古道具屋の昼下がりラジオ

夕凪

午後三時の古道具屋にて。

《『リューディアのあなたはだれーだ!』――こんにちは! 午後三時を回りました。ラジオアハトアハト。リューディア・ゲオル・ネヴィリムス・フォン・アイゼナハトがお送りする文化横断バラエティー、『ディア誰』! さて、今日のゲストはあの、『ワンマン・シンフォニー』として有名な――》


 店の売り物である古びたラジオから、耳馴染んだラジオ局の人気番組が流れだす。

 それが合図だったかのように彼女は現れた。


「おっちゃん、こんちわ」


「よう。今日も時間ピッタリだな」


 強面の店主が一人パイプをふかす裏寂れた古道具屋。そこでは場違いにも見えるスクールバックを背負った少女。

 帽子で半端に尖った耳をすっぽり隠した彼女は、商品を見渡すかのようにキョロキョロと首を動かすが、やがてすぐに本棚に置いてあった『Totentanz』と題された一冊の古本を手にする。


《――ゲッフェンバッハさんはその無数の腕からたった一人でオーケストラを奏でる新世代の音楽アーティストとして有名ですが――》


 本を手にしたまま、彼女は店の隅で、黄ばんだ値札のついた安楽椅子に静かに腰を掛ける。

 店主も彼女が定位置に着いたことを確認すると、パイプを一息吸い込み、カウンター脇の置き台へ載せた。


《この後でお仕事の裏側トークや生演奏などなど、盛りだくさんでお送りいたしますのでお楽しみに! ――ではでは。今日も貴方のことをたくさん聞かせてくださいっ》


 そうして今日も、ささやかな午後のひとときが流れ始める。



《改めまして、リューディア・GNゲーエン・フォン・アイゼナハトと、今日のゲストさん!》


《ルーエ・ゲッフェンバッハです。どうぞよろしく》


「ほれ、ミルクティー」


「ん、ありがと……」


 ミルクで真っ白になった甘い紅茶。

 いつだか店主が気まぐれに紅茶を出して以来、彼女の好みを聞いて出すようになったものだ。

 少女は本を横の棚に置くとカップを受け取り、静かに口をつける。

 ほとんど紅茶の味などしないだろうホット砂糖ミルクを飲む時、彼女の仏頂面はほんの少しだけ緩むのだ。


《ではここで、リスナーの皆様からのお便りを紹介したいと思います。ウェストワーグにお住まいのケックルさん。30代男性の方からですが、

『トランペットなどの吹奏楽器はどうやって演奏されているのでしょうか。手はたくさんお持ちとのことですが、ひょっとして口も楽器の数だけあるのでしょうか?』

 ……ということですが――》


《もちろん魔術ですね。弦楽器は手でどうとでもできますが、吹奏楽器の方は――》


「手が三本あったら、本読みながら紅茶飲めんのにな」


「……あたまがこんがらがるから、無理」


「あの大蛸人音楽家みたいに、生まれつきだったら当たり前に大丈夫なんだろうな。指が五本あるみたいに」


 店主がそう言うと、少女は不意にカップを持っていない左手を見る。

 しばらく不規則にそれぞれの指を動かしはじめると、やがて何がなんだかわからなくなってきたのか、本格的に首を傾げはじめた。


「……? ……??」


 自分の指がどうやって動いているのかなど考え始めたのだろうか。

 しばらくにらめっこを続けていたが、やがて諦めたのかまた視線をラジオへ戻した。


《――ということで、ここでは皆さんから募集した魔術あるある。を紹介していきます。

 今月のテーマは『やってられねー!』です。便利なようで妙な制約の多い魔術。各流派ごとに様々あるでしょうが、そんなみなさんのやってられねーエピソードを紹介していきたいと――》


 魔術絡みで気苦労の多い今時の子らしく、彼女のもお気に入りのコーナー、らしい。

 帽子で隠していた耳もぴこんと立ってラジオに向く。


《ゲッフェンバッハさんも演奏でも魔術は使われるということですが、使っていて『やってられねー!』と感じたポイントなどありますか?


《最近の一番は……アレかな。生贄が必要な魔術だったんだけど、適当なのがなかったから自分の腕をちぎって生贄に使った時とか》


「ちぎっ……!?」


 ビクン、と少女の肩が跳ねた。さすがに店主の頬も引きつる。


「豪快だな音楽家……」


《――ちぎっちゃって、あと支障なかったんですか?》


《ま、生えてくるんで。でも痛いもんは痛いので、困りますよねああいうの》


《……わたしも二百年ちょっと不死の魔女やってきて、色々無茶はした自覚はあるんですが、ここまで平然と自傷する人にはじめてお会いました》


「やっぱりいたいんだ……」

「痛いだろうなそりゃ」


《……では! リスナーさんから届いた『やってられねー』もどんどんご紹介しましょう。ステーク在住の50代男性。ロブレットさん。

『仕事で壊そうとした建物が無駄に耐魔術加工だった時』

 わかります。魔術で壊してって言われたのによりによって耐魔術加工とか腹たちますよねー。前世紀の城塞でもあるまいし、何考えてそんな加工をしたのかと――》


 うわ、あるある、と店主は思わず苦笑い。

 買い取って欲しい、と持ち込まれたマジックアイテムを鑑定しようとしたら無駄に凝った封印が掛けられていて解析に一週間ぐらいかかったのは記憶に新しい。


《……僕としては、まずはこれかな。……エルン在住の10代女性。ルーフェンさん。

『学校の試験で火属性にヤマを張ったのに出題が正反対の水属性だった時』

 定番ですけど、どんな内容でも学校の試験とかなるととたんにやる気なくなりますよね。僕も音楽の試験は――》


 うんうん、と一生懸命首を縦に振る少女。どうやらこちらは彼女に覚えがあるらしい。

 魔術を学校で習うようになったのは近年のこと。店主は先代から口伝で仕事に必要な分を教わっただけだ。

 基礎から網羅的に教わることができるようになった今の時代が、羨ましいようでもあり、めんどくさそうでもあり。複雑な思いだ。

 そんな『あるある』が一通り紹介され、


《――さてここでリクエストを一曲。ゲッフェンバッハさん、曲紹介お願いします!》


《はい。シュッツヴァルトのサリファさんからいただきました。『真夜中の遠吠えのように切なく響く愛の叫びのような曲。初めて聞いた瞬間に虜になりました』……ということで、いま人気沸騰の人狼三人組バンド『サーベラス』のデビュー曲。『ビューティフル・フルムーン』です。どうぞ》


 流行りの大衆曲だ。アコースティックギターに乗せてボーカルが切なげなバラードを歌い上げる。

 少しばかり年齢層が高めの人間が好んで聞いている曲のようだったが、少女の目はまた輝きを宿していた。


「かっこいい……」


「こういうのも好みか。渋いな」


「……女の子っぽく、ない?」


「いいや。むしろ大人の女っぽいな。いい趣味してるんじゃないか」


「…………そう」


 彼女はそれきり黙って紅茶に口をつけ、また静かに音楽の世界へと浸っていった。



 最近流行りの地ビールのコマーシャルを聞いて、今度買おうかどうしようかとぼんやり店主が考えていた時だった。

 いつの間にかコマーシャルは終わっていたらしい。パーソナリティーの力強い声に店主の意識はまたふっとラジオに戻される。


《――では! 準備ができましたようなので。……皆様、お待たせしました。ルーエ・ゲッフェンバッハさんの生演奏です! 曲は『水底から』。……どうぞ!》


「お、生演奏か」


「…………」


 少女の左手はぎゅっと本を握り、視線は既にラジオに釘付けになっていた。

 開幕の前のわずかな静寂。そして、生の息遣いと迫力が乗った古典曲が流れ出した。


「…………!」


 心地よく、穏やかで力強い調和が流れ始め、ビクリ、と少女の緊張した身体に震えが走る。

 そこから第二楽章へ飛び、一通り静かな旋律が流れるとすぐに第三楽章へ移ってどんどんと盛り上がっていく。

 全部流せば二時間を超える曲のはずだ、と店主は原曲を思い出す。ゲッフェンバッハがラジオ向けにダイジェストとして編曲したのだろう。原曲の良さを殺さずに、美味しいところだけをつまみ食いするような絶妙な編曲だ。

 やがて第四楽章の、怒涛のごとく激しい演奏へと変わっていく。

 二人は沈黙を守ったまま、ただ音の波に呑み込まれていった。



《――ありがとうございました! いやぁ、すぐ側で聞かせていただいて、本当に迫力ある演奏だったんですが、ラジオの前の皆さんにも伝わりましたでしょうか――》


 どれだけの時間が経ったのだろうか。呆然とさせられるような音楽の水底から現実に引き戻され、二人は知らず同時にため息をついていた。


「…………いいな」


 少女の仏頂面はすっかり緩み、満足そうにつぶやいた。


「ゲッフェンバッハの音盤なら何枚かあるぞ。買って帰るか」


「こんど、おばあさまにきいてみる」


 珍しく即答した少女は、少しだけ鼻息荒く、その目には確かに輝きが宿っていた。



《――お送りしてきました『リューディアのあなたはだれーだ!』。そろそろお別れの時間になってまいりました――》


 その言葉を合図にしたかのように、少女はすっと安楽椅子から立ち上がると、一頁も読んでいなかった古本を本棚へ戻す。

 空になったカップをカウンターまで持ってきて、「じゃあ」と小さく頭を下げた。


「おう。またこいよ」


「ん」


 約束とも呼べない短いやり取り。けれどもふたりともが、おそらく明日にも顔を合わせていることを確信していた。

 明日もここで、古ぼけたラジオが人気番組を流すのだから。


《ではまた明日。あまねく全ての人に、ちょっといいことありますように。お相手は、リューディア・ゲオル・ネヴィリムス・フォン・アイゼナハトでした♪》

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