鬼神の京にあらわれる


 時は春。夕雨は降りしきる。男たちは酒杯を交わす。源頼光みなもとのよりみつは言う。「大江山の鬼を征した後、京はまさに平安であるが、しかし退屈ではある。何ぞ世に珍しきことはないか」と。

 藤原保昌ふじわらのやすまさは応える。「私は見たことは無いのだが、九条の羅生門に鬼が住み、夜は人が通ることができないのだともっぱらの」

「馬鹿な」鼻で笑ったのは頼光四天王らいこうしてんのうがひとり渡辺綱わたなべのつな。「王地たる都城南門に鬼が棲むいわれは無い」

「しかしこれは皆が噂するところぞ」

「噂があてにならぬということ私が証明してみせようか。折よく日も暮れたしこれから羅生門へ行ってみる。おのおの方それでよろしいか?」

 そう言って部屋を見回す綱。頷く一同は頼光と保昌、そして四天王たる坂田公時さかたのきんとき卜部季武うらべのすえたけ碓井貞光うすいさだみつ

「では行くとしよう。何かしるしを残してきたいのだが、頼光様、直筆の札をいただけますか」

「それは良いが本当に鬼がいたらどうするのか」

「鬼あらば、それを征さずには帰らぬことを誓いましょう」

「ならばこれを持て」

 手渡す太刀は名剣鬚切ひげきり

「頼光様も心配症でいらっしゃる」


 雨は降りやまぬ。騎乗した綱は舎人も連れずひとり二条大宮より南へ向かい九条羅生門へと至る。雨風は激しさを増し、馬は立ちすくんで進まない。下馬した綱が羅生門の石段を登りしるしの札を立て、風で飛ばないか様子を見ようとしたその時、背後から兜をつかむものがある。馬がいなないた。

 肌が粟立ち、毛が逆立った。

「出たか!」

 鬚切を抜き、振り向きざまに斬りつける。しかし刃は空を切る。体をかわしながら綱の頭から兜をもぎ取り石段を飛び降りた巨体の筋骨は隆々と、その目は夜の中で爛々と日月のごとく、「恨めしきかな恨めしきかな」と唱えるその声は雨を通して低く響いた。

「そうか平安を揺り動かす鬼神とはおまえのことであったのか。まさか生き延びていようとは思わなんだぞ茨木童子」綱はそう言って刃の切っ先を鬼へと向ける。「今度こそ引導を渡してくれよう!」

「引導を渡したいのはこちらの方ぞ。おのれ等何が鬼退治か。我等を人喰いの悪鬼に仕立てあげ自分等は名声を欲しいままにする。人を喰らう鬼とはおのれ等のような者のことを言うのだ」

 茨木童子と呼ばれた鬼は右手の兜を放り棄てた。左の手には鉄の杖。

「そもそも渡辺の。おのれとて東国の水の民の出であるはず。我等山人やまびと都人みやこびとから鬼呼ばわりされると同じくおのれ等水人みずびともまた水の鬼ではないか。坂田公時など我が頭領酒呑童子と同じく山野の捨て童子であったであろうが。同じく鬼と呼ばれる民同士がなぜに殺し合わねばならんのか。これは都人の陰謀だとは思わんのか」

 雨にうたれる巨躯に鬚切の先を向けたまま綱は言う。「生きる道だ。おまえのように浮浪無頼の群盗として生きる道もあれば我等のように帝に仕える道もあるのだ。その二つの道が、たまたま相対し交わったのだ」

「そして我等にいわれなき罪を着せたるか!」鬼の声が雨音を圧して夜を切り裂いた。「我等がいつにか人を食した! おのれ等の罪、道などという言葉でごまかしきれると思うたか! 大江山の仲間の無念の声が我が心中で荒れ狂い、恨みはさながら炎の嵐よ! いずれは頼光、保昌、四天王、揃って地獄へ送ってやろうが今はまず、おのれぞ!」

 鬼が跳んだ。

 振り向けられた鉄杖と待ち受ける綱の太刀とが音高くかみ合う。跳びすさりまた得物を交わす。ひらり身を引く綱を追う巨体の屈強な腕を鬚切のひと振りが打ち落とす。


 雨の大路に鬼の片腕がばしゃりと落ちた。


「手が、手が、」

 腕をおさえて夜陰に消え行く鬼の最後の言葉が綱の耳に残った。

「時節を待ちてまた取るべし__」

 雨はあがっていた。


 鬼の落とした腕を綱は拾い上げる。それは職工たる山人の肌にふさわしく炉の火に焼けて黒かった。

 綱の武勇は上げて京にとどろいた。



 陰陽博士安倍晴明よわい七十を過ぎてますます壮健。頼光に召され「大凶である」と告げる。

「かかる悪鬼は七日のうちに来たりて仇をなすであろう。前後の門戸を固く閉ざして物忌み、鬼の腕も箱に封じて仁王経にんのうぎょうを読み唱えること」

 綱は畏まって早速そのようにしたところ慎みの六日目、訪ねて来た者がある。津の国は渡辺の里より老いた伯母が杖つき参り門の表にたたずみて「この門ひらきたまえ開け召され」と。

 門の内から綱が応える。

「伯母上、子細あって物忌みの最中ゆえに門を開くはかなわず、ここで話をするだけにとどめていただけぬか」

「よもやこの手に抱いて育てた綱殿からそのような仕打ちを受けるとは思わなんだ。夏は扇ぎ冬は暖めた恩など忘れたか。恩を知らぬは人ならずじゃ」

 さめざめと泣く養母の声に是非も無く、綱は門を開いて迎えて入れる。あたかも誰そ彼、逢魔が時であった。


 座敷に腰を落ち着けて御酒を出すと伯母はそれには手をつけず、「物忌みとはまた、どのような子細で」

「いやこれは実はめでたきことではござってな」

 綱の口から流れるは己が武勇の物語。羅生門にて鬼神の腕を斬り落としたりと。

「してその腕はどうなりました」と伯母が問えば「こちらに」と応えた綱は箱を出し蓋をあけ、中にあるのは鬼の腕。あけてしまった。見せてしまった。


「まあ随分と大きいことで。これを鬼が取り返しに来ると言われるか」

「奴めがそう言っておりましたゆえに」

「その鬼は、妖術や幻術の類いを使いますか?」

「それは都に晴明殿のような人がおられるのですから、山にもあるいは」

「そうでしょうとも。そうでしょうとも」

「伯母上なにを言っていらっしゃる?」

 綱の背が冷えた。春の宵の冷ややかさか、いやさ汗が、嫌な汗が流れて落ちる。

「伯母上、鬼の腕はそれくらいにして御酒を召され」

「酒を召すには腕が要る」

「無論」

 綱の汗は止まらぬ。伯母はうつむき目をやるは箱に入った鬼の腕。その目の妖しさ恐ろしさ。


「これは我が手なれば取るぞよ」


 言うが早いか鬼の腕へと手を伸ばしつかんだ伯母は跳び上がり破風を蹴破り外へ出る。驚き慌て、綱も表へ駆け出した。春の宵、鬼の腕抱えた伯母の姿が垣根の上に。

「確かに返していただき候」

「おのれ茨木童子か!」

 綱はその手に太刀構えるが見る間に黒雲わき出して伯母の姿を包み込む。

「時節を待ちて取ると言ったであろうが」そう言って、伯母の顔した茨木童子は鬼の形相で歯をむき出し笑い、「綱よ、おまえの仲間共々いつかきっと呪い殺してくれようぞ」怨みの声をその場に残し、光となりて虚空へ消えた。

 あとに残るは夜の闇__


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嵐の夜の怪異2編 しのはら @shinola

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