Action.25【 幻の女 】

 鎌倉の住む、大伯父の佐伯眞一郎さえき しんいちろうが他界した。

 古い洋館に一人暮らしで、通いの家政婦にベッドの中で冷たくなった遺体を発見される。数年前から心臓が弱っていたので、検死の結果自然死だと判明された。享年八十七歳、孤独な死に様である。

 大伯父眞一郎は僕の祖母の兄で、僕が子どもの頃に何度か鎌倉に連れて行って貰った記憶がある。白髪に着物姿で粋な人だった。仕事は骨董品の鑑定師とか、売買をやっていたようだが、元々裕福だったので生業らしきものはなかった。

 肉親は妹だけなので、僕の祖母が遺産を相続することになった。しかし高齢なので鎌倉まで遺品の整理にいけない、そこで孫である僕がいく破目はめになった。

 大学を卒業してから仕事にも就かずに、自主映画を作ったりシナリオ書きをしている僕は、大伯父の遺品の8ミリフイルムカメラにも少なからず興味があった。

 映画が趣味だった大伯父の家には、映写機と古い映画のフイルムがたくさん残っているのだ。


 藤沢駅から江の電に揺られて鎌倉に着いた。

 そこからバスに乗って鎌倉山にある大伯父の洋館へと向かう。鎌倉山は別荘地だが、松竹大船撮影所しょうちくおおふなさつえいしょにも近いことから、この地を選んで住んだという。

 若い頃には撮影所で助監督や役者などやっていたらしい。そんな映画好きの大伯父に親近感を抱いていた。そして若い頃の眞一郎の顔が僕とそっくりだったと祖母が言うのだ。まあ、親族だけに似ていることもあるのだろう。実際、僕は大伯父のことは何も知らないし、祖母から聞いたことことだけで、生前の眞一郎は人付き合いをしない性質だった。

 バス停から歩いて二十分、山の斜面にひっそりと建つ古い洋館が見えてきた。

 僕は預かった鍵で建物内に入ったが、この中はかなりの家財道具がある。遺品整理をするといっても、いったいどこから手を付ければいいやら? これは長丁場ながちょうばになりそうだとため息を吐く。

 気の遠くなるような作業に入る前に、まずは大伯父の映画のコレクションをみせて貰おうと、映写機が備え付けられたホームシアターに入った。

 昔、この部屋で古い東映アニメ『白蛇伝はくじゃでん』(1958年・作)を大伯父が観せてくれた記憶がある。モノクロでフラットな画像、中国の民話をテーマにした話だが、子どもには退屈なアニメだった――と僕は覚えている。

 映写室には大量のフイルムケースが棚に置かれていた。その中に桐の箱に入ったフイルムがあった『1953年・佐伯眞一郎 幻の女』と書かれている。

 もしかしたら、これは大伯父が撮った自作映画かと興味が湧いた。


 映写機を自分で回しながら映画鑑賞を始めたが、始まって三分くらいは何も映っていなかった。

 その内、鶴岡八幡宮や長谷寺、江の島など風景が映し出されていく。「何だよ、単なる観光案内のフイルムか……」がっかりして観るのを止めようとした瞬間、何か白いモノがふわりと映った。気になって見ていたら、時おり白いモノが画面を横切っていく。

 あれは何だろう? よーく眼を凝らして見ていると、人の姿のように見える。

 だんだんとそれは形を現わしてゆく、退屈な観光映像の中に、白いドレスを着た若い女がうっすらと映り込んでいたのだ。その女は鎌倉大仏の前にも、由比ヶ浜にも、朝比奈切通しにも一瞬だか映っている。最初はフイルムの傷かと思ったがそうでもなさそうだ――。

 カメラに向って、何か訴えるように女は喋っているが、その声は聴こえない。気味が悪くなって、僕は観るのを止めフイルムを桐の箱にしまった。

 

 その日のこと、僕は真夜中に息苦しさで目を覚ました。

 客間に布団を敷いて寝ていたが暗闇に人の気配を感じた。一瞬目の前を白いモノがふわりと飛んだ。驚いて飛び起きたら、僕を覗きこむ青白い顔と視線が合った。

「眞一郎さん、眞一郎さん……」

 白いドレスの女は大伯父の名前を呼んでいる。

「ぼ、僕は眞一郎ではありません」

 恐怖で身体が凍りついた。

「眞一郎さんを探しているの」

「大伯父は亡くなりました」

「一緒に映画に出ようって、慎一郎さんと約束したのに……」

 そういうとさめざめと泣きだした。

 ――この女は幽霊かもしれない。

 部屋の背景が白いドレスから浮き出て見えるし、蜻蛉かげろうのようにほのかに燐光を放っている。それは紛れもなく、昼間に観ていたフイルムに映り込んでいた、あの『幻の女』だった。

 儚げで美しい女の幽霊である。生前の大伯父と縁のある人のようだし、悪意があって現れた訳ではなさそうだ。もしかしたら大伯父が生涯独身だったのはこの人が原因だったかもしれない。恐怖にも少しづつ慣れて、そんなことを僕は考えていた。

「眞一郎さん、眞一郎さん……」

 何度も呟きながら泣いている。

 ずーっと探していたのだろうか? 眞一郎のことを……。だから顔が似てるといわれる僕と眞一郎を間違えたのかな? 故人となった大伯父に逢うことはできないが、あるいは、あの世でなら再会できるのだろうか――。

 この幽霊を成仏させてあげたいと僕は思った。

「僕が8ミリカメラで映画を撮ってあげますから……」

 隣の仏間の大伯父の遺影の前に立つように幽霊を促した。

「今から撮りますよ」

 大伯父のカメラで半透明に透けて見える幽霊の映像を撮る。「ありがとう」彼女は微笑み、すーっと消えていってしまった。


 そのカメラには結局なにも映っていなかったが――。

 どうも気になって『1953年・佐伯眞一郎 幻の女』のフイルムを映写機で回したら、そこには若き日の大伯父(僕そっくり)と白いドレスの女が一緒に映っていた。ふたりは仲よく手を繋ぎ、楽しそうに鎌倉の観光地を歩いていく――。

 カメラに収められた二つの霊魂は、やがてフイルムへ転写されて映画の中に入っていったようだ。なんとも奇妙なことに……。

 後ほど女性の素性を調べたら、大伯父の婚約者で映画女優だったが、撮影中に大道具が倒れ下敷きになって亡くなった人らしい。

 彼女はフイルムの世界を彷徨い、恋人眞一郎を探していたのだろうか。生者と死者と離れ離れだった二人が、永い時を経て、やっと巡り逢い、映画の中で永遠に存在し続ける。


 このフイルムは桐の箱に入れて、僕が大事に保管しようと思った。



           ― おじさんの楽園 完 ―

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おじさんの楽園 泡沫恋歌 @utakatarennka

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