死神は家族団欒の夢を見るか

中島 庸介

死神は家族団欒の夢を見るか

 遠い昔のことだ。

 飼っていた猫が死んだ。

 当時はかなり悲しくて、文字通り三日三晩泣いた気がする。

 流石に四日目になると気持ちの整理もつき、それでもぐずりつつも、兄と一緒に近くの林に埋めに行った。

 確か野生動物が掘り起こさないように、墓標として大きめの石を兄と一緒に運んできたのだったか。

 石を置いて改めて猫の死を認識し、兄には先に帰ってもらって俺は暫くその場で悲嘆に暮れていたと思う。


 暫くして少々強い風が吹き、いい加減身体も冷えて家に帰ろうかと思い始めた頃、通りすがりのお姉さんに声を掛けられた。

 そんなところでじっとしていたら風邪引くよ?

 彼女はそう言って俺の手を引き、バス停のベンチまで連れていって座らせた。

 彼女は隣の自動販売機で暖かいココアを二つ買うと、一つを俺に渡してくれた。

 彼女は俺の隣に座り、何を言うでもなくココアに口を付けた。

 俺は冷え切った手に伝わるココアの熱を感じつつも、暫く無言で居た。

 

 一台目のバスが去って行った辺りで、俺は気がついたら彼女に話しかけていた。

 猫のこと。兄のこと。両親のこと。もうじき入る予定の小学校のこと。

 彼女は初めて会ったばかりの俺の話を、親身になって聴いてくれた。

 始めは猫の死の悲しみを紛らわすためだった気がするが、気がつけば彼女との会話そのものが楽しくなっていた。

 彼女も色々と話をしてくれた。覚えているのは、彼女が日本各地を旅していたこと。二十歳だったということ。猫舌だということ。犬派だということ。

 そして、当時から今に至るまで俺が趣味としている写真撮影を、彼女もまた嗜んでいたということだ。


 そこから先は、会話の内容がカメラや写真に関することへと移っていった。

 彼女はカメラを複数台所持していて、俺が全部見てみたいと言うと渋い顔をしたが、しつこく食い下がると渋々ながら宿の場所を教えてくれた。

 今思い返すと、我ながら果敢に攻めたものだ。余り自覚は無かったが、あれが初恋だったのかもしれない。

 話し始めて何台目かのバスだったか。彼女はそのバスに乗り、宿へと帰っていった。


 翌朝、俺は幼さ特有の早起きでもって、彼女と別れたバス停から始発に乗り、彼女へ会いに行った。

 彼女は寝ぼけ眼をこすりつつも、快く歓迎してくれた。

 彼女の部屋には初めて見るカメラや機材が散らばっていた。彼女はお世辞にも、片付けが上手いとは言えないタイプだった。

 とはいえ当時の俺はそんなことは気にせずに、初めて見た宝の山に目を輝かせていたと思う。

 彼女の許可をもらってお宝を触っている間に、彼女には俺のカメラを見てもらっていた。

 六才の誕生日にねだりにねだって買ってもらったそれは、子供が持つにはやや不釣り合いな品であった。

 良いものを買ってもらったね。君のお父上は良い選択をしたと思うよ

 彼女のその一言は、今でも良く覚えている。


 その後はまだ朝食も取っていない彼女を連れ出して、街を散策した。

 お気に入りの撮影スポットや、地元民しか知らないような裏道など。彼女を連れて行きたい場所は山ほどあった。

 当然一日で巡りきれるはずも無く、俺は毎日彼女の宿へ通い詰めた。

 彼女とは街を歩きつつたわいもない話をし、ふと感性に引っかかる場所があればところ構わず撮影した。

 お互い気になる場所や物は微妙に異なっており、彼女が撮影したら俺も試しに撮影し、俺がカメラを構えれば彼女も倣うようにカメラを構えていた。

 自分では普段撮らないような写真を撮っていくたびに、自身の感性というか引き出しというか、目には見えない色々なものが広がっていくのを感じた。それが無性に楽しくて、夢中になって撮影を続けた。


 次の日も次の日も、入学前で時間をもてあましていた俺は、食事と睡眠以外の時間のほぼ全てを、彼女と過ごしていた気がする。

 そんな彼女は、最初の数日は楽しそうにしていたが、いつしか思い詰めた表情をすることが増えていった気がする。

 だがそれも、彼女との散策が一週間も過ぎた頃には霧散しており、初めの頃よりもさらに晴れやかな笑顔を見せてくれるようになっていた。


 そんな楽しい日々も終わりを告げる。

 彼女が予定していた滞在期間が尽きたのだ。

 その頃には彼女は俺の家にも遊びに来るようになっており、電車に乗って帰る彼女を家族皆で駅まで見送りに行った。

 彼女が去った次の日も俺はカメラを抱えて街を歩いたが、どれだけ撮っても別れの悲しみを埋めることは出来なかった。

 とはいえ、四月になると小学校へ入ることになり、がらっと変わった生活環境に慣れることに必死で、悲しむ暇も無かった。

 いつしか友達も出来、気がつけば彼女との思い出を落ち着いて振り返ることが出来るようになっていた。


 そして数ヶ月後、何の変哲も無い小学生ライフを満喫していたある日、唐突に彼女は隣の家に引っ越してきた。

 そう、彼女は通りすがりのお姉さんから、隣のお姉さんにジョブチェンジしたのだった。


 それからの生活は、常に彼女と共にあった。

 当時はまだ両親も若く、働き盛りであった。そのため、小学校から帰るとランドセルを部屋に投げ入れ、母親が帰ってくるまでは彼女の家で過ごすことが多かった。

 また、彼女自身料理が苦手だったこともあって、夕食の殆どは家に彼女を招いて五人で食べていた。

 彼女は家に居ることが多かったが、時折ふらりと旅行に出かけては沢山の写真を撮ってきた。

 俺が中学生になると、連休を利用して彼女の撮影旅行に同行するようになった。

 旅行から戻れば現像した写真を山ほど抱え、家族と一緒に囲んで旅行の思い話に花を咲かせた。

 もはや彼女は家族の一員と言ってよく、楽しい日々はあっという間に過ぎ去った。



 そして今、彼女は俺の目の前で人生の終わりを迎えようとしていた。

 末期癌である。

 気がついたときには全身へと転移しており、手の施しようがなかった。

 そして今日、俺は彼女に呼び出され、一冊の本を渡された。

 開けようとする俺を彼女は制し、自分が死んでから読むようにと言った。

 そして最期に、君に出会えて良かった。そう言い残して、彼女は眠るように息を引き取った。


 俺は泣いた。

 彼女には親類縁者が居なかったようであり、埋葬の手続きは両親が行っていたが、その間も俺はただひたすら悲嘆に暮れていた。

 とにかく悲しかった。まるで半身を失ったかのように心の中にぽっかりと孔が空いていた。


 そして……彼女の死が全ての始まりだった。


 父と母が死んだ。走行中の車のブレーキが壊れたことによる事故死だった。

 兄が死んだ。駅の階段で脚を滑らせたことに因る転落死だった。

 親しかった友人が死んだ。急性心不全だった。

 ここまで立て続けに親しい人が亡くなれば、嫌でも何かが起きていることに気付かされる。

 明らかに、顔を合わせている時間が長い者から亡くなっていく。

 親友に至っては、立て続けに家族を亡くして塞ぎ込んでいた俺の元に毎日のように通い、親身になって励ましてくれていた最中に俺の目の前で倒れたのだ。

 とにかく人と会うのが怖くなった。

 人と会わないために俺は引きこもるしかなかった。

 

 引きこもって数日。

 宅配業者とも極力顔を合わせない俺の元には、身の回りの誰かが亡くなったという知らせは入ってこなかった。

 そもそも人との交流を断ち切ったが為に、入ってくる情報がかなり制限されてしまった。

 新聞のお悔やみ欄を真剣に眺めることになるとは思いもしなかった。

 冷静になる時間が得られた俺は、彼女から始まる五人の死に悩んだ。

 五人の死になんら共通点は無い。死因も時間も全てバラバラだ。

 唯一、俺の近しい知り合いだったと言うことが共通点だろう。

 誰かと話したい。日を重ねるにつれそんな欲求がどんどん増してきた。

 別に彼女たちの死について相談したい訳ではない。

 ただただ人恋しくなってしまったのだ。

 だが、偶然と言うには余りに重なりすぎた彼女たちの死が、人に会うことをためらわせた。

 そこで大学受験を期に引退していたMMORPGを久しぶりに起動した。

 そのゲームは最大五十人対五十人の大規模戦闘を売りにしているゲームであり、数年ぶりに以前所属していたチームの門を叩いてみると、多少顔ぶれは変わっていたもののかつての仲間達が暖かく迎えてくれた。

 親しい者達が立て続けに亡くなったことで相当弱っていたらしく、画面越しの顔も知らない者達との何気ない会話が心に染み渡り、思わず涙を流してしまった。

 どうやら俺は孤独には耐えられない、人との繋がりが無いと駄目な人間のようだとそのとき自覚した。


 そして数日後、チームに所属していた四十名余り全てが、ログインしなくなった。


 ただ無気力にテレビを眺める。

 世界はなにも変わりなく廻っている。

 ニュース番組は今日も代わり映え無く天気予報を、政治家の汚職を、季節の風物詩を、そして事故や事件を報道する。

 今画面の中で報じられている玉突き事故による死者も、俺が呼び寄せたものなのだろうか?

 いや、そんなはずは無い。

 オンラインゲームでのあの一件は、ある可能性を俺に示唆してくれた。

 いくらなんでも四十人程が一斉に居なくなるというのは不自然すぎる。

 あれからゲーム外で仲間と作っていたSNS経由で、彼らの現実での知り合いを見つけて身元の安否を確認してもらった。

 その結果、全ての仲間の死亡が確認された。

 さらに死亡時刻を訪ねたところ、多少の誤差はあるものの全員が同じ時刻に死亡していた。ちなみにその時刻は俺がゲームに復帰した時刻でもある。

 そして死亡した日付は俺が復帰してから五日後。

 つまり、俺と知り合った人間は五日後に死亡するという訳だ。


 とはいえ、それだけではもっと多くの人が死んでいるはずだ。

 他にも幾つかの条件があるのだと思われる。

 先ず一つ考えられるのは、毎日会っている事だろう。ゲームの仲間達は毎日欠かさずログインをしていたはずだ。

 そして、直接会う必要も無いのだろう。そもそも顔すら知らないのに、彼らは死んでしまった。

 そして会話をしたか否か。全てを覚えているわけでは無いが、仲間の内数人は大規模戦闘にだけ参加して、直ぐにログアウトしてしまう日もあったはずだ。

 ……だめだ、情報が足りない。とはいえ、誰かで試す訳にもいかないだろう。別に俺は好きこのんで人の死を見たいわけではないのだ。

 そんなことを考えていたある日、警察が家を訪ねてきた。


 彼らは令状を携えていた。

 どうやら俺の身の回りで立て続けに死者が出たことをおかしく感じたらしく、色々と調べるうちにゲームの仲間の死亡まで掴んだらしい。

 それらは既に事故として処理されていたが、あまりにも人が多く死んでいることで、俺を野放しにするのはまずいと考え拘束したいとの事だった。


 俺にやましいところはないのだが人と会話が出来るという喜びには抗いがたく、特に抵抗すること無く彼らについていった。

 検察庁まで送られ勾留される。

 担当の検事に毎日取り調べを行われたが、そもそも俺が話せることなど無かった。

 ただひたすらに彼女の死から続く一連の不可解な死についての記憶と感想を独白し続けた。

 そして俺と五日間過ごすとあなたも危ないかもしれないと伝えると、脅しのつもりかと怒られた。然もありなん。


 そして今日、俺と検事が知り合ってから百二十時間が過ぎようとしていた。

 今なら間に合うかもしれませんよ?

 俺は何度もそう言ってきた。

 初めは脅しか悪ふざけだと思っていた検事も、俺が本気で言っていることが分かると、それでもそんなことは信じられんと取り調べを続けた。

 それでも気にはなっていたらしく、誰かに漏らしたのかしれないが部屋の外には野次馬が出来ていた。


 そして……『何か』を感じた。


 思わず、あ、と声を発したその瞬間、目の前の検事は突然もがき苦しみ、しばらくの後に力なく床に倒れ伏した。

 にわかに騒がしくなる外。誰かの救急車を求める声が聞こえる。

 さて、どうしたものか。

 このままここに居ても色々と厄介なことになりそうだ。

 席を立ち扉に向かう。

 たむろしていた職員は俺が近づいてくることに気がつくと、恐れるように道を空けた。

 彼らが俺へ向ける視線は様々だが、その全てが負の感情に染まっていた。

 そして去り際に誰かがぽつりとこうつぶやいた。


 ――死神


 なるほど、言い得て妙である。


 数日ぶりに戻った家は冷え込んでいた。

 部屋を一つ一つ見回りながら、家族との思い出をなぞった。

 自分の部屋に入り机の上を眺めていると、彼女から最期に手渡された本が目に入った。

 いろいろとありすぎてまだ目を通していなかった事に気がつき、俺は本を手に取り始めの一ページを読んだ。


 頭をぶん殴られた気がした。


 ページを次々とめくる。

 その本は彼女の手書きであり、彼女の半生が綴られていた。

 始まりは彼女が十五歳の時。彼女が懐いていた祖母が亡くなった。

 その数日後から、立て続けに家族が亡くなっていったそうだ。

 亡くなる人が増えるにつれて、次第に彼女は誰かが亡くなる直前に『何か』を感じるようになったそうだ。そして聡明な彼女はその『何か』が自分と無関係では無いことも直ぐに気がついた。

 そこから先、彼女は進学するはずだった高校を辞退し、フリーのカメラマンとしての道を歩む事を決意する。

 そして五年に渡る孤独な放浪の果て、俺と出会ったのだった。


 彼女は無邪気に付きまとう俺との日々が、初めは楽しくも苦しかったと綴る。

 趣味の合う、弟のような存在。

 数年ぶりの暖かみのある会話とふれあい。

 それが非常にいとおしく魅力的であり、駄目と分かっていながらも俺を振り払えなかったそうだ。

 だが、いくら日数を重ねても『何か』の足音が聞こえてこない。

 これ幸いと彼女はぎりぎりまで俺たち家族と過ごすことを決意したそうだ。


 そして帰路につく途中、彼女は二つの可能性を考えた。

 一つはいつの間にか自分の呪いとも言える体質が無くなった可能性。

 もう一つは俺が、自身の体質を抑えることが出来る存在である可能性。

 幸いといって良いのかは分からないが、彼女は人が亡くなる数日前から『何か』の兆候が分かるようになっていた。

 久々に実家へと帰った彼女は友人達と共に数日を過ごし、正解が後者であると判断した。


 そこから先は俺もよく知っている。

 友人達に『何か』の兆候を見た彼女は、安息の地である俺の隣に引っ越してきたのであった。

 彼女にとって俺は救いに等しく、そこから先は夢の様な日々であったと綴られていた。

 そして彼女の死の数日前、彼女は自身に降りかかる『何か』の兆候を感じ取り、こうしてこの本を手がけたそうだ。


 本を閉じる。

 彼女の誤算は、俺が彼女の体質を抑える人間では無く、同類であったことだろう。

 彼女が書き記した本からは俺への感謝は読み取れど、俺を残す事への不安ややるせなさといった文面は一切無かった。

 きっと彼女はその幸せな勘違いをしたまま、安らかに逝くことが出来たのだろう。

 おそらくこの体質は、同類が近くに居ると打ち消されるのだと思う。

 推測でしかないが、きっと彼女の祖母も同じ体質であるはずだ。もしかしたら祖父も同じ体質であり、幼い頃からの知り合いだったのかもしれない。

 そして、彼女の祖母が亡くなった段階で彼女の体質を抑える者が居なくなったのだ。


 改めて彼女に感謝する。この体質がいつ備わるのかは分からない。俺が無事に生まれ成長したからには、生まれたときからということは無いはずだ。

 だが、もし彼女に会わなければもっと早い段階で俺の家族は亡くなっていたはずだ。そして俺は成人を迎える前に一人残されたであろう。

 そうなれば体質を垂れ流したままどこかに引き取られ、その施設なりの住人全てを巻き込んでいたかもしれない。

 こうして成人するまで家族と共に過ごすことが出来たのは、間違いなく彼女のおかげである。


 さて、どうしたものか。

 この本を読むまでは、引き続き引きこもるつもりでいた。

 だが、この本によって一つの可能性が示された。

 居るかもしれないのだ、俺や彼女と同じ体質の人間が。

 だが、その『誰か』を探すのは茨の道である。

 俺はまだ彼女ほどには『何か』を感じ取ることが出来ない。

 『誰か』を探すためには先ず『何か』が人を死に至らしめる前に感じ取れるようにならねばならない。

 そして、そのためにはより多くの人へと体質を作用させなければいけないのだろう。


 しばし悩む。

 とはいえ別に取り急ぎ決める必要も無いので、悩みつつも手慰みにしばらく行っていなかった部屋の掃除を始めた。

 そして掃除を続けるうちに、俺の手はドライボックスに安置していたカメラに及んだ。

 彼女が亡くなってから一度も触れていなかったそれを手に取り、考える。

 彼女は俺に出会うまで、どんな気持ちでさすらっていたのか……

 彼女の手記には訪れた街の名は記されていたが、それ以外のことは一切書かれていなかった。


 ……決めた。

 旅に出よう。

 この先に何が起きるのかはわからない。

 だが、全てから逃げるように部屋に閉じこもったままでは、きっと何も起こらないだろう。

 それに、両親や兄が遺してくれたお金も有限ではない。

 彼女と同じように各地を旅し、フリーカメラマンとして生きていこう。

 俺や彼女の同類に遭遇する確率も増えるであろうし、これ以上誰かを死へ誘うとしても他の土地の方が後腐れもないはずという打算もある。

 重ねて言うが俺は誰かの死を望んでいる訳ではない。

 だが、自殺をするつもりは更々ないし、この先ずっと孤独で居ることに耐えられるとも思えない。

 それに運が良ければ誰かに死をもたらさずとも、時間の経過や俺が意識し続けることで、事前に例の『何か』を察することが出来るかもしれない。

 もしそうだとしても、引きこもっていてはそれも分からないはずだ。

 各地を転々として適度に人とふれあい、いずれ『誰か』と出会う日を夢見るのだ。


 そうと決まれば先ずは旅支度だ。

 それに行く先も考えねばならないだろう。

 とはいえ初めに行く場所は決まっている。

 彼女の故郷である。

 その後は……彼女の手記に従って、彼女がたどった道のりを追ってみるのも良いだろう。

 その方が、彼女が出会ったように『誰か』と出会えそうな気がする。

 この地まで巡り終えたら、彼女がこちらに引っ越してから旅行に行った土地へ赴くのも悪くない。

 彼女が撮ってきた写真には大いに心揺さぶられたものだ。

 幼い時分に思った、俺もこんな写真を撮ってみたいという思いを遂げる機会がやってきたのかもしれない。

 考え始めると行きたい場所が次々と浮かんでくる。

 さあ、旅に出よう。



 それからは各地へと旅をして、時折家へ帰って荷物の整理をするという日々を過ごした。

 数日で拠点を変えるというスタイルは親しい人を作ることはなかった。

 だが、身の回りで誰かが亡くなることも無かった。

 それに数日とはいえ人との関わりは、家族の死で傷ついていた俺を徐々に、だが確実に癒やしていた。

 収入の方も、僅かではあるが安定するようになってきた。

 ある程度名も通るようになってきて、取材の依頼も舞い込むようになってきた。

 長期の取材となると人との顔の合わせ方に苦労したが、なんとかやっていけている。


 だが贅沢なことに、生活に余裕が出来ると孤独と誘惑に駆られるのだ。

 人と親しくなりたい。一緒に過ごしたい。俺の事を知って欲しい。

 そんな思いが度々胸をよぎる。

 こんな日々を過ごしていると、だんだんと世界が俺の事を忘れていく錯覚に襲われるのだ。

 そういう点では、写真という明確な俺の証を残せる今の仕事は気に入っている。

 それでも街中を歩いていると、自分が浮いているという感覚がどうしても拭えなかった。

 そんなときだ、ある少女と出会った。

 後になって思う。この出会いは運命であり、分岐点だったのだろう。


 場所はとあるショッピングモールのフードコート。

 その少女は地味目なブラウスを身につけ、肩に掛かるほどの髪を両脇で三つ編みに束ねていた。

 縁の大きな眼鏡を掛けてつば付きの帽子を目深に被るその眼差しは、一人の男へと向けられていた。

 その眼差しに灯る険呑な光が無視できず、気がついたら少女と同じテーブルに着いていた。

 少女は胡乱げな視線を俺に向けてきたが、なにも頼まずに座っていると目立つよという俺の言葉に、自覚はあったのか目を逸らした。

 俺は椅子に荷物を置いて自動販売機まで行くと、ココアを二つ買って一つを少女に手渡した。

 少女は缶を握ったまま、なにも話さず少女の隣に座ってココアを啜る俺を見つめていた。

 彼を殺したいのかい?

 俺のそんな言葉に少女は目を剥くが、一呼吸するとプルタブを開けてココアを飲み、先ほどまで睨み付けていた彼を見据えて話し始めた。


 少女の話によると、俺たちの視線の先に居る男は少女の父の後輩だったそうだ。

 少女が相当幼い頃は頻繁に少女の家に訪れていたそうだが、次第に疎遠になり、ここ数年は連絡も取れていなかったらしい。

 だが、半年ほど前に偶然少女の父が駅前で遭遇したらしく、それからは何度か少女の家を訪れていたらしい。

 そして十日ほど前、少女は学校の合宿先で家が全焼したとの知らせを受けた。

 急いで戻った少女が目にしたのは、無残に焼け崩れた家と、検死を終えた両親の遺体であった。

 警察は事故と判断した。だが、現場の遺留品の中に少女が見たのは、父の後輩が付けていたはずのアクセサリーであった。

 そして銀行口座の凍結を行った際に、火事の前日から父の預金が、毎日限度額一杯引き落とされていることが発覚した。

 その日から少女は彼を尾行し、以前より羽振りが良くなった父の後輩を見て確信したそうだ。両親を殺したのは彼であると。


 少女に警察へ相談したのかと尋ねると、証拠不十分で取り合ってもらえなかったとの返事が返ってきた。

 そのまま二人して彼を観察する。

 少女の話を聞いた後だと、なるほど、新調した服を着こなせていないような雰囲気と、あくどい手段で大金を手に入れたいやらしさを感じる気がした。

 少女に尾行を続けてどうする気なのか、そして彼がどうなることを望んでいるのかと尋ねる。

 少女はしばらく悩んだのち、とにかく彼が生きていることが許せないと語った。

 だが同時に、彼と同じ犯罪者になるつもりは無いともこぼしてくれた。

 少女に短慮を起こすつもりは無いようで安心したが、放っておいたら証拠を掴むために何をやらかすか分からない。


 ……しばし悩む。


 本当は分かっている。少女の恨みを晴らす手段を俺は持っているということを。

 同時に思う。意図的に誰かを殺すためにこの体質を利用して良いのだろうか?

 そもそも彼が犯人だと決まった訳ではないのだ。

 そしてそれを調べようとすることは、そのまま彼を死に近づけることになるだろう。


 ……意を決して口を開く。


 ねえ、君は死神の噂を聞いたことがあるかい?



 それはまことしやかに噂される一つの都市伝説。

 『死神派遣サービス』なるものがあるらしい。

 曰く、死神はなにもしない。

 曰く、死神は傍らに寄り添うだけである。

 曰く、死神に魅入られた者は近いうちに命を落とす。

 曰く、誰かの死を強く願う者のもとには死神が営業に訪れる。

 などなど。

 情報の出所は複数あれど、だれも詳しくは語りたがらない。

 関わった者皆が口を揃えてこう語るのだ。

 死神のことを思い出すと、死を呼び寄せることになる。

 あれは繋がりのある者全てに等しく死をもたらす存在だ……。

 詳しく聞きたがるあなたにそう語るのを最期に、皆硬く口を閉ざしてしまう。

 あなたはどうしてそこまでして死神のことを調べるのだろうか。

 どうしても殺して欲しい人が居る?

 ならば安心すると良い。

 あなたがそう強く願い続ける限り、いずれ死神はあなたの前に姿を現すだろう。

 単なる好奇心?

 ならば気を付けた方が良い。

 好奇心は猫をも殺すというだろう?

 死神を思うということは、死神と繋がりを作ることでもある。

 そして死神と繋がりがある者の下には、等しく死が訪れる。

 ほら、耳を澄ませてごらん。あなたの後ろから死の足音が近づいてきているよ。

 ……どうしてそんなことが分かるのかって?

 そのことはあまり聞かない方がいいと思うよ?

 どうしても聞きたい?

 仕方が無いなあ……。聞いてから後悔しても遅いよ?

 ……そんなこと決まっているじゃないか。俺も死神だからだよ。

 ……本当かって? もちろん。

 詳しく話が聞きたい? 俺としてはかまわないよ。

 だけどその前に一つだけ。

 死神との繋がりが強いほど、その人に死が訪れるのが早くなる。

 そしてあなたは俺を死神だと認識してしまった。

 ほら、どんどん死の足音が近づいて来る。もうあまり猶予は無いだろう。

 死にたくなければ俺の近くから離れて、今後一切俺の事を思い出さないことだ。

 十年もすれば繋がりは切れるだろう。ほら、急いだ急いだ!

 ……何? 信じられない?

 ……あー。残念時間切れだ。

 言っただろう、好奇心は猫をも殺す……って、もう、聞こえちゃあいないか。

 

 

 結論から言おう。

 少女の父の後輩はクロだった。

 彼は借金にまみれ、非合法な組織の下っ端として働いていた。

 そしてあるとき、その組織が仕事の関係で煮え湯を飲まされた相手がいた。

 それが少女の父である。

 組織は完全な逆恨みで少女の父に復讐することとした。

 そして白羽の矢が立ったのが、たまたま後輩として関係があった彼だったのだ。

 彼としては先輩に対してなんら恨みは抱いていなかったのだが、組織逆らうことは出来ず、言われるがままに行動したそうだ。

 とはいえ、その過程で得られた金を喜々として使い、余り良心の呵責にも苛まれていなかったあたり、組織に属するべくして属したのだろう。

 そんな話を聞き出せるくらいに親しくなった時には、その組織の連中とも知り合うことが出来ていた。


 組織に興味があるふりをして近づいて数日。

 初めに知り合った彼が死んだ。信号無視の車に轢かれての交通事故だった。

 この時始めて、他の人間の行動によっても死がもたらされるのだと知った。

 そして組織は下っ端一人が死んだところで、気にも留めずに活動を続けた。

 初めは彼の死を確認したら関わりを絶つつもりであった。

 だが、組織の活動が悪辣であったこと。

 少女の父を殺しただけでは飽き足らず、少女の父が遺した財産を掠め取り彼女に危害を加えることを画策していたこと。

 そして何よりも、彼が死んだ後に起きたある出来事について確かめるために、俺は組織に属する全員に死を送ることを決めた。

 もちろん彼らは自身に忍び寄る死の足音に気が付くはずもなく、一人の例外も無くその命を落とした。

 いつからなのかは分からないが、この時既に俺の思考はたがが外れていたのだろう。

 自分の意志で他人に死をもたらしたというのに、何の罪悪感も抱かなかった。

 それどころか、これから死ぬであろう彼らと会話し、親しくすることが楽しくて仕方が無かった。

 日付の縛りを気にせずに行う久しぶりの人付き合いが、俺の心におりのように纏わり付いていた渇望を払ってくれたのだった。

 真摯に付き合ってみると、当然ながら彼ら一人一人には様々な個性があった。

 料理が得意な者、温泉巡りが趣味な者、人付き合いが苦手で一日中パソコンにかじりついている者などなど。

 彼らの日常の全てを、俺はカメラに収めた。


 アルバムを閉じる。

 このアルバムには、今まで俺が死をもたらした人たちの写真を収めている。

 結局、俺はあの出来事の後、本格的に死神業とでも呼ぶべき仕事を始めた。

 このご時世、立証不可能な殺し方というのは意外と需要があったらしく、今では本業であるカメラマンよりも稼いでいる程である。

 こなした仕事の数はそろそろ三桁になる。

 様々な人が居た。

 誰もが、死を強く望まれる程の歪みを抱えていた。

 そしてその全てに、死は等しく降りかかった。

 俺は彼らが死に至るまでを、可能な限り撮影した。

 それは、もしかしたら俺の贖罪の気持ちの現れなのかもしれない。

 せめて彼らが生きた証を残したい。

 自分で死をもたらしておきながらそんな事を思うのは、傲慢だろうか?


 マグカップにココアの粉末を入れ、お湯を注ぐ。

 なぜ俺が死神業を始めたのか。

 もちろん、人との触れあいを求めたということもある。

 だが、それ以上に俺を惹き付けて止まないものがある。

 何故かは分からない。

 だが、この体質で人が死んだ日は、確実に夢で家族達に逢えるのだ。

 初めて自分の意志で彼を殺した翌朝、俺はあまりの懐かしさで泣いていた。

 父が居た。母が居た。兄が居た。そして彼女が居た。

 俺たちはたわいの無い日々を過ごし、時折親友が遊びに来てくれた。

 そんな、かつてありふれていた日々があまりにも愛おしく、その夢は麻薬のように俺を掴んで離さなかった。

 そして確かめるべく、組織の人たちを死へ追いやった。

 結果、家族の夢を見た。

 夢の中で、彼女は仕方が無いなあなんて困った顔で笑いつつも、俺を優しく迎え入れてくれた。

 組織が壊滅した次の日、俺は死神として生きることを決めた。

 そして今日も、依頼された人物の死を見届けた。

 写真をプリントアウトし、選別してアルバムに収める作業も先ほど終わったところだ。

 不謹慎だとは分かっていても、浮かれる心を抑えきれない。

 せかされるように歯を磨いて風呂に入り、寝間着に着替える。

 ちなみに死神業を終えた次の日は、必ず休日にしている。

 もちろん心ゆくまで惰眠をむさぼるためである。

 お休み。良い夢が見られますように……。


 かくして、死神は家族団欒の夢を見る。

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