゃない。そこにきちんと自分の好きが無いと。パーツとしてなら男も女も同じ好きを持ってる。でも全体としてはそれらが全く違う形になってしまうだけで。基本的にオタ向けなんて女性にはキモイんだから自然に作って作れるわけが無い。ただ私悪役令嬢って知らない。あれってなろうの女性向けなのかな。分からないけど。


「優しい剣士は銀の髪」

 地味ぎりぎりでフォロー。本当ならしてない。ただ地味だこりゃって失望するまで見て見たい。保留に近い。前と違うのはどうも根底のところでアリキタリな人間関係に縛られすぎてる。アリキタリと言うのは悪い言い方だけど、別に家族とかどこにもであるようなって意味で。ファンタジーの部分が弱い。ただファンタジー的飛躍で時間差出来た義理の兄弟って設定は凪のあすからに似ててちょっと見たくなった。


「いやいや、チートとか勘弁してくださいね?」

 これポイントはついてると思ったけど駄目だな。なんか残念だな。設定は上手いと思うのにな。何か理屈がクドイ。私は魔法科とか好きなので嫌いじゃない。ただこれは駄目だ。私には駄目。正直末期症状の一つだと思う。設定は末期だけどまだ良さがある。末期ならではの良い点。ただ、理屈っぽい部分もまさに末期ゆえであかんわと思える部分。根本的にはこの人の個性だと思う。ただその個性が何故末期と繋がるか?と言うと、突っ込んだらアカン部分に突っ込んでる。そもそもステータスとか出るとか真面目に考えすぎると収拾がつかなくなる。ただこれ個人の問題とならないのは、こういうリアルなツッコミって末期に出やすい。捻りを入れようとするからこういう形になりやすい。個人の資質と漫画物語の末期が結びついた好例。初期設定と最初の別の召喚者に不快になる流れはスゲー上手いんだけどな。ただ今回やっと全容が見えた。なるほど、ステータスで魔族だと見えててそれでやっと魔族が主人公って分かった。何故こんなに勇者返そうとするか?が良く分かった。邪魔だわ。これかなり上手いと思わせるので落とすの嫌なんだけど。私多分なろう系に過剰反応があると思う。流行のものに後から触れて刺激になってるけど一過性のものに嵌りすぎるのあほらしいとも思ってる。ブレーキとアクセルがかなり滅茶苦茶になってる。贔屓してると同時にすごい警戒してる。なんとなくこれ不味いなと思う部分があるから。ただ年食うとあかんとなるのは、一過性に大してやたらと拒絶するようになって食わず嫌いになる。それだけは避けてる。それでもすべて若者のように反応するのは面白くないと思ってる。若作りしてるみたいのが嫌いなのと、後は独特の視点としてわざとおっさん臭さ入れてる。実際これ若者じゃないオッサンが自分の楽しみで作った文化。それでも今結果論でもこれがオタク向けの先端なのはすぐ分かる。


 新しさの刺激は受け入れるけど、同時に理性的に滅茶苦茶な物語の作り方なのはすぐに分かるから。それに対する警戒感を常に持ってる。単純にリアリズムに対する作りが悪すぎてそれを末期を早めてると思ってるわけじゃない。未だにリアリズムの部分微妙なジャンプバトルモノたっぷり進化して残ってる。種としての広がりが多分無理だろうと見てる。確かにバリエーションをうんでる。でも根幹が古典的な異世界召喚なので捻れば捻るほどここに近づいてしまう。オールドファンションの再流行みたいにならないか?現代イズムを取り入れて微妙に進化するやつ。どうだろう。その辺は服飾とは違う気がする。グリムガルが一番近いけど、根本の部分で設定世界観の滅茶苦茶さはやっぱり今風。微細じゃない。あの作者さんあそこまで書けるならラノベじゃなくて現代ドラマ書いたら?ってなるけど、現代ドラマの多くはホームドラマとかじゃないと舞台が必要になる。そこのリアリズムを保とうと思うと経験や知識(取材)が必要になる。グリムガルの設定世界観の適当さはおそらく意図的にやってると見てる。グリムガルって根本が現代的で枝葉が古典的だと見てる。実際アニメ化で省略された部分が大きくて、それなりには作りこんでるとは聞いてるけど、古典ファンタジーの様ながりごりしたつくり込みじゃないと思う。360度捻って古典回帰あるだろうか?と言うとそれには疑問がある。


 ゲームの方の進化に合わせてアイテム課金の流れを入れてくるケースもある。これがかなり苦しいと思ってる。はっきり言って枝葉。効果的なのは間違いない。ただ根本的に新しいゲームになってない。カクヨムにいるからなろうの失敗を願ってるとかなら違う。なろうは失敗しない。それは前書いたように衰退は急激に起こるわけじゃない。むしろ異世界転生の衰退はカクヨムこそが問題になる。なろうが全く変化が無いのにカクヨムだけが駄目になっていくってある。ここでやっぱりなろう系なんて排除して作るべきだったとなる流れはある。でも問題はそんな単純なものじゃない。なろう系はもうラノベの先端という大きな流れになってる。それを取り入れずにネット小説の多数派であるオタク層が来るわけが無い。何度も書くけどカクヨムが企業サイトとしてやってるわけじゃないなら良いけど企業としてやってるならネット小説の多数派を取り込もうとし無いのはありえない。実際取り込む気満々。根本的な方針の問題じゃなくて、オタク向けはそのままに次の時代を見据えた流れを作るにはカクヨムという新しいサイトは好都合だと書いてる。多分こんなサイトすぐにお釣りが来るぐらいの大きな話になる。ただ多分それは簡単じゃない。これだけの大きな波に値する作品を私は2000年以降SAOにしか感じた事が無いと書いてる。今とオタクのタイプが違うブギーポップならそれに値する。ハルヒが後は近い。ただハルヒは私は違うと思ってる。あれはキャラクター文化の幕開けとしての意味合いが強くて、物語の価値としてはそれほど凄いものがあったか?と言うと微妙だと見てる。


 何故私がブギーポップを含めたくないか?と言うと時代がまず90年代後半であるのと、年代だけじゃなくて根本的に漫画物語の先端って今の流れじゃない。やっぱエヴァとかの流れの後追いだと思う。ラノベがオタク文化の先端になった時代と違う。単純な全体の発行部数とかで今より低かったとかじゃない。今ラノベが担ってる役割と較べると当時のラノベの重責なんて比にならない。というよりもネット小説が担う役割。SAOクラスがカクヨムで生まれる?無いわ…。ドリーム過ぎる。それならなろうも変わらない。カクヨムだから生まれるもの。これがどうも創造できない。オタク向けの頂点に立つような作品以外多分カクヨムを支える作品は苦しい。なろうの次ってこれぐらいきつい。今までどおりすでにある古典的作品の細部にちょっとした個性を加えて作っていくか?それじゃネット読者は消える。SAOまでいかなくてもなろうとオタ向けで共存は出来ないのか?分からない。ただ言えるのは異世界転生はなろう以外未来が無いと思う。かといって次の時代のSAOがカクヨムから生まれるなんて想像できない。SAOが凄かったというよりゲーム世界観がゼロ年代の土壌にあったことが大きいと思う。この根本の新しさが現実に生まれないとどうにもならない。バトルモノのような創作の中だけで進化する何か?が多分なろう系に足りないと見ている。何故か?と言うと私の直感になる。これは広がりを持つ題材じゃない。それが当たるか?どうか?分からないけど。実際今イマイチなんだから。後都合良いときだけ小説の話しだなとなると思う。これは当時と今じゃ小説がもつオタク文化の重責が違うからって話がしたかったから。ラノベ史って話をしたかったわけじゃない。そもそも私はブギーポップ後日談のアニメと漫画しか見てない。ただあの作品が電撃を作ったのは分かる。それぐらい当時のラノベにはエポックメイキングな作品なのは分かる。


 ちなみにハルヒの流れはラノベでは衰退としたと見てる。SAOなどの物語の中に古典回帰的にキャラクター性で売る部分が取り込まれてしまった。変な話だが、ハルヒが物語から遊離したキャラクター性を生み出したならSAOは逆にそれを物語の中に戻してしまった。アニメの中でそういった主軸はラノベでは物語重視の作品にしかない。ラブライブのようなアニオリ(元々は電撃企画なのが小説の限界を見せてる)、ごちうさの様なけいおんの流れをうけつぐ漫画原作など。何故ラノベが衰退したかでキャラクターで売る部分が廃れて物語重視じゃないキャラクターがラノベを引っ張ることが出来なくなってしまったから。他に物語性の薄いソシャゲなどにキャラ売りが取られたなどもその一つだと思う。


 私の話しを見れば、オタク向け以外のランキングの利用は止めた方が良いと分かる。どうやるのか?分からないけどランキングはオタク向け以外逆に邪魔でしか無いと思う。早く他の物に色気があるなら手を打ったほうが良いと思う。そうじゃないと優秀な一般向けミステリーとか嫌気が指して消えてしまうと思う。読むと言う繊細な行為をランキングの様な乱暴なやり方で決定するのは良くない。あれはオタク向け専用の方法だと思う。


「王たちの機械」

 駄目だ面倒だ。ただこの作品は面倒を乗り越えるものを持ってる部分がある。私は作品の作り方には2つあると思ってる。リアリズムとその緩和で大きく物語の作り方は違う。でも本当に重要なのは一般オタクよりももっと違うわけ方がある。それがこれになる。作者が己の感性理性に従って物語を丁寧に作り上げていく。パッと見何を楽しみにして楽しめば良いのか?分からない。ああこうやって楽しめば良いのか?それは見る側で様々に分かれるのじゃないか?と思う。そこまで自由な作品は実際は無い。ただ極論を言えばこうなる。それに対して娯楽作品と言われる作品の多くはじっくり味わうように読むのではなくて、こういう風に楽しむってのがもう決められてて作者にそれをコントロールされて読まされるだけになる。嫌な部分もあるけど、自由と言うのは実は扱いきれないってテーマと似た部分がある。与えられた道ってのは楽な道になる。何が面白いのか?分からないとはいわない。ただこれ作者が作った独特の幻想的な作品世界をのぞいてるだけの気がしてしまう。


「魔導英雄譚 破邪戦線」

 まじで正統派だな。普段なら切ってると思う。ただこれ異世界召喚なんだよな。そこがやっぱり面白さになってる。特別な力がある。他にも来たメンバーが居る。それぞれの特殊な力が知りたくなる。あらすじによると後2人出て来てない。それ出るまで見るか。これただ漫画の方が面白いだろうな…。描写の仕方見ていれば分かるけど普通にリアルな西洋風の町並み。ただ魔法や特殊効果の剣などは絵の方が合う。実写でも出来なくは無いけど、かなり派手な感じ。私が切る理由が揃いまくってるが見てみたい。この作者さんには私個人が楽しめれば良いってどうしようもない短編を評価してもらってる。それでつい甘くなりそうになる。相互って気持は分かる面もある。内容はどうでも良いが相手が星付けてくれたら自分も星つけておくかと。本当にランキングを当てにしてる読者には害悪でしかないな。相互取り締まれと思ってない。時限的に読者の少ない今だけ作品公開してる作者からの星は無効化しろってだけなんだ。禁止じゃない。


 後異世界召喚って本当になんだろうなと思う。今起きてるなろう系ってやつはこの作品見てかなり突っ込んで考えてほしい。この作品は古典的なファンタジー作品の亜種である異世界召喚物だと思う。亜種と言うよりなろう系は逸脱と言って良い。視点の違いがまず大きいかな。どれだけ英雄視されていても所詮は世界の中の一人の人間に過ぎない。そういう俯瞰の視点で描いてある。それに対してなろう系は大体主人公がゲームのプレイヤーのような一人称視点で描いてある事が多い。実際はもっと違う点多いけど、根本的に描きかたが違う。この作品が昨今の作品に影響を受けてるのは都合よくチート能力を付与されてる点だと思う。それぐらい。でも描き方がまるで違うのでこっちは古典の範疇に見えてしまう。地味って評価でフォローかな。滅多に無い。やっぱ星貰ったからだろうな…。


「白兎と金烏」

 フォロー決定かな…。ただこういうタイプさすがに飽きた。そこそこと地味の間。また女性作者なのか?と考えてしまう。2chで話し合われてて、和風ファンタジーには女性作者が多いと。不思議といい加減なことが多い2chでこれだけは正しいかもと思ってる。ただもちろん西洋ファンタジー多い。問題は男の作者が和風ファンタジーを作らないから比率的に高くなってしまってるだけで。中華風も12国記はそうらしいと、後彩雲国はファンタジー部分が微妙。そしてふしぎ遊戯。ふしぎと和と中華に女性作者が多い。相関はあると思うが正直因果は分からない。


 散々女性がーーって言ってきてるけど、私は女性作者っぽい作品を好む。それはまず第一に今回の話が大きい。西洋ファンタジー以外のものを見れるから。しかも私は豚公爵を恋愛からみ嫌いと切ってしまった。女性向けっぽい作品は恋愛からみの色が結構強く出る。これは突っ込みたい部分もある。私は漫画物語を描く上で女性はそのままの好み出したら駄目と書いてるから。それは逆に言えばそのままの好みを出したものは独特なものが出来る。それを私は古臭いと思いつつも好んでいる。そういえば蟲師もあった。突っ込みたいが敢えて突っ込みたくない。理由は男性作者でも全く違う方向性で古典西洋風ファンタジーで好む作品もあるから。その辺りすきっとした話にならない。


 突っ込んでみると、なろう系の発達の根底にゲームがあるのは何度も書いてる。西洋風ファンタジー以外のゲームは割合的に少ない。男性の西洋ファンタジー重視はゲームにあるのじゃないか?と見てる。舞台よりもゲームシステムやそっちがわに向かって発展したから。それを取り入れたのがなろう系の特長になる。なろう系を見てテンプレと言うのははっきり言って間違ってる面がある。凝る部分が根本的に一般的なファンタジーの作り方とずれてるだけなんだ。ただ私が何故なろう系が行き詰るか?と見てるかの様々な理由の一つでゲームを物語りに上手く落とし込んでるけど無理があるから。ようはゲームじゃ出来ない強引な事を小説を利用してやってる。でも根本はゲームっぽいって矛盾した事を両立してやってる。こんな無茶上手く行くわけが無い。これが広がりを欠く部分だと見てる。それは作り方が悪いわけじゃない。なろう系ってのは差別化というよりニッチだと指摘した部分になる。ニッチはその性質上広がりをもてない。ニッチは悪い意味にも使えるし、良い意味にも使える。この場合問題点の指摘なので悪い意味で使ってる。性別関係ないじゃんー。男性の方がこういうタイプのゲームやる割合が高いんじゃないかなって憶測…。


 ただこの理屈問題点があって、私が男性が作る古典西洋ファンタジーでも好きな場合について統括してまとめてない。なろう系と和風ファンタジーの対比にしかなってない。ここから無茶な話になるけど、男性が作るファンタジーは緻密。女性が作るファンタジーは繊細。リアリズムを同軸する場合こういう対比になる。女性は俯瞰した視点でのファンタジーを絡めた世界全体の緻密さがイマイチ弱い。キャラクターにおけるリアリズムに力を入れすぎる。実際程度の問題で話しにならないってほどじゃない。私はそのキャラクターの繊細さを面倒だと思いつつ好んでる部分がある。その感情はなろう系とは180度逆のものを持ってる。


「I_AM_GOD.:異世界で神様はじめました。」

 またこれ好きだな完結したみたいなので全部見て星決めるか。そこそこフォロー。私癖が出てる。ゲームに向かないゲームみたいな世界観これが好みになってる。実際作ったら多分面白くない。小説ってこういうのが向いてる。ただ根底はやっぱゲームっぽい。ただなろう系をゲームで切り取るって簡単には出来ない。根底には主人公を中心としたプレイヤー視点があると思う。異世界で上手く楽しむでーー。だと思う。主人公も同様に俯瞰的なドラマを見るって感じじゃない。


「練菌術師と竜国の騒動」

 フォロー決定。ジブリ臭い作り方。ただ宮崎駿が数多くの映画から影響を受けてると思うからそれも大きいと思う。活劇的要素に溢れててそれで退屈しない。文句なしに絵で見たい。もちろん宮崎絵で…。後科学と魔法の融合だけど苦しいと思う。魔法科って滅茶苦茶上手くやってたな。とあるは見せかけだけだ…。アノ人魔術などの知識は凄いけどその凄さと較べると科学はしょぼい。ああいうオカルト知識好きっているからな。魔法と言うかSFじゃなくてファンタジーじゃないと駄目なのは飛躍の仕方がSFは苦しい。結局SFの大半はファンタジックな飛躍になってしまうのがオチ。その辺りの融合が滅茶苦茶難しい。



 フォローしたから終るまでログインはするけど、それ以外はもう関わらないと思う。読んだのを感想書いたらどうか?ならつまらない。私基本は新鮮な作品との出会いを書きたいから。深く狭くってのもやってみたいけど、基本広く浅くにしたい。元々ランキングってものを漠然とつかみたいからやり始めたのでどうしてもそうなってしまう。後は多くの人に不正不正で思考停止になってる流れに別方向で挑む読者がいると知ってほしいと思ってるから。私から見たファンタジー作品はこうやって見えると強く言いたい。それには全体像の方がふさわしい。後は、私は深く狭くより、広く様々な作品をどう感じるか?を他者に見せたい。ただ私はいくつは深く狭く迫ってみたいと思う作品もある。それでも不味いのはさすがに完結してくれと言う点。ネット小説の性質上完結を急がないので正直深く狭くはあんまり合ってないと思う。


 大半フォローになってしまったのが今回つまらないなと思った部分。新しい切り口を書けなかった。それも続きの感想を書くのが嫌な部分。じゃ何故ちらほらやってる作品があるのか?となるとその点は手抜きだと思ってる。正直言えば過去書いた感想で1話1話じゃなくて完結まで読むか?まとまった感想にすべきだったと思う面がある。特に横浜。


 横浜と言う作品は強く語るべき作品だと思う。あれは出オチだと思う。それはある程度正しい。だったら途中つまらないか?と言うと出オチにしかならないものを良くココまで仕上げたって感嘆はある。初期設定の個性あるインパクトに対してストーリーの展開のSFとしてのアリキタリ感に大きな落差がアル。これが出オチの根拠になる。ただそれだけで横浜つまらんって私は思わない。一部の設定マニアには途中楽しめると思う。私がそうだから。次にアリキタリとはいえ、あんな奇抜な設定を王道のストーリーラインに乗せたのは素直に上手いと思う。SFのありきたりであって、古典的な御伽噺や昼メロみたいなありきたりじゃない。ここがポイントになる。アリキタリはアリキタリだけどワンランク上のアリキタリ。一番の問題は私はそんな事よりSFとしてオタク向けとして食い込める面白さはさっぱり無いと思う。SFが漫画物語の先端ではもう凋落して古典的な人間ドラマレベルに落ちてしまって一般層の娯楽になってしまったと思う。元々SFってリアリズムがユルイ漫画だけ物語と相性が悪い。SFの良さって飛躍したリアルな世界観の構築にあるから。SFと古典的刑事ドラマが結びついたサイコパスなどが生まれたのはアル意味必然だと思う。SFが飛躍を作る物語の主役になる事は無いと思う。SAOが辛うじて漫画SFとして捕らえられるものだと思う。横浜が売れるのか?謎なのはファン層が思いつかないから。それは横浜自体の面白さと関係ない。SF全体の問題。SFどっぷりのファンには怪しい作品。中途半端にファンタジー系の刺激を持ってる作品。だから私がずばり嵌ってるのがわかると思う。ただ客観的な視点なら中途半端…。漫画なら一定のファンがいるからいけると思う。ただ、問題はあまりに文字に特化した途中の面白さ。あそこまでくどくどした設定語りを漫画で展開するのは無理。省略したら途中全然面白くないし。あれをつまらんって言う人が多いのは分かる。途中の流れは設定マニア向けだから。SFに思索的なものや設定使った人間ドラマ求めるような、多分一番巨大なSFファン層には合わない。


 たっぷり書きました。それと言うのも本当に最後だから。前から書いてるように再会しても新規でやるつもりです。中途半端に放り投げた気持になってたのでそれを整理したいと思っていました。後勘違いさせてしまったかも?と思っていたのは、私がスコップしてるのは自分のためです。誰かのためにこんな作品ありますって紹介するためじゃないです。ランク外の作品で過去してますが、基本私の感想は同じ作品を読んだ人のためです。この人はどう感じるのかな?単純にそういうもの魅せたい言うのがあります。いろいろごちゃごちゃ理屈を書いてるけど、実際読んだらどう感じるの?それを魅せたいんですよ。かなり考えて書いたものと感じてることに一貫性があると思います。一貫して古臭いものをややハンデの様に低く評価しがちです。今回でも古典的な作品を数多く高く評価しました。それは低くは見てるんですよ。それを乗り越える部分を感じてるからです。後単純にカクヨム非なろうファンタジー多く無いですか?割合とか調べた人がいたら確認してほしいです。なろうてんぷれテンプレって言われますが、全然溢れかえってないんですよね…。単に好みじゃない人が目立つから言ってるだけじゃないかと。


 後なろうが行き詰るだろうと見てるのは、土台にしてるゲームが古臭くなる事だと思います。今ネトゲ嫁ってアニメやってますが、今はすっかりいまいちになったラノベラブコメです。しかしこれ上手くやっています。それでもいずれは氾濫しまくったネトゲというキーが逆に今度は悪い印象になる日が来ると見ています。ついにラブコメまでネトゲかよって。一時期溢れた中2病も今じゃすっかり下火になっています。このすばのめぐみんに少しその色が残ってますけどね。私の話しってアニオタが無理矢理小説の話しに食い込んで話してないか?と思う人いるかもしれません。私はそうじゃないと自分で思っています。その逆でどっちかと言えばオタクの領域に小説が食い込んでるなと思っています。それで私は小説マニアを単純に邪魔だと書いてるわけじゃ無いです。何故両者が同じ物語なのに安易に比較しちゃ駄目だといってるかの話をずっとしています。


 古臭いとずっと書いてるけど、実際それは単純じゃないです。日々古典もちょっとだけ進化してるけど、そのスピードが異常に遅い。これは当然で今でも残ってる古典は王道として淘汰の結果残ったものです。それはすでに完成されていて、これ以上大きな変化を加えるのは蛇足なわけです。それでも日々小さな変化や新しい作り手の個性が付け加えられてきます。でも漫画物語の先端は今新しいと感じさせるものが生まれたばかりで進化速度が全く違います。本質的な違いじゃなくて、所詮は変化の程度の違いだってのが私が言いたい事です。もし古典が同じぐらいとんでもない変化をしたらそれは新しいと感じられると思います。その根拠がそもそも異世界召喚古いから…。根本的にSAOのゲームファンタジーが摩り替わっただけと見てるのでそれが新しさの原因だと見ています。それでもVRMMOとはやっぱり違います。数多くの作品は古典の召喚作品をひきづっています。すぱっとゲームで割り切れるような綺麗なジャンルになっていません。結局古臭くなるのは進化が緩やかになるからだと見ています。全く進化をやめて落語やシェイクスピアや歌舞伎を延々とやるのもありますけどね。完成された作品を弄って変化させる必要は無い。ただそれは新しいって印象を重視しそれが刺激になるファン層には受けない。基本漫画物語の面白さは笑いと良く似た部分が強いです。笑いは時代に左右される部分が強くて、2chならおっさんばかりなのに古い2chのノリを否定する人が多いので分かると思います。


 多分私のやってる事に反発を覚える人はにわか最強の話方だと思います。それは違うって話をずっとしています。趣味人としての玄人の価値は玄人の価値として納得できていて、それが私の文芸庇護に繋がるわけです。根本的にオタク層中心の今のネット小説でランキングにはまともに読者が増えてきたらそれが上る事は無いです。だからそれに変わる新しい検索方法がいるわけです。そもそもそういったタイプの人は他人の評価を受け付けません。じゃ一体何のために必要なのか?と言うと私は最初から評価を通じたオタク層の一般への取り込みを狙ってるからです。いくつかあります。まず基本オッサンが多いので完全に一般と分離してないためです。ただ苦労して探すほど好きじゃない。次に若い人はそもそも印象から好きじゃないだけで、知ってみたら嵌る可能性がある。オッサンの選び抜かれた選択の結果とは違います。後は一般の自分で探すの面倒なライト層向けです。何度も書いてるように文芸なんていってみてもネットの評論家だとガチな文芸にはいかないと思います。一般小説の範疇だと思います。だが、ラノベとはさすがに違う。あくまで趣味におけるラノベしか読まない愚民は教養を身につけてまともな一般文芸に挑むべきだ。こういう話はやめて、それはそれこれはこれ。無理矢理ごり押しの価値観を頭ごなしに言うべきじゃない。何かを楽しむにはそれなりに知識経験素養などを自分を磨く期間が必要になる。それを経た後味わい深い楽しみが得られる。実際一般小説でここまで頭固くいう必要ないですけどね…。


 ただそれでも根底にこういうのがあると思います。そういうのやめてもっと自然な感じで入っていけないかな?って思ってです。そもそもラノベでも読んでいれば漫画よりは読む力鍛えられます。そして漫画の方がアニメよりは鍛えられます。ラノベを読んでる時点でアニメ視聴者の何倍も読書習慣には近づけます。これを利用しない手は無い。おっさんばかりだけど?それは私は若者もこの流れに入ってきてると見てるからです。育てたのはオッサンでも参加してる人はそこまで中年が純粋に居ると思わない。私としては健全にまた10代が作る文化にラノベが戻ってほしいというのもあります。今の捻くれた中心となっておっさんが10代の作品を楽しむって形じゃなくてです。おっさんが楽しむのを否定してるわけじゃないです。あくまで10代が作った流れにおっさんがのってるって基本構造はしっかりしてほしいからです。そうしないとラノベは先行き世代交代の点で暗いです。



 おそらく辞める辞める詐欺だと思われてると思う。それはそれで良いかな?と思ってる。私自身そういう人数多く知ってて、私が特別なのは知ってるから。私びっくりするほどどっぷりだったネットコミュニュティから姿消してしまうから。ネットで依存的になるのって、無自覚が大きい。そこで私の中でコントロールできない部分が単純に書きたいって部分。これをシンプルに我慢って単純な形でコントロールしてる。別に我慢が大事だと思ってない。この活動はデメリットが多い。健康被害の多い嗜好品と似ている。分かって入るけど辞めれない。そしてボロボロにナル。その部分が、私外れを読むのがすごく苦痛って点。今回楽しんでるから。そしてそれに限りがあるのが分かってる。過去に選別して残った作品を精査してるだけだから。なんとなく評価の決着つけずに放置してしまったのが引っかかっていたから。後は星つけられるならつけてあげたいから。コンテスト終ってからやられてもーーと言われるかもしれないけど。そういう人って長続きしないと思う。何度も書いてるけど、どんなタイプの小説でもネットで公開可能だから。


 本当に重要なのは小説を書いて公開する場所じゃない読者の重要性。なおかつ読者の反応。大体悪い反応が多い。出来たら良い反応が見たい。悪い反応は良い反応のためにある。嫌な言い方をすれば適度な悪評は健全な場所であるのを分からせてくれるから。適度な悪評は甘味に入れる塩に似ている。実際そんな都合の良い話は無いから力足らずの作者が大半で悪評の方が多い。悪評が糧とかそんな修行みたいなのさすがにやりたくない。目的が無いと人間悪評と好評で自分の行動を決めていく。悪評に対してはこれはやらない方が良いと対応するのがまともな人間の反応だから。別に悪評を受けいけるなんて真面目に考えすぎないほうが良い。悪評ってのは私も分かって言ってるけど読者の餌だと思ってる。星=好評は作者への餌だと思ってる。実際好評は作品が面白かったと言う読者の餌の副産物でもアル。


 読者の方がメリット多くない?多い。それは他に選択肢があって読者は逃げていくから。ただ同時に個人のブログで誰もこない場で小説を公開する無意味さは悪評の苦痛と天秤にかける迷いは十分にある。悪評がマイナスなのは間違いないけど、0は絶対にプラスにならない。小説投稿サイトってまるで重要じゃない。いざとなったら個人で公開してる様々なブログにリンクハルだけで成立してしまう。カドカワの看板が大きいのと、後は、やっぱりそこからもっと読者が楽しむ機能が重要になってくる。読者のデメリットがあるとすると他にも楽しみはあるのに何故つまらないものを見なくてはいけないのか?になる。これがかなりの苦痛で、小説ではなくて物語そのものを楽しむなら多分カクヨムなんてマジで楽しめないと思う。読者の楽しさを作品以外で引き上げる工夫をし無いとやってられないと思う。


 小説好きと物語り好きは根本的に異なる。スコップと言う言葉があるけど、あれが特別視されるのは発掘する喜びを糧に出来るから。その分のデメリットをあまり問題視して無い。根本的に小説好きと物語好きは違う。物語好きはメディアに囚われない。小説好きはとにかく読むのが好きでスコップ作業のメリットが大きすぎる。私からすれば痛いって苦痛でしか無いSM趣味に見えるほど。見る楽しみで下位ランキングまでもぐるスコップは余程苦痛に耐えないとおそらく出来ない。私の書きたいという欲求は、このデメリットの苦痛から速攻で萎えさせる事が可能になる。


 こうやって書くと、カクヨム大丈夫か?と思って当然だと思う。私は思ってる。こんな苦痛な娯楽無料だからって数多くの人が集まるわけが無い。読むを趣味や仕事とする人は見るを面白さとする人と次元の違いを理解してほしいとは思う。だから私は書いてるんだけど。そんな奴来るなは納得できる。ただカドカワはおそらくそう思ってない。カドカワってのは所詮読む書くのプロだなと思う。見るのプロの視点が甘い。


 書きたいけど、そのために物語を見る苦痛が多すぎて、勘弁してって話をしています。ホントこれで最後だから…。

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