Action.24【 じいちゃんと鉄瓶 】

「お茶がうめぇ~」というのが僕の祖父、梅吉の口癖だった。

 じいちゃんのお茶の淹れ方はまったくの出鱈目でたらめだ。古い鉄瓶でお湯を沸かして、百均で買ってきた茶こしに茶葉をひと摘まみ入れると、それを湯呑みに被せて、鉄瓶のお湯を上からゆっくりと注いでお茶を淹れる。

 なぜ、そんなやり方をするのかというと、急須だとお茶っぱを捨てる手間が面倒だからだ。一人分なら茶葉も少量ですむから経済的なのだとじいちゃんは言う。

 そうやって日に何度となく、じいちゃんはお茶を飲む、それが唯一の生きる喜びかのように……。


 以前、じいちゃんは隣町に住んでいたが、妻が病気で亡くなってからは、ずっと一人で古い家で暮らしていた。

 持病の腎臓が悪くなって人工透析じんこうとうせきをするようになったら、ひとり放って置くこともできず、親戚中で相談した結果、我が家で引き取ることになった。

 その決定には、うちの母は大いに不満だった――。

 梅吉には三人の子どもがいる、長男、長女、少し歳が離れた次男がうちの父だ。長男は会社をリストラされ熟年離婚して、今はマンションの管理人をしている。この状況で父親の世話など看れないというのだ。長女は遠方に嫁いでいて、今は姑の介護をしているので絶対無理だった。そういう事情で、次男の父が仕方なく梅吉を引き取ることになった。

 うちだけが貧乏くじを引くのは嫌だとごねる母に、長男と長女は毎月金銭的な援助をするからという約束で渋々納得させられた。

 それでも厄介者のじいちゃんをなんとかしようと、母は介護施設や老人ホームにもあたってみたが、有料ホームは高すぎるし、公的な施設は待ちが多過ぎて埒があかない。おまけに子どもが三人もいて特別養護老人ホームには入居できないと役所に断られた。


 そういう事情で引き取られた梅吉は、古い家を処分して、ほとんど身一つでやってきた。

 うちは狭いから家財道具はいっさい持って来るなと母が厳しく言い置いたからだ。衣装箱が三つとトランジスタラジオ、それと古い鉄瓶を持ってきた。

 分譲マンションの我が家では、両親と僕と弟の四人家族だが空いている部屋はない。そこで母はリビングに畳を三つ並べ、籐のつい立で周りを囲って梅吉の部屋を作った。

 リビングが狭くなったと母は不満たらたらだったが、そこで暮らす梅吉はもっと肩身が狭かった筈だ。

 当初、僕は新しい家族に対して全く興味を示さなかった。

 母がヒステリックにじいちゃんを怒鳴ってる様子をうっとしいなあーと思ってたくらいで、「年寄りが居ると家が陰気になるからイヤよ」そうこぼす母の気持ちも分からなくもない。

 だが梅吉は下着は自分で洗っていたし、食事も自分で買ってきたものを食べていた、家族が入った終い風呂でも文句を言わない。唯一の娯楽であるラジオさえ、音が漏れないようにイヤホンで聴いている。

 ほとんど年金を取り上げて、その扱いは酷いよなあーと思うけれど庇う気持ちすらなかった。


 そんな僕が祖父の梅吉と話すようになったのは、大学を卒業して就職に失敗してニートになったからだ。

 仕事もしないで家に居るなら、じいちゃんの世話ぐらいしろと母に言われた。両親は働いているので日中はいない。足腰が弱ってきた梅吉を病院に連れていくことが僕の仕事になった。

 一緒に過ごす時間が増えてくると自然と話をするようになり、少し耳は遠いがまだボケていない。

わたるは、わしみたいな年寄りの世話はつまらんじゃろ?」

「……別にそうでもない」

 スマホのゲームをしながらそう答える。

「そうか、お茶を淹れるから飲めや」

 あの方法でいつも僕の分までお茶を淹れてくれる。

 お茶受けにかりん糖や柿の種を添えて、祖父と孫のお茶会だ。

「じいちゃん、僕は将来なりたい職業なんてないんだ。このままでは駄目だと思うけど、目的もなく働いてもどうせ続かないような気がする」

「なんも焦ることはないさ」

「けど、親もうるさいし……」

 じいちゃんは湯呑みを掌の中でくるくる回りながら、ぽつりと呟いた。

「わしは若い頃に刑務所に入っていたことがあるんじゃ」

 いきなりのカミングアウトに驚いた、そんな話は初耳だった。その話は――たぶん親戚中のタブーになっていることなんだろう。


 じいちゃんの話によると、長女が生まれて間もない頃だった。

 酒の席で酔っ払って管巻く会社の同僚に、しつこく絡まれて、ついカッとなって殴ったら、相手が転倒して頭を打って死んだというのだ。

 もちろん殺意などなく、過失致死だが……殺人ともなれば罪は重い、三年半ほど服役して出所してから、ずっと遺族に賠償金を払い続けたという。

 そのせいで働いても、働いても……じいちゃんの家は貧乏だった。

 そういえば、大学は奨学金とバイトで稼いだ金で卒業したといっていた。いつも「親なんかの世話になっていない」というのが父の言い草で、じいちゃんに対して冷淡な態度である。長女と年が離れているのは、じいちゃんが刑務所に入っていたからだ。

 きっと子どもの頃、父はじいちゃんのことで肩身の狭い思いや、苛められたこともあったのかもしれない。

 ――なにもかも僕のしらない家族の事情であった。

「わしは咎人とがにんだから、何も文句は言えん」

 ぽつりと呟くと、じいちゃんは冷めたお茶を飲ほした。

 うちの母に酷い仕打ちをされても耐えているのはそのせいなのか。誤って人を死なせたが、その償いは十分したと僕は思うのだが……。


 その年の冬だった、じいちゃんが風呂場で倒れ帰らぬ人となったのは――。

 何もなかったように、母はじいちゃんの部屋を片付け、わずかな遺品もすべて処分した。ゴミ袋からじいちゃんの鉄瓶を取り出し、形見として僕が貰うことにする。

 この鉄瓶で沸かして、ふたりで飲んだお茶の思い出だけは消すことができない。「お茶がうめぇ~」じいちゃんの口癖を、僕も年を取ったら笑顔で言えるかなあー。

 じいちゃんの世話をする内に、介護の仕事に就こうと決意した。

 行き場のない年寄りたちの拠り所になるような、そんなグループホームを作ることが、僕の未来の“夢”になったから――。

 じいちゃん、天国で見守っていてください!

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